北欧の夏

Overview: Where is Jyvaskyla?

4年ぶりの国際行動生態学会に行ってきたのです。行動生態学ってのは、「有り体に言ってオスとメスとどちらがより好みが激しいかとか、うんちゃらかんちゃらを調べる学問です」とここで説明すべきところだけど、既に旅日記の別のところに書いてあるので今回は省略。本当はヨメサン子供も連れていって久し振りのヨーロッパ滞在と洒落込むつもりだったのだけど、よんどころない事情でそちらは断念。家族と一週間離れるのは子供ができてから初めて。

さて、会場はフィンランドのユバスキュラ。と言われたって、いったいどこなのよそこは?はい、私がお答えしましょう。それはヘルシンキから300キロほど北、湖水地方に位置するのであります。決してトランシルバニア地方にあるわけではありません(←キュラしか合ってない)。で、フィンランドは日本の90%ほどの国土面積に大阪府よりも少ない数の人しか住んでいなくって、広い距離を置いて街がポツンポツンとあるのだから、本当は飛行機で乗り込むのが便利なのだけれども、あろうことか学会開催期間中はユバスキュラ空港が整備のため閉鎖!というわけで、タンペレというフィンランドの大阪と言われる街を経由して鉄道で向かったのであります。

Flying Dutchman

そもそも、鉄道に乗るにはヘルシンキまで行かなきゃいけないけれども、直行便は毎日あるわけじゃない。というわけで、今回KLMでアムステルダム経由ヘルシンキ行き。成田で搭乗ゲートが開くのを待っていると、なんだか行列ができている。はて珍しや、並んだって別に良い事ないのに。どうでもいいですが、昔住んでいた長崎では割と並ぶ人が多くって、県民性なのかなあと思っていたのだけど、、はっ!長崎とオランダ!!それはともかく、スキポールに着陸するとき街並みを窓から眺めて「うわー、ハウステンボスみたい」って思った事を白状します。

しかしKLMは怪しの航空会社。行きが同じ便のMぺさんが「KLMといえばカップヌードル。カップヌードル」と乗る前からつぶやいていたので何の事かと思案していたら、機内でいい加減退屈してきた頃にプーンとあのえも言えぬ匂いが漂ってきて、しまったと思う間も無く「ice cream? or noodle soup?」と。もちろんヌードルを食べる私。少しぬるかった。あとKLMは東京便の一部にパーソナルエンターテイメントシステムという、前の座席の後ろに液晶モニターを埋め込んでオンデマンドで100本ほどの映画見放題というものがついている。もう、映画ファンには夢のようなものなのだけど、私は不幸な事に出発の一週間くらい前にナショナルジオグラフィックチャンネルで「航空機事故の真実」みたいな番組をついうっかり見てしまっていたのであります。で、またそれがエンターテイメントシステムにかかる電力負荷の大きさが原因で火が出て墜落ってな番組だったわけで、映画は見たいイヤ見ちゃいけないと。しかたないので、何度も頭を掻いてみたりしました。

そんなこんなで夜の10時過ぎにヘルシンキ空港について荷物を待っていると「ナカター?」というアナウンスが聞こえるじゃないか。そのとき既に私は自分のカバンを取り、後は発表用のポスター筒を待つのみだったわけで、「しまった。あれがどこかに紛れたら発表できないじゃん!いや、待てよ、これは、しめしめ?」と思いながらカウンターに行ってラゲッジタグを見せたら「お前じゃない」と言われる。「でもよー、呼ばれたから来たんだぜー」と言ったら「ひょっとして連れがいるのか?」と言われ、コクコクうなずくと「そいつを連れてこい」と。アムステルダムで一泊するのはMぺさんの荷物だった。で、私らは翌日昼過ぎにユバスキュラに旅立つ予定だったのだけど、夕方まで荷物を待つ事に。まあ、起った事は仕方がないので(っていうか私は高みの見物だ)Mぺさんは緊急お泊まりキットをもらう。このお泊まりキット、シャツは入っていてもパンツはなかったそうな。

Rainy days and Saturday

で、夜11時だと言うのにまだ明るい中をホテルへ。ホテルは「スカンディック・マルスキ」。なんか格式のある宿だった。ええっと、ここはサマータイムだから1時が最も暗くなる時間のはずで、ということは3時にはもう明るくなってるんじゃんねー、とか言いながらバタンキュー。翌日はしとしと雨。夏とは言えフィンランドである。寒いのなんのって。

