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オールド・ボーイ
もし私が15年間監禁されたら?毎日揚げギョウザはちょっとイヤだが、本やインターネットがあれば結構平気なんじゃないかと思ってちょっと怖くなったりする。
まあ、そんなわけだからこの復讐劇の根底にあるエモーションはイマイチよくわからない。そのせいなのかラスト近くの美しいダムのシーン、これまでの主客が転倒するところでこれまで単相的だと思っていたストーリー世界が突然大きく拡大したように感じられて大変に気持ち良かった。
ところどころ、やりすぎのようなところ(カナヅチの目標線、生きたタコ、舌、など)があって、気が散るのは確かだし、あのラストもなんだか少し釈然としないところがあるが、それを差し引いても熱い情念の宿った見がいのある映画であった。
御裁断は(最高☆5つ)
ツイステッド
この映画の予告編を初めて見て、ヨメサンに「またアシュレイ・ジャドちゃんがサスペンス映画の主役を張るみたいなんですけど」と報告した。すると「で、またモーガン・フリーマンは出てるのか?」と問われたので「いや、サミュエル・L・ジャクソンが」と答えたらヨメサン大笑い。
で、見てみたわけだが、サミュエル・L・ジャクソンの役はモーガン・フリーマンがやった方がより効果的だったんじゃないかしら。これじゃあ「そのままやんけ!」だよなあ、やっぱり。
アシュレイ・ジャドは殺人課の敏腕捜査官。だが過去のトラウマからバーで男を漁る裏の面も持っている。で、なぜだか酔っぱらって気を失った時に限って、過去に関係を持った男が次々殺されていってピンチだジャドちゃん、ってそういう話。この映画のポイントは自分に対する信頼感が崩壊していくところなんだろうけど、気を失っているのにも関わらず自分が殺したと思うようになるというのはどうも説得力に欠けるような。。夢遊病じゃないんだし。それに、見ている側としてはよもや主役が犯人だとは思わないわけで、「自分が殺したかも」っていうジャドちゃんの恐怖は構造的に伝わりにくくなってるのもちょっと問題かも
ところで犯人の動機はどうなってるんですか動機は。それから最初にジャドちゃんが捕まえる変態殺人鬼が途中まで出てきて思わせぶりなセリフを吐くんだけど、後半本筋と絡まずほったらかしになったりして、全体的に脚本がもう一つピリッとしない。あと、中盤までは緊迫して見ていられたんだけど、オチに至る一連の展開に入ってから急に安っぽくなった感じがするのがもったいない。
私、アシュレイ・ジャド好きなんですけど、もうこの手の役はあんまりやらない方が良いんじゃないですかねえ。面白い作品に当たった事ないですぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
アイ, ロボット
アイザック・アシモフのロボット三原則と言えば、SF読みなら知らぬ者無い有名な設定なのだが、その三原則を形だけ借りて(回避できないからこその三原則でしょうに)、アシモフのロボット物の本質であるミステリーのかけらもないCGアクション大作としてできたのがこの作品。原作を知らない人なら、そこそこ楽しめるのかもしれないけれど、私のようにロボット物からファウンデーションから黒後家蜘蛛の会まで読み尽くした者にはちょっと。。
あと、主人公のウィル・スミスはある事情からロボット嫌いになった刑事の役なのだけど、新しい物が嫌いで2004年のコンバースのシューズを履いていたりする。しかし、それって現代の観客にとってみれば最新のグッズなんだから、主人公のキャラクターを語る役に立ってないと思うんですが、どうなんですか。え?タイアップ広告なの?なんか、それってお客を映画世界に没入させるよりもスポンサーを優先するって事ですかね?
それはともかく、最近の日本のロボット開発ブームを見ていると、こんな未来がそのうち本当に来そうで怖い。私はソラリアはイヤだぞ。
どうでもいいが、今作で遅ればせながら初めてDLPで映画を見た。色が鮮やかで大変に綺麗であった。
御裁断は(最高☆5つ)
テイキング・ライブス
いやー、サイコサスペンスだと思っていたら、開巻メガネの神経質そうな少年がバスに乗って同じ年ごろのキップのよさそうな兄ちゃんと仲よくなるっていう青春映画の様なシーンが始まったもんで、「しまった。ぼやーっとしてて入るスクリーンを間違えたんじゃなかろうな?!」と、ストーリーに集中できなかったザンスよ(見たのはシネコンだから開演時間が同じ別の場所に入る可能性がないとは言えない)。そうこうしているうちに最初の殺人が起ってホッとしたと言う。
FBIの捜査官にアンジェリーナ・ジョリー。次々と人を殺してはその人物になりすます殺人犯を追う。死体が掘り出された穴の中に寝るという妙な登場の仕方をするものの、プロっぽく決めたキャラクターでかっこいい上に脱ぎっぷりもよくって素晴らしい。追跡相手を見失い、背後に花火が上がる中、あおりで捉えたシーンにシビレタ。犯行現場の目撃者でジョリーと良い仲になる青年にイーサン・ホーク。怪しさプンプンな所が逆に怪しくないんじゃないかこいつ?と思わせる謎の人物にキーファー・サザーランド。こうでなくっちゃ。毒にも薬にもならない役でチェッキー・カリョ。フランス語喋れる人が欲しかったのね。と、まあ、キャストも豪華で面白かった。何だかコケてるらしいが、そんな扱いされなきゃいけない作品でも無いと思う。普通に面白い。
ところで、一児の父であるところの私としては、後半「えー、それって非現実的な状況とちゃうん?」とか思っていたのだけど、ああいう風に落とすのなら納得。
御裁断は(最高☆5つ)
インファナル・アフェア 無間序曲
傑作「インファナル・アフェア」の前日譚。主役二人がそれぞれの敵組織に潜入するに至った経緯とその初期の頃の物語。前作の緊張感の根源は「いつ二人の正体がバレルのか?」だったわけだが、今回はそれをやるわけにはいかない(もしやったとしたら、主役二人はその後もずっとサスペンス状況下で暮らしてきたという非現実的な設定になる)から、きっと主役二人が本来自分が忠誠を誓うべき対象との葛藤の中で敵組織で信頼を得ていく過程を描くのだろうと思っていたらば、すっとこどっこい単にマフィア側のエリック・ツァンがのし上がっていく過程と、警察側のアンソニー・ウォンとの奇妙な友情を描く話なのだった。しかし、本作でのこの二人の関係と前作での敵対関係とは一貫しないような気がするんですけど、どうなんですか?あと、マフィア潜入側警官がマフィア大ボスの係累だったってのもまずいんじゃないでしょうかね?
