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イントゥ ザ ブルー
主人公がカリブ海に沈んだ難破船の秘宝を発見したら、たまたまその近くに麻薬の密輸機が墜落して大量の麻薬が沈んでいて、それらを狙うライバルのトレジャーハンターと、密輸業者と警察が現われて、という話。こういう設定だから、さぞや丁々発止の争奪戦が繰り広げられるものと思っていたら、具体的な物品の奪い合いはゼロ。自分が宝を発見した証明を得る事が徹頭徹尾物語の目的になっていて、こういう抽象的なものを手に入れられるや否やという話は、目に訴える部分がないので求心力がイマイチ働かない。つまり、マクガフィンが上手く機能していないのである。あと、主人公側の人間の行動が合理性を欠くために、危機に陥っても、も一つ感情移入しにくいのが難点か。
とはいえ、これを海中を美しく描くのが目的の映画だと考えれば、それはもう大成功であって、特に前半のシュノーケルのシーンの愉悦足るやうっとりである。もちろんジェシカ・アルバが体をうねらせて泳ぐシーンにもウットリ。あー、私も行ってみたいと思ったのだけど、実は私はカナヅチでシュノーケルでも一メートルも潜れば鼓動はドキドキ息が切れてダメなのであった。
御裁断は(最高☆5つ)
セブンソード
だいたいに於て、武侠物の原作は長大でこってりしたものであり、それを映画化に際して見事に再構成したと言う例はあまり聞かない。そうではなくて、武侠物とは、そんなディテール過剰な原作のハイライト的シーンを全部突っ込んで作られてしまうものであるから、観客にとってはストーリーは宇宙的に展開されるように見えるのである。で、翻弄されることになるのだけれども、一方でなぜかその密度の濃さに熱くなる、というのが武侠物の極めて正しい観賞法である。
で、今作は、そんな真っ向勝負の武侠物である。もういきなり落ちてくる隕石とか、馬との(登場人物にとっての)感動的な別れのシーンの唐突さに唖然としちゃいましたよ。ツイハーク最高!
で、やはりツボを心得ているわけで、どんどこどんどこ熱いアクションを繰り出してくる。惜しむらくは、一番興奮するクライマックスが前半にある事と、個々のアクションが寄りすぎていて、何が起っているのかよくわからない事と、魅力的な悪役側の取り巻きキャラたちが前半にほとんど倒されてしまって、最後の闘いに出てこない事くらいか。ありゃ?随分欠点があるなあ。いや、でもこれが武侠物の魅力。つんと済ましたチャン○ーモウのなんちゃって武侠物とはスケールが違う
で、また音楽が素晴らしい出来で、一体誰かとクレジットを目を凝らして見ていたら、日本人だったので驚いた。不勉強で知らなかったが有名な人らしい。もう今やサントラを買おうとする寸前である。
それにしても、これを「HERO」「LOVERS」に続く作品として宣伝するのはちょっとひどくはありませんですかね?間違って見に来ちゃうお客もかわいそうだし、ツイハーク大師にも失礼だ。
ちなみに星は、久々に見た本格武侠物と言う事で甘々であります。
御裁断は(最高☆5つ)
シン・シティ
この映画を一言で表すならば「動くマンガ」。特に人が殴られたり撃たれたりしてぶっ飛ぶところは、マンガ以外の何者でもない。
小説や芝居の映画化に際して、元のメディアの特性を引きずった作品に対し、私は通常非常に厳しいのであるが、今回に限って言えば、そのマンガ性が面白いのである。おそらくそれは、いわゆるパートカラー、ほとんどが白黒で一部だけ着色されている、という別の表現上の特徴が、そうでなければ表に出てきて映画としての調和を崩していたマンガ性を覆い隠しているからではなかろうか。毒をもって毒を制す。
あと、この映画は三つの話のオムニバスなのだけど、三つともがハードボイルドな中年男が自己犠牲的に女性のために闘う話で、まあそのなんというか、ボンクラが大きくなった私のような人間には、もう痺れっぱなしなのである。あまりにも古くさい話なので、今や新鮮に見えるという、よくあるけど気持ちの良い、話の構造。
で、この骨格の古さと皮の新しさのバランスが、日々飽きながらハリウッド映画を見続けている人(私の事だ)の気持ちをググッと来させる要素なのである。逆に言うと、そうでない人にはあんまり面白くないかも。
あまりにも豪華なキャストについてポイントをいくつか。ジェシカ・アルバは旬かもしれない。カーラ・グジーノの体は、あれ本物ですか?で、やっぱりとどめはミッキー・ロークだよなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
ファンタスティック・フォー 超能力ユニット
それにしてもすごい邦題である。売る気があるのか?配給会社は
とうてい大人の観賞に耐えられるとは思えない邦題であるが、案の定中身は精神年齢10歳くらいの映画であった。しかしながら、ここまで徹底して作られていると、それはそれで見ていて結構楽しめたりするから不思議である(ジェシカアルバのピッチリコスチュームもあるしね)。どれくらい精神年齢10歳かというと、下着姿のジェシカアルバがまいっちんぐマチコ先生してみたり、鼻血出してみたり、火の玉坊やは裸に下半身だけ隠して走り回ってみたり、シングがイスに座ると重さで壊れてすっころんでみたり、いやあっぱれあっぱれ。で、なんでこんなに精神年齢10歳なのかというと、それはもうゴム男のためである。インクレディブル夫人の場合は、アニメなわけで手足がいくら伸びようが、まあそんなものかと思えるのだけど、やっぱりそれを実写でやられるとそりゃあお笑いにしかならないわけで、ならば精神年齢10歳で徹底しようというのは、至極まっとうな戦略である。他に手が無い。ということで、この映画を見るなら、心に余裕があってバカバカシイ部分を全部笑って流せる精神状態の時がよろしい。
しかし、私は一度外国から帰ってきてみたら、同じ時刻の別便でヨアン・グリフィスが来日したらしく、到着ゲートで若い女性が鈴なりで到着を待っているところに出くわした。あそこにいた彼女たちは、今作のとろけるゴム男を見て何を思うのかしら。
御裁断は(最高☆5つ)
ノロイ
