シュレック
「人は見かけではない」とよく言う。でも、このことをギリギリ考え詰めていくと、難しいことがいろいろあることに気がつく。例えば、内面が全く同じ人間が二人いたとして、一人がペネロペ・クルス、もう一人がソーラ・バーチだとしたら、どうするの?上の倫理に照らして、どうなの?もう一人が山田花子ならどうなの?
とか、「ベスト・フレンズ・ウェディング」のキャメロン・ディアスと「ベリー・バッド・ウェディング」のキャメロン・ディアスを比べたら、どちらが美しく見えるの?それは上の倫理とどう整合性を取るの?「バニラ・スカイ」のキャメロン・ディアスならどうなの?
この映画は、そのような問題についての一つの非常に美しい回答なのである。というか、「これしか答えはないだろう、なぜこれまではそうではなかったのだ?」という話なのだ。で、それだけ。
なぜ、おとぎ話のキャラクターは迫害されているのかがわからないとか、ファークワード卿がそんな悪らつな人間に見えないとか、盲のネズミの意味がわからないとか、そもそも平穏な生活が欲しいからと言って命の危険を冒すシュレックの気持ちが理解できないとか、色々色々突っ込み足りないとか描き足りないところのある食い足りない映画のように思える。なんで、こんなのが大ヒットするんだ?
テーマパークに対する何とは無しに感じる座りの悪さをこんなふうに明快に描いてもらえると我が意を得たりと言う感じなのだが、これももっともっと辛辣に描けたはず。向こうのエンターテイメント業界でディズニーに逆らうのは、そんなに怖いことなのかなあ?
御裁断は(最高☆5つ)
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