アリの話
僕は一応アリの研究者ということで業界では通っているらしい。まあ、アリについての論文で学位をいただいているのだから当たり前といえば当たり前である。さて、普通人間にしてみれば、アリというと地上をセカセカと行列を作って歩いているところしか目に入ってこない。しかも、アリとキリギリスの話のおかげでアリは働き者だという印象が世の中に流布しているようである。
このような書き出しからわかるようにアリは実は人が思っているような働き者ではない。彼らも休まねばならないし実際休んでいるが、たいていは土の中で休んでいるだけなので我々の目に付かないだけである。このような誤解が生じるのは当然である。人から教わったことを、目に見える事実が補強するのだから、素直に考えれば当然上のように思うだろう。
さて僕が困ってしまうのは、僕がアリの研究者だと聞くと「アリって本当は怠け者なんですってね」と訪ねてくる御仁がよくいることだ。「働きアリのうち、かならず3分の1は怠けていて、みんながみんな働いているんじゃないんですってね。」もう少し事情通だと「で、怠けているアリをつまみだして、働き者のアリだけにしてやるとまた3分の1は働かなくなるんですってね。」
この話が流布した理由は、動物行動学者の日高敏隆が自分が読んだ論文の話を、数学者で教育評論家(のような)森毅に何かの対談の折に話し、「怠けの奨め」をそこここで唱えている森毅が、ここぞとばかり「あのアリですら」という文脈で書き散らしているからというのが真相らしい(03/06/16追記:最近、この説も本当かどうか怪しくなってきました。ここを読んだ方、どうぞ信用しないでください)。で、それを読んだ教養あふれる御仁が僕を捕まえると、ここぞとばかりに訊ねてくるのだ。この質問に僕は当惑する。僕はその元ネタの論文をいまだに特定できていないので、3分の1という数字が正しいのかどうか判断できない。3分の1自体には意味はなくても、一部のアリを隔離しても働き者の比率は変わらないということが重要ならば、やはり数字を知らなければならない。そのうえ伝言ゲームの常で内容が大きく変質している可能性もあるし、そもそもどのような方法で観察なり実験されたかを知らなければ、結果がどういう意味をもっているかなどわかりはしない。
また、別のことを言えば、そもそも人間でさえ、一日の3分の1しか働いていないのである。アリが我々の社会を観察していたとして、「こいつらは怠け者だ。一日に3分の1しか働いていない」と言われても困るだろう。僕たちだって寝る時間も御飯を食べる時間も、それから□□□をする時間も必要なのだ。昼間は働いている人の比率が高まり、夜は下がるが、これはアリとて同じことである。親のすねをかじって享楽生活を送る学生達だって親がいなくなれば働くに決まっている。そうしないと死んじゃうんだから。ただ、きっと親ほど一生懸命には働かないだけだ。
だから、御仁が訊ねるようなことは、感覚的にいって当たり前のことで、僕には御仁が何を面白がっているのかがわからないのである(条件に関らず働き者の比率が一定だということを面白がっているなら、さっき述べたように僕は答えを持っていない)。というわけで上のような質問をされても、僕はyesともnoともいえず、お人よしモードの時はただニヤニヤとごまかし笑いを続け、傲慢モードの時は「怠け者の定義をして下さい」と、やはりごまかしに入るのである。
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