自宅が全焼した後行方が知れなくなった怪奇作家が、その直前まで追っていた「かぐたば」という悪霊のノロイについてまとめたビデオ作品を公開したという触れ込みの作品。まあ、聞いてわかる通りのフェイクドキュメンタリーである。ブレアウィッチ・プロジェクトのように実在するという設定の怪奇作家のホームページを作ったりしている。
ブレアウィッチのようなワンアイデアものではなく、緻密に構成されたストーリーが骨格にあり、フェイクドキュメンタリーの形式を取らなくても面白い作品になっただろうなあと思われる。というかむしろ、ドキュメンタリーの形式をとったがゆえにテンポが悪く、手ぶれカット続出で劇場の最後列で見ていても酔って気持ちが悪くなり、時々目をつぶらなくてはならなかった。これって形式が足を引っ張ってるんじゃ?実はあんまり怖くなかった。ひょっとしてこのお話を実話だと思う事が出来ていれば、もうちょっと評価は変わっていたかもしれないが。。
どうでもいいがこの作品では、リアリティーを補強するための手法として、テレビ番組のシーンを創作して途中に挿入している。しかしながら、私のような人間はテレビに映っているものは真実でないと思いがちで、つまり逆効果なのである。
昔の書物には、人に悪霊が取りついて悪さをする話がよくあるわけだが、今の世の中でもエキセントリックな人が、その独自のロジックに基づきトラブルを引き起こすというケースはしばしばあるわけで、これを昔の人が見れば、やはり悪霊のせいだというだろう。そう思えば、この作品の恐怖は基本的に隣に住むどこか変な人への恐怖と同じであり、貞子や伽椰子が怨みという日本の伝統的な恐怖の形式に基づいていたのとは異なり、実は都会的現代的な恐怖を描いていたのである。
どうでもいいが、世情に疎い私は、松本まりかも実在を装った創作キャラだと思っていた。ちょっとかわいいね。さすがに荒俣宏とか飯島愛は本物だとわかった。
御裁断は(最高☆5つ)
ランド・オブ・ザ・デッド
「バイオハザード」とか「28日後」とか「ドーン・オブ・ザ・デッド」とか近頃ゾンビ物が多いなあと思っていたら、ついにロメロ御大登場。ゾンビが花火に気を取られたり知性化したりと新しい設定を盛り込んで、もうこれはゾンビ映画なのか、はたまたアメリカ社会のパロディなのか。
今作の舞台は、周囲を取り巻く川でゾンビの侵入を防ぎ文明を保っている都市。この都市は一部の特権階級と、彼らのために働く下層民から成り立っていて、下層民の一部は生活物資を収奪しにゾンビに冒された周辺の町に重武装して出かけていく。ロメロのゾンビだから動きは遅く、武装している人間側はただゾンビを虐殺しているだけである。誰だって、この設定が何の比喩だかわかるというものだ。で、今作では知性化したゾンビが虐殺に怒り鉄壁と思われた都市の守りを破ってカタストロフの引き金を引く。つまりロメロは、そういう未来を暗示しようとしているのだろうか?
こうなっているもので、いわゆるゾンビ物を見るのだと思って劇場に行くと肩透かしを食う。これまでと違う点はまだあって、俳優たちが名のある人たちなのである。このため良くも悪くも普通のB級映画になっていて、C級映画だったゾンビのトゲのあるリアルな怖さは失われてしまっている。
御裁断は(最高☆5つ)
アイランド
臓器移植のため作られ、それとは知らされず施設で暮らしているクローン人間の一人が、その生活に疑問を抱き事実を探り出そうと脱走する話。こう聞くと、こちらのSFゴコロが騒ぎ出すのを抑えられるはずも無いのだが、監督はマイケルベイ。やはりSFのエの字も期待してはならなかったのである。前半早々にネタを割ってしまい、後はひたすらどこかで見たアクションの連続になるので、SFの肝であるところの現実崩壊感はほとんど味わえない。ゲイリー・フレーダーの「クローン」の爪のアカを煎じて飲ませたい。でも、ゲイリー・シニーズの爪のだったりしたらちょっとイヤだな。
クローンである事から来るアイデンティティーの問題も一顧だにされない。折角の主演イアン・マグレガーなんだから悲痛モードにして自分について悩ませれば良いものを、実際には一貫して軽いノリである。そんな状況でそんなに能天気だなんて、お前には人の心が無いのか?というそういう話ではあるまい。スカーレット・ヨハンソンのぴっちりした衣装も、オジサンはちょっと注意力が散漫にさせられて、お話なんてどうでもよくなってきてしまう(でも、ちょっとうれしいというのは内緒だ)。
あと、この話は基本的に主観度の高いものだからして、クライマックスは本物はどっちだ?っていうところであるべきで、その後の体制崩壊の話にあんなに長い時間をかける必要は無いと思う。マスコミに訴えるシーンでもちょっと挿入してさらっと描けば一時間40分くらいに収められそうだ。
どうでもいいけど、私はもうてっきりピンチに陥ったスカーレット・ヨハンソンがカンフーで危機を脱するんだけど、その後こぶしとか脚とかを見て「人を殴るのが、こんなに痛いなんて知らなかったわ」とか言うんだと今か今かと楽しみにしてたのになあ。
御裁断は(最高☆5つ)
宇宙戦争
ある日何の前触れも無く宇宙人が攻めてきて、人間はただ虐殺されるのみ。そんな中、全体の状況がわからぬまま右往左往する主人公は父親として再生していく。そして、突然終わる宇宙人の進攻。とこう書くと、いかに「宇宙戦争」が「サイン」であるかがわかる。いや、「サイン」が「宇宙戦争」なのでした。
スピルバーグ監督作品ではあるものの、単純なスペクタクルでは全くなく、「スター・ウォーズ エピソード3」と並び立つ陰鬱な作品。いまや世界は恐怖に満ちているのだなあ。それでも「スター・ウォーズ」では問題の所在が明らかで、かつ将来には問題が解決する事がわかっているからまだましで、見かけ上ハッピーエンドでもひたすら無力感に支配される「宇宙戦争」の方がより暗い作品かもしれない。
