アリの話 その2
この独り言のコーナーには、「アリの話」というタイトルで実はアリの話をあんまりしていないという、もし僕が広告業を営んでいたらJAROに訴えられそうな駄文がのっているのですが、あまりにこの文章が不評なので、今回はもう少し真面目にアリの話をしようかなと思い立ったわけです。思い立ったはいいが何を話すかというと、ついつい自分の研究の宣伝をというのが三流学者の悪いところなのですが、そこはそれ、御海容を。
さて僕は数あるアリの特徴のうち、分業という現象をテーマにしてきました。アリは社会で生活しているのですが、まあ、社会の常というか、それはそれはいろんな仕事があるわけです。例えば、餌を集めなくてはいけなかったり、子供たちの世話をしなくちゃいけなかったり、土を掘って巣を拡げたりしなくちゃならなかったりするのは、学研の科学を読んでいるよい子のみんなはよーく、御存知ですね。さて、働きアリ一匹一匹を見てみると、こういういろんな仕事を全部やっているわけではないのです。ある働きアリはずっと餌集め、他の働きアリはずっと子供の世話といったように、専ら行う仕事が決まっています。こう、アリの社会にも分業体制があると聞いて、人間の社会、例えば会社組織などのモデルとして使えないかしらんなどという考えが、ふっと頭に浮かぶあなた、マネージングに苦労していますね。なんとも目に見えないまとわりつくような全体の圧力を感じて日々を暮らしている事でしょう。お気の毒です。
さて、働きアリに分業があるといっても、彼女達は一生同じ仕事をしているのではありません。年をとるにつれて、どんどんと仕事の内容を変えていくのです。人間でも、例えば若者は往々にして理想主義的、非妥協的になってしまうきらいがあって、問題を現実的政治的に解決するのが上手でないとか、年寄はもう頭が固くなっていて発想に独創性が必要とされる仕事にむかないとか、もちろん、おじいさんがプロスポーツ選手になれないなど、ある人の年齢は、その人が行う仕事を制限する要因になっています。こんな感じで、アリも若いうちは巣の中で子育てをしているのですが、年を取ってきて老い先短くなってくると巣の外に出て危険を冒しつつ餌を集めるようになります。
人生もそろそろ半ばが見えてくると時の刻みの情け容赦のなさを実感して、ほんの少しの恨みとともにため息をつくことができるようになるものです。アリさんたちとて同じこと。みんなで分業して暮らしている彼女達、きっと全体がうまく回っていくためには、この仕事にはこれくらいの労働力を、また別の仕事にはこれくらいの労働力を、というあんばいがあるはずです。なのに、一人一人が行う仕事は自分の年とともに変わってくるわけです。全体で見ればどうなるでしょう?あるときには、アリさんの社会はうらわかい乙女でいっぱいかもしれません。こういうときは、みんなが子の世話ばかりして、誰も餌集めに行かないわけです。こうなると、子供たちはお腹が空いてしまい、ひょっとしたら死ぬ子もでてくるかもしれません。でも、しばらくすると、乙女たちはみんなお婆さん。これで、みんな一生懸命餌を集めてくるようになるのですが、今度は子の世話を誰もしなくなって、子供たちはぐれてしまうかもしれません。
「あほらしい、そんなんベビーシッターが足りひんかったら、餌集めしてるアリさん呼んできて、世話させたらええやんか!」そうです。確かにそういうこともあって、ある程度は融通が効くようです。が、しかし、いくらなんでもおばあさんつかまえて、「赤子が泣いてるから、乳飲ましといたってな」いうわけにはまいりません。それに、何百、何千といるアリさんたちの社会の全貌を把握して、どの仕事が労働力不足になっているかを把握するというのはとても大変で、やらないほうがましかもしれません。というわけで、現実には労働力の融通は本質的な解決にはなっていないのです。
このようにアリの社会には常に労働力の過剰と不足がつきまとっています。彼女達は毎日あんなにあくせく働いているようでいて、本当のところは壮大な労働力の無駄遣いをしているかもしれないのです。もちろん、彼女達は自分のやっていることが無駄かどうかなんてわかっていないでしょう。きっと目の前の仕事を黙々とこなしているだけなのです。ホッとしますか?それとも心の底が少し寒くなりましたか?
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