ボウリング・フォー・コロンバイン
生態学では、生物を生産者と消費者に分ける事がある。生産者は非生物から栄養を合成する事の出来る生物、消費者は他の生物から栄養を奪う事で生きる生物である。価値を創造するものと、それを奪うものだと言える。人間の社会でも、この分け方が可能かもしれない。農耕民vs狩猟採集民?武士・貴族vs農民?資本家vs労働者?銀行vs市民?先進国vs発展途上国?
そう考えると、暴力(ハードパワー)を行使して人から収奪する事と、もっとソフトな力(経済力だったり、ひょっとしたらマスコミの力だったり)を行使して人から収奪する事との間に親和性が高いのも納得がいく。マリリン・マンソンは鋭いところをついているわけだ(この映画で一番かっこよかったのが彼だというのは、この作品のテーマを伝えると言う点での技量の高さを物語っている)。結局のところ、銃の問題は、額に汗する事なく巨万の富を得ようとするものたちによる社会操作に起因していると言うのが、この作品の中心的テーマであろう。その意味で、チャールトン・ヘストンは実は問題ではない。たかが無邪気な俳優である。衰えた後ろ姿が、そのことを雄弁に物語っているように思う。チャールトン・ヘストンのシークエンスは、ある種の娯楽性、わかりやすい敵を作るために組み込まれているのだろう(このやり方は、ちょっと危険だとも思うが)。一方、サウスパークの作者の話は、アメリカの高校事情をかいま見れて「うわ、また悪夢のハイスクール生活の話か」と面白かったが、でも、全体のテーマからすると少しピンボケだろう。コロンバイン高校の件には当てはまるかもしれないけれども。
この映画は、アメリカ社会の問題と病理を、銃問題と言う切り口で、シニカルで鋭い視点から暴こうとする緻密に計算されたドキュメンタリーである。一部の宣伝にあるように、アポ無し突撃取材といったハプニングの面白さを追及しているのでは決してない。あくまで真面目な作品であって、その訴えてくるものは痛いほどで、私などは見ていてとても重かった。
しかし、映画館の中には呵々大笑している人たちがいた。おそらく西洋人だと思うが、どこの国から来た人たちなのか、とても気になった。まさか、アメリカ人ではないと思いたいが。。
御裁断は(最高☆5つ)
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