とはいえここは北緯60度を超える。そう考えると大変温かだとも言えるのだが。北大西洋海流は偉大なり。っていうか、ヨーロッパを滅ぼそうと思えば大西洋に大きな堤防を作ってやればいいんだな。

閑話休題。ストックマンと言う百貨店やマーケット広場を冷やかしながら、ウスペンスキー大聖堂というところに行ったらロシア正教式の結婚式に出くわす。雨宿りも兼ねて見ていたら、一時間くらいずっと司祭他が歌っていると言う式だった。聞いていると例によって段々トリップしてきて、宗教と歌の結びつきの強さを思い知る。どうでもいいが、途中から友人ないしは年の近い親戚とおぼしき人が新郎新婦の頭の上に王冠をかざしていて、手が疲れないかと心配した。ますますどうでもいいが、式の途中、司祭が新郎新婦と王冠持ちを引き連れて壇の周りを三回回ったので、まさかワンと言うんじゃないかとドキドキしたが、期待は裏切られる。残念。外にでると雨益々強くずぶ濡れになる。寒いよー。あんまり海外で風邪引きたくないんですけど。

うー、どうでもいいけど、ヘルシンキの街並みってヨーロッパの他の町と比べて書き割りチックというか歴史の重みを感じさせないと言うか。なんか安普請なのな。街も小さいし、もし観光が主目的で来てたらちょっと肩透かし感を受けるかも。ヨメサン子供が来てたら退屈したかもなあ、と雨宿り場所を探しながら思ったのだった。

カフェで暖をとった後、駅前の郵便博物館に行き、スウェーデンとロシアと言う二つの大国に挟まれて翻弄されたフィンランドの郵便事情に思いをはせていると、Mぺさんがムーミンのレターセットを買う。またまたどうでもいいが、ヘルシンキではムーミングッズはそこら中にあるのだけど、一度もニョロニョログッズを見なかった。タブーなのか?!で、置き忘れられた荷物を届けてもらうはずのホテルに戻るが、さらなるトラブルで空港まで送り返されてしまったらしい。Mぺさんついてない。

と、散々だったヘルシンキだが無事荷物もゲットしてペンドリーノでタンペレへ。そしてユバスキュラへ。しかし時差ボケのせいかペンドリーノで乗物酔いしてしまう。Mぺさんに「僕、こういう揺れ方するのって弱いんですよね。白浜行くときのくろしおとか、大の苦手」とか訴えていたのだけど、帰ってきて調べてみたらペンドリーノも振り子じゃないか!私は振り子式に乗ると酔うの法則。帰りはペンドリーノでなかったから、車内で本を読んでいても酔わなかった。いかにもフィンランドでございと言う車窓の景色がこれ。どうでもいいけど、フィンランドの湖の水面は黒かった。

Finlandia

そんなわけで学会も始まったのだが、なんか今回は1講演20分の持ち時間が残り数分になると、全会場で一斉に「フィンランディア」が鳴り響く。これが鳴ると、質問の途中だろうが講演の途中だろうが有無を言わさず終了。客がぞろぞろと会場を後にするのである。各会場にタイムキーパーがいるようなやり方だと、どうしてもローカルな事情で時間がずれてくるものだけど、今回のフィンランディアは中央から制御されていて、個々の会場でトラブルがあったとしても斟酌無し。おかげで聞いている方は、ゆっくりと会場を移動できて良いのだけど、それにしても一日何回も何回も同じフレーズを聞かされる。すっかりフィンランディアに対する条件反射ができてしまって、あの曲を聴くと立ち上がりたくなってしまった。ロシアからの独立だ!それにしても、学会最終日のディナーの時にまでフィンランディアをかけるんだから、よっぽど好きなんだなあ。

Nightless in Jyvaskyla

オオこれぞフィンランド!というものは全然食べなかったのだけど、ユバスキュラでもヘルシンキでも食事はあまり外れが無かった。それというのも私たちより一日早くユバスキュラ入りして情報を集めていた高須先生あってこそだが。ある日は日本人10人以上でユバスキュラ1というパブレストランに入っていたが、フィンランドには反政府組織はなさそうだから、テロで日本の行動生態学が壊滅的被害を受ける心配は無い。

しかし、山盛りのジャガイモがついてくる場合が多く気をつけなくてはならない。一度アカシカの肉のソテーを注文してひどい目に遭った。アカシカの肉って少し臭みがあるのな。で、食事にはアルコールなのだけど、日本の感覚で午後5時くらいの明るさの時から飲みはじめるのは変な気持ちだ。そういえば夜11時になっても、そこらへんでマルハナバチがブンブン飛んでいたが、北欧だとハチも眠る間が無くて大変そうだ。って言うか夜行性の動物はどうやって暮らしているんだ?

