オーロラの彼方に
タイムパラドックス物は、定義からして、考えはじめると矛盾が噴出してくるものです。多元宇宙解釈に走るなら整合性をきちんと取ることも出来ますが、その場合、情報なり物質の遡及が起こるたびに新しい宇宙が現れるので、ハリウッド風の一貫したストーリーを語ることはできなくなってしまう(話がそれますが、ランローラランは多元宇宙物と解釈することもできるわけですね)。SF小説には、そういう筋立てのものもあって、例えばJPホーガンと言う人の「未来からのホットライン」という話(割りと面白い)はそうなっていました。このお話と、「オーロラの彼方に」の違いは、タイムトラベルに伴う世界の再構築(このアイデアを映画にした点は評価しますが)が起こったときに登場人物の記憶が失われるかどうかなのです。厳密に多元宇宙にするなら、「未来からのホットライン」のように記憶は失われるべきですが(ちなみに、この小説はそこを逆手にとって、多元宇宙を越える強い感情の存在をほのめかすことで感動を誘うという手に出ています)、この映画では都合のいいことに登場人物だけは記憶を失わないようです。つまり二重記憶になるわけですね。もちろん、そうでないと、アイデンティティーが定義できないわけで、ハリウッド映画ですから、アイデンティティーという難しい問題には踏み込まないということで理解できます。
しかし、この二重記憶があるために、つじつまのあわなさ度合いがより目立つ結果になります。しかも一方ではこの映画はサスペンス調でもある。サスペンス調というのはリアルさがあってなんぼのものですから、つじつまのあわないストーリーとはソリが合わないですね。で、またタチが悪いことにお話をサスペンスの方に持っていくために登場人物の行動まで不自然になっていくんだから。見ていてなんとも収まりが悪かったです。
まあ、久しぶりにデニスクエイドを見ることが出来たのでよしとしますか。いや、だめだ。
御裁断は(最高☆5つ)
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