楽園の日々

結婚というものには、いろいろなイベントがついてくるのだが、中でも新婚旅行と言ったら、昔も今もメインイベントというか、結婚という制度の目的は男女が旅行しても後ろ指を指されないようにするためだったんじゃないかというか。
言い訳はこのくらいにするが、私も御多分に漏れず行ってきたのである。新婚旅行に。

だいたいにおいて新婚旅行は、ゴージャスに二人だけのビーチでスイートな時間が二人の間をロマンティックに過ぎていくものである(中身のない文章の典型)、と物の本には書いてある。そう書いてあるということは、現実は違うということで、それならなんとかして物の本の通りに、いや、そのままとは言わんが、少しでも近づけるべく努力するのが、ひとかどの大人としての最低限の勤めというものではないだろうか。

というわけで、行ってきたのは仏領ポリネシア、タヒチはボラボラ島である。どうだ。南海の秘境だ。エビラが出るのだ。なんといっても、日本からは週に二便しか飛行機が飛ばない。しかも、一年前までは週1便だったのだ。ということは旅行代金はバッカ高。これだけで、「ゴージャスに二人だけのビーチ」はかなったも同然であることよ。わははは。
実は、当初の候補はモルジブでした。私ら、実は婚約指輪に無駄金を投資していないので、新婚旅行は少々奮発しようと思っていたのです。しかし、いざ旅行会社に申し込む直前になって、この時期(夏。私ら結婚は6月だったんですけど、あっしの仕事の関係で夏まで旅行を延期していたのです)はモルジブは雨期であることが判明(←粗忽者)。急遽他を当たることに。実は、あっしは昔からボラボラの奇景に憧れていて、でも、あんなお金のかかるところには行けないなあ、と思っていました。しかし、モルジブに行くことを一度決めていれば、そこにいくらか足せばボラボラに手が届く。こうなると決断の閾値は下がります。いきなりボラボラを検討していてもきっと却下していたはず。我々の粗忽さがボラボラを実現させたという。

タヒチ便は関空と成田から出ているのであるが、我々は所々の事情から成田から飛び立ったのである。前日は、横浜に住む妹夫婦の家に泊まり、朝7:30の成田エクスプレスで成田まで。我々の指定席は7号車8のC、D。ホームに7と書いてあるところで待っていたのに、止まったのは4号車。とりあえず乗り込んで列車の中を移動していると、なんと、6号車と7号車の間は通行不可能。我々と同じく連結器の前で途方に暮れる、留学先のアメリカに帰る途中だという肩に入れ墨シールをいれたお姉さんに、「次の駅で乗り換えるしかないですよねえ」と言われるも、成田エクスプレスは特急。次の停車駅は東京!30分後!指定席を買ったのにも関わらず、2時間の乗車時間のうち1/4を立って過ごす羽目になるとは。さすが、生き馬の目を抜く東京。しかし、私は関西人だ。不当な仕打ちには闘うぞ!と、連結器の前にはなぜか個室が。そこはグリーン車だったのだ。周りを見ても人は乗ってこない様子。きゃははは、すわっちゃえ。いやあ、すばらしいシートだった。ほら、もうすでにしてゴージャスな旅の感じ。

