シカゴ
確かに、つまらない作品ではない。キャサリン・ゼータ・ジョーンズの迫力の太ももと歌と踊りは一見の価値ありだし(レネー・ゼルヴィガーは相手が悪かったとしか言いようが無い。お気の毒)、ジョン・C・ライリーがこんなに歌がうまかったって言うのも意外な発見だし(逆に、ギア様の声が軽すぎる感じだったなあ。ニール・ダイヤモンドかと思った)、色と欲と名声の渦巻くお話はいかにもボブ・フォッシーという感じだし、息つく暇も無く繰り出されるミュージカルシーンに不満はない。
しかし、わずかな違和感を感じるのだ。それは、物語に由来する。物語は、うそつきな不倫相手を衝動的に撃ち殺したレネー・ゼルヴィガーが、モラルのかけらも無い弁護士ギア様のマスコミ操作によって人気者になって、悪徳女看守の助けも得て、猿芝居で裁判も切り抜けて、、というもの。これ、どう考えても大上段から取り組むべきお話ではない。なのに、これを真っ向切ったエンターテイメントとして作り上げたのが、この作品なのだ。
どうにも作り手の真意を測りかねて、気持ちが悪い。これは、すべての価値観がよじれねじくれた21世紀に出てきた大仕掛けのギャグなのか?それとも、作り手は本気なのだろうか?
同じボブ・フォッシーの「オール・ザット・ジャズ」を見よ。あのシニカルさ、自らを貫く鋭い視線といった要素は「シカゴ」にはかけらも見られない。あれから20年あまりを経て、映画界から内省ということは完全に失われてしまったのだろうか。確かに、今の「アメリカ」と「自分を省みる事」とは水と油のような気がする。
しかし一方で、「シカゴ」はそんな時代の最後のあだ花に見える。そのうちに、ニューシネマのような(でも、どこかで一回転よじれている)流れが現われるに違いないという根拠の無い思いが(本当はミラマックスはそういう役回りになるはずだったような気がするが)、この作品を見て以来頭を離れなくなっている。
それにしても、これにアカデミー賞をやることはないだろうて
御裁断は(最高☆5つ)
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