呪怨 パンデミック 日本語吹替版
私は通常洋画の吹替版は見ない。いや、今作が純然たる洋画かと言われると、違うような気もするが、とにかく見ないのだ。非現実の世界に入りたくて映画館に行って、外国の人達が色々するのをみるのに、何が悲しゅうて日本語を聞かなきゃならないのか。
しかしながら、最寄りのシネコンでは今作は吹替版しかやっていない。それどころか、近辺のどこを探してもやっていない。新宿まで行けばやっとなんとかなるのだが、でもこの年になって、人しかいないような新宿に、たかだか呪怨を見に行くでも無い。私にとって、この作品は映画の第一作(日本資本で作られた奴ね)があまりに面白かったから、そのお付合で見続けているだけなのだ。正直言って、日本の二作目とハリウッドでのリメイクはたいしたことなかった。
しかし、この吹替版は、想像も付かないシリーズ劣化のあり方を私に見せつけたのである。それは、声優に素人を起用した事。いや、正確に言うと素人ではなくて、お笑い芸人を使ったのである。で、これがセリフ棒読みだけじゃなくって、声の質が登場人物と全く合わない人までいる始末である。ジェニファー・ビールスも泣くよ。あんまり吹替がひどくって、湧き上がる違和感を抑えるのに精神的リソースのほとんどを使い果たしてしまい、作品の事なんて一ミリくらいしか覚えていない。こんな風にスムーズな観賞を妨げてまで話題作りをしなくちゃならないってのは、よっぽど質が悪い事を自覚しているのだろうか。はっ、その質の悪さに気が付かないように、わざと違和感でまくりな吹替を作って、そちらばかり公開しているのか?いや、冗談はともかく、作り手のやる気を疑いたくなるほどのひどい出来なのだ。こういう事を一度でもすると、観客の信頼感を失うのだが、わかっているのだろうか?
で、一ミリ程しか覚えていない作品の中身である。日本資本で作られた一作目の良さというか怖さってのは、伽椰子が言いがかりのようにいろんな人をイモヅル式に襲っていく、そのわけのわからなさの拡がり感にあるのだと思っているのだけど、今作は海外でも伽椰子が活躍するように空間的には拡がっているのだけど、主に3つある舞台の一つ一つが不必要な事までネチネチ描かれていて、閉塞感を感じさせる。広い舞台でせせこましい話。一作目の空っぽの世界がどこまでも拡大し続ける怖いイメージはどこへ行ってしまったのか。さらに、3つの舞台の絡まりがあまり良くないから、これでは単に伽椰子の羅列である。あの言いがかり感の怖さはどこへ行ってしまったのか。というか、今回の伽椰子はまるで貞子のようなシーンがいくつもあった。伽椰子は足で歩いちゃダメよ。
ということで、これが覚えている事の全て。
御裁断は(最高☆5つ)