世間では、オチのあっけなさを非難する声があると聞くが、H・G・ウェルズ原作のこの話を、あれ以外には落としようがないと思う。私は、トライポッドが人の血を肥料として巻き始めたところで、まさか今回のオチは血液に潜む例のウィルスのせいで宇宙人が全滅するてなものじゃなかろうなと考えたわけだが、そうでなくてよかったよ。しかし、オープニングとエンディングの古色蒼然たるナレーションは、パル版へのリスペクトかと思われるが、本編の凄惨なシーンを挟み込むものとしてはミスマッチだと思う。人間と微生物の関係を宇宙人と人間の関係をパラレルに描くと言うのは、昔ならばセンス・オブ・ワンダーだったかもしれないが、現代では少し手あかのついたもののように感じる。あとオチ直前のトム君一矢報いるのシーンもなくてもよいような気もしないでもないが、だとするとティム・ロビンスとの対決シーンがクライマックスになってしまって、テーマが「やっぱり人間が一番怖い」てなものにすり替わりかねないから仕方ないのだろうか。
それにしてもダコタ・ファニングだけは娘に持ちたくないものだ。あんなに感情的アピール力のある子供じゃ、お父さんも大変。
どうでもいいが大阪人最強伝説はスピルバーグ公認となりました。
御裁断は(最高☆5つ)
ダニー・ザ・ドッグ
子供の時から、文字通り犬として扱われてきて、首輪を解いたときだけ狂犬になって飼い主の敵を倒して回る、人間らしい感情のかけらも持ち合わせていないリー・リンチェイが盲目のピアノ調律師と出会って普通の人間らしい心に目覚めていくと言う話。で、この作品は驚くべき事に、作品を成り立たせるはずの、いかにして普通の人間がどこの犬の骨ともしらぬアジア人を我が家に招き入れ家族同様の扱いをすることになったのか、という部分の描写を完全にすっ飛ばすのである。なんて豪胆な。リュック・ベッソンおそるべし。で、この省略を受け入れられる人ならば、この作品はけっこう面白い。
その面白さの理由はと言えば、人間性の回復を表現するリー・リンチェイの意外な好演もさることながら、「出てくるだけで映画の風格を一段階上げる男」モーガン・フリーマン(まさに逆ゲイリー・シニーズ)と忘れちゃいけないボブ・ホスキンスである。育ての親である彼のダニーに対する屈折した感情の表現は、リュックベッソンプロデュース、リー・リンチェイ主演のB級アクションの外見からはちょっと予想が付かなかった。
そんなわけで、モーガン・フリーマン一家がダニーを受け入れた後の、人間性回復過程を丁寧に描いているのが、この作品の最大のポイントだ。どうでもいいが、そこの娘がダニーの首輪を取るシーン、まるで2001年宇宙の旅で、「月を見るもの」がはじめてモノリスに触れたときと良く似た音楽がかかっていて、「ああそうか、これはそういう映画なんだなあ」と思ったのである。
御裁断は(最高☆5つ)
オープン・ウォーター
時々、公共の場所にあるトイレで個室に入って用を足したあと、ドアを開けようとしたときにふっと「もし開けたら女性トイレだったらどうしよう?」って思って、しばし硬直してしまう事がある。この映画はそういう話(←ウソ)
本当は、、休暇中の夫婦がスキューバダイビングをしていて、浮上したみたら連れてきてくれた船がいなくなっていて、2人だけでサメが泳ぎまわる大海のまっただ中に取り残されてしまった、という話。だから、全然違うと言うわけでもない。まあ、それはともかく、そういう設定だから、当然観客の興味は、どうやって主人公たちがこの苦境を脱するかということになるわけだが、そこはサンダンス映画祭で大好評を博しただけあって、その手の方向には全然進まず苛々させられる。主人公たちがパニックに襲われているのにのんびりリゾート風景なんか映しているんじゃないっ!
と、この映画は折角のアイデア(というか実話らしいが)を上手く活かしきっていない。良く考えてみれば、遭難してからの画面作りは単調にならざるを得ないのだから、ハンディがあるわけだが、それを補う秀逸なアイデアが脚本に盛り込まれているのでも無く、遭難前の夫婦関係の描写が遭難後に活かされるわけでも無い。それでも私みたいに水恐怖症の人間は、ダイバーが海に入るシーンを水の中から捉えたショットを見るだけでぞぞぞっとするのである。もう私は絶体にスキューバダイビングなんかしないぞ。したことないけど。
というわけで、海の嫌いな貴方にお勧め。
御裁断は(最高☆5つ)
スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
思えば28年間である。最初のスター・ウォーズを見たのはまだ小学生で、親に連れていってもらった三本目の洋画であった(ちなみに一本目はキングコングで二本目は未知との遭遇)。帝国の逆襲の時もまだ中学生になったばかりで、祖父に連れていってもらった事を思い出す。ジェダイの復讐で、はじめて先行オールナイトを経験し、エピソード1の時は大学院のメンバー10人ほどで大挙して見に行ったものだ。で、エピソード2で、私はついにスター・ウォーズに対する情熱に衰えを感じ始め、今作は何か葬式にでも出るような気持ちで、先々行公開の日に臨んだわけだ。
それがフタを開けて見れば、想像以上に出来が良い。このシリーズの各作品において、クライマックスは基本的には軍隊同士がぶつかりあうスペクタクルなのであるが、そのパターンに当てはまらない帝国の逆襲こそがシリーズの最高傑作と言われている。で、今作の場合、クライマックスはオビ=ワンとアナキンの対決であって、代わりにオープニングに大宇宙戦のシーンが来ている。そのせいなのかどうか知らないが、本作は出来が良い。とにかく全編に満ちあふれる見せ場は、ウーキーのシーン以外はお話と密接に絡み合っているし、パルパティンがアナキンを誘惑するところなどゾクゾクする名演だし、ユアン・マクレガーの悲痛に歪む顔は天下一品だし、ところどころセリフに気恥ずかしくなるところがあるのと(産まれたとたんに「ルーク」「レイア」はないだろうよ)、アナキンの暗黒面への転び方がちょっとあっさりしすぎているところを除けば、十分鑑賞に耐えうるクオリティーである。
しかし話自体は陰鬱で、ダース・ヴェーダーの誕生を描くわけだから当然だとしても、パルパティンの権力の握り方とか(この展開は以前から計画されていたものだから、現在のアメリカの政治状況に対する意見表明の側面があると言うのはうがち過ぎだと思うが)、メイス・ウィドウやオビ=ワンがシスを無力化したときの態度に現れる正邪の境界の曖昧さとか、どう考えても無邪気に内容を楽しめる作品ではない。どうでもいいが、エンディングにはいつもの気分が高揚する「スター・ウォーズのテーマ」が流れてきて、お話の暗さとミスマッチでどうにも落ち着かないのだが、ここをとっても28年間で随分遠くまで来てしまったという感じを受ける。
