イーオン・フラックス
シャーリーズ・セロンが、どこかで見た未来世界で奇をてらった衣装で跳んだり跳ねたりして悪を倒す能天気なアクション映画だとばっかり思っていたら、最後の1カットでその思い込みは完全にひっくり返されて、すべてが全く違う映画に見えてきてビックリした。ではこの映画の実質は何かと言うと、日々些細な事で喜び悲しみながら暮らしている現実の私たちを素晴らしいものとして肯定することである。決して某国内流通企業大手の宣伝フィルムではない。
で、こう書いてしまうと、「これまでにも管理社会の抑圧と人間性の肯定を、未来社会を題材に描いた映画はたくさんあったじゃないか」という声が聞こえてきそうである。でも、今作のオリジナリティは、それをラストカットのように表現した事だと思う。その一点において、それまでのありとあらゆるアホらしい描写(足を手に交換したサル女→ホテル・ルワンダのドン・チードルの奥さん役とは!、両肩も顕なピート・ポスルスウェイトや、シャーリーズ・セロンのゴキブリ走法@パタリロを含む。しかし、どうでもいいが胴長の代名詞のようなパタリロとその真逆のシャーリーズ・セロンがゴキブリ走法で繋がるのだから世の中はわけがわからん)とストーリー(あのレジスタンスの指令者は誰?個々の内面にいるのか?突然のテレポーテーションは一体?!も含む)は正当化されるのだ。アカデミー賞女優であるところのシャーリーズ・セロンが前半戦ほとんどを空ろな目かつ無表情な演技で通し続けるのも、ラストのためと思えば理解も出来よう(これも、上映時間が短いからできることかもしれないけど)
で、そういうバカバカしい描写の数々も、ここまで徹していると笑って見ていることもできるようになるわけで、木の実から針がプシュプシュ飛び芝生が無数の刃になって立ち上がるところをシャーリーズ・セロンと四手女がクルクル突破していくシーンなんか、私などは腹抱えて楽しんだ。
というわけで、ベタ褒めに近い事を書き散らしているが、ほとんどの人にとって今作はただの駄作に過ぎないだろうわけで、この文章を真に受けて映画館に行ったらがっくりする可能性が高い事を付言しておく。
御裁断は(最高☆5つ)
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