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トロピック・サンダー/史上最低の作戦
ゲット スマート
イーグル・アイ
僕らのミライヘ逆回転
アイアンマン
ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-
ウォンテッド
大決戦!超ウルトラ8兄弟
まあしかし考えてみてほしい。この映画を観に来るのは、小さな男の子とその親しかいまい。で、子供ったって大体は幼稚園児とかせいぜい小学校の低学年だ。平成三部作が放送された時は、まだこの世にもいない。当然小さな子がいないときにウルトラマンを見る暇な大人も少なかろう。ということで、現在の客層にとってティガ・ダイナ・ガイアはエアポケットのようなもの。
そもそも平成三部作は昭和のシリーズとは世界観が全く違うので、これを同居させるにはストーリー上の大きな無理を許容しなくてはならなかったのだけれど、それに見合うだけのメリットがあったかと言うと、3体の区別のつかない私にはよくわからない。
で、そのストーリー上の無理というのは、今作の舞台がウルトラマンがテレビの中だけの存在であるパラレルワールド(というか、現実の世界がそうなんだからややこしい)に設定されている事。そこにウルトラマンのいる世界から怪獣が攻めてきて、メビウスがやってきて、で、ウルトラマンのいない世界でのティガの中の人とかハヤタとかダンとかが「オレはウルトラマンだったんだ」ということを思い出すのだ。あなたはこれまで一度もウルトラマンだった事はありませんってば(と言う設定のはず)。ということで、何とも筋の通らない強引な話が展開していく。何で自転車屋のおやじがビートル号を操縦できるんですか。
こんな設定なものだから、なかなかウルトラマンが出てこなくって、一方人間部分の演出には工夫のかけらもない。これを見たら前作の小中和哉が大巨匠に見えてしまうよ。ラスボス怪獣のデザインも醜悪。大人ファンへの過剰な目配りが媚に見えてしまったり。「ウルトラマンを忘れるな」ってテーマもある意味痛々しいし。。。
御裁断は(最高☆5つ)
ハンコック
スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ
ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝
邦題を見ているとすっかり忘れてしまうのだけど、このシリーズはミイラが復活しないと始まらないのですよ。といってもミイラはどこにでもあるわけじゃなし、でもまたイムホテップを復活させるのも芸がない。といわけで、はるばるやってきました中国へ。あれ?中国にミイラなんていたっけ?そうです復活するのは兵馬俑。敵は秦の始皇帝という、そういう話。いいかげーん。
この、いいかげんナゲヤリズムは全編に横溢しているのであります。話は一本調子。敵と味方しかいない単純でダイナミズムの感じられないキャラクター配置。最後は数勝負。イエティってなんやねん。あのー、皇帝がキングギドラになったような気が。。。それから、そんなことができるなら最後の決戦でもやれば無敵に思うのですが。。。
いや、わかるよ。レイチェル・ワイズが降板した事で、今作の失敗は決定づけられていたようなもの。このシリーズの魅力は、ブレンダン・フレーザーとレイチェル・ワイズのとぼけたアンサンブルが醸し出す間の抜けた明るさによるところが8割だったのだもの。作り手のやる気もでないってものだ。今作のイブリンは妙に艶めかしくっていけない。ジョン・ハナもずっとそこに立っているだけの役回りだったし。哀。あと、息子役のチャームの無さよ。もうちょっとなんとかならんかったのかなあ。
それから何がいけないかって、リーリンチェイの無駄遣い。カンフーの見せ場らしいところもなく、ハリウッドにおけるリーリンチェイのステロタイプであるところの残忍な悪役の再演に過ぎなくて、イムホテップには見られたミイラにされた男の悲しみなんて複雑な要素は1ミリもない。ロブ・ミンコフの爪のアカでも煎じて飲みなさい。
御裁断は(最高☆5つ)
