Do you Believe in Love?

Overview

国際行動生態学会というものに参加してきました。行動生態学とは、ありていにいって動物の行動がどのようにその動物の適応度に関わっているかを調べる学問であって、適応度とは、自分の持つ遺伝子が自分の属する集団内で占める割合が世代間でどのように変化するかをもって測られるわけなので、ぶっちゃけた話が、この動物はこういう行動をしたからこれだけ子供が残せましたとか、これだけ異性と交尾できましたとか、これだけ餌をたくさん食べることができましたとか、これだけ長生きできましたとか、できると考えられます、とか言い合う学問なのであります。で、国際だから、外国で開かれるということで、今回はスイス第一の都市チューリッヒで行われたのです。

Behavioral Ecology

行動生態学の発展に非常に大きな貢献をした人物の一人にウィリアム・ハミルトンという人がいて、この人は少し前にマラリアのために亡くなってしまったのだけれど、この人の博士論文というのが、アリやハチといった社会性昆虫がなぜ進化してきたかという、かのダーウィンでも解けなかった問題を解決したものだったのです。今回の学会はその生前の業績を偲ぶ特別シンポジウムを開くほどハミルトンと関係が深いわけで、当然欧米のアリやハチの研究者がこぞって集まるのであろうと思っていたのですが、あにはからんや、講演演題のうち、かなりの量を鳥の研究が占めておりました。しかも、ほとんどが性選択(異性とつがう事と関係する進化上の損得関係)や配偶者選択(文字通り誰とつがうかを選ぶこと)に関するトピックばかりで、あー、やっぱりこの世は男と女よのうと感じ入ったものです。

なので、僕のようにあまりそのへんの機微に興味を持てない口は、性選択の話が続く前半は退屈だなあと思いながら話を聞いていたわけです。特に流行りの研究というのは、大概が同じストーリーのレプリケートに過ぎないことが多く、聞いてびっくりになかなかならない。やはり学会で人の話を聞くのは頓狂一番ですからね。それから、私はヒアリング能力にあまり自信がなく、鳥で性の問題という、僕の専門ど真ん中ではない話題には苦戦させられました。国際学会に参加すると、いつも「もっと英語力つけなくちゃあ」と思うのですが、実行に移された試しはない。あたしもいっぱしのダメ人間です。

とはいえ、やはり学会は役に立つもの。今回、僕はクモのお引っ越しの話をしに行ったのですが、社会性昆虫学会という対象の狭い学会でアリの話をするよりもずっと受けていたのが予想外でした。ひょっとして、クモはみんな気にしてるんじゃないか?と前から薄々思っていたのですが、ますますその意を強くしました。それに会いたかったオーストラリアのネエチャンはきさくな人で、手に入らなかった別刷りもらったりして、帰りの飛行機まで一緒になったりして、僕としては学会後半は充実していましたね。後半はときどき面白い話もあったし。例えば、ある虫は、オスがメスと交尾した後にそのメスが他のオスと交尾しないように交尾器の中を破壊していくんですぜ。で、メスはそれがいやだから交尾の最中に後ろ足でオスをえいえいって蹴ってるらしいんですよ。そうしたら、少しは破壊の程度が小さいらしい。ああ、おそろしや。

今回の学会のディナーはチューリッヒを一望のもとにすることの出来る山の上で夜景を見ながらバーベキュー。夕方登ってみたら、アリの婚姻飛行の真っ最中。そこかしこで交尾していました。バーベキューは、おいしかったとはあんまりいえなかったですなあ。

さて、国際学会のお楽しみといえば、通常、期間の中日にあるエクスカーションデイ、いうなれば観光の日です。ところが、生き馬の目を抜く行動生態学の世界では、そんな余裕を作る暇はありません。5日間の期間中、わずか半日しかフリータイムがないという。なのに、午前10時と午後3時には40分のお茶の時間、ランチには2時間取っているのだからヨーロッパ人は優雅なのかなんなのか。あげく研究発表が終わってからサッカーをして、その後深夜までパーティーですからねえ。まあ、そんなわけでチューリッヒからどこかまで足を伸ばして、というわけには行きませんでした。残念。でも、チューリッヒ自体は堪能いたしました。

