Vフォー・ヴェンデッタ
巷では今作を問題作として紹介する事も多いようだが、人を幸せにしない全体主義政府への反逆を謳う事の一体どこに問題があるのか、私にはさっぱり理解できない。というか、これを問題作とする世の中こそが問題なのではないか。
政府は全体に奉仕すべきものであって、一部の者の利益のみを追求する政府は交代させられるべきである。当たり前だ。これは、その一部の者と言うのが多数派を占めていたとしても当てはまるわけで、多数派の名の元に少数派を弾圧する事は、同性愛者や反体制派を虐殺したり、国歌を歌う事を強制する事も含めて、政府のする事ではないと思う。
しかし、そのような政府は、少なくとも過去には人々の支持を得たことがあると言うのが問題で、であればやはり「目覚めよ」と扇動するのが唯一の解決策となる。今作は、そのための破壊、と言う話。
この映画において交代すべき政府は、ナチスでありビッグブラザーであるので、見ている側としてはVの活躍に素直に快哉を叫ぶことができると思う。ただアクション主体の映画ではないので、「マトリックス」云々の宣伝を信じると肩透かしを食うかもしれない。
この映画に欠点があるとしたら、話と感情とがそぐわない事だろう。お話的には、ナタリー・ポートマンの目覚めと、革命家であるところのVと政府との間にある、血の復讐に見合う因縁を中心に描いているのに、登場人物の心の動きは、なぜかVからナタリー・ポートマンへの慕情と逆方向の尊敬の念が柱となるからだ。とはいえ、政府は人を管理するために存在するのではない、ということを思い出させるこのような映画の存在意義は常に存在するのだろうと思う。
御裁断は(最高☆5つ)
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