それはともかく、それでも最後にタトゥイーンの二つの太陽を見ると、これからまだあんな事やこんな事やそんな事が起こっていくんだなあと思って、感じ入ってしまう。多分そんな風に思う人は日本に1000万人はいるに違いない
御裁断は(最高☆5つ)
バットマン ビギンズ
ヒット作の続編の持つ構造的な弱点と言うのは、観客の多くがその作品世界について既に豊富な知識を持っていることである。だから、多くの場合続編物では、背景の描写ははしょって、最初から見せ場をどんどん投入する。しかし、これは結果的に全体のバランスを崩すことになる。何事もタメがあってこその盛り上がりであるが、続編物ではタメが許されにくいのだ。
ところが、この作品では、誰もが知っているバットマンのでき方を描くことにより、この弱点を回避している。誰もが知っているバットスーツも、ブルース・ウェインがそれを初めて装着するというシチュエーションであれば、丁寧に描写してもお客は文句を言わない。これでタメができて、やっとバットマンが登場したときには、見ているこちらは「待ってました」という気分になる。クリストファー・ノーランが偉いのか、デビッド・S・ゴイヤーが偉いのか知らないが、とにかく良くできた仕掛けだ。
どうでもいいが(ホントは良くないが)、ゴッサムシティ存亡を賭けた戦いに際して、ブルース・ウェインはいくつかのダメージをくらう。まずウェイン家の名声が地に墮ち、そして何代にもわたって住んできた豪邸が焼かれ、最後に良き父の象徴であるモノレールが破壊されるのである。そしてバットマンが誕生する。つまりこの作品は、典型的な父親からの脱却による自立、もしくは死と再生による自立の話になっている。しかし、その重要なキャラクターである父親であるが、私の目にはどうにも乗り越えるべき巨人のように見えなかったのが残念。でも、なんか見覚えがあったので、劇場から帰ってきて調べてみたら「フォーガットン」の彼じゃないか。そりゃあ人間らしい温かみを感じられんわな。「フォーガットン」を先に見ていたのは不幸な巡り合わせだ。
キャスティング、ぱっと見は豪華だけど、モーガン・フリーマンの役どころなんてバランスを欠いて豪華な気がするし、マイケル・ケインが執事ってのも何だかちょっと座りが悪い(案の定、ネクタイ緩めてるシーンがいくつもあってお行儀悪い)。ケイティ・ホームズは娘さんの時期を過ぎて少し苦しいし、謙さん使い捨て。それにしても、エンドタイトルになるまで、あれがルトガー・ハウアーだって気がつかなかったよ!
御裁断は(最高☆5つ)
ミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッドはインテリである。インテリだから市長もするし、表現も素直ではなくて、映画を作るとボクシング映画の振りをした「良く生きる」事についての作品だったりする。で、この映画のテーマを語る最も重要な仕掛けであるデンジャーの話や、ヒラリー・スワンクの家族の話が、最初はさりげなく、いかにもサブプロットの様な顔をして提示されるところなど、そのインテリジェンスが見て取れる。
まあしかし、確かにこの映画は役者の演技も含めてとても質の高い物だと思うのだけれど、でも、私は表面的にしか心を動かされなかったのである。それはなぜかと考えているのだが、おそらくこの作品には、切実な何かが欠けているからのような気がする。話の重たさに見合った何かが。別の言い方をすると、後半の話の展開の必然性が私にはどうしても納得できないのだと言える。枯れてしまったジイサンが作るべき作品は、もっと俯瞰した視点を持ったものであるべきだと思うがどうか。
つらつら思い返すと、私はイーストウッドの監督作品を心から面白いと思ったことは一度もないのであった。インテリのひねくれは、私が映画に求めるものと相容れないのかもしれない。
御裁断は(最高☆5つ)
フォーガットン
ザ・インタープリター
シドニー・ポラックが監督した、緊迫したサスペンスの中に、心に影のある男と女が惹かれあう話が折り込まれる作品と言えば、あの「ランダム・ハーツ」であるが、本作も似たような作品として宣伝されいてる。そんなもんだから、見ている当方としては、いつ何時クールを装うショーン・ペンがニコール・キッドマンにがばっと行くかと気が気じゃない2時間であった。あー、はらはらした。
ところが実体は、浮ついたところは極くわずかで、中盤のシークレット・サービスが追跡している3つのパーティーが一つのバスの中に乗り合わせるところのサスペンスなんて、近年稀に見る緊迫感で、まあストーリーとか無理矢理なところもあるのだけど、全体としては面白く見る事ができた。シドニー・ポラックもやればできるじゃん。
お話は、アフリカの小国で起きている内戦を巡って、過去は立派な人物だったけれど、今は権力を守るためには何でもするようになってしまった独裁者の暗殺計画にまつわるもの。終盤になって出てくる、このズワーニ大統領を演じるアール・キャメロンの演技がとても良い。高い理想を持っていたのに、現実の政治の中でボロボロにすりきれてしまった人物の空虚な感じがとても印象的だった。ニコール・キッドマンもこういう役柄だと凛として綺麗だ。世が世なら私もがばっと。。
国連でのロケだそうだ。「北北西」は遠くになりにけり。
御裁断は(最高☆5つ)
バタフライ・エフェクト
ブレイド3
原題はBlade: Trinity。これは吸血鬼と人間とハーフブリードの三位一体のことか、はたまたヴァンパイアハンター三人組のことか。
まあ、それはともかくこのシリーズ、尻すぼみにどんどん出来が悪くなっていく。一作目ではちゃんと感情のあるキャラクターであったブレイドだが、今作ではタダ暴れ回るだけの木偶の坊で、主役かどうかさえ定かではなくなっている。途中血清がキレてボーッとするシーンがあったが、実は血清打った後もそのままちゃうんか、という。人間のハンターの方も求心力に欠けいいところなし。ハンニバル・キングは名前負けの感アリ。アビゲイルはちょっと色っぽいけど、父親が死んだんだからもうちょっとなんかリアクションがあっても良いじゃない?あと、大ウィスラーも出たり引っ込んだり忙しいことだ。
