私ならこうする −ジョンQの場合
ジェームズ・ウッズを医療をする側のロジックの強い人物としてよりはっきりと描いておき、立てこもり前からジョンQと対立させておくべきである。そのためにはアン・ヘシュのキャラクターを消して、ジェームズ・ウッズにその役も担わせるべきかもしれない。で、もっと早くに、息子を救命室に運ばせて、ジョンQが自殺してその心臓を移植させるというプロットを走らせ始めるのだ。そうして、ジェームズ・ウッズにそのプランを頑として拒みつづけさせ、ドラマの主たる対立点を、心臓移植が実現するかどうかという事から、ジョンQとジェームズ・ウッズの対立に置き換えるのだ。そして、(人質を含めた議論の中で)対立関係が互いへの敬意に変わり始めたときに、スナイパーによってジョンQは狙撃される。ジョンQの状態を調べて、助かる見込みがないことを知ったジェームズ・ウッズは直ちに心臓移植の準備を命じる。そこに乱入してくる警官隊。この状態での心臓移植は違法なので中止して、警官隊の指示に従うよう命ずるも、「ここは病院だ。心臓一つたりとも無駄にはさせん」とタンカを切るジェームズ・ウッズ。くーーーー、かっこいい。
こうすれば、あのご都合主義の極みのオチを回避でき、物理的に対面している二つのキャラクターの間に対立関係を設定することで、ドラマとしての緊張感をより高めることができただろう。それに、このお話だと、ジェームズ・ウッズの考え方の変化を通じて、ある種の希望を描くこともできる。そして、何よりデンゼルちゃんを狂言回し的役回りに落とし込むことで、映画のバランスを適正な状態に引っ張ることができるだろう。どうです?悪くない案だと思いますが。