ドラゴン・キングダム
ダークナイト
ハプニング
インクレディブル・ハルク
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
20年弱ぶりにインディ・ジョーンズの姿が拝めると思って劇場に足を運んだら、なぜかアメリカン・グラフィティが始まって、はて?と思っていたら未知との遭遇になって終わった。そういえば、途中フェルト帽をかぶったおじいさんが出てきた気がするんだけど、あれは何だったんだろう。。。
いや、冗談はともかく、ムーンレイカーのロジャー・ムーアもかくや、という老体インディでありました。まあそれは仕方ないし、ある程度予測もついていたのだけれど、まさか宇宙人の話になるとは思ってもいなかった。これまでのインディの作品は、まだ地球にUFOが無かった頃が舞台だったわけで、基調はオカルティズムだと信じて疑ってなかったのだよ。宇宙人による不思議現象の説明は、基本的には科学的合理性に基づくもので、本質的にオカルティズムとは異なるものだと思うのよ。だけれど、原爆のシーンが象徴するように、本作には科学発達の時代が舞台であって、そういう背景の中に立つ古色蒼然たるインディ。なんかやっぱりこの映画は黄昏てるんじゃなかろうか。
でも、中盤のカーチェイスのシーンとかを見ると、スピルバーグの演出がいかに優れているかががよくわかる。最近のアクション映画で、あんなに何が起っているかがよくわかり、かつハラハラドキドキさせられるシーンがあっただろうか。
それとは全く関係ないけれども、スピルバーグまで原爆をあんな風に扱っちゃうのはがっかり。星一個減じる。
御裁断は(最高☆5つ)
シューテム・アップ
ミスト
Mr.ブルックス〜完璧なる殺人者〜
紀元前1万年
きっとー、ローランド・エメリッヒはー、映画を作る時にー、けれん味のあるショットをありったけ思いつこうとするんだろうなー、マンモスの群れに忍び寄るとかさー、サーベルタイガーに鼻面かがれるとかさー、帆船艦隊が川を遡るとかさー、大勢が巨大なピラミッド作りに従事するとことかさー、ヒロインの背中に矢が刺さっちゃとかさー。で、後はこのショットを繋ぐお話をちょちょいと作っちゃってるんだろーなー。いや、何の根拠もないけどさ。何の理由もなく人が生き返る映画を見させられたんだから、これくらい言っても良いジャンね。
とにかくさー、ショットを考える労力の1/10で良いからお話作りに投入した方が良いと思うんだよねー。何の理由もなく人が生き返る映画は、あんまり観たくないんだよねー。あとさー、ご都合主義を伝説で言い換えていくのも止めた方が良いんだよねー。
いや、やっぱりねー、別にマンモスとピラミッドとサーベルタイガーと騎馬と帆船が共存してても良いけどねー。何の理由もなく人が生き返る映画はねー。
御裁断は(最高☆5つ)
クローバーフィールド/HAKAISHA
フィクサー
ノーカントリー
バンテージ・ポイント
ジャンパー
アメリカン・ギャングスター
28週後・・・
AVP2 エイリアンズVS.プレデター
一般に、三つ以上の勢力が戦いを繰り広げる話の醍醐味は、裏切りないしは同盟の形成から生ずる形勢の逆転にあるのだと思う。で、その同盟が有り得なさそうであればあるほど、形成されたときのカタルシスが強まるわけだ。前作はそのあたりをちゃんと心得ていたのであるが、今作はどうだ。エイリアンはただ人を食っていくだけ(どうでもいいが、一般に動物は身の危険があるときは餌を採る事を控えるものであるが、今作のエイリアンはプレデターが近くにいても全く気にせずに捕食活動を続けている。これが映画史上最強の生物であるところのエイリアンのする事か、とひどく残念であった)。プレデターは人間の事なんか目もくれずただエイリアンを狩っていくだけ。そして人間はただ逃げ惑うだけ。こんな風にお話のよって立つべき所に無頓着じゃあ、良い作品にはなりません。
そもそも、30年以上にわたって作られ続けているこのシリーズで、今作ではついに人間社会の只中にエイリアンが侵入してくるわけだ。人間側には一体どんな打つ手があるのか?というのが当然興味の中心になろう。それがこれじゃあただのB級怪物パニック映画である。いや、あんなあっさりした対応で処理できるのじゃあ、ただのゾンビじゃないか。映画史上最強の生物であるところのエイリアンも地に墮ちたものである。