も一つ挙げると、今回は吸血鬼側の事情も良くわからないところがあって、やっぱり敵をきちんと描かないと盛り上がらないわね。ということで、一作目の偉大さがとても引き立つ三作目でした。
御裁断は(最高☆5つ)
コンスタンティン
私の好きなタイプの映画と言うのは、前半でその世界の約束事を全て説明し終わって、後半は新しい設定や登場人物が一切出てこないというものである。で、今作はあそこで突然あの方がおでましになって全てをひっくり返すということをやるわけで、私好みの閉じた話ではない。いや、ひょっとしたらこれも観客周知の世界観に則った展開なのであって、私が「ちょっとそれはムリカラなストーリーってもんだ」と思ったのは、キリスト教の常識を知らなかったり原作コミックスを読んだ事が無かったせいなのかもしれないけど。
実はこの地上に地獄が存在していて普通の人には見えないだけ、という設定はうまく使えば日常観をひっくり返せて面白くなりそうなものなのだけど、それにはこちらの世界、というか日常側の人間を主要登場人物に含めておく必要がある。で、今回レイチェル・ワイズ(姉)がその役回りかと思っていたら、途中で実はあちら側の人間だったと言うことが判明して、結局観客と一緒に隠された世界を見て驚愕する人物は誰もいなかったと言う。そういう点も含めて、語り方が今一つ上手くなくて惜しい。一つ一つの映像は面白いのに、これだと予告編負けしてしまう。どうでもいいが、予告編にもあった、レイチェル・ワイズが壁をどんどんブチ破って飛んでいき、それを窓際まで追ったキアヌ・リーブスが「こりゃダメだ」とばかりにくるりと踵を返すシーンはコンスタンティンの性格を良く現すかっこいいシーンだと思う。
レイチェル・ワイズは大変に色っぽい。キアヌ・リーブスは色んな映画でよく手をヒラヒラさせているが、今作ではライターを消す大げさな動作がそれに当たるのか?
御裁断は(最高☆5つ)
フライト・オブ・フェニックス
砂漠に落ちた飛行機の残がいから別の飛行機を作って脱出しよう、という。そんなのが飛ぶのかいなな、と思うが、この映画を見ていると本当にできそうな気持ちになってくるから不思議だ。ジェームズ・スチュアートの「飛べ!フェニックス」のリメイクと言うことで、古典的な雰囲気が、そんな夢のようなお話を信じたくなるような気持ちにさせてくれたのかもしれない。
主役にデニス・クエイド。オリジナルは見ていないが、汗臭いこの映画の話にはジェームズ・スチュアートより似合っているような気がするがどうか。そして飛行機製造を提案する謎の人物にジョバンニ・リビシ。私的には、このキャラクターの秘密をもっと早くに明らかにして、彼がなぜそんなことをするのかについてもっと掘り下げたり、本当に飛ぶのかどうかのサスペンスを盛り上げたほうが良かったように思う。今の状態だと、このキャラクターについては、伏線だけ張られて回収せぬままほっとかれた感じ。
しかし、どうでもいいが、前半早々に飛行機が墜落するのだけれど、この映画を見てしまったら、もう二度と空を飛びたくなくなるので剣呑剣呑。
御裁断は(最高☆5つ)
エターナル・サンシャイン
子供のころ朝起きたときに、どうして自分が寝ている間に他と取り換えられていないと言えるのだろう、と考えて怖くなったことがある。もちろんすぐに「昨日のことをちゃんと覚えているから、ボクは今日もボクに違いない」と気がついて落ち着いたのだが、つまりは記憶と言うのは人を人足らしめるものであるという。
しかしながら、普通に生きていれば忘れてしまいたい記憶と言うものはできてくるもので、それができれば何て幸せなんだろうという発想が、すなわち「無垢なココロに宿る永遠の太陽」。で、この映画は本当にそうなの?という話。ケンカ別れした恋人の片方が自分の記憶を消した腹いせに、自分も記憶を消そうとするもののその途中でやっぱりやめたくなって、、というプロット。
まあ、しかし、別の見方をすれば、この作品は痴話げんかが収まるまでのプロセスを大仕掛けに描いたものとも言える。痴話げんかから仲直りというのは、多くの人が経験する事だと思うが、最初は「ちきしょう、もうあんな奴の顔なんて見たくもないや」とか思いながらだんだんに「あー、でもあんなこともこんなこともあったし、やっぱりこれからずっといなくなられるのも困るなあ」と思い仲直りするわけだけど、この映画の素晴らしいところは、そんな誰でも知っているプロセスを、たった一つのアイデアに依拠して全く奇想天外な話のように見せかけることで観客を引っ張るところである。見ている方は話の面白さに引き込まれながら、知らないうちにおなじみのメッセージに共感するという仕掛け。
ケイト・ウィンスレットとキルスティン・ダンストがとても魅力的。ジム・キャリーもやっと普通の役者になれてよかったね。
御裁断は(最高☆5つ)
クライシス・オブ・アメリカ
戦争の英雄と言うニセの経歴を持ち、かつ洗脳を受けた人物がアメリカ副大統領になろうとする話を、その戦時中の同僚の視点から描いたサスペンス。「影なき狙撃者」のリメイク。オリジナルは見ていないので、なぜ、この設定でこんな邦題なのか?と不思議に思っていたが、今作を見て納得。看板に偽りなし。
で、サスペンス映画としては、謎が早々に割れてしまうので、後は陰謀が如何に防がれるか、という点に興味がうつるのだが、最新科学技術風に見せたいのだと思われる洗脳技術がどうもウソっぽくて、陰謀を行う側と暴こうとする側の攻防に今一つ没頭できなかった(見方を間違えたのかもしれない)。主人公のデンゼル・ワシントンが従軍経験の後遺症で精神に問題を抱えているという設定であるのも、彼我の力のバランスを悪くし、サスペンスに盛り上がりを欠く原因であったろう。もしこの設定を残すのであれば、終わりの方まで、本当に陰謀が存在しているかどうかを曖昧なままにしておいた方が良かったような気がする。
リーブ・シュライバーの最期の行動などお話の転がし方に腑に落ちない点がいくつかあった。メリル・ストリープは流石の圧巻だが、最近はこんな役もやるのだなあ。あと、なぜだか見ていて「ステップフォード・ワイフ」を思い出した。洗脳つながりか。
御裁断は(最高☆5つ)
ロング・エンゲージメント