そんなこんなで、成田に着いて、チェックインしようとしたら、ボラボラでは渇水で時々断水。シャワーで不自由をかけるかもしれんがごめんねとのこと。そりゃあ、確かに雨期じゃないからボラボラにしたんだけど、ビーチリゾートでシャワー浴びれんかったらつらいなあ。いや増す不安に不機嫌な新妻。どうでもいいことで急に怒りだし、ぼう然と立ち尽くす私をしり目にどこかに消えてしまう。早速成田離婚の危機だ!ああ、これも新婚旅行らしくていいなあ、などと悦に入っている場合ではない。しかし、私も新妻とは長いつきあいだ。ここで何をしても無駄なことは知っている。で、ただ時間が過ぎるのを待ってエアータヒチヌイのエアバス340に乗り込む。なんと一人一人にバニラの花を配っている。耳に差すのだ。よい香りだ。南海の孤島なのだ。小野田さんも住んでいるのだ。機内の映画はイマイチ、ご飯はまずまず。昼間に飛んでいるので、あまり眠たくもならず、隣でグースカ眠りこける新妻を羨ましく思いながら、ひたすら雑誌を読んでいるうちにタヒチ島はパペーテに到着。タヒチは日付変更線も赤道も越えた所にあって、ついたときは現地時間の朝3時。なのに日本語歌詞付きのタヒチアンソングのお出迎え。レイももらっちゃって、素晴らしい歓待ぶり。驚きながらプロペラ機に乗り換え一時間ほどでボラボラ島へ。そこからは双胴船とトラックで、宿泊地のクラブメッドボラボラを一路目指す一行であった。
クラブメッド。そこは怪しの世界。外から見ているとなにやら新興宗教っぽい匂いを感じ取ることも出来そうな、閉鎖性を感じさせる会員制リゾート。従業員は自らをG.O.と名乗り、責任者は村長と呼ばれ、食事の際には見知らぬ人と同席し談笑の中で友達を増やし、夕食の後にはエンターテナーに早変わりしたG.O.達が、素敵なショーで客を魅了するという噂の宿。その病的なほどの健康的で若いイメージに、あっしのようなひねくれ者の東洋の老いぼれは若干の恐怖心を覚えていたのですが、案ずるより産むが易し、楽園でした。クラブメッドはオールインクルーシブシステムだそうで、旅行代金に三食分が含まれている。他のホテルだったら、「タダでさえ高い料金を払っているのに食事でますます高いお金を取られるのか」と思うと、ついつい倹約に走りたくなるのが人情。しかし、クラブメッドなら、その心配もなく思う存分喰らい飲むことができる。朝昼晩とバイキングで、一つ一つの料理はそれほどおいしいわけではないものの、バラエティと量で圧倒。とにかく、いろんなことを決断したり気にしたりしなくてもいいのはラクチンでした。ラクチンといえば、あっしはパック旅行は初めてで、こんなに手取り足取り世話してくれるとは、そりゃあ、日本のオジオバは旅行に行ってふんぞりかえりますわな。ラクチンだわ。あっしたちなんて、今回ついに一度も現地通貨に両替しなかったですよ。それから怖れていた断水も、なんでも我々が着く直前に雨が降ったそうで解消していた。わははは。新婚旅行の前に悪運など怖れをなして逃げていったのだ。

部屋に落ち着いて、ゴージャスではなかったものの、コンパクトにまとまったかわいい部屋から外を眺めつつ、日本では朝の4時かと思うと、寝てしまう二人がいて。起きたら夕方。さすがに泳ぐ気にはならず、桟橋から熱帯魚にえさやり。サヨリのようなダツのような魚に群れられる。仕方がないのでテニスに興じる。隣のコートではフランス人のお父さんと少年がラリー。お父さん教育パパのようだが、少年あまりうまくなく楽しそうではない。かわいそうに。南海の楽園まで来てなぜそんなにつらい時間を過ごすのか。あっしらなんてヘタヘタですぜ。ラリーなんて二往復すればいいほう。球拾いに行ったところでカニと出くわすのも楽しい生活也あるよ。で、すっかり汗かいて、晩ご飯食べて再び寝る。

二日目。有料オプションツアーでボラボラ島サファリツアーへ。神風ドライバー、ロキさんと言うガイドの運転するジープで島を一周。ついでに展望ポイントまでの悪路走行も楽しむという趣向。ボラボラに行くなら、このツアーには絶対参加するべしだ!景色は高いところから見るに限る!ウソのようだ!どこを見てもこの調子だ!旅行のパンフレットのようだ!南海なのだ!門田の満塁ホームランだ!(古い)。午後はクラブメッドの船に乗ってシュノーケルのポイントに。お魚さんよ!お魚さんよ!!とはいえ、色彩の豊富さで言えばグレートバリアリーフにはかなわないようです。孤立しているせいだからでしょうか。夕方、卓球をして過ごす。我々夫婦の間では懸案だったのですよ。日本で何度もやろうとしてできなかった卓球を地球の裏側に来てすることになろうとは。

