97年に見た映画
96年の「最近見た映画」も見てみたいという奇特な人はいますか?
もっと奇特な方には95年の「最近見た映画」もあります
ベスト・フレンズ・ウェディング
楽しい映画です。最近のZucker兄弟の映画は恋人と二人連れで見るのにいい作品が多いですね。
僕は男女が友達になるなんてはなから信じていませんが(そういうことがあると主張する男性は嘘つきか、真実を見通す目を持っていないかのどちらかですな)、現実にはやむを得ずお友達になることもあります。だから、なんか、見ててとっても複雑でした。登場人物の誰にも一部感情移入して、あんなことも身に覚えがあって、でも、逆の立場に立ってたこともあって。
そうやって考えたら最後はハッピーエンドだったのかな。でも、今日の僕にとったら、ハッピーとは思えなかったな。ちょっとため息が出ました。
カラオケのシーン、ディオンヌワーウィックのシーンは小さな宝物のような素敵なシーンでした。特にカラオケ。あの雰囲気の微妙な変化の様子はとってもサスペンスフルで、高揚感があって、繊細だった。ルパートエヴェレットはよいキャラクターだった。僕もあんなかっこいい人間になりたいものです。
それにしても、やっぱり、僕にはちょっと痛かったな、このお話は。
御裁断は(最高☆5つ)
コン・エアー
さいですなあ、おもしろおましたで。凶悪犯ばかりが乗り込んだ囚人護送機がハイジャック!ただ一人乗り込んだ正義感はいかにこの窮地を脱するか!というお話です。見る前は、そんなにたくさん敵役のせんでも、飛行機みたいに狭い舞台装置やったらジョンマルコムビッチ一人で十分やでえ、他のやつらはプロット腐らすだけやでぇ、と思っていましたが、ところがどっこい。巧い具合にお話しを動かして、それぞれの囚人の性格付けがストーリーテリングにしっかりからんでおりました。
ただ、悪人があまりに強すぎて、正義の側の動機づけが弱くなってたのが玉に傷といえば玉に傷。どちらかといえば、主人公のニコラスケイジよりも地上で飛行機を追跡するジョンキューザックの方がカッコよかったのは、麻薬捜査官との絡みを通じて動機づけがより明確に表現されてたからでしょうね。ニコラスケイジの方の動機づけは本来妻と娘であるはずなのですが、それだと、あのプロットを転がせなかったのですね。もう少し工夫してなんとかならなかったのですかね。
凶悪犯の中に一人だけ、毛色の違う異常殺人鬼(いわゆるサイコキラー。凶悪ではない)が混じっており、彼のプロットは浮いていました。だいたいにおいて、商業映画において、浮いているプロットというものは、作り手が無理して挿入するもので、隠しテーマを含んでいることが多いわけです。さて、彼は途中で本来の趣味であるところの幼女殺しの機会を得たのに(これはサスペンスのつもりなのでしょうが、逆にお話をばらばらに分断させてしまいましたね)、意外にも殺さずにおきます。そのお陰で、彼は幸運を付与されるわけです。しっかし、そんなモラルって隠しテーマってほどでもないんだけどなあ。ほほ笑ましかったからいいんだけど。
さて、御裁断ですが、妻と子供との再会シーンの処理があまりにも臭かったので、一個星を減じさせてもらって、
御裁断は(最高☆5つ)
陰謀のセオリー
リチャードドナーはハリウッドのとても上手な職業監督だとずっと思っていましたが、実は作家性を強く持っている人なのではないでしょうか。僕は彼の作品なら、見ればそうと当てることができるような気がなんとなくしています。
陰謀史観というのがあって、すべての歴史は一部のものの陰謀によって動いてきているのだという考え方なのですが、本作の主人公は一見それ風のタクシーの運ちゃんで、のべつ幕無しに自分の考えた陰謀のセオリーを喋りまくっています。これがメルギブソンです。そう聞くと映画をちょっとかじっている人なら、リーサルウェポンのリッグス刑事とオーバーラップするでしょう。喋りまくらせれば、そこらのスタンダップコメディアンよりずっと上手いメルギブソンです。さて、リッグス刑事は作を重ねるごとに本当に漫才師みたいになってきていましたが、今回はしゃべくりまくりながら、狂気の色を示し続けます。これまででも、メルギブソンの演じた役はどこか切れたところのある役ばかりでしたが、今回の狂気は正真正銘です。見事な演技でした。タイミングがよければアカデミー賞もあるかもと思わせます。
で、ジュリアロバーツがヒロインです。彼女とメルギブソンの関係は「ボディガード」と「ペリカン文書」(でも、男女の役割が逆転)を混ぜ合わせたようなものです。メルギブソンは彼女を守ろうとするのですが、一方で彼女を頼りにもしています(つまりジュリアロバーツがペリカン文書のデンゼルワシントンみたいな役回りです。ああややこしい)。このへんの危なっかしさが、メルギブソンのいかれた演技(本当にこいつ大丈夫かなと観客に思わせる説得力!)と相まって、見ているほうは否が応でも緊張していきます。今思い返してみても、それほど派手なアクションシーンがあったわけでもないのに緊迫感は物すごいものでした。緊張感の作り方が上手いので、プロットの御都合主義なんて、どうでもいいことになりますね。見た後に僕が感じたエモーションは「リーサルウェポン」の第一作によく似ていました。素敵なことです。
ところで、前半の拷問シーン、あれは、怖かったぞー。あれで、一気に盛り上がったよなあ。思いだしちゃいました、「マラソンマン」。Is it safe ?