Zurich

こないだ結婚した嫁さんは、だんなの海外出張についていくのが夢だったとかで、早速実現の運びと相成ったわけです。そういえば、僕がはじめて行った国際学会(1994年のパリ)でも新婚の知り合いの研究者が嫁さんを連れてきていて、自分の発表の時以外はほとんど会場に姿を現さなかったことを思い出しました。あの当時はうらやましかったものだが、自分がおんなじことをするようになるとは思わなかった。
で、一人ではないのだし、宿もけちることはなかんべえ、と二人で一泊12000円のホテルにしましたら、そのComfort Inn Royalというところは随分いいところで、駅のすぐそば、内装オシャレ、使わなかったがエアコン完備、フロントのお姉さんは愛想がよくおまけに美人ときたもんだ。旅の疲れも何のその、途中のケンカはどこへやら、すっかり気分が良くなって、「だいたい国際学会に来ると、日本人の行くとこなんて限られてるからすぐ知りあいに会うねんでー」なんて喋りながら街にさまよい出たものです。すると何百歩も歩かぬうちから早速N門教育大のK夫妻とばったり。後でわかったのですが、同じホテルだった。この日は他にもK教授を中心とする魚軍団に会い、あげく温泉大魔王高須先生とも会ってしまった。高須先生は、きっと繁華街を歩いていたら中田に会うに違いないと思っていたそうな。さすが国際学会慣れしている。で、高須先生と三人で街をそぞろ歩いていました。

さすがチューリッヒは第二次大戦の戦火をくらっていないだけのことはあります。街はきれいです。特に表通りから少し入ったところの町並みの小奇麗さは特筆すべきです。地震も台風もない国は、いっぺん石で家を建ててしまえば内装外装を手入れするだけで何百年も暮らしていけるんだなあ、と、このときはうらやましさで一杯でした。この日は高須先生に会う前にChopChopというあやしい中華料理屋で晩ご飯を食べていたのですが、高須先生と三人でもう一度パスタまで食べたら、こいつがおいしかったのなんの、いやー、チューリッヒはいい街です。ここで、街で見つけた小洒落た物写真を二つ。

学会の間中は嫁さんとは昼間は別行動で、夕方合流して一緒に晩ご飯を食べるというパターンが多かったのです。学会初日は高須先生とMペ(森ペって書いてもほとんど変わらん)さんと4人で食べました。高須先生は中華に行きたがっていましたが、我々夫婦は既に食べているので却下(しかしチューリッヒには中華料理屋が少ない。こんなに探すのに苦労するとは思わなかった。結局3軒しか見つけられなかった)。会議は踊った結果(といっても庶民的なレストランが並ぶ、1kmにもならない通り沿いでのことですが。晩飯はほとんどここで食べました)、スペイン料理に決めて店に入ったら、K教授、H教授夫妻を中心とした日本人軍団が。学会参加日本人のほぼ2/3がそこにいたわけで、バスク解放戦線とかが爆弾テロでも仕掛けようものなら、日本の行動生態学は立ち直れなくなるような被害を。。。で、またここがおいしかったんですよ。どうしようかと思った。この日お昼に大学構内のレストランで食べたランチもおいしかったし。いいですよ、スイスは。ドイツ語圏と言えどもフランスやイタリアの文化が混ざっているから、食べ物がおいしくて。