三日目。午前中は再びクラブメッドの船に乗ってモツ(環礁)へ。見よ、この海の色。ああ、楽園とはこんなに簡単に手に入るものだったのか。これまで全く知らなかったぞ。お昼は再び本島に帰ってきて食べるのだが、この日は日本人スタッフで売店担当のミホちゃんと、その彼スティーボが隣に来て、お話しながら食べる。夕方にパレオの着方講習会をやるそうだ。
午後はビーチで本を読んで過ごす。先日ウィーンでハプスブルグ家の栄光に触れる機会があり、触発され彼の家の歴史について書かれた本を読む。楽園の太陽の下、陰鬱なヨーロッパの歴史を学ぶこの倒錯。だって、この本しか持ってないんだもの。もう一冊の狐狸庵先生は新妻が読んでいるし。夕方は新妻再び昼寝をむさぼり、退屈なので裏山に登る。この島にはクモがほとんどいない。乾期だからだろうか?で、展望台につくもくたびれただけで眺めはイマイチ。むう。
で、夜。新妻がハガキを買うと言って売店に。そこでミホちゃん「あ、来てくれたんですね。サマンサぁ。お客さんよぅ」新妻、顔のバランスの悪い外人女に物陰に引っ張り込まれ、パレオに変身させられる。それだけではない、こっち来い来いと言われて毛唐が夕方から酒を飲んでいるバーの袖に連れていかれる。そこには他にも何人ものパレオを来た女性陣が。むむ、慌ててカメラをとりに走るダンナ一人。戻ってみると案の定、バーの舞台の上でパレオショー。村長のピエールにインタビューを受けるも、聞いてないよと憮然とした新妻にカメラを向けるとすかさず笑顔を作る。何もんじゃ、おぬしは。
ディナーの後、そういえばショーを一度も見ていない。今日はタヒチアンショーらしいとのことで見に行く。すさまじい速度の足腰の動きに見とれていると、半裸の踊り子が客席になだれ込んでくる。そして新妻ら致される。どうも、また舞台に上げられる様子。けけ、こいつは面白いと思っていたらば、私までら致。しまった。まず私から踊る。難しい。その後、新妻。思いの外激しく腰を振っている。帰ってきても御満悦の様子。私上手だったでしょ。