ジュネがオドレイ・トトゥを使って撮ったと言うことで、2匹目のドジョウ狙いの宣伝になるのは理解できる。確かに、わけのわからないおまじないをやってみるなど「アメリ」と共通する要素は無いわけではないが(私にはこんな要素は不要だと思えたのだが、原作にあるのだろうか?)、実体としてはこの作品は戦争の悲劇を背景にした硬いミステリーである。ふんわかファンタジーとは随分趣が違う。
負傷除隊を偽装したと責められ、独軍と仏軍の塹壕の間に放り出されると言う刑を受けた5人の兵隊のうちの一人の恋人が、遺品として渡されたものを手がかりにして死んだことが信じられない恋人を探す話。目的の一人だけでなく、5人に起ったことと彼らの人間関係をも描くことで、戦争だけには巻き込まれたくないと思わせる。ミステリーの観点からすれば、特にドイツの長靴を履いた兵隊の描写が多すぎて話が迷走している感もあるが、戦争に影響される人の様子を描くのはこの映画の横糸だと考えれば、これはこんなものであろう。どうでもいいが、ここで出てくるジョディ・フォスター。最初は「こりゃまたえらくよく似た女優さんだなあ」と思い「いや、こんなに似ているはずはない。ひょっとして本人?」と。さらに「でもフランス語流ちょうに喋ってるやん。いや、ジョディ・フォスターは才媛だからこれくらいはお茶の子サイサイか?」とか思って、結局エンドロールを見るまで本人だと確信できなかったと言う。
これに限らず、わき役にはいろいろと魅力的なキャラクターが出ているのだが、私のイチ押しはセレスタン・プー。こういう、軍隊の論理など一顧だにしない現実的なキャラクターって映画にはよく出てくるけれど、現実の戦場にもいるのかしら。
原作物と言うことで、緻密に組まれたストーリーがキッチリと物語られていて、出来のよい作品だと思う。ただ、告白すると、最初の5人の紹介のところで、全員の情報を頭に収めきれなくて、しばらく混乱した。
御裁断は(最高☆5つ)
ナショナル・トレジャー
アメリカ東海岸で宝探しをする話。アメリカ独立宣言や1ドル札にその秘密が隠されているという、彼の国の人の心はくすぐるかもしれないが、他の国の人にはバッタ物感3倍増の仕掛けに不穏な気持ちを抱きながら見てみたら、案に反して面白かった。基本的なトーンは陽性だし、後から考えてみるとほとんど人が死んでないという今どき珍しい抑制が好感度大なのかも。
主人公はニコラス・ケイジ。日の目を見ない宝探しの癖に、妙に小奇麗な服装というのはどうなのだ?ヒロインは「トロイ」の能面ぶりから進歩が見られるダイアン・クルーガー。インディ・ジョーンズにおけるショーン・コネリーの役回りに最近よく働いているジョン・ボイド。ショーン・コネリーほど暑苦しい演技じゃないので良い感じ。
それにしても、善人であるニコラス・ケイジが独立宣言書を持ちだす際に「悪人に盗まれるのを防ぐために善人が盗むのだ」という理屈をひねり出してくるのだが、その理屈ならば盗み出した後にすぐに当局に出て行けばいいのであって、逃げ出して色んなものを危険に晒してどうするんだ。映画自体は面白くって大満足なんだけど、アメリカ映画でこんな理屈をこねられるのはちょっと気持ちが悪い。
御裁断は(最高☆5つ)
サイドウェイ
この映画を見ると、とってもワインが飲みたくなる。私もレイトショーから帰ってきて、冷蔵庫の中に1本入っていた2500円程する、私的にはお高めのワインをついつい開けてしまった。そうしていると、近くを通ったヨメサンが瓶を蹴飛ばしてしまって、中身をこぼしたのである。そんなことをしようものなら悪態の一つ二つ浴びることが当然なのが結婚5年目の真実と言うものだが、私はなぜかそんなどんくさいことをしたヨメサンに怒るどころか、ほわんと心が暖くなって、一緒にこぼれたワインを拭いていたと言う。そういう気持ちにもなる映画。こう、しょぼい人生にもだからこそ出てくる味わいがあるんだなあ、という。ヴァージニア・マドセンは正しいと思う。良い映画だ。
主人公のポール・ジアマッティは作家志望の学校教師。小説を書いても書いても出版にこぎ着けられなくて、自分の人生に意味なんてあるのだろうか、と落ち込んでいる。でもまあ、そんなことがかなう人は極くわずかなのであって、それが思い通りにならないからといって自分の人生に疑問を持つと言うのは、そもそも問題設定が間違っていると言わざるを得ない。いい年なんだから、もうちょっと目標は堅実に。いや、最期には落ち着くのだけど。
アレクサンダー・ペインの映画としては、「ハイスクール白書」と比べると、話がだらだらしていて1段劣ると私は思うのだけど、こっちの方が好きな人も多いだろうと思う。アカデミー賞もむべなるかな。
御裁断は(最高☆5つ)
THE JUON 呪怨
あの呪怨を、舞台も、伽耶子も、俊雄もそのままに、主要キャストだけサラ・ミシェル・ゲラー、ビル・プルマンなどの、豪華なんだけど、微妙に安い外人に置き換えて、ほとんど同じものとして作られたと言う異形の作品。しかし、オリジナルの伽耶子の無差別というかハチャメチャな怨みの拡がり方は、空間的にこじんまりしてしまった今作には見られなくて、わけのわからない怖さというのが感じられなくなっていて残念。日本版を見ている人なら、わざわざ見るほどのことはないと思う。奥菜恵や伊東美咲の方が良い。しかし世界をターゲットにしてお行儀良くなってしまったのかしら。あと、鼻ピクピクがなかった。
それにしても冷静に考えて見たら、伽耶子のわけのわからなさというのは、ジェイソンたちとたいして変わらないのかもしれない。つまり、ひょっとしてこのお話の怖さと言うのは、怨み感情に基づく日本的な幽霊という前提から遥かに逸脱していることにあるのではないかと今回フト思った。ということは、そのような前提を持たない(←ホントか?)外国のお客さんは、私が思っているものとは別種のものとして呪怨というものを見ているのかもしれないと思ったりした。
しかしクレア・デュバルも日本まで来て、つくづくこういう役柄が好きであることだ。
御裁断は(最高☆5つ)
ボーン・スプレマシー
