ミュンヘン
この映画には3種類の「家」が出てくる。主人公エリック・バナとその家族からなる、いわゆる普通の「家」。パパが率いる大家族でかつ経済共同体たる「家」。そして、これを大きな方向に拡大していった結果としての国家である「家」。で、この作品はそれぞれの「家」のあり方を描きながら、最後は国家の「家」と普通の「家」の間の矛盾とその決定的な対立を結論として持ってくるのである。ラストシーンは国家の側に立つジェフリー・ラッシュがエリック・バナに「Come Home」と呼びかけ拒絶され、それに呼応するようにエリック・バナがジェフリー・ラッシュをディナーに誘いやはり拒絶される。
つまり、この作品はユダヤ人たるスピルバーグが監督と言う事で、大変に政治的だとみなされるのだけど、私はそれは実は表面的なものであり、スピルバーグは「宇宙戦争」に続いて「家」の話を撮ったのだと解釈している。スピルバーグの底意地の悪さは最近鋭利さを増しつつあるのかもしれない
それはともかく、表面的なお話の部分に関連して思うが、この手の対立を解決するには、力の強いものが譲るしかないと思うのだ。弱いものが譲れば、どんどん益々弱くなる。それは安定ではないと思う。最近の世の中を見ていて不安に思うのは、この、強者が譲る原理が至る所で損なわれているからなのだと思う。
映画としての今作はさすがはスピルバーグで、手に汗握って全く退屈しない2時間半である。ジェフリー・ラッシュが例によって印象的で、エリック・バナはいまいち精彩を欠いているように感じたが、どんなもんだろうか。
御裁断は(最高☆5つ)
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