とはいえ、決してつまらないわけではなく、さすがに前作ほどではないとはいえ、十分見る価値のある作品になっていると思う。それにしても、この話ってあの人さえいなければって話なんだなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
バイオハザードII アポカリプス
この映画の作り手はよくわかっている。一作目の魅力は、ミラ・ジョボビッチ!ジョボビッチ!ジョボビッチだったわけで、続編の今作はサービスアップ。のっけから戦闘衣装に身を包んで野猿のごとく撃つ走る叫ぶ。オトナの諸君のお楽しみ、胸チラシーンもチョトあるよ。
それだけじゃない。金髪が趣味じゃない人向けにもう一人短パン・タンクトップ・黒髪ショートカットのキャラまで出してもらって言うこと無し。二人で好きなだけ暴れ回ってください。他の登場人物がステロタイプな事なんて瑣末ジャンねー。しかしもう主人公側が強くなりすぎちゃって、食われて死にそうな気がしない。ほとんどゾンビ物とは言えなくなってきているな。
閉じた空間の中が舞台だった前作と比べて今作は舞台に空間的拡がりがあって大作感があって良い。そのせいもあるのか前作よりもテンションが上がっていて、最後まで弛れる事なく見る事が出来るし、物語の構造がシンプルだから見ていて混乱する事も無い。あ、でも最初の教会で襲ってくる舌の長い敏速な生き物は一体なんだったんでしょうか?それはともかく、監視社会が進むとこの映画のように、町の中で誰がどこにいるのか瞬時に把握できるようになるのかしらね。イヤだけど便利。便利だけどイヤ。
えーっと、きっと第3作も出来るのだろうけど、ひょっとして次は生き残った4人で会社に対するレジスタンスでも始めるのでしょうか?
御裁断は(最高☆5つ)
LOVERS
MacOSがOSXになったとき、デザイン系の人々がカラフルなアクアインターフェイスのせいで自分の作品の色バランスに集中できなくなると抗議したために、灰色中心の地味なアピアランスが別に作られたと言う。えーっと、映画にも似たようなところがあって、風景や衣装、美術などは、いくらキレイでも物語やキャラクターのエモーションと関係なければ、お客の気を散らせるだけのような気がするんだけどねえ。
「HERO」に比べると、アクションシーンは良くなってはいるものの、チャン・イーモウの演出は今一つ勘所が外れているようで盛り上がらない。矢とか飛剣とかお菓子とかいろんなものが飛び交うのだけど、そのシーンをいちいちこれ見よがしにスローにしたり飛んでいる物の主観ショットにされてもなあ。こういうのは、ここぞって所だけに使わないとね。あと、朝廷軍と飛刀門の戦いというバックグラウンドがあってこその謀だから、クライマックスは決戦シーンがカットバックで入らないと。今のままだとするなら、朝廷軍が森の中を刀を抜いて進軍するシーンはカットしたほうがよいように思う。
それはともかく、チャン・ツィイーたんのこの手のキャラクターも少し食傷気味じゃないでしょうかね?ラブコメやってるツィイーたんって見たくないですか?あと、途中の汚い衣装のツィイーたんが一番綺麗だと思うのは私だけ?
御裁断は(最高☆5つ)
ヴィレッジ
幸せの種類にはいくつかあって、自分一人でも感じられる幸せと、他人がいないと成立しない幸せとがあると思う。そして後者には人と一体になることから得られる幸せと、人を踏みつけにする事で得られる幸せとがあるのだろう。で、ユートピアはこの最後の種類の幸せとは相いれない。だから、ユートピアとは畢竟不自由なものなのだ。
さて、一部に盗作疑惑もあるそうだが、もしこの話がオリジナルなものではないにしても、シャマランが「これは何々という映画のリメイクで」とか語るはずが無い。それはつまりネタを割っているという事で、シックスセンスの呪いのせいで観客の予想を裏切らなければならないと思い込んでいるシャマランには我慢ならない事に違いないからだ。
しかしシャマランの映画の本質は、生き残ったものの死者との関わり方であるから、ストーリーがパクリだろうが何だろうがどうでもよい。今作はシックスセンスともアンブレイカブルともサインとも違ったやり方ではあるが、それでも死者への落とし前の話である事は間違いない。どうでもいいが、内向きな人間であるところの私は今作のやり方にはかなりのシンパシーを感じる。社会は人の手の届くくらいの大きさで閉じている方が良いのではないだろうか?
映画自体はシャマランの中で今作が最も出来が悪いように思える。登場人物の行動に筋が通らないところが散見されるし、伏線の張り方もわざとらしい。いくらシャマランと言えどもそうそうは傑作を物にする事は出来ない、という至極当たり前の事であるな。
それにしても、他の社会と隔絶した19世紀の白人の村を描く映画でシャマランには一体どんな出番があるのかと、考えだすと夜も眠れなくなる(←タンスの底から引っ張り出してきた言い回し)。で、きっとヒッチコックの「救命艇」方式に違いないと予想していたのだけど、ああやって解決するとは!
御裁断は(最高☆5つ)
ヴァン・ヘルシング
ヒュー・ジャックマンが吸血鬼ハンターDに扮するのだけど、ウルヴァリンの血は隠せないなって、そういう話。それから、啖呵だけはいっちょまえだが腕っぷしは全く弱い(っていうかケイト・ベッキンセールって体格が貧相すぎるし動きも悪いよなあ)ケバケバしい王女様が空に帰っていく話でもある。うわー、ビオランテの沢口靖子かと思ってビックリした。あと、なんか昔の因縁話とかドラキュラとウルフマン(何故字幕は狼男じゃないんだ?!)の関係とかのセリフが語られていたが、よく理解できなかった。わからなくても何の支障もないのでかまわないのだが。あと、フランケンシュタインとかジキル博士とハイド氏とか出てきて、なんかちょっと前に似たような映画無かったっけ?
ある意味で、これはスティーブン・ソマーズ印炸裂の作品といっていいと思う。前半のアクションシーンの動と静の組み合わせの巧みさにはうっとりするし、後半の見せ場つるべ打ちも期待通り。でも、傑作「ハムナプトラ」が陽光の元のすかっ晴れ映画だったのに対して、この映画は暗い。吸血鬼退治の話しだから当たり前なのだが暗い。「ハムナプトラ」は明るさと荒唐無稽さが相乗効果で楽しい雰囲気を作っていたのだけど、今作の場合は暗さが災いした感じがする。せめてヒロインがケイト・ベッキンセールじゃなくて、もう少し陽性の人だったらなあ。
あと、ラストシーンはやっぱりヴァン・ヘルシングがロンドンの町で切り裂きジャックに、ってなるべきだと思うがどうか。あ、でもそれじゃあ「ブレイド」か。
「ブレイド」で思い出したが、「ブレイド2」にしても「マトリックス・リローデッド」にしても今作にしてもそうだが、人型のものがありえない跳び回り方をするシーンをCGで作ると、なんであんなにウソっぽくなるのかしら。他の技術と比べて明らかに見劣りがするのだけど、ひょっとして今こそピクサーの出番という事で「Mr. インクレディブル」なのか?
御裁断は(最高☆5つ)
サンダーバード
サンダーバードと言われてかーっと熱くなる人たちって言うのは、主に30代くらいかと思うのだが、そういう人たちにこんなお子様ランチ映画を見せて一体どうしようというのだろう?逆に今どきの子供だとサンダーバードなんか何それ?でしょう。上映終了週のシネコンのレイトショーにいた10人くらいの人たちは、みんな私と同じような年格好のおじさんばっかりだったぞ。さぞや皆がっかりしたことだ。
大体サンダーバードのメンバーはほとんど出てこなくって(というか、ビルパク以外は区別がつかん)メカの活躍もあまりなく、3人のガキンチョがトレーシー島の中で追っかけっこするシーンが大半である。あげく、3人の中で主役になるべきトレーシー家の末っ子(まだメンバーと認められていなくて不貞腐れているのが、活躍して一人前になるっていうのがお話)が、自己意識ばっかり強いくせに何もできないし性格は悪いし顔もヘチャで、感情移入しにくい事甚だしい。ベン・キングズレーはよく見ると細かい芸を見せているが、いかんせんコンセプトが狂っていて空回りするばかり。レディ・ペネロープが出てくると、ちょっとだけ面白い。
しかしビルパク始めとするサンダーバードの面々の目に全く表情が無いのは、ひょっとしてパペットの演技をしているからじゃないのか?そうなんだろ?そうに違いない?そうだと言ってよビルパク?
それでも、やっぱり(アレンジが下品といえども)あの音楽が流れて、サンダーバード1号が飛んでいた最初のシーンは、それなりに楽しかった。でもまあやっぱり、昔子供だったオトナのボクちゃんたちが見る映画じゃあないなあ。
一瞬だけパペットの手を使ったシーンがあったように思うんだけど、そういうのも本筋が面白ければ、誉めるべきポイントになったんだが。
御裁断は(最高☆5つ)
華氏911
入間のユナイテッドシネマで見たのだが、平日のレイトショーにも関わらずたくさん人が入っていた。しかも普段は映画館に足を運ばなそうな、50ー60代の人も多く見られた。
ブッシュに対して完全に坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態になっていて、あんな映像やこんな映像まで悪印象を形成するために使われてブッシュも大変だなあと思う一方、彼の地位と為してきた事を考えるとこれくらいの仕打ちを受けて当然だとも思う。
しかし、これは難しい問題なのだ。ある種のルール違反(今回はフロリダでの選挙結果への介入、911を利用した管理強化、言いがかりで始めたイラク戦争)を行う事で力を手にしたものと闘うために、ルール違反(メディアを使った印象操作)をすることは、許されるのだろうか。この手法は、物事を言われるまま鵜呑みにするのではなく、批判的に捉える事ができる人に対しては害が生じないのだけど、この映画が対象とすべき本当の相手は、そういうタイプの人ではない。プロパガンダに弱い人達がいる事から生じる問題に対処するのに、さらに強力なプロパガンダをもって行うのは大丈夫なのだろうか。もちろん、これは緊急避難なのであって、今や上品な手段を選んでいられない、手段の正当性に頭を巡らせる暇があったら、行動すべきだというのもよく理解できる。戦術的には全くその通りだが、試合に勝って勝負に負ける事もある。私にはまだ判断がつかない。
とはいえ、ブッシュは(それから、某国の「政治的に偏った映画は見ない」とのたまった首相も)とにかく政権から降りて欲しいという点にはもろ手を挙げて賛成だし、この映画は出来るだけ多くの人が見るべきだとも思う。
映画の出来と言う点で言えば、緻密に計算され尽くされていた「ボウリング・フォー・コロンバイン」と比べると、今作は突貫で作られた感が強い。主張に持っていくまでのシーンの積み重ねが雑な印象を受けるし、全般に単調に感じられる。今作のために撮影した映像の量も少ないと思う。「しかしこれもマイケル・ムーアの強い切迫感の現われなのだ」と解釈するのはやっぱり贔屓の引き倒しなのかしら。
どうでもいいが、ブッシュのイラク戦争終結演説のシーンに「アメリカン・ヒーローのテーマ」を使われるたあ、ウィリアム・カットも浮かばれまいて。って、まだ現役だよなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
リディック
「ピッチ・ブラック」の主要登場人物の一人リディックを主人公にしたスペースオペラ。なのだけど、日本での宣伝ではほとんどそのことに触れていない。確か最初の噂では「ピッチ・ブラック」の前日譚になるという事だったので、「そういう宣伝もありか」と思っていたのだけど、フタを開けてみたら今作が時間的に後になっていて、しかもリディック以外の「ピッチ・ブラック」の登場人物も重要な役で出ている。これじゃあ前作を見ていない人には何の事だかわからんよ。で案の定巷の評判は悪い。「ピッチ・ブラック」は面白かったけど所詮はB級で、そんなに見ている人も多くなかったろうから、それは当然だなあ。
いくつもの星を股にかけて、銀河征服をたくらむ悪の帝国と人類の興亡をかけてリディックが闘う話である。おおスペースオペラ。しかしリディックは一匹狼で、起死回生の秘密兵器を持っているというようなキャラでもないはず。どうやって一人で強大な宇宙艦隊を擁する敵と戦うのかと思ったら、宇宙大作戦(カーク船長のヤツね)方式だった。スケールが大きいんだか小さいんだかよくわからん。しかも一番手に汗握るシーンは監獄惑星から4-5人で脱出するサスペンスだと言う(でも、このシーンは超高熱の昼の側と極低温の夜の側という設定を使ったサスペンスで「ピッチ・ブラック」的に楽しめた)。
スケールがよくわからんと言えば、敵のネクロモンガー。なんかこけ威しいっぱいの宇宙戦艦、衣装、軍隊組織で、「SFは絵だ!」的にはバッチリなんだけど、いかんせんボスがあまり強そうじゃない。あげく一糸乱れぬファシズム的な存在かと思えば、内部対立を誘うかのような掟もあるし。強いのか弱いのかはっきりしろ!でも、それもラストシーンのヴィン・ディーゼルちゃんのぼう然とした顔を撮るためだというのであれば、それもよしかもしれない。あの顔は見物だった。それからジュディ・デンチも散々煽っておいて、最後のあのセリフはないでしょう。
「SFは絵だ!」と言えば、今作の美術は気合いが入っていて私は好きだ。こけ威しを見ているだけで単純に楽しい。一瞬未来惑星ザルドスか?と思ったりするが、それでもいいじゃないか。
それにしても、三部作の構想があるとか。原題は「リディック年代記」だし。しかし今回の評判からすると、よしんば二・三作目が作られたとしても、予算がほとんどもらえなくってショボショボになっちゃうことが案じられる。色々書いたけど、私は基本的にこの映画好きなので、この調子で後二作見たいんだがなあ。あ、でも格闘シーンのチカチカする演出はイヤだけど。
御裁断は(最高☆5つ)
キング・アーサー
アーサー王と円卓の騎士の話だと聞いていたから、てっきり甲冑に身を包んで、長い槍と剣で闘う気高い人たちの話を想像していたのだけど、何だかローマ帝国は出てくるわ、騎士達は下卑た荒くれ男だわ、バイキングが出てくるわ(それは別に構わないのだけど)、あげく体に絵具塗りたくった半裸の原住民が暴れ回るわでもう大変。
っていうか、暴れてる原住民の頭領って、キーラ・ナイトレイちゃんじゃないのよ?
え?え?なんか胸と腰の周りを申し訳程度に隠して血に飢えた目つきでナイフ振り回してるんですけど?って思ったら、純白のウェディングドレスぅ?さっきまでの原住民ルックと違和感ありすぎなんですけど。。良く考えたら、これって雪が降って池が凍ろうと言う時期の話でしょ。原住民の皆さん、寒くないですか?それどころかキーラ・ナイトレイちゃん百人以上の人間が乗っても容易に割れないような分厚い氷の上でブルーの薄物一枚じゃ風邪引いちゃいますよ!
まあ冗談はこのへんにして、この映画、「グラディエーター」の最初の戦いのシーンのような、リアル時代劇路線を狙っているのかなと思うと、件の氷の上の戦闘シーンのようにおよそありそうにないプロットも出てきて、イマイチ腰が定まらない。他にも色々突っ込みどころがあって、何度も申し訳ないが、キーラ・ナイトレイがボディペインティングして自軍の前でポーズをとっている絵を見た時にはずっこけたよ。大体、ああいう展開になることがわかっていれば、ローマ軍も撤退する必要なかったんじゃないのかしら?他にも、憎まれ役であるところの司教さん、登場シーンであんなに武功を示されちゃ、見てる方は混乱するわなあ。
とはいえ、いろんな意味で見ていて飽きなかったので、そこそこ面白かったって言ってもいいのかもしれない。
どうでもいいが、先日ヨーロッパから帰ってきた時に成田のゲートで「キング・アーサー」のパンフを抱えた女の子達が何十人も、誰かが出てくるのを待っているところに遭遇したのだけど、それってひょっとしてランスロット役の人だったのかしら?最近来日してるようだし。この役者さんって、そんな人気者なの?
御裁断は(最高☆5つ)
マッハ!!!!!!!!
物凄い物を見た。CGは使いません。ワイヤーは使いません。という宣伝文句だが、本当に生身のスタントだけであれば信じられない動きの数々(最後についているNG集を見る限りでは生身みたいだ)。人間ってあんなに跳べるのか、と口をぽっかり開けているだけでも楽しい2時間。子供の頃、未来少年コナンとかで見かけたシーンを生身の人がやっている。必見。必見。
映画の中ではムエタイで敵を倒す度に拳を倒れている相手に突きつける。なんか拳が拳銃のノリである。こんなところでも「ムエタイ最強!」ってことなのかもしれん。子供の頃に見ていたら、九分九厘「ムエタイ習う!」とか思ってしまいそうなのだが、あれは細い手足でやるからかっこよいのだろうなあ。寸詰まりの私がやったって様になるまい。とほほ。
この映画におけるマクガフィンは、原題にもなっているオンバクという石像(といっても石造りには全く見えないのだけど)の首である。これが村から盗まれたのでトニー・ジャーが都会に取り戻しに行くわけだ。で、主役と同じ村から都会に出てきてケチな悪事をしながら暮らしているアンちゃんが、色々あって正しい道に戻ってくる、というプロットが絡まっていて、真面目一徹のトニー・ジャーではできないドラマパートをちゃんと作っているところが偉い。安っぽいドラマと言えばそうなのだけど、しかしその安っぽさは往年の香港映画を輝かせていたものと同じだったりするので悪いものではないのだ。
あと、あんな風に農村と都会の対比をまだ描く事のできるタイの国が少しうらやましく思えた。日本でも30年ほど前は、まだこんな雰囲気が残っていたような気がするが。。
しかし確かにこの映画、普通に考えれば売れる要素が少ないと言うのはわからないでもないけれど、もう少し愛のある売り方できないもんですかね。この作品って超一級の面白さなのに、こんな色物みたいな扱い受けてなあ。
それにしてもトニー・ジャーって、妖怪人間ベロに似てないですかね?
御裁断は(最高☆5つ)
スパイダーマン2
ピーター・パーカーがいったんスーパーヒーローを止めて普通の人に戻るもののやっぱりまたヒーローに戻る話、というわけで、アメコミの映画化では以前にスーパーマン2も同じような筋立てだった事だと思い出す。しかし、できてきたものはスーパーマンよりは随分深みのあるものであった。スーパーマンの場合はお話を転がすためだけに普通の人になってたものなあ。スパイダーマンの場合は、やめたくなる理由をこれでもかという風に描いているわけで、同情もひとしお。そんなわけで「雨に濡れても」丸々ワンコーラスが印象に残る。ひょっとして本家よりも美しいシーンじゃないか?
暴走地下鉄を止めるシーンで磔になった後に、倒れたスパイダーマンを乗客が運ぶシーン、ついこないだも同じようなシーンを他の映画で見たような気が、と思って考えてみたらマトリックスレボリューションズだった。つまりピーター・パーカーもまたもやキリストということか?しかしその処理は、普通の青年であるスーパーヒーローを描く作品にはそぐわないのじゃなかろうか。
笑えるシーンもたくさんあって、夏の娯楽作としてはよいと思う。でも、巷間流布しているほどの大傑作のようには私には思えなかった。ひょっとして、私はこの手のSFX作品に飽いてきているのかもしれない。どうでもいいが、おばさんがDr.オクトパスを後ろからポカリとやったシーンで涙が出てきたのだが、相変わらず私の涙腺の動きは理解できない。
最後に、オープニングタイトルがあんまりかっこいいのでうっとりしていたら、またしてもカイルクーパーだった。どうやったらこんなに質の高い仕事を連発できるのやら。
御裁断は(最高☆5つ)
WATARIDORI
飛行機の中で見た。ミクロコスモスのスタッフが今度は鳥を題材に。なんでも飛んでいる鳥と一緒に飛びながら撮影するために、エンジン音を刷り込ませたりしたそうな。大変な手間がかかっているのだが、それでもミクロコスモスに比べると撮影期間は短いようだ。
そのせいか、画面作りとしてはやや単調に感じた。確かに、飛んでいるシーンは見ているともうクラクラしてくる素晴らしさなのだが、これだけで一時間半というのはチト辛くなかろうか。渡りだけじゃなくて、繁殖行動も含めれば、鳥の多様性がもっと出せるはずなのに。
いや、しかし、私が見たのは飛行機の小さな液晶スクリーンで、しかも体内時計的には深夜の時間帯だったわけで、ひょっとして普通の時間に大スクリーンで見ていれば印象は違っていたかもしれない。
それにしても、鳥というのは本当にすごい生き物である事だなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
g@me.
飛行機の中で見た。お話の中盤の衝撃的なシーンから入って、一度昔に戻ってからオチに持っていくという構造なのだけど、その衝撃シーンからの復帰方法がちょっと安易な気がして、なんだかなあ。それから、一応どんでん返しに次ぐどんでん返しになっているのだけど、そこに至る登場人物達の心の動きがあんまりうまく伝わってこないので、仏作って魂入れずになっているきらいアリ。
あと、テレビ局が制作に関与しているからか知らないが、カッコの付け方見えの切り方がことごとく私のセンスにあわないんだな。仲間さんだけが見どころ。
御裁断は(最高☆5つ)
マスター・アンド・コマンダー
飛行機の中で見た。帆船時代のイギリス軍艦の艦長と、生物学者でもある艦医との友情物語。最初は単純な海洋冒険物語かと思っていると、少しずつ本当のところが顔を出してきて、最後はこうなんともいえないホンワカしたおかしみが醸し出される。ちなみにもう既にいろんなところで言われているが、負けそうな戦争に駆り出された少年兵の悲劇の物語ではまったくないのでそのつもりで。
しかしあの時代に船に乗ってまだ誰も行った事のない無人島に上陸できるなんて生物学者の夢である事だ。私のように採集癖の無いものでさえうらやましく感じる。どうでもいいが、ナナフシってのはイギリスにはいないんですかね?
御裁断は(最高☆5つ)
ラスト サムライ
飛行機の中で見た。トム君、日本に触れて心の平穏を取り戻すの巻。こう、なんというかトム君がなぜ日本に引かれたのかがよくわからかったのである。渡辺謙が西洋風の人間とは違う事は描かれていたが、それがどのように魅力的なのかがきちんと描かれていなかったように思える。ひょっとしてそれは私が日本人だからであって、西洋の人には少しhumbleなだけで魅力的なのだろうか?でも、それなら私だって向こうに行けばモテモテになりそうなものだが、そんな都合の良い展開になった事は無い。
そんなわけで、エモーショナルな盛り上がりに欠けたわけだが、思ったよりは面白かった。忍者とか出てきたし。明治時代に忍者だよ。
あと、さっきまで戦争していたはずの官軍とサムライたちなのに、突然渡辺謙が天皇に会ったりしているわけだが、あのあたりの事情って西洋の人にわかるのかしらね?
御裁断は(最高☆5つ)
スイミング・プール
サスペンスという触れ込みだったのでわざわざ渋谷まで見に行ったのだが、実態は疲れはじめている中年女性の再生の話であり、また創作活動そのものがサブテーマのドラマであった。サスペンスであれば通常あのオチは許されないわな。
で、主演はシャーロット・ランプリング(ヘアヌードつき)。この人は昔から目つきがキツイところがあるのだけど、そこが逆に笑うと何とも言えない優しさというか幸福感というかの表情になる。で、今回作家の役なのだが、これまでどことなく行き詰まりを感じていたところが、愛人の娘の奔放さに触れ(こちらもハダカあり、というかハダカだらけ)ノリにノって文章を書くようになるシーンがある。そこで、この笑みを見せるのである。見せるといっても、あからさまではなく、ワープロに向かっているシーンの顔のアップで時々微妙に目じりを下げてみたり口元を動かして見せたりするだけなのだが、件の笑みになっているのである。素晴らしい。
それにしても、娘の連れ込む男がことごとくブサイクなオッサンなのはどうしたことか。あ、あ、あれなら私だってリュディヴィーヌ・サニエちゃんに、、、
御裁断は(最高☆5つ)
トロイ
かの有名なトロイ戦争の話であるからに数多のキャラクターのたった英雄が入り乱れる話しかと思っていたら、多くの登場人物はお話を転がすために存在しているかのような人たちばかりであった。特にトロイ側が支離滅裂。オーランド・ブルームが弱虫の色男なのはまだ良いとしても(でも「愛」「愛」とうるさい)、英明な王子として設定されているはずのエリック・バナが決闘で負けかける弟を助けてスパルタ王を殺してしまう。それって約束違反じゃないの?
一方、ブラピ演じるところのアキレスだけが内面のあるキャラクターで、この映画は「トロイ」というより「アキレス」と題した方が適切なのじゃないかと思ったりするが、それには壮大なる叙事詩であるところの物語が邪魔をする。うー、なんとも中途半端。どうでもいいけど、飛び上がって人を刺すのはブラピの得意技なのか?
例によってウォルフガング・ペーターゼンの演出はのったりのったり。トロイだけにとろい。。。ああっ、ついつい書く事が無くって駄洒落に走ってしまったぁ。
と文句ばっかり言っているようだが、単純にスペクタクルを見ているのは楽しかったりもした。実は2時間40分があまり気にならなかったのでした。
御裁断は(最高☆5つ)
シルミド / SILMIDO
金日成を暗殺するために作られた特殊部隊の悲劇を男臭いエモーションとこれでもかという音楽で仕立てた作品。実際にあった反乱を元にしているらしいが、死刑囚を集めて舞台を作った等の劇的な設定はやはり作劇ということらしい。
劇中で、はぐれ者の彼らは地獄の猛特訓をくぐり抜けることで戦士としての誇りと互いの友情をはぐくみ、それを力に無謀とも言える作戦に臨むのである。しかし作戦決行のまさにその日に政治の事情で中止命令を受け、さらに部隊の存在を知られてはならないとする上層部の命による抹殺から逃れるために反乱に追い込まれる。おお、これだけ読めば何たる悲劇。しかし、残念ながら主役であるところの人物の社会からの疎外ぶりがあまり描かれていないものであるから(韓国では連座制と言うだけで通じるのかもしれないが)、彼が「平壌に行かせてくれ」と嗚咽しても見ているこちらにはイマイチピンとこない。普通に考えれば、自殺行為の作戦に中止命令が下れば助かったと胸をなで下ろしそうなものである。最後もあんな風に終わらせるのは単なるお涙頂戴というもので、どうせ事実から大幅に脚色しているのであるからには、もう少し見せ場を作れそうなものである。どうも映画としてのできはあまり良くないような気がする。なんとなく昨今の韓国映画/ドラマブームも盛りを過ぎたんじゃないかと思わせられるのだが、どうか。
あと、この話は軍隊や政治の非人間性をこれでもかと言うくらいに描いているのだが、それを哀しみという感情で包むのは私の趣味に合わない。それは自己陶酔によって本質的な問題から目を背けさせる行為だと思う。
それにしても若き勝新とどこかの映画評にかいてあったが、まさにそのとおりで可笑しかった。
御裁断は(最高☆5つ)
下妻物語
フカキョン演じるところの桃子は、つまるところミスタースポックやミギーと等価の存在である。透徹した論理に裏打ちされた存在である一匹狼が、いろいろあって最後は感情や人間性を肯定する話。そのことにより、桃子やスポックやミギーは感情の要素を強く持つ人の自尊心をくすぐり、一方で論理一辺倒の人がそこはかとなく持つ欠落感を刺激して感情移入を図るのである。しかし、感情に裏打ちされた人間が理性を獲得する話が世の中にあまりないという非対称な状況なのはなぜだろう?
