ラブ・オブ・ザ・ゲーム
野球とテレビの親和性について考えてしまいました。ケビンコスナーは引退間近の大リーグのピッチャーで、現役最後になるかもしれないマウンドが映画の舞台です。で、野球のシーンのかなりの部分はテレビ画像として処理されています。監督のサムライミは若いので、テレビ世代なのでしょう。野球は球場ではなく、カウチで見ていたわけで、僕も同じです。野球は静と動がはっきりしたスポーツで、静の時に選手の顔のアップをテレビに写すことが容易です。このために、野球を見ている人はスポーツと同時にドラマをも見ているわけです。だから、野球はあんなにルールが複雑なのに、ルールを知らない人が見ていても面白いという。このあたり、サッカーやバスケットボールでは太刀打ちできますまい。
で、この映画はそういう野球の属性についてよく考えられた映画です。マウンドではケビンコスナーが完全試合を達成できるかどうかという状況があり、観客はそこではらはらします。ところが彼はマウンドで、ついさっき別れることを告げられた大事な女性のことを想っています。8回に入るまでケビンコスナーは追憶で頭が一杯で、完全試合であることに気づきもしないくらいです。観客は、そのドラマも平行して見ており、ケビンコスナーの心の動きを知ることになります。
よく考えられた構成、むだのない脚本。余計なのは演出でしょうか。メロメロのメロドラマ演出に大げさな音楽をかけられても、僕のようなロマンチックのかけらもない人間には効きませんから。それに、僕には7回を過ぎてからは完全試合の方に興味が全部行っちゃって、彼女のとのことはどうでもよくなってしまってました。まあ、あのヒロインもいまいち共感の持てないキャラクターだったしなあ。サムライミは、何を思ってこの作品を作ったのでしょうかねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
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