Transport system

この日4人で語り合って得られた結論は、スイスは豊かだ、でした。街ゆく人はみんなこざっぱりした格好をしているし、一人だけ物を恵んでもらっている人を見ましたが、その人にしたってそのまま大学で講義を受けてても不思議のないような服装でした。それから何が驚いたかって、チューリッヒには市街のあらゆるところに路面電車、バス、トロリーバスの路線が張り巡らされていて、どこへでもいけてしまう。しかも交通機関が止るのは深夜のわずか数時間だけで、それ以外はほとんど10分間隔くらいで走っている。いったいチューリッヒでは公共交通機関にどれほどの人的資源を振り分けているのだろう?だって、チューリッヒって人口30万しかいないんですよ。長崎より少ない。しかも乗り降りするときに切符のチェックもないし。聞くところによると私服の検札員が見回っていて、無賃乗車を発見すると罰金を取られるらしいが、僕は滞在中一回も出会わなかったしなあ。どう考えても無賃乗車するほうがお得なんだけど、これって貧しい日本人の発想なんだなあ、きっと。
それにしても、この交通機関すべてに一日乗り放題のチケットが500円もしないんですよ。どう思います?奥さん?しかも僕らは学会参加者ということで、会期中フリーのパスを持っていました。結果、たかだか数百メートルを歩くのも厭うようになってしまいましたが、見てるとチューリッヒの人もそんな感じでした。気楽に一駅だけ乗っている人が随分いましたね。なんて素晴らしいシステムなんだ。
しかし、どう考えても、改札フリーにすることで人件費を大幅に減らすことが出来たにしても、モラルの高いスイスの人が無賃乗車をしないとしても、あれだけの交通機関を30万人をベースに維持していられるとは、どうにも理解しがたい。日本で屈指の優良交通機関の長崎の路面電車にしても40万人をベースにわずか数路線しか走っていないというのに。高須先生は彼我の社会システムの効率の違いにその理由を求めていましたが(そういえば頭脳労働者しかいないという説もあったな)、あっしの仮説は違う。このシステムは自給自足していないに違いない。きっと外部から資金補給を受けているのだ。財源は、もちろん、ナチスの隠し財産に決まっているっ!!なんて事を考えたくなるほど信じられない光景でした。

Zoo

実は白状しますが、学会二日目は基調講演だけ聞いて、一般公演を5つほどブッチして嫁さんとチューリッヒ動物園に行きました。ホテルの目の前から動物園行きの路面電車が出てるし、だって、僕は動物学に関わっているからそういうものも見とかなきゃいけないし、その日の講演はどこをどうひねくりかえしてもつまんなそうだったし、えっと、えっと。
この動物園、爬虫両生類が大充実しておりまして、あたしゃガラガラヘビって始めて見た。あとボアとかヤドクガエルとか面白かったですよ。同じ日の午後にやっぱり学会さぼって行ったらしいMペさんの話によるとゾウガメがその辺を闊歩していたらしい。僕らは見れませんでしたが。しかも交尾までやらかしていたとか。うらやましい。別の種と言えども、交尾シーンはどうにも興奮するものです。僕は一時期アリを交尾させることに精を出していたものですが、あの小さなアリですらうまく交尾器があわさると、ついこっちもウムとうなずいて、誰にも見られなかったかと周りを伺っていました。大きなゾウガメのまぐわうところなんて、どれほど迫力のあるものでしょう。そんな話をMペさんにしたら、「そういうときってオスの側に感情移入しちゃうんだよな」とのたまっていました。御意。
学会参加者は動物園の入場も要らないと聞いていたので、窓口で「ねえちゃん、この学会の参加証があれば、ただやねんやろう?」と聞いたら、「?あんた、学生か?」とけげんな顔。参加証を見てみれば、大学の名前が書いてある。「いやいや、わしゃこういう学会の参加者なんだが、ただやと聞いたんだがねえ」と食い下がるも、「NO!」の一点張り。この日はどこからこんなにわいて出たかと思うほど子供が多く、切符売り場は長蛇の列。謙譲の美徳の日本人としては、わずかな額(とはいえ1000円ほど)のためにいつまでもごねるのもなんだから、と思ってお金を払っちゃいましたよ。後から、Mペさんに聞いたら、やっぱりタダだそうな。損しちゃった。
あと、面白かったのは羽の下に雛を隠して守る鳥さん(まるで6本足の様に見えて不気味だった。嫁さんは根っこの生えた鳥と言っていた」や妙に人懐っこいペンギンとか面白かったですな。で、この動物園はずーっと坂を上っていったところにあるのですが、お昼はその名もチューリッヒバーグというレストランでグラタンのようなものを食べました。幸せ。
この日の夜はMペさんたってのお願いでフォンデュを食べに。チーズフォンデュとオイルフォンデュを食し、ワインを飲む。これぞスイスですな。

