ピンクパンサー
ピンクパンサーのリメイクでクルーゾー警部をスティーブ・マーティンがやると聞いて、そんなことが可能なのだろうかと訝しんだものだが、案の定本作は、ピーター・セラーズとスティーブ・マーティンの埋め難い資質の差と言うのを証明したのである。
私の思うところ、ピーター・セラーズのクルーゾー警部と言うのは空っぽのキャラクターで、お話上のミッションは存在するものの、クルーゾー自体は決してそのような事を目的にするのではなく、その場その場での刺激に反応するだけである。オリジナルのクルーゾーは変装の名人であるように、優れた技量の持ち主なのだが、無目的かつ意志を持たないゆえにその技量を正しく使えず、それがギャグに繋がっていくのだな。一方、今作のクルーゾーには明確な目的、というか意志がある(インターネットで調べものするクルーゾーなんて!)。スティーブ・マーティンは熱いのだ。けれど、その意志を実現するやり方がとんでもなく下手で、それがギャグになると言う仕組みだ(だから、今作で一番腹を抱えるシーンはアメリカアクセントを習得しようとするも上手くできなくてムチャクチャになるところである)。
で、おそらくこういうキャラクターの違いは俳優としての両者の資質に起因するのであって、どちらが優れていると言うものではないのだろう。でも劇場で映画を見始めて4本目の作品にピンクパンサー4を見て、そのアナーキーさを刷り込まれてしまった私には、今作は違和感が残ったのである事よ。
というか、実は今作にも空っぽなキャラクターと言うのはいて、それはジャン・レノだったりする。むしろこちらをクルーゾー役にすればオリジナルのテイストを残したピンクパンサーが出来上がったような気がするがどんなもんだろう?
御裁断は(最高☆5つ)
06年に見た映画へ
一覧へ