百歩譲って今作がB級怪物パニック物だとしても、であれば逃げ惑う人物のキャラクターから生まれるドラマを描かなきゃダメじゃないか。お母さんに複雑な気持ちを持っている女の子の描写とか、主人公の少年とガールフレンドの間の恋心とか、ちっとも生かされてない。
というわけで、こんなもんでよかんべイズムに満ちあふれた今作なのでした。ラストショットも「これでお客は大喜び。うしうし」という安易さが透けて見えてよろしくなかった。
御裁断は(最高☆5つ)
ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記
こういう宝探し物の醍醐味というのは、単独では意味をなさない手がかりを組み合わせる事で、所在に迫っていくユーレカ!感にあるはずなのだが、どうも今作の作り手はそう思っているのではないらしい。すべての謎の解き方はニコラスケイジの薄くなった頭部に存在していて、必要になればそれが取り出されるのである!すごいぞケイジ天才だケイジ何でも知ってるケイジ!!でも、お客は置いてかれるのよね。そんなん言われても知らんわい、という。もうね、パリでの謎解きシーンのケイジのテンションの高さに比して盛り下がる私の気持ちよ。
しかしながら、そんな私は見どころを変えて、この映画を楽しむことができたのだった。それはね、ダイアン・クルーガー。嬉々としたオーバーアクトでケイジのまわりをはしゃぎ回るのを観ていると、ほのぼのしてくるのよね。ディズニー映画だから本当の悪人は出てこないし安心してダイアン・クルーガー以外の全てを忘れる事ができるのよ。そうすると、このなんというかトッポイお嬢様ファッションなんかとっても愛おしいじゃないですか。彼女を主役でコメディーでも作ってた方が良いよ。タートルトープさん的には、その方が向いてると思う。
ところで、自分の先祖が別にリンカーン暗殺犯だったって構わないと思う私はどこかおかしいのでしょうか?
御裁断は(最高☆5つ)
アイ・アム・レジェンド
ベオウルフ/呪われた勇者
結論から言うと、今作は反英雄映画である。主役であるところのベオウルフは、知性のかけらも見られず、すぐに自分の名前を喚き、ウソつきで、欲望に負け、下品な部下を持ち、戦いとなると服を全て脱ぎ捨てる「英雄」として描かれている。さらに、ベオウルフだけではなくて、前半に出てくるフロースガール王も類似の人物だ。これは明らかに、英雄という存在をバカにする事をテーマとして作られたものである。で、さっぱりわからないのは、何故そのような事をしなくてはならなかったのか?と言う事である。このテーマをヒロイックアクションの形式で語るのは、どう見ても娯楽映画として成立する筋ではないように思われる。私自身は、最初の方の水泳競争のシーンで「そうか!これは全部がギャグなんだ!」と見極める事ができたので、それなりに楽しめたのだが、ここをつかみ損ねるとかなり辛い観賞体験になったのではなかろうか。ロバート・ゼメキス、どうしてしまったのだろう?
以前から、CGをリアル方向に使って人間を描くと気持ち悪くなるだけなので、止めた方がよいと思っている。でも、今作の予告編を見たときには「またCG人間か。でも、このくらいCGと実写がシームレスに繋がるのなら、まあいいか」と思ったのだな。それがまさか全編CGだったとは。。。私の目ももう信頼ならんな。ともかく、モーションキャプチャーができるところは、手間さえかければほとんど本物と見分けがつかないほどになってしまっているのである。一方、水泳競争のシーンなどで如実だが、人間によるお手本が無ければやはりCG人間はただのお人形なのである。つまり、生身は未だ必要なのであって、それなら実写にしとけよ、という。
それにしても、CGとはいえアンソニーホプキンスの尻は見たくなかった。
御裁断は(最高☆5つ)
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