そもそも、個人のウェブサイトを公共のものだと規定するところからして、時代錯誤も甚だしいのですが、五百歩譲ってそうだとしても、本当に偉い人が私のウェブサイトを見て不興に思うはずもない。自分で言うのもなんだが、私のウェブサイトには諧謔系のユーモアしか存在していないではないですか。確かに世の中にはユーモアを解さない偉い人もおられますが、偉い人は自分の解さないことには首を突っ込んでこないものです。自分の解さないことに恐怖して害をなそうとするつまらない人が、社会的に偉い地位にいる場合もあるわけですが、そのような人に媚びへつらえるのなら、他にやることがいっぱいで、ウェブサイトを作る無駄な時間なんてあろうはずもない。
と、ここまで書いてきたところで外野から何やら声が聞こえてきました。なになに?秘密の花園が悪いんじゃないかって?
でも、あのページは僕のウェブサイトの中でも一番人気。みんな喜んでくれているようだし、生き物の話を読んでもらうための客寄せパンダとしては、とてもうまく機能しているはず。え?あのページは善良な人々の期待を裏切る悪意に充ち満ちたページで、とても真面目なものとはいえないって?
私はこれでも学者の卵です。いや、ひよこくらいにはなっている。もうすぐ立派なとさかが生えて、鬨の声を告げるのです。立派な学者というものは、世の中の常識や約束事を揺さぶるから存在が正当化されるのではないですか。これまでわかっていることを追認するのは御用学者であって、そんなものになるために私はこの年になるまで定職にも就かずにいるわけではないのです。
秘密の花園は確かに期待を裏切る作りをしています。しかし、その期待はどこから出てくるかというと、HTMLのお約束からなわけです。私は、もちろん立派な学者ではないですけれども、まね事くらいはしてみたい。だから、ウェブでああいうことをやるのは、私にとって自己の確認とも言うべき作業で、、、、、
だんだん書いててばかばかしくなってきたので、このへんでやめにしましょう。それにしても、WWWの大衆化もいいことばかりではないですな。どうしても、勘違いの輩が出現してしまう。