猟奇的な彼女
私など、良く言えば自由奔放、悪く言えばわがまま放題のかわいい女の子に振り回されるのが大の好物である。今でこそちょこんと家庭に収まっているが、若い頃は嬉々として、朝には海の底から龍の玉を拾い、夕べには断崖絶壁に咲く一輪の花を摘んでいたものだ(まあ、結局は全部振られちゃったわけだけど)。
そんな私だから、「あと40分で来ないと殺す」とか言われた日にゃあもうクラクラ。いや正直言うと、四半世紀前くらいのアイドル映画かと見まごう前半戦には「ちょっとどうなのよ、これ?」と思ったものだが、後半戦に入ってハイヒールを交換させられた辺りからもう面白いようにこちらのツボをついてくるシーンの連続。一瞬「げ、これってファンタスティック系だったのか?」と姿勢を崩された後で、驚天動地(前半戦ですっかり油断していた当方にはまったく思いもつかなかったんだよ)の着地を見せられては参りましたと言うしかない。もっと軽快に作れたはずだとか、こんな上滑りのギャグでコメディーを標榜していいのかとか、洗練さのかけらも無い演出だとか、そんなことはもうどうでもいい。
いやしかし、洗練されていないことはこの映画の短所ではないのだ。こんな不器用な恋愛模様を描くのに洗練は似合わない。出会って100日経っても何にも起こらない純情カップル。現代の日本に住むものの目から見ればまるでファンタジー・絵空事のように思えるかもしれないが、ちょっと待ってくれ、30年ほど前までは日本だってこんなもんだったじゃないか。で、この映画で描かれているように、人はそんな不器用な生活でも十分幸せで、いや幸せという言葉がピッタリでないにしても、少なくとも「生きている」喜びが感じられるように思う。それに比べて、私たちは洗練されたように見えていても、実は一度手に入れた幸せを失ってしまって、どうしたらいいのか分からなくなっているのではないかと思ってしまう。後戻りこそが今必要なのでは、と韓国映画を観ると良く思う。
どうでもいいが、やはり私も東洋人。同じ東アジアの同胞には感情移入できる度合いが違う。ここ長崎では地理的な要因のせいか、アジアの映画は比較的マイナーなものでも公開されることが多い(ハリウッド映画はほとんど大作しかかからないので、本作品もきっと公開されないに違いないとハナから決めてかかっていた)。ちょっと嬉しいかも。
御裁断は(最高☆5つ)
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