Lake Cruise

それにしてもというか、やはりというかスイスは涼しいのです。特に最初の数日は寒くって長袖でないと全然ダメでした。やっとチューリッヒ湖観光に言った日くらいから、昼間は暖かく半そででもオッケーという感じ。で、そのチューリッヒ湖ですが非常に細長く、チューリッヒの街は片方の端に位置しているのですが、もう片方の端にラッパーズビルという小さな街があって、そこまでで行ってきました。ヨットで遊ぶ人、ボートで昼寝する人、水上スキーをする人、ただプカプカ浮いている人などいました。湖畔の家にはボートハウスがあっていかにも優雅な暮らしぶり。コロンビアマフィアの秘密資金以外にどうしてこんなことがありようか。さて、目的地で船を降りたら、そこには小さな古城があって、大変にいい感じ。一時間ほど散策して電車で帰ってきました。あとでわかったのですが、学会でもらったフリーパスがこの船にも使えたそうです。あたしたちはわざわざ3000円ほど払ってしまいましたよ。どうも今回はこういうことが多い。

この旅行中いつでも嫁さんと晩ご飯を食べていたわけではなく、一日完全に別行動の日もありました。そのときはH教授夫妻グループとレバノン料理に行きました。メニューはあるんだけど、今日はお客さんが一杯でこれしか出せないのと言われたものを、やっぱり美味い美味いと言って食べ、かつ飲みました。実はH教授夫妻とお話するのは始めてで、でもなんかくだけた下ネタが多く、これが天下の大新聞に書評を書いている有名人かあ、とこれも国際学会のいいところ。日本人が少ないから参加者とは知りあいになれるという。

Believe in Love

今回のお宿はインターネットで予約しました。というか、国際学会だと不慣れな外国人のために宿を斡旋してくれることが多いのですが、今回の学会は徹底した合理主義というか、手を抜けるところは手を抜いたというか、宿はインターネットで勝手に予約しろとのこと。合理主義はそれだけじゃなくって、開催までに何度かあるインフォメーションも参加申し込みもアブストラクトの提出まですべてWebまたはe-mailで行われるという。印刷物は会場に行って初めて手にすることが出来るという徹底ぶり。おかげで出張届けを出すときにプログラムの写しがなくて困ってしまいました。それにしても、ネットにアクセスできない人は参加しなくていいって事かなあ。欧米はそれでいいかもしれんけど、日本はいつのまにかネット後進国だなあ。

で、予約するときから、最終日の夜にはチューリッヒでパレードがあるから宿が埋まっちゃうよと言われていました。スイスといえばハイジ(実際時計屋に行ったら日本のアニメのハイジの絵が飾ってあったのには笑ったが。この日の昼にはソーセージを食べ、Mぺさんのウサギをちょっともらって食べた)、ハイジといえば牧歌的。パレードって、なんかチロル風の衣装を着たメルヘンっぽいのぉ?って思っていた僕たちは極東の山猿でした。パレードの日の何日か前から「あれって、すごいらしいね」とか「下品で下品でしょうがないらしいよ」とか「路面電車も動かなくなる位の混乱になる」とか「全裸半裸の男女が踊り狂うらしい」とか聞かされ続けました。確かにそう言われればなんとなく街の雰囲気が浮き足立っている。よく見ると街にレイヴがどうのこうのという垂れ幕もかかっている。やべえと思っていたら、街全体がクラブと化していた。パレードはパレードでもテクノパレード。そこここからハウス系のビートが鳴り響き、ある場所では音楽が干渉して、何が何やらわからんようになっている。そもそもランチの時間から駅に紐パンとブラだけ付けて、なぜかしっぽは着いた、スタイルのとてもいい半裸の美女(顔はサングラスしてたから想像)がいたもんだ。でホテルに帰って嫁さんと合流し、外へ出ればすでにずんずんと低音が響き渡る。街の中心部ではぐちゃあっと人が。で、確かに変な格好をした人もいて、全裸はいないが目のやり場に困るような人はたくさんいて、あ、でも一人きれいな女性が路上で上半身すっぽんぽんで着替えていた。時々おばあさんなのに露出度満開な人がいて、彼の国はおおらかだなあ。なんでも50万の若者が一夜を踊るためだけにヨーロッパ中から集まるらしい。一夜にしてチューリッヒの人口が3倍弱になる。