御裁断は(最高☆5つ)
コンタクト
最近は科学批判が大流行ですが、そういう人たちでも多くの人は心の底では科学を奉っています。そして宗教を忌み嫌います。僕は科学の世界に住んでいて(科学は好きですが奉ったりはしていません)、でも、しかし自分の本質は宗教家であると感じています。ですから宗教と科学の関係を描く映画は僕にとって人ごとではありません。
科学と宗教の融和を説くこの映画は科学批判とは対極に立つものです。むしろ科学が好きでしょうがない人でないと、こういう筋書きは書けないでしょう。カールセーガンは、「コスモス」の頃と比べると無垢さが失われましたが、豊かさが備わったような思いがします。これが科学に真摯に一生を捧げた到達点なのだと思うと、とても心が穏やかになります。
20代最後の日にこの映画を見たというのは僕にとっていろんな意味で象徴的なことです。そういえば、10年前に彼が京大で行なった講演会を見に行って感動したことを思いだしてしまいました。もう亡くなってしまったんですね。
そうして物思いに耽りながら劇場を出て、こんなことを考えているのはあんまりいないんだろうなあと思って少しだけ孤独感を覚えました。僕にとってはとても大事なことなんですが、ほとんどの人にとってはきっとどうでもいいことでしょうね。
御裁断は(最高☆5つ)
ホワイトハウスの陰謀
拾いもん、めっけ。ウェズリースナイプスの画面の引き締め方はいつも感心させられてきましたが、今回もご他聞にもれません。今作はフーダニット物としてはじまり、アクションで締めるという、まあ典型的な娯楽映画の道を突き進む映画です。我らがウェズリースナイプスはワシントンの殺人課の刑事です。で、開巻草々ダーティーハリー並に拳銃自殺の志願者から拳銃を奪い取って場をさらいます。大抵、こういうシーンは主人公の無謀さを印象づけると相場は決まっているのですが、今回は安全装置がかかっていたことを見抜いていた上での行動だということがわかり、ウェズリー君がただの無謀者ではないことを示します。なかなか渋い展開です。
で、ホワイトハウスの中で起こった美女殺人事件の捜査から、ウェズリー君とシークレットサービスのダイアンレインが陰謀に巻き込まれていきます。この前半はなかなか予断を許さぬ調子で進んでいきます。ウェズリー君はいつものように肩の力の抜けた緊迫感ギンギンでグイグイと見るものを引っ張ります。で、まあ、後半二人が追われ始め(なんとなく、秘密を握った黒人男と白人女が追われるなんて、「ペリカン文書」みたいだけど、なんせ今作はウェズリー君だから比べちゃいかんわね)、秘密のトンネルから侵入するところにかけてはちょっと凡庸に落ち気味なのですが、まあ、それなりに見ていられます。で、最後の対決シーンになだれ込んだら、これがもうカッコよくって。しびれました。近年屈指の名シーンだと思います。
よくできていました。拾い物です。この手の小粒だけど引き締まった出来のいい映画を見られるというのは正月第二弾とか、秋口にかけてのお楽しみですね。
御裁断は(最高☆5つ)
危険な動物たち
動物園の話です。タイトルの「危険な動物」とは、もちろん万物の霊長こと我々人間を皮肉っているわけですが、決してこの映画は自らの利益追求しか頭にない醜い人間の本性をあらわにしようなどという高尚な映画ではありません。はっきりいって、大笑いの映画です。もう10年ほど前ですか、「ワンダとダイヤと優しいやつら」という、これはもうキチガイみたいに笑える映画があったのですが、それの続編というか、スタッフキャストが再結集して、キャラクターやらお話の構造とか全く同じにして、舞台設定を少しだけ変えて映画を作りましたとさ。
まあ、そんなわけだから、ヒロイン、ジェミーリーカーティスを「老けたなあ、でも、胸は相変わらず大きいなあ」と思うくらいで、後は大満足。前作でアカデミー賞をとった(こういう役にも賞を与えられるアカデミー賞の懐の深さというか)ケビンクラインのアホ演技も最高ですわ。しかも、二役!企業買収に辣腕をふるうニュージーランド人(!)のメディア王とそのドラ息子。彼の演技は爪の先まで神経の走った動きで見ててほれぼれします。
主人公ジョンクリースが登場時には本性を隠しているのは前作とおんなじで、それがストーリーにダイナミックさを与えているのですが、キャラクターの変り方がすこしぎこちないかな、と思いました。最初の方に少し笑えるシーンを入れておけばもすこしスムーズだったかも。
このような面白い映画が京都じゃ一週間しか公開していないというのは残念至極。僕が見たときも劇場内には5人しかお客がいなくって、大勢の人と一緒に大笑いできたらもっとよかったのになあ。ほとんど前宣伝とか見なかったから仕方ないんだけど、この作品をちゃんと売っていかないのは怠慢だなあ。ワンダは割とヒットしたはずなのになあ。不勉強ですぞ、配給会社。
それにしても、イギリス人はあんなに露骨にアメリカを揶揄できてうらやましいことだなあ。ジェミーリーカーティスなんて、ずっとUