ラブ・アクチュアリー
この映画の作り手達の指摘は正しい。確かに世界は愛に満ちあふれている。善良な人々の生活にとって愛は切り離す事の出来ない重要な部分である。そして、世の中のほとんどの人は善良だ(力のある人に善良な人が少ないのが問題だが)。しかし、この映画の中では愛はただ叩き売られているだけだ。その一つ一つはひどく安っぽい。
この映画では愛のもう一つ重要な側面が軽視されていると思う。それは、愛はそれぞれ固有なものだと言う事だ。であるから、人は自分の関わる愛こそが全てだと思い、他の人の愛はその固有性ゆえに、自分とは関係のないものとなる。で、映画に限らず物語では、その固有性を突破して、受け手に物語の愛をまるで自分の愛であるかのように思ってもらう必要がある。そのためにはディテールの積み上げが必要なのだ。
しかるに、今作では主要登場人物が20人近くになり、それぞれの愛が平行して描かれると言う。最低二人の人間が一つの愛に関連するのであるが、それにしても一つの愛の描写にかけられる時間は15分程度になる。これでは観客が映画の中の愛を自分の事のように思わせるのは難しい。しょせんは他人事なのだ。いくら中で繰り広げられる愛がお話として面白く洒落ているとしても、それは逆に安っぽさに見えてしまう。せめて全ての愛がどこかで一つに収斂でもすれば良いのだが、それさえ無い。この映画で一番面白いのはオープニングとエンディングにある、ドキュメンタリー風の空港での出迎えのショット群である。
中でも特に見ていて辛かったのがヒュー・グラントのエピソード。どうみても首相には見えない。このエピソードは「ノッティングヒルの恋人」の縮刷版になっているのだけど、これを見てしまうと、ノッティングヒルさえつまらないものに思えてきてしまって危険だ。キーラ・ナイトレイのエピソードも扱いが軽すぎてつまらない。もっと見せてほしいところだ。クリスマスソングを歌う落ちぶれたロック歌手のエピソードは面白かった。これプラスあと三つくらいのエピソードで構成すればよかったんだよ。
御裁断は(最高☆5つ)
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