食事と言えば、お昼に駅前のヘスバーガーと言うファストフードに入ってケバブバーガーを食べようとしたら「できたらテーブルに持っていくから待ってて」と言われたものの、いつまでたっても来ないので10分ほどして「まだでっかー?」と聞きに行ったら「オゥ、注文通ってなかったデスー。ゴメンナサイ、今すぐ作りマスー。コーヒーとかデザートとかあげましょうかぁー?」とえらく待遇が良かった。マクドではありえない話だ。どうでもいいが、レストランに行くと、テーブルの上に植木鉢が伏せてある事が多くって、しばらく「何でこんな事してるんだろう?テーブルクロスが風で飛ばないようにしてるのかしら?」と思っていたら、どうも灰皿だった(写真では緑だが、茶色の、まさに植木鉢と同じ色の物が多かったのだ)。

Boat Cruise

今回の学会は中日の夕方にお楽しみがあって、船でユバスキュラが面する湖をクルーズしてバーベキューを食べるのである。これが学会費に含まれているのだから、参加しないわけにいかない。しかし、国際行動生態学会議の参加者は今や900人である。900人が乗れる船ってどんな大きさだ?そいつが沈没でもしようものなら、世界の行動生態学は壊滅的な被害を。。って思いながら港に行ったら船は5隻もあった。さすがは行動生態学者のやることだ。ベットヘッジはばっちり。

で、乗ってみたら夏とは言えフィンランドである。寒いのなんのって。長そでのシャツ一枚しか上に着るものを持っていなかった私はガタガタ震えながら二時間を耐え、やっと着いたら、そこには餌を待つ行動生態学者の長い行列が二本できている。はて、最適待ち行列はどちらだろう?等と考えている暇は無い。私の乗った船は二隻目で、まだ三隻分人が降りてくるのだ!というわけで手近な列に並ぶ。なんとか食べ物を確保したのはいいが、ビールの行列は半端じゃない長さ。これは取りあえず胃を膨らませようと言うことに相成る。後から聞くと、最後の方の人たちは、肉を食いそびれたらしい。日本の行動学会でも懇親会の際は5分で食べ物が無くなるのが通例なのだが、この傾向は世界的らしい。どうでもいいが、岸からフィンランドの子供たちに歓迎された。彼らもよもやこうされるとは知るまい。それから、湖岸に建物が点在していたのだけど、フィンランドでは湖の水位は変動しないものなのかしら?

私は行かなかったが、今回の学会ではsocial eventでフィンランドの伝統的なサウナに入り白樺の枝でピシピシやるという会があったらしい。参加したMぺさんによると、「白人はサウナではハダカでうろうろしてもいいと思っているらしい」とのこと。「それって、つまり露天風呂ですね?」と私。

Wooden Toy

そんなユバスキュラの日々だったが、町自体は小さく(人口は8万人だそうだ)、あまり観光する場所もなくて、家族を連れてこなかったのは正解と言える。でもヨメサン子供は暑い日本に残っているわけだから、せめてお土産くらい買ってやろうと。で、ヨメサンは木のおもちゃを所望。フィンランドにはユシラ社を始め(どうでもいいがjukkaと書くのに、ユシラ社とはコレイカニ?)木のおもちゃを作っているところがたくさんあるので、きっと簡単に買えるだろうと思っていたのだけど、甘かった。ユバスキュラはあまりに小さい。地図で見ると、どうも駅から北西に4-5キロいったところにユシラ社のお店があるみたいだけど、さすがに歩いていける距離じゃないので、あきらめて帰りのヘルシンキで買う事にした。しかし、これが間違いで、帰ってから気がついたが、ユバスキュラはまさにユシラの本拠地だったらしい。そうと知ってればタクシーに乗っても行ったのだけどなあ。フィンランド語の地図ではそこまでわからなかったよ。

