マグノリア
本当に人生というものは厄介なもので、ただでさえたくさんのプレイヤーがいて複雑で訳がわからないのに、プレイヤー達がそろいもそろって愚かさにあふれた存在なわけです。そんなことは、普通に人生を送っている人なら、みんなとうにわかっていることで、芸術家気取りの青年に三時間もかけて教わる必要はないのです。観客をバカにしないほうがいい。
しかし、空は時々、一面のうろこ雲に覆われたりします。もし、そのとき夕日が差していようものなら、その美しさは数分間人の心を一つ所に留めておくために十分です。雲は、一つ一つは賢さのかけらもないただの気体分子から出来ていて、いつもは不定形のもやもやした形しかとっていないのに、あるときなぜか奇跡のように空は秩序で覆われてしまう。そこには、何らかの意志があるように思う。奇跡はただの奇跡ではしょうがないわけで、そこに意志を持つ存在を読み取ることで、奇跡は人の世に意味をなすのでしょう。マグノリアはそういう映画です。
この映画はキリスト教的な贖罪・懺悔・受容についての映画で、その情熱は狂信の色さえ帯びているくらいに思えます。よくいえば真摯なのですが、別の言い方をすれば息苦しいのです。僕には少し辛かった。というか、途中からその息苦しさに麻痺してしまったと言うほうが当たっているでしょう。前半、特に登場人物を一気に紹介するシークエンスのただならぬテンションには目まいがしたものですが、次第に体感速度は減速していき(高速道路を10分も走れば時速120キロで走っても全然怖くなくなるというやつです)、クイズのシークエンスが終わると、もうどうしようもなくなる。そうなると、突然現れる歌のシーンももう手遅れ。目くらましにならなくなってしまいます。特に僕はアルパートリッジのシークエンスとフランクマッキーのインタビューシーンで緊張感を失っていった感があります。
映画の中に救いはあります。こんなもの救いじゃないという人もいるかも知れませんが、あれは立派な救いだと思います。人生なんて10の辛いことに1の幸せなことがあれば御の字ですから。
御裁断は(最高☆5つ)
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