アクションサスペンスの傑作「ボーン・アイデンティティ」の続編。最初この作品のことを聞いた時は、わずか二年で前作のキャストを全て揃えた続編ができるほど大ヒットしたかしら?といぶかしんだのだが、良く考えたら原作が三部作なのであった。読んでない私が言うのもなんだが、一作目の原作「暗殺者」は名作の誉れ高いのに対し、今作の原作「殺戮のオデッセイ」はあまりよい評判を聞かない。というか駄作らしい。私は他のラドラム作品はいくつか読んでいるのだが、確かに後期の作品はプロットがグダグダで、決して良い出来ではなかった事を覚えている。
で、映画の方はどうかというと、こちらは一作目と遜色ない面白さであった。視界が限定されローカルな情報のみからベストな行動を取ろうとする登場人物達の相互作用が駆動するダイナミックなストーリーは引き込まれること請け合いだし、虚飾やこけおどしを排した演出(カット割が細かすぎるのが難点と言えば難点だが)はクールで、プロ同士の死力を尽くした戦いにマッチしている。前作のラストからすると衝撃の展開が前半に待っているわけだが、ここで、大げさな感情表現をするのでなく、たった一枚写真を焼かずに残すという、ストイックの塊のような表現に止めているのが、このシリーズの魅力なのである(単にココロが空っぽの設定だからかもしれないが)。そして世界中を点々とする舞台は単純に目を楽しませてくれる。前作を気に入った人には文句無くオススメできる。というより前作を見ていない人には何がなんやらチンプンカンプンかもしれない。折角だから予習を勧める
ところで、原作は三部作で、今作のラストも続編をにおわせるものであった。これは見る側としても、ちゃんと原作を読んで3作目に備えるのが礼儀と言うものかもしれない。
御裁断は(最高☆5つ)
ステップフォード・ワイフ
失脚したキャリアウーマン一家が越してきたステップフォードの街では、妻はみな金髪でドレスに身を包み家事だけが生き甲斐の存在であった。しかし、この街には秘密が、、という話。30年前にキャサリン・ロス主演で一度映画化されている。私も子供のころにスチール写真を見た記憶がある。
で、この話の本質は洗脳/アイデンティティー喪失の恐怖にあるはずだが、このようなテーマは、洗脳から無縁のアイデンティティーなど存在しないと考える現代ではなかなか成立しにくい。そのうえ、主役を現代の申し子のようなニコール・キッドマンにしたわけであるから、このお話から生まれるはずのエモーションは望むべくもない。ニコールは必要とあらば嬉々として良妻賢母になるでしょうともさ。作り手もそのことを意識しているのか、ブラックコメディ風に仕立てようとしているものの、これがちっとも笑えない。キーキー騒がしいキッドマンって悪夢の一典型だと思うがどうか?そもそもコメディならば、妻を家庭の中に押し込めようと画策するマシュー・ブロデリックを主役に置かないとダメ。
ニコールが主役であるのは、キャリアウーマンもステップフォードの妻たちも同じ穴のムジナだって言いたいがためなのかとも思ったが、オチをみるとその解釈にもムリがありそうだ。それにしてもこのオチ。どうしてあんな能天気にしなくてはならなかったのか理解に苦しむ。「ピノキオ」か?いや、もちろんそれは75年版の「ステップフォードの妻たち」を知る人用のどんでん返しのためなのだろうが、設定を破綻させてまでやることではない。
どうでもいいが、いくら金髪で家事を完ぺきにこなすからと言って、ベット・ミドラーを理想の妻の一員に加えるのはどうかと思う。
御裁断は(最高☆5つ)
ライフイズコメディ! ピーターセラーズの愛し方
ピーターセラーズが亡くなってもう四半世紀になる。まさかこんな時期に彼の生涯についての映画を見ることになるとは思っていなかった。で、いつもより平均年齢の高い客層の中で幕が開くと、のっけから「何かいいことないか子猫チャン」に乗ってピンクパンサー風のオープニングアニメが始まる。「あー、これしかないって感じの始まりだなあ」と思っていると、「情緒不安定な天才」のフォーマットに則った話が展開し始め、「むー、これもありがちな展開である」と困ってしまった。まあ、それでもジェフリー・ラッシュは上手いというレベルを越えてピーター・セラーズそのものになっていて、劇中でピーターセラーズの実際の映画部分とジェフリーラッシュを使ってそのシーンを再現した部分とがシームレスに出てくるのだが、うっかりするとその境目に気がつかないくらいである。そんなわけで「セラーズファンならそれなりに楽しめるかなあ」と思いながら見ていたら、最後になって、「チャンス」がセラーズであり、自我が空っぽであることを悩むセラーズが、最後にそれを受け入れることで問題を解決した、という話になってビックリ。
私は辛うじて「ピンク・パンサー4」と「チャンス」と「天才悪魔フー・マンチュー」をリアルタイムで知っているわけだが(というか全部当時見ているってどういうわけだ?)、実は「チャンス」は今でも生涯のベスト5に入る好きな作品なのだ。で、私は「チャンス」の事を「遠くから見ている人」と解釈していて、そこに自分自身を重ね合わせているつもりだった。そこに「チャンス」を空っぽの自我と位置付ける今作である。「あー、私も自我が空っぽであることだった」と頭をガンと殴られたような衝撃をくらって座席でひっくり返りそうになった。というわけで、私にとってはこの作品は大変重要アルね。それにしても自我が空っぽであることに悩むというのは、自我があることが前提になっているわけで、それは古きよき時代の悩みだったのかもしれない。今、ピーター・セラーズが存命だったら、何を思うのであろうか。
しかし「博士の異常な愛情」「007カジノロワイヤル」「ピンクパンサー」とか再現されているのに「ロリータ」を再現していないのはどうしたことか。見たかった。それからシャーリーズ・セロンは相変わらずの脱ぎっぷり。ジョン・リスゴウは久々に見たような気がするが美味しい役どころだった。あと、これもセラーズへのオマージュなのかジェフリー・ラッシュが劇中の他の人物に扮してセラーズへのコメントを述べるという趣向は面白かった。
どうでもいいが、本編の前に日本の芸能人がクルーゾー警部に扮したどうにもくだらない短編が流された。これもセラーズへのオマージュだということだが、高校の文化祭レベルの物を使って話題作りをするのは止めるように。
御裁断は(最高☆5つ)
カンフー・ハッスル