まあ、それはともかくとして、これは傑作である。オトナの観客はフカキョンのロリータファッションに二歩も三歩も引くかもしれないが、ここは踏ん張って是非とも見るべし。奇矯な見かけで包まれてはいても、これはオトナになる事のオーソドックスかつ普遍的な物語であり、生きる事の素晴らしさを描いている。こういうことは若いときよりもオトナになってからの方がよくわかるものじゃないか。
で、この作品はその力強い物語に加えて、目を引く映像をちりばめギャグを間断なく繰り出し、さらに時間軸を何ヶ所かいじってやることで観客に適度な緊張感をもたらす。これだけあればもう既に一級のエンタテイメントであるのに、その上に変な女演じさせれば負けるものない(というかいつもの)可愛いフカキョンに、ヤンキーの神が乗り移ったかという土屋アンナ。さらにさらに、あろうことか伏線をいっぱい張って最後にはちゃんと回収する事までやってのける、もう夢のような素晴らしい作品である。跳び蹴りもあるし。間違いなくこれまでの今年のNo.1。
最後に、見かけは大事だ。大事だから、周りに合わせる事なく堂々と自分の着たいものを着ていれば良いのだ。と、ロリータフカキョンに勇気づけられたのだった。
御裁断は(最高☆5つ)
キル・ビル Vol.2
長いのである。
こちらはVol.1から半年も待たされているのだからして、とっとと話を進めてくれという気持ちマンマン。しかも続編であり、予告編では刀の上に飛び乗る老師のシーンまであるわけだから、さぞや超絶アクションになろうかと思っていたのだが、見事に肩透かし。登場人物はくだくだくだくだ喋り続けるが、パルプ・フィクションの頃とは違い、ただダラダラしているだけに見える。自己模倣は劣化するのみ。
それから、この映画は母である事を選ぶ話なのだから、これをラブストーリーとして宣伝するのは、やはりカラスは白いと言い募るに等しい行為だと思う。確かに、ビルの立場から見れば通じない思いの話でもあるが、それはあくまでサブプロット。
ウマ・サーマンは運動神経が悪いんじゃないかという疑いを強めた香港映画シーン。一人で場をさらっていたデビッド・キャラダイン。目のないエルドライバーの今後やいかに、など単発では色々あるんだけど。。。
御裁断は(最高☆5つ)
ビッグ・フィッシュ
昔、といっても一昨年の事だが「スズメバチ」という映画があって、ヨメサンが「どんな映画?」と聞くもんだから「18000発食らう話」って答えたのだけど、本当は宣伝コピーに12000発とあるという。ヨメサンはそんな私の言う事を最近はあまり真面目に受け取ってくれなくなりつつあるのだけど、人に話しするときってのは5割増しくらいでちょうどいいんだよね。
そんなわけだから、私はほら吹きオヤジの側に100%立ってこの映画を見ていたのである。どうでもいいが私もしばらく前に人の子の親になった。親になる事の利点は、これまで子供の立場からしか見る事が出来なかった親子の物語を親の立場から眺められるようになることで、つまりは一粒で二度おいしいってこと。この映画にあるように、どうせなら話は面白い方がいいって価値観に同意してくれる人なら、子供を持つ事のメリットは大きいですぞ。
いや、ティム・バートンも最近ヘレナ・ボナム=カーターとの間に子供が出来たようで、これまで子供の立場からしか映画を作ってこなかった人が親の立場から映画を作ったのであるなあと。だから、街の人気者で誰からも愛されて素晴らしいヨメサンをもらったアルバート・フィニーをこれまでのバートンのキャラクターと大きく異なるとみなすのはちょっと違うような気がする。むしろ、親というものの心性を鑑みれば、息子に理解されないということだけで立派にこれまでのバートンキャラの延長線上にあるとみなしたほうがいいのじゃないかと思ったりする。もちろんお話のオチのつけ方は以前と比べるとずっとポジティブになっているとは思う。
で、そのオチは素晴らしいの一言。特にシャム双生児が二つに別れるところは転倒した現実崩壊感を味わえたし、スティーブ・ブシェミが何かわからないが熱っぽく語っているシーンは、ともすれば見失いがちになる生きていく事の意味を思い出させてくれて勇気づけられる。
御裁断は(最高☆5つ)
ドーン・オブ・ザ・デッド
この映画のポイントはゾンビが走る!こと。主人公が乗った車を追いかけて全速力で走る夫ゾンビが急に方向を変えたかと思うと、道端に立っている誰とも知らない人に襲いかかって、車の中から見えるその光景がドンドン小さくなっていくところ。世界中でこんな事が起っているってことが上手に表現されていて、もうゾクゾク寒けが来た!あと、家の中の異変で外に逃げだしたら、既にそこら中で火の手が上がってゾンビが走り回っていたシーンも秀逸。
以前も書いたが私はソンビ映画の特徴は押しつぶされる恐怖だと思っていて、そういう意味ではこの映画は普通のゾンビ映画とは少し違っている。押しつぶされるというよりかは追いつかれ引きずり倒される恐怖だ。この点でロメロのゾンビとは随分印象が違っていて、生理的にイヤな感じを覚えるものではないように思う。その代わりに映画にだれる事の無い緊張感が加えられているわけで、あちらを立てればこちらが立たずになっている。どちらの方が良いと感じるかは好みの問題なのでありましょう。
御裁断は(最高☆5つ)
ロスト・イン・トランスレーション
私は出不精なのだが、何がイヤかって見知らぬ町のホテルに一人で泊まる事ほどイヤなものは無い。できる限り日帰りで済ませようとするし、それがかなわない場合はなんとかして親戚や友達のウチに泊まろうとする。昼間はいいんだ。普通はすることがあって忙しくしていられる。問題は夜だ。ひたすら時間を持て余す。
今作はそんな私のツボ。映画自体は自主制作映画に毛の生えたような出来で(京都のシーンなんていらないし。まあ良く言うとパーソナル性が高いとも言えるが)、ソフィア・コッポラのお嬢ちゃん的世界観(日本を見る目に表れる視野の狭さ)とも相まって決して私が好きになるようなものではないはずなのだが、ツボを突かれると弱い。不覚にも感情移入してしまった。
これはビル・マーレーの演技によるところも大きくって、疲れていて決して主体的に事態に対処するわけでなく、でもチャーミングで紳士的な人物を好演。なぜアカデミー賞を取れなかったのか不思議だ。
いや、やっぱりこの映画を、慣れ親しんだ長崎とは言え、ホテル泊まりの日に見た事が、感想に影響しているのであるぞ、きっと。なので星の信頼性は非常に低いという事で。
御裁断は(最高☆5つ)
スクール・オブ・ロック
ロケンロール!反抗しろ!!ザ・マンに逆らえ!!!先生なんてくそ食らえ!!!!
てなわけで近ごろの上からの締めつけ・管理が日々厳しくなる世情に不安を感じている当方には多いに勇気づけられる作品でありました。ジャック・ブラックが「この教室ではオレが支配者だ。だからお前らはオレに逆らえ」と生徒達に言うシーンはもう内心拍手喝采。教育の究極の目標は自律的に考え行動できる人間を養成する事だ。であるから、本当の意味で教育的であるためには、時と場合によっては権威に逆らう必要があることも教えなくちゃいけない。というわけでロック魂は教育に欠くべからざるもの、というのが今回の結論だな(←違う)
もちろん反抗が自己目的化するといけないのであって、上のジャック・ブラックの発言には矛盾がある。劇中でもいなくなった生徒をジャック・ブラックが探すシーンにそのあたりが現われている。まあ、この映画はゆるい作りになっているので、そのあたりを突き詰めるわけではないのだが。ゆるいといえば他にもジョーンキューザックのキャラクターをもう少し描いておけば物語に厚みが出ただろうとか(これだけ短い出番でも秀逸だったんだから!)、一人くらい悪辣キャラがいて最後にギャフンでもよかったんじゃないかとか思わんでもないが、まあ面白いからいいや。これまでジャック・ブラック苦手だったんだけど、これだけはまり役だと好きだの嫌いだの言わせないパワーがあるな。
それにしても科学って言うのも常に先人の言う事を疑いながら否定しながら進んでいくわけで、ということは正しい科学は立派なロックである事だ。ロケンロール!
御裁断は(最高☆5つ)
エレファント
コロンバイン高校銃乱射事件を題材に、その日に撃たれる者の日常と撃つ者とを描いた作品。この映画では、被写界深度の浅さと引きのないカメラアングル、スタンダードサイズの画面ゆえに、描写範囲が登場人物の周囲の極めて狭い空間に限定される。そしてこのような登場人物の認知世界の狭さゆえに、事件が起るまでの日常を描くパートでは、一つの場面を複数の登場人物の側から描く事になるのである。しかし(撃つ者も撃たれる者も)高校生には物事がそのように多面的である事は理解されない。観客はどうか?
