WALL・E/ウォーリー
私は物語至上主義者であることを表明する事に何の躊躇いもない者であるが、一方で映画は絵を見せてナンボであるとも思う者でもある。なので、今作が見せてくれる様々な絵、それは人間がいなくなってしまって荒れ果てた摩天楼の絵だったり、気の遠くなるようなコツコツした作業の末積み重ねられたゴミキューブの塔の絵であったり、消火栓で宇宙空間を飛び回るの図であったり、エンドクレジットでの美術の発達をフォローしながら後日譚を語るところとかが、どれも美しくこちらのイマジネーションをかき立てるものであることに、私は喜んで賛意を示したい。
さらに、地球にただ一人取り残され、いつか誰かと手を繋ぐことを夢みながらひたすら黙々働き続けるゴミ処理ロボットという主人公の設定はとてもエモーショナル。よくこのような設定を思いつくもんだと感心する。
しかしやはり私は物語至上主義者だ。ウォーリーが宇宙に出て後、観客サービスのため展開される地球復活の鍵を巡って繰り広げられる争奪のアクションは、決して出来が悪いと言う訳ではないけれども、しかしながらいつものピクサーのルーチンとして作られたように見えてしまう。つまり絵からあれほどセンス・オブ・ワンダーの感覚を受けられるのだから、物語からもその感覚を受けたいと欲望するのに、それは叶えられないのだ。本作はウェルメイドの陥穽とでも言うべきものに嵌まってしまったようである。ピクサーが極めて質の高い作品をコンスタントに作る能力は既に証明されている。ここで、もう一つ突き抜けたレベルに行って欲しいものだと一ファンとしては希望する。
なんといっても、起動音をMacにしてくれる会社だし。
御裁断は(最高☆5つ)
最近見た映画へ
一覧へ