Daughter of the Baltic

で、帰りのヘルシンキ。木のおもちゃを探す私である。しかし、どこを探したら良いかわからない。お土産屋をうろついても、ククサやアーリッカの雑貨はたくさんあってもおもちゃは全然無い。よく考えたらお土産としてはニッチだわなあ。で、これは普通のおもちゃ屋に行かねばならないと思い、細かい道をしらみつぶしに歩いて二時間。やっと見つけたお店に入り「あー、うちの一歳半の息子にフィンランドの木のおもちゃを探しているんだけど」と言うと店員のお姉ちゃんが親切に色々見繕ってくれる。で、かの有名なユシラのムカデも勧められるが、「これは日本でも買えるからねー」とか言いながら、結局ユシラじゃないおもちゃを購入。「これでウチの息子もハッピーだよ」と言ったら「ぐーーーーーーーっ」と親指をぐっと突き出されて、なんか楽しくなった。楽しくなって、店の外にでたら天気も良く、先週はあんなに辛かったヘルシンキがとても良い街に見えてきたので、目の前にあったヘルシンキの港めぐりに乗ってみた。

デッキに上がると、ほぼ満席。空いている席を見つけて「いいですか?」と隣に座っていた子供に聞いたら「NO!」と。「後からパパが来るからペラペラペラペラ」と言うので、「あー、それならいいんだよ、まだ隅の席が空いてるから」といって窮屈な席に座る。で、船は出港。。あれ?まだあの席空いてるじゃん。パパは?って思っていると、その席におもむろに若い兄ちゃんが座る。先程の子供しらんぷりである。しまった、私はかつがれたのか!さすがは二つの大国に翻弄された歴史を持つ国の子供。したたかである。

で、船はどんどん進むのだが、夏とは言えフィンランドである。寒いのなんのって。一時間と少し船に乗って、寒さで気持ちが悪くなったので、降りてから百貨店に行ってセーターを買う。折角異国なのだから、普段着ない赤を買おうと思ったのだけど、気に入ったもののサイズがMしかなく、普通の日本人たる私が着ると袖口が手の先にきてしまい、端から見ると手の長い人になってしまうので断念。Sサイズのある紺のものにした。他にもいろいろ買い物をして、夕刻(といっても9時前だが)空港近くのホテルにたどり着く。もう、へたりそうなのだが、フィンランドでまだ一度もサウナに入っていないわけで、このホテルを逃したらきっと一生その機会は無かろうと言う事で、がんばってサウナへ。入ってみると日本とあまり変わるところが無く、拍子抜け。ふにゃー、と思っていると若き日のスティングに似た兄ちゃんに「サウナは好きか」と話しかけられる。いろいろ喋って、「明日日本に帰るんだよー。一日弱かかるんだよー」と訴える。「そんなにかかるのか?!」と驚くから「アムステルダムで待ち時間が長いんだよー」と答えると「アムステルダムは空港と街が近くて鉄道で15分ほどだから、行ってくると良いよ」と言う。

Supplement: Amsterdam

ユバスキュラにいたときは、その気は全く無かったのだけど、そんな風に言われたのも何かの縁である。翌日トランジットでアムステルダム市街に出てみた。いやー、アムステルダムは極東で想像するヨーロッパの街そのものであった。歩いているだけでウキウキする。これ、これだよヨーロッパは。ハウステンボスとはちょと違うアルねー。アムステルダムはまったく計画外だったので地図も持たずにウロウロして、気がつくと後からダム広場だと知る場所に着く。おお、なんかここはきっと観光地に違いないと思って写真を撮るのだが、こういうときに限ってデジカメがバッテリー切れになるのだな。まあいい。しかし、折角だから飾り窓が見たいんだけどなー、と思いながら尚もさまよっているうちにあっという間に時間が過ぎたので、空港に戻る。いやー、これがなかったら観光と言う意味では気の抜けた旅になるところだった。サウナの兄ちゃんKiitos!

というわけで帰ってきたのである。ヘルシンキはともかく、ユバスキュラは学会でもなければ絶体行かないような街。きっともう二度と行くことはないだろう。そうやって考えると、この一週間も私の人生の貴重な彩りの一つである事だなあと、凡庸な締めで終わっておく。やっぱ、ちょっと今回は突破力のある事件に欠けたかもねっ!

おまけのおまけ。帰ってきてから、いろいろフィンランドの事をググってみて、お土産に買ってきた木のおもちゃが日本でも通販で買える事を発見。しかも日本で買った方が1500円ほど安い!!またかっ!!


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