四日目。今日もモツへ。島の外側に回り込んでシュノーケルに興じる島の娘。潮が速く苦労するも、ハリセンボンをはじめとして色々見れて楽しかった。お昼はモツでバーベキュー。うめえ。午後からはウィンドサーフィンなんてやってみた。最初は苦労していたが次第にコツをつかむ。面白い。同じ日本人客のジイサン(通称ピカード。よく似ていた)もやっていて、あんなジイサンががんばっているなら、わしもと思わされる。この日のショーはG.O.のダンスショー、ロミオとジュリエット。学芸会並の出来に、わしゃ、つまんねえと思ったが、新妻はお気に入りのG.O. リオが主役だったので御機嫌。これ、立場が逆であっしが毛唐のG.O.にお熱だったら、きっと殺されるだろうに世の中というのは不条理なものよのうと感じ入る。地球の裏側にいても、日々是学習あることよ。
五日目。今日も有料ツアーに出かける。初日は車で島を一周。今日はで一周。騒々しいイタリア人の集団と一緒になる。いやあ、よく喋るわ。負けていられんと思うが数で圧倒される。どうも、日本人はカップル単位で動く傾向がようなので集団サイズではかなわない。これだけ見ていると日本人の方が個人主義的に見えるが、実情はそうではないのはどういうことか。今度来るときは必ず友人夫婦と一緒に来ようと思うのだった。その方が絶対に楽しい。ところで、今回ボラボラクラブメッドには8組の日本人カップルと一組の男性二人組と一人客がいたのだが、8組中7組までが夫婦者で、そういう意味では非常にお金のかかるリゾートも良いものであることよ。浮ついた雰囲気はあまり感じられなかったわけ。それにしても、男二人組とか一人旅ってのはなんだったんだろう。
閑話休題。船はすぐに第一ポイントに。シュノーケルを付けて海に入るとすぐに「ラ・マンタァ」の声。探索モードに入ると、足下4-5メートルのところをコバンザメを引き連れ悠然と泳ぐマンタが。全部で三回見ました。いやはや、あまりに簡単で。で、船は次に無人島へ。再びシュノーケルに興じる。ガンガゼの海だった。しかし、深いところに行くと魚のサイズも大きくまた違った面白みがあった。昼はバーベキュー。うめえよう。島を探検して、初めてクモを見つける。しかもゴミグモ属。なにか運命的なものを感じんでもないが、きっと何もないのだろう。少し昼寝をして、出港。新妻に「海の色が場所によって違うのはなぜかと聞け」と言われたので聞いてみると日本語で答えられる。深さだそうだ。で、一番浅い三メートル以下の白い部分にやって来た。海に入る客達。底にはサンゴの死骸が積もっていて、白い。しかし、ところどころ岩がでていたりして黒い部分もあるのだ。と思っていると黒い部分が我々のまわりに近寄ってくるではないか!実は黒いものの一部はエイだったのだ。うきゃあああ。阿鼻叫喚の日本人達。そういえば、ガイドがそんなことを言っていたような気もするが英語で喋っていたので聞き流していたのだ。で、ガイドは餌付けをしていて、エイが近寄ってくるとむんずと捕まえ、客にキスしろキスしろという。あっしもついつい異種間の愛を交わしてしまった。すると愛が通じたのか、はたまた餌が欲しいのか私の体に乗り上げてくるエイ。ひえええ。その場をあまさず写真に撮るガイド。帰ってきて日本人はその写真を買ってしまうのだ。一枚1000円と言えども。ああ、ボラボラに何日もいると理性とか批判精神とか失ってしまうのだ。だって、こんな経験二度としないだろうからさ。ゆるゆるな私を許して。で、帰ってきて新妻は手紙書きにいそしみ、ダンナは再びウインドサーフィンに。
今日がボラボラで最後の夜。さみしい。いやだあ、帰りたくない。こんな贅沢でアホな旅行、きっともう二度とできないよう。ひいい、と思うのもつかの間、ワインを飲んでいると眠たくなるのは年ですかな。

六日目。午後には出発で、10時に荷物を出さなきゃいけないので、泳ぐのはあきらめてビーチで最後のほうけタイムを過ごす。しかし、光陰矢の如し。無為に時間を過ごすことほど簡単に適応できることもないなあ。最後のお昼はフランス人G.O.と食べる。新妻はその昔フランス語をとっていたとかで、記憶をたどって色々聞いている。「甘いものは別腹」という意味の言い回しがフランス語にもあることを教わる。ああ、でも、帰らなきゃいけないの?あっし、帰ったらまた仕事しなきゃいけなくっていやなんだけど。こんだけいろいろサービスいいんだから、あっしの代わりに学会発表も片づけておいてくれるわけにはいかない?ダメ?などと思っている間にG.O.多数のお見送りを受け、貝殻で作った首飾りをもらい、トラックに乗り込みヴァイパテの港へ、そして双胴船で空港に。空港では石をひっくり返してカニの写真を撮る。パペーテでは、別のホテルに部屋が用意してあって、夕食とシャワーが供されます。お土産買って、ご飯を食べていると(このご飯はとてもおいしかった。クラブメッドとは大違いだった。ひょっとして失敗だったかという思いがちょっとだけ頭をよぎった)、またタヒチアンショーが始まった。こちらは泥臭いボラボラのと違い複雑で洗練されていた。しかし、洗練さと引き換えに迫力を失った感があるのはしょうがないかな。なんていっていると、また半裸の踊り子が客席に降りてきて、またまたら致されてしまった。しまった。今度は踊り子さんがとても優しく、上手よ上手よと客をおだてる。しかも踊りがなまめかしくって、新妻を前にして怪しい腰の振り方についつい合わせてしまおうとするあっしが。楽園だった。空港でお土産を買って、またバニラの花をもらって帰ってきた。

そうして長崎に帰ってきて、たくさんのつまらないことどもと、時々やってくる楽しいこととともに暮らしているのだが、こうして時々は楽園の日々を思い出すのであった。

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