かー。冒頭、麺屋のオヤジが棒もって飛びだした時には、あまりの美しさに涙があふれてきたよ。おいらもあと30年若ければ、どこぞの道場に入門して、、って暗闇の中で盛り上がったけど、その盛り上がりはあまり長いこと続かないのでありました。
というのは、チャウ・シンチーのパートと、豚小屋砦の住人対斧頭会との戦いパートとがずっと平行して描かれていて、主人公とアクションが絡まないのだ。こう、斧頭会の仕打ちを見せられてこちらがかーって熱くなってるのに、辛気臭いチャウ・シンチーとデブの話を見せられてショボんとする。この話は大家夫婦を主人公にするか、チャウ・シンチーが大家から修業を受ける必要があると思うんだが。そうしないから感情的な流れが作れないんで、後半の戦いが「ありえねー」だけに、ますますのめり込めなくなると言う。あと、妙に画面に風格があるのも「ありえねー」話と収まりが悪いような気がする。
御裁断は(最高☆5つ)
僕の彼女を紹介します
予告編から大体の中身が知れていたとしても、X-JAPANの曲が使われていると知っていても、それでも「猟奇的な彼女」の監督と主演女優の次作と聞けば見に行かないわけにいかないじゃないか。それに映画雑誌「プレミア」には大槻ケンヂが好意的な評を書いていたし。。(見終わってから読むとウソは全く書いてないのな。見事に騙された)
で、確かにこの作品は「猟奇的な彼女」とほとんど同じ作りになっている。アチャラカスチャラカな明るい前半と、湿っぽい後半。唐突に挿入されるハリウッドC級映画かVシネマかというアクションシーン(「猟奇」の想像シーンと違って、警官が主役の今作ではそのようなシーンが入ってきても悪くは無いのだけど、ドラマ上の合理性は何も無い)。主役の性格。あまりにも有名なクラシック曲のてらいもない使用。あるべきところにおさまるべし、というラスト。ただ一つだけ違うとすれば、「猟奇」がありえる話であったのに対し、「僕彼」はファンタジーであったと言う事。しかしこの違いが致命的。ありえないファンタジーをお客に納得させるのに、アチャラカスチャラカはやっちゃいけないでしょう。それにあのラスト。「猟奇」もこちら側からみると「そ、そんなあっさりと気持ちを切り替えていいんですかい?」となる。しょんぼり。
チョン・ジヒョンたんの表情の素晴らしさは以前と変わらないし(星三個分)、後半ほとんど独り舞台になっているので、アイドル映画と見れば大満足なのだけど、しかし前作の良さと比べるとなあ。
あと不必要にグルグルカメラを回すのは勘弁してもらえんでしょうか。酔ってしまいました。
御裁断は(最高☆5つ)
Mr. インクレディブル
スーパーヒーローが登場する映画を作るコツは、いかにして普通の人の視点を導入するかだと思っている(今作はスーパーヒーロー物と言うか007みたいであるが)。で、今作で感心したのは、その普通の人の視点を、スーパーヒーローたることを禁じられた主人公に重ねていることである。若く輝いていた時を思い出しながら退屈な日常を過ごしている主人公、、ってオトナの観客そのものやん!
というわけで、これまで子供向き映画の皮を被って大人向けのお話を作ってきたピクサーが、ついにその皮さえほとんど脱ぎ捨ててしまっているのである(もちろん子供でも楽しめるようになっているのが凄いところだが)。そしてテーマは家族(原題はThe incredibles、「インクレディブル家の人たち」だ)。もうこれはアニメの枠を越えてほとんど一般映画である。アニメである必然性と言えば、、そう、エラスティガールだ!
この作品は「Mr. インクレディブル」であるけれど、その内実は「Mrs. インクレディブル」なのである。主婦兼お母さんをしているときの色っぽさ、エドナにスーパーヒロインに戻ることをたき付けられて逡巡するときの心の揺れ、そして何と言ってもあの能力。手足が伸び縮みするスパイダーマン風のキャラだと思っていたのが、あんな事までできるなんて、もう脱帽。
ただ、シンドロームとの関係はもう少し深く描くことができたような気がする。平凡な人が非凡な人からあのように扱われることで抱く感情について、少し単純に切り捨てすぎているように思えて惜しい。
しかしながら、そんな欠点はどうでもいいと思えるほどこの映画は美しい。一カット一カットの芸術性が高いのだ。良くまとまったストーリー、美しい絵にウェルメイドな仕上げ。さらにエンドタイトルのかっこよさ。一ミリの隙も無い作品。ピクサーおそるべし。感心した。
御裁断は(最高☆5つ)
スカイ・キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
ヒーローのことが好きなんだけど、素直になれないヒロインと、それをわかっていながら奔放に振る舞っちゃうヒロインのお話。まだ、女の子の手も握ったことの無いような子供がうっかり憧れちゃうような筋立てで、それはそれで悪い事無いんだけど、大人の客も引きつけるためには熱意が足りないと言うか、マニュアル通りにやってみただけですって言うか。まずくはないチェーン店でまずくはない食事をした後のような食い足り無さが残る映画。コミックの映画化らしいけど、もっとハチャメチャやっていいんじゃなかろうか。
えーっと、そもそも私にはアンジェリーナ・ジョリーが出てきた当たりから話がわからなくなっちゃって、敵であるところのマックスヘッドルームと化したローレンス・オリビエ(悲惨!)が何をやりたかったかイマイチわかってないんですけど?あのロボット達は何しに出てきたんだっけ?どうでもいいけど、アンジェリーナ・ジョリーはあの格好してるんだから、ナチスの女将校として悪巧みをバシバシやってくれないといかんでしょうが。ますますどうでもいいけど、ローレンス・オリビエだから腹が立たなかっただけなのかも知れなくって、ひょっとしてこれがピーター・セラーズだったら私も「大スターへの冒涜だ」とか怒ってたかもしれない。
意外とグィネス・パルトロウが可愛くって、オチも割と好きなタイプだったりするのだが、良く考えたらこの女優さんはコメディで真価を発揮する人なのであった。運動できない人なんでしょ?
御裁断は(最高☆5つ)
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