吸血鬼映画に外れ無し、であります。で、それはなぜかっていうとお約束がしっかりしているからなのだ、というのは前にもどこかで書いたような気がします。ということは、逆に、お約束をちゃんと守らなければ吸血鬼映画といえども外れうるのであります。で、このお話、吸血鬼の側から描かれていますから、人間が吸血鬼を倒すためのお約束の数々はほとんど意味をなさない(もっというと、吸血鬼という記号だけが必要なのであって、吸血鬼が主役である必要もない)。うーむ、これでは。。。そのうえに、そのうえにですぞ、吸血鬼が日の光を浴びても平気なのである。しかも、その理由が強大なパワーの持ち主だからってことだけ。あげく、このような重大な約束破りがストーリー上他の部分とまったく関わりをもたない。はぁ?と何度も聞き返したくなったよ。
主人公はそのデーモン小暮ですが、もう一人人間側の主役で閣下にかまれたい女性がいまして、こいつがまた言っちゃあなんだが、あまり美人とはいえない人で。吸血鬼と結ばれるのは処女と決まっているわけだが、ひょっとして純潔性と女性の魅力を背反するものだと解しているのか?作り手たちは。で、この二人が別々にモノローグしてて、さっぱりどこに話の焦点があるのかわかんなくって、そのうちにアリーヤさんが現れてすっかり場をさらっていくもんだから、ますます誰が主役なのかわかなくなって、もうハチャメチャ。アリーヤさんは禍々しくってすごいんだけど。すごいよ。あと、レナオリンがやっぱり化け物でちょっとおかしかった。
と、突込みどころは多いんだけれど、そこそこ面白かった。原作を読んでみたらもっと面白いのかもと思った。
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