それにしてもいつも思うが、高校という、ひねくれた見方をすれば精神的に不安定な時期の人間集団を社会から隔離しておくための場所で暮らすなんてできれば避けて通りたいところだ。そんな場所で人が暇を持て余せば地獄が現出する可能性は高い。
御裁断は(最高☆5つ)
殺人の追憶
田舎町で実際に起った連続殺人事件を捜査する刑事の人間模様を描くドラマで、現実でもいまだ未解決という事で地味な物語にならざるを得ないにも関わらず、上映中はドラマから目が離せず見終わった後いつまでも複雑な気持ちが心に残る。決して明るい話ではないが、途中何度もかくし味の小さなユーモアを混ぜる事で、娯楽性という点でも十分である。韓国で興行収入一位になったそうだが、彼の国の観客層の水準の高さが伺われる。そんな目利きの観客を持つ韓国映画界が良い作品を連打してくるのはむべなるかなだ。
それにしても、ソン・ガンホ演じる地元の刑事は証拠捏造もやるわヤバイ薬も打つわ拷問もするわでハリウッド的に言えば悪徳警官になってしまうのだが、この映画では東アジア的諦観というか、オレタチャ米作って食ってるのが大事であとは瑣末なんだ、っていうか、とにかくそれはそういうものであって良いとか悪いとかとは関係なく描かれていて面白い。一方ソウルから来た理性派刑事が次第にソン・ガンホ的になっていくところは良くある展開だといえるけれど、そこをバンドエイド一枚で上手に繋いでいて心を打たれる。あと、焼肉屋の息子は、今作の陰の主役だと思う。
どうでもいいが、「JSA」でも大の男が子供のように遊んでいたが、今回も刑事二人が暇つぶしにあや取りをしていて不思議だった。韓国の大人の男はみんなあんな風なのか?それから、韓国の人はみんな跳び蹴りするのかしら?
御裁断は(最高☆5つ)
ペイチェック 消された記憶
ヤバイ仕事をして、終われば記憶を消すことで安全を図るスゴ腕エンジニアのベン・アフレックが命を狙われる話なんだけど、なんだかお友達のマット・ジミーちゃん・デイモンの「ボーン・アイデンティティー」に似ていると思っていたらヨメサンにまで指摘された。
で、映画の中身も設定とはあんまり関係ないアクションサスペンスで、ディック原作だという事を忘れて、そういうものだと思って見ればそれなりに「ボーン・アイデンティティー」マイナス星半分くらいには面白かった。しかしラストの能天気さ度合いにはあっぱれと言うかなんというか。
見どころは20ある小道具をどう使って危機を切り抜けていくか、というその一点に尽きるわけだから、最初の方でもう少し小道具について丁寧に描写していても良かったような気がする。ところでウマ・サーマンが出ていて途中でアクションシーンもあるのだけど、ザ・ブライドとは思えぬ体の動きの重さと皺々の顔に心配になった。あと、どうしてベン・アフレックは口を閉めないんだ?
どうでもいいが、お約束だからハトが飛ぶんだけど、恥ずかしそうに1羽だけなのがおかしかった。MI2では盛大に飛んでいたのに、まさかジョン・ウー大師、映画の出来に応じて飛ばすハトの数を調整しているのではなかろうな。
御裁断は(最高☆5つ)
ゴシカ
シックスセンス系の幽霊ものとサイコホラーとのちゃんぽん。ストーリーはモロB級映画で、それはもとからダークキャッスルの狙うところだというのはそうなのだけれど、でもB級映画には名の無い俳優でこそ醸し出せる雰囲気というのがあって、今作のようにアカデミー賞まで取った大物の俳優たちを使うと、雰囲気が真面目になりすぎてお話のチープさとのギャップを感じてしまうな。
演出も今一つ乗りきれないというか、冒頭少女を轢きそうになるシーンとか、部分的に面白いと思えるところはあるのだけど、全体を見ると余計なシーンが邪魔をしてうまく盛り上がれないような気がした。なんだか、見ている方は「ここは怖がりどころだあ」って思っているのにいつまでたっても怖いシーンが出てこない、というような歯がゆさがあるな。
ところでペネロペ・クルスを襲ってたのは結局誰なの?
御裁断は(最高☆5つ)
ミスティック・リバー
もうひとつの「スタンド・バイ・ミー」、はどう見ても違うだろう。どうせ言うなら、もう一つの「白い肌の異常な夜」、の方がまだしもクリント・イーストウッドの変態性を表現できて良いと思うがどうか。こういうウソの宣伝もいい加減にしなさいよ。アカデミー賞にノミネートされるくらいの力のある作品に失礼だ。
しかし、巷の良い評判ほどには、私はこの作品を良いとは思わなかった。謎解き物のストーリーに全く興味がないかのように唸りまくるイーストウッド節がどうもしっくり来なかったのが一つの原因。もう一つは主人公が一人ではなかった事。イーストウッドの変態性を善男善女にうまく伝えるためには、固定された視点が必要に思えるのだが。東森氏、もうそんなことも拘泥しない境地に達しておられるのだろうか。
ショーン・ペンの子供時代の俳優が、頼朝公三歳のしゃれこうべか?と言うくらい良く似ていた。ケビン・ベーコンの役には最初コリン・ファレルを想定していたとどこかで聞いた事がある気がするが、子役を見て納得。どうでもいいけど、モーフィアスじゃないローレンス・フィッシュバーンってなんだか座りが悪いなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
ラブ・アクチュアリー
この映画の作り手達の指摘は正しい。確かに世界は愛に満ちあふれている。善良な人々の生活にとって愛は切り離す事の出来ない重要な部分である。そして、世の中のほとんどの人は善良だ(力のある人に善良な人が少ないのが問題だが)。しかし、この映画の中では愛はただ叩き売られているだけだ。その一つ一つはひどく安っぽい。
この映画では愛のもう一つ重要な側面が軽視されていると思う。それは、愛はそれぞれ固有なものだと言う事だ。であるから、人は自分の関わる愛こそが全てだと思い、他の人の愛はその固有性ゆえに、自分とは関係のないものとなる。で、映画に限らず物語では、その固有性を突破して、受け手に物語の愛をまるで自分の愛であるかのように思ってもらう必要がある。そのためにはディテールの積み上げが必要なのだ。
しかるに、今作では主要登場人物が20人近くになり、それぞれの愛が平行して描かれると言う。最低二人の人間が一つの愛に関連するのであるが、それにしても一つの愛の描写にかけられる時間は15分程度になる。これでは観客が映画の中の愛を自分の事のように思わせるのは難しい。しょせんは他人事なのだ。いくら中で繰り広げられる愛がお話として面白く洒落ているとしても、それは逆に安っぽさに見えてしまう。せめて全ての愛がどこかで一つに収斂でもすれば良いのだが、それさえ無い。この映画で一番面白いのはオープニングとエンディングにある、ドキュメンタリー風の空港での出迎えのショット群である。
中でも特に見ていて辛かったのがヒュー・グラントのエピソード。どうみても首相には見えない。このエピソードは「ノッティングヒルの恋人」の縮刷版になっているのだけど、これを見てしまうと、ノッティングヒルさえつまらないものに思えてきてしまって危険だ。キーラ・ナイトレイのエピソードも扱いが軽すぎてつまらない。もっと見せてほしいところだ。クリスマスソングを歌う落ちぶれたロック歌手のエピソードは面白かった。これプラスあと三つくらいのエピソードで構成すればよかったんだよ。
