ブラックホーク・ダウン
常々思っているのだが、地域紛争への最も有効な対処法とは、国境を外から封鎖して全ての武器や経済援助の流入を止める事なのではないだろうか?もちろん外から武器が入ってこなくても、殺し合いは続けられるが、その効率はかなり低下する事が期待される。それから、立場が違っていても協力しなければ共倒れになってしまう状況を作ってやれば、内戦などしてられなくなるわけで、そのためには経済援助で中途半端な豊かさを作り出すのは逆効果だろう。それに、この映画でも触れられていたように、経済援助が一部のものを富ますだけの結果に終わるのは、よくあることだ。
一方で武器を売り、また一方でその武器に倒れる兵士がいる。なんて無駄なことだろう。このような不条理に対して「仲間の為に戦うんだ」って考える兵士という人たちが付け込まれて立場になってしまうのは必然である。確かに、この言説は事実なのだろう。そしてリドリースコットはリアリズムの監督だから、事実さえ描けていればいいと思っているのかもしれない。しかしそれは同時にリドリースコットの限界を示しているように思える。
そして、この作品はプライベートライアン以後の戦争映画の極北だろう。二時間半の上映時間のほとんどが切れ目無く続く戦闘シーンで、登場人物の空間的な位置関係や、そもそも画面に映っているのが誰かさえ判別できない事が多いにも関わらず、上映時間の長さを全く感じなかったことには驚いた。
ところで、最後にも触れられたが、19人の米兵の死亡に対してソマリア人は1000人以上が死傷したという。こうして逆の立場から眺めて見ると、この事件は単なる大量虐殺なのだと言える。アメリカ軍が巻き込まれた悲惨な市街戦というのは、あまりに一方的な見方なのだろう。
御裁断は(最高☆5つ)
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