大勢の人が裸に近い状態だから、水鉄砲をもった若者が若い女の子の気を引こうと水をかけて回るのは世の道理。我々も随分流れ弾に当たりましたが、感心したのはやつらちゃんと狙いを分けてるんですね。僕らのようなどこからみても巻き込まれた観光客を狙うやつらはほとんどいない(一回やられたけど)。こいつらこんなに気の狂った格好して気の狂ったような踊りをして、ガキのように水鉄砲で騒いでいるくせにどこかに分別をもっていやがる。日本じゃあ、こうはいかないぞ。茶髪のガキどもだったら、絶対だれかれ構わずやり始め、ついでに周りのものをぶっこわしたりする。それに、日本じゃあ流れ弾に当たったほうも怒りだすから、こんなに平静でラヴ&ピース!なんてやってられないはず。絶対トラブルと思いながら感心しつつ、いやいや、夜になったらきっと荒れるはずだと性悪説の立場をとる中田は思うのだった。

そもそも日本じゃあこんな若者が主導した大騒ぎを、開催できるところなんてないですよね。ああいう音楽が理解できない人にとったら電車は止まるし音はうるさくて寝れないし道路はゴミで埋め尽くされるしで迷惑千万。しかし、彼の国はおおらかなんですね。豊かさから来る余裕ですか。というか、日本はやっぱり年寄りが偉そうにしすぎな社会なんだな。儒教もいいことばかりではない。

こんな状態なので晩ご飯を食べるところも苦労して、少し中心から離れたところで中華を食べ、夏時間なのでやっと暗くなった10時ごろに再び中心部に行くと、またずっと盛り上がっていて、でも全然危なげな雰囲気じゃなく、性悪説完敗でした。後から聞くところによるとノーアルコール、ノードラッグだそうで、なるほどそういうことかと。それからシーメンスだったかのクラブがあったのですが、そこは既に撤収作業に入っていて、ユニフォームに身を包んだ大勢の人が清掃に勤めていました。見る見るうちに片づいていく大通り。手際がいいことに再び感心。とはいえ翌朝僕らは帰路についたのですが、まだ昨日の余韻は街に残っていて、紙くずが散乱していたり、駅では排泄物の匂いがしていたりで、パレードの前日まであれだけきれいだったチューリッヒもさすがに一晩では回復しないというか、お前ら朝まで踊ってたやろ。

で、結論としてはやはり高須説が正しいのであって、ナチスの隠し財産はないのだと思うようになりました。この国の市民はモラルが(日本人の目から見るとうらやましいくらい)高い。モラルが高いということはみな自律性の高い個人であって、個々のレベルの分別のおかげで社会が効率良く回っているのではないかと。で、それはきっと教育が素晴らしいからでしょう。モラルや分別は隠し財産からは生れてきません。そういえば、嫁さんとMペさんからチューリッヒは教育学の父ペスタロッチが生まれた街だと教わりました。なるほど。比べて日本人はどうなんでしょう。モラルのこと、自律性のことを話題にしようにも、はなっからそういうものを軽視する人か、モラル(自己による制御)と法律(他者による制御)の区別がついていない人がほとんどのような気がします。いずれにせよ自己と他者の境界についてあんまり考えていない人たちです。こういうのをもたれあい・依存の構図だと呼んでいた人も学会参加者の中におられましたね。いつか日本ももう少し住みやすくなればいいなあ。
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