御裁断は(最高☆5つ)
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還
「旅の仲間」ではガンダルフに、「二つの塔」ではゴラムに場を全部かっさらわれて、さあフロドさん今度こそ良いところ見せなきゃ、って思ってたらあっさりサムに持っていかれてしまいました、という話。これまではなんか意地の悪い顔した太っちょにしか見えなかったショーン・アスティンが大変なハンサムさんに見えた。
サルマンはどうしたんだ、とか、アルウェンとアラゴルンの関係はくどい、とか、その二人の熱いくちづけを眺めるエオウィンの描写はないのか、とか、あんな風に決着が着くのであればそれまでの肉の飛び散る戦いはなんだったんだ、とか、ファラミアと父との葛藤なんて聞いてないぞ、とか、「人間の男には殺せない」からってその落とし方はないだろう、とか、クモのお尻には針は無いぞ、とか、ピピンはちっとも学習してないな、とか、レゴラスの見せ場が無いじゃないか、とか、ガンダルフは目を開けて眠るのか、とか、ツッコミどころはこれまでになく山ほどあるのだけど、そんなことは全部どうでもよくて、とにかく三時間半もの長い時間を全くだれる事なく見せ通せるというのは、大変すごい事だ。もうひれ伏す。
なんだか全てが終わって、確かにホビット庄はもう思い出せないくらい遠い過去の事のように思える。今、「旅の仲間」の前半を見たら違和感を覚えるかもしれない。
御裁断は(最高☆5つ)
ニューオーリンズ・トライアル
この世の中に完全な社会システムなんてないわけで、どんなに緻密に作った制度や規則でも、必ずその裏をかこうとする人間は出てくるものだ。今回のグリシャムは、陪審員の評決を売ろうという話。グリシャム物を何本も見たり読んだりしていると、陪審員の個性によって裁判の帰結が大きく変わること、そのため原告側被告側双方が少しでも自分たちに有利な陪審員が選ばれるよう攻防を繰り広げているという事がわかる。今作では、その作業に関わる陪審コンサルタントの活動がメインに描かれていて、ひょえーっと思う。彼の国では、大きな裁判の陪審員候補になると趣味指向から政治信条まで、組織的に丸裸にされちゃうようなのだ。
こんなふうだと、本来の陪審員制度の意味なんてなくなってしまっていると思うのだが、どうか。彼の国の人はそういうところに疑問を持ったりしないのかしら?まあ、それはともかく、こういうことを防ごうと思ったら、システムを定期的に変更する必要があるんじゃなかろうか。システムが固定化すると裏をかく技術がどんどん向上していくわけだ。陪審員制度を10年くらいやめれば、陪審コンサルタントなんて潰れてその技能は失われるし、大学入試を全部やめれば予備校なんてひとたまりも無い。で、システムの裏をかこうとする人間がいなくなったところでまた元のシステムに戻せばいい。それに、新しいシステムに適応するまでの間は、いろいろ試行錯誤が出来てきっと楽しいぞ。
で、映画本体だけれど、私はひょんなことから見るつもりの無かった今作を見たわけだけど、そんな前知識の無い状態で見た私には大変面白かった。年がいも無くハラハラドキドキした。さすがはグリシャム物。お話の転がし方が上手だ。ただ、ジーン・ハックマンとダスティン・ホフマンの配役にはちょっと疑問だった。あまりにもステレオタイプで、サスペンスが発生する余地が無いんじゃないか?ひょっとしてそれが罠か?とも思っていたが、結局最後までパブリックイメージ通りの役柄を演じていただけだった。人によってはそれが嬉しいのかもしれないけど、私にはちょっと。ダスティンホフマンの方が精彩を欠いていた感じ。一方レイチェル・ワイズとジョン・キューザックは魅力的だった。
御裁断は(最高☆5つ)
ファインディング・ニモ
私は泳ぐのが得意ではなくて、水の中にいると緊張で心拍が上がるたちなので、スキューバダイビングとかきっと向いてないと思うのだ。そんなわけで、魚類学者にはならなかったのだけど(卒業研究の時に川の魚を少し手がけたけが)、ならなくってよかったよ。この映画を観てしまったら、魚を採集するなんて良心がとがめちゃう。クモやアリの採集は構わんのか?って言われそうだけど、アリの採集の時は家族丸ごと取ってくるし、クモは実験室で子供が産まれたらちゃんと採集した場所に返しているのだ。あー、よかった。良心の呵責を覚えないで済む。どうでも良い話だが、動物生態学者ってのは残酷なもので、研究するために生き物を生け捕りにするのはまだマシな方で、採集するとすぐにホルマリンやアルコールに浸けてしまう場合が多いのだ。研究し始めの頃は随分ショックだったもんだ。
閑話休題。で、この映画の素晴らしさは水の中の表現に尽きると思う。濁りのせいで散乱した光の加減や、水中にたゆたうパーティクル、波の動きなどリアルを超えたリアルさだ。水中の微粒子の全ての運動を計算してるんじゃないかとさえ思いたくなる。びっくりした。
で、ピクサーの映画だから例によってお話もしっかりしている。今回は人間にさらわれた息子を探す心配性の父の冒険譚。子供が親を探すという、よくある話をひっくり返していて面白い。で、またピクサーのお話作りの手堅さは、この父親の相棒に健忘症の魚を配して、泣かせが入りそうになるとすぐにギャグを打ってくるところに良くでている。私なんて笑って泣いて大忙しだった。
海の生き物の描写もきちんとしていて、そこも好感度が高かったな。DVDが出たら買って子供に見せなきゃ。
御裁断は(最高☆5つ)
フォーン・ブース
世の中いよいよ携帯包囲網は強まってきており、「こんな人まで!」という人からも「イヤー携帯は便利だよ、お前も持ちなさい」と言われるようになった。なんかさっきまで携帯のケの字も無かった人の方が、一旦転ぶと携帯を強く勧める傾向があるような気がする。ひょっとして気が引けているのか?それはともかく、街で公衆電話を探すのに苦労するようになってから久しい。
そもそも私は電話をかけるのが大の苦手。最近は電話がかかってくるのもダメになっているようで、電話が鳴るとびくーって肝が縮む。というわけで、そこで鳴っているからと言って公衆電話の受話器をとってしまう主人公の気持ちは全く理解できないわけだ。
それもともかくとして、主人公は口先だけの広告屋である。コリンファレルのチャームで持ちこたえているが、基本的には観客の共感を呼ばないキャラクターである。で、このしょうもない人間がいかにして改心し謙虚さを取り戻すかと言う話なのだが、そこに介在するのはほとんど神様とでも言うべき姿無き狙撃者なのである。オオ神様は愚かな人間を弄び導き慈悲をかけてくれる事であるよ。
ストーリーとしてはおよそありそうもない話で、だいたいなんであの娼婦達は見てもいない銃を見たとか言って騒ぐのかとか、狙撃者の話を普通は真に受けないだろうとか、最後の仕掛けはいつ用意したんだとか、いろいろ筋が通らないのだが、まあこれも神様の思し召しだと思えば。
でも、個人的にはこういうコンパクトにまとまった上映時間の短い作品は好きだ。
御裁断は(最高☆5つ)
元のページに戻りたいですかあ?