ライフイズコメディ! ピーターセラーズの愛し方
ピーターセラーズが亡くなってもう四半世紀になる。まさかこんな時期に彼の生涯についての映画を見ることになるとは思っていなかった。で、いつもより平均年齢の高い客層の中で幕が開くと、のっけから「何かいいことないか子猫チャン」に乗ってピンクパンサー風のオープニングアニメが始まる。「あー、これしかないって感じの始まりだなあ」と思っていると、「情緒不安定な天才」のフォーマットに則った話が展開し始め、「むー、これもありがちな展開である」と困ってしまった。まあ、それでもジェフリー・ラッシュは上手いというレベルを越えてピーター・セラーズそのものになっていて、劇中でピーターセラーズの実際の映画部分とジェフリーラッシュを使ってそのシーンを再現した部分とがシームレスに出てくるのだが、うっかりするとその境目に気がつかないくらいである。そんなわけで「セラーズファンならそれなりに楽しめるかなあ」と思いながら見ていたら、最後になって、「チャンス」がセラーズであり、自我が空っぽであることを悩むセラーズが、最後にそれを受け入れることで問題を解決した、という話になってビックリ。
私は辛うじて「ピンク・パンサー4」と「チャンス」と「天才悪魔フー・マンチュー」をリアルタイムで知っているわけだが(というか全部当時見ているってどういうわけだ?)、実は「チャンス」は今でも生涯のベスト5に入る好きな作品なのだ。で、私は「チャンス」の事を「遠くから見ている人」と解釈していて、そこに自分自身を重ね合わせているつもりだった。そこに「チャンス」を空っぽの自我と位置付ける今作である。「あー、私も自我が空っぽであることだった」と頭をガンと殴られたような衝撃をくらって座席でひっくり返りそうになった。というわけで、私にとってはこの作品は大変重要アルね。それにしても自我が空っぽであることに悩むというのは、自我があることが前提になっているわけで、それは古きよき時代の悩みだったのかもしれない。今、ピーター・セラーズが存命だったら、何を思うのであろうか。
しかし「博士の異常な愛情」「007カジノロワイヤル」「ピンクパンサー」とか再現されているのに「ロリータ」を再現していないのはどうしたことか。見たかった。それからシャーリーズ・セロンは相変わらずの脱ぎっぷり。ジョン・リスゴウは久々に見たような気がするが美味しい役どころだった。あと、これもセラーズへのオマージュなのかジェフリー・ラッシュが劇中の他の人物に扮してセラーズへのコメントを述べるという趣向は面白かった。
どうでもいいが、本編の前に日本の芸能人がクルーゾー警部に扮したどうにもくだらない短編が流された。これもセラーズへのオマージュだということだが、高校の文化祭レベルの物を使って話題作りをするのは止めるように。
御裁断は(最高☆5つ)
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