リプリー
太陽がいっぱいを男同士のホモセクシャルの映画だと喝破したのは淀川長治先生ですが、この映画をまっとうにホモ映画としてリメイクすると、まるで女同士の同性愛映画みたいになりましたとさ。
ジュードロウはお金持ちで言い寄ってくる人を勝手気ままにもてあそぶお嬢様のよう。マットディモンはジュードロウの極端のうち、自分に都合のいい一極だけしか目に入らなくなっているクラスに一人くらいは必ずいるような愚図な女の子。あげく、ジュードロウの気まぐれに感情的になってしまい、好きな相手を殺してしまうという。明治生まれの私の曾祖父さんなら(会ったことないけど)「女々しい」の一言で片づけてしまったはず。その後もマットディモンは何がやりたいのやらさっぱりわからん行動を繰り返し、あげく殺人の容疑(容疑じゃないけど)から逃れるために、一人二人と手にかけていく。で、「僕の心の中には閉じこめてしまいたいような暗闇が。。。」って、自己陶酔するなっ!!こういうところも、非常に女性的(失礼!)でありんす。
どこかで読みましたが、この作品の方がパトリシアハイスミスの原作により近いそうな。やっぱり女性の描くキャラクターはどうしても女性的であるということですかね。男性が女性心理を描けないとよく言われることの裏返しかな。
それにしても、あんなどうでもいい役のためだけにアカデミー賞ノミネーターのケイトブランシェットを使うとは贅沢至極。しかし、むだ遣い。
御裁断は(最高☆5つ)