ヴィレッジ
幸せの種類にはいくつかあって、自分一人でも感じられる幸せと、他人がいないと成立しない幸せとがあると思う。そして後者には人と一体になることから得られる幸せと、人を踏みつけにする事で得られる幸せとがあるのだろう。で、ユートピアはこの最後の種類の幸せとは相いれない。だから、ユートピアとは畢竟不自由なものなのだ。
さて、一部に盗作疑惑もあるそうだが、もしこの話がオリジナルなものではないにしても、シャマランが「これは何々という映画のリメイクで」とか語るはずが無い。それはつまりネタを割っているという事で、シックスセンスの呪いのせいで観客の予想を裏切らなければならないと思い込んでいるシャマランには我慢ならない事に違いないからだ。
しかしシャマランの映画の本質は、生き残ったものの死者との関わり方であるから、ストーリーがパクリだろうが何だろうがどうでもよい。今作はシックスセンスともアンブレイカブルともサインとも違ったやり方ではあるが、それでも死者への落とし前の話である事は間違いない。どうでもいいが、内向きな人間であるところの私は今作のやり方にはかなりのシンパシーを感じる。社会は人の手の届くくらいの大きさで閉じている方が良いのではないだろうか?
映画自体はシャマランの中で今作が最も出来が悪いように思える。登場人物の行動に筋が通らないところが散見されるし、伏線の張り方もわざとらしい。いくらシャマランと言えどもそうそうは傑作を物にする事は出来ない、という至極当たり前の事であるな。
それにしても、他の社会と隔絶した19世紀の白人の村を描く映画でシャマランには一体どんな出番があるのかと、考えだすと夜も眠れなくなる(←タンスの底から引っ張り出してきた言い回し)。で、きっとヒッチコックの「救命艇」方式に違いないと予想していたのだけど、ああやって解決するとは!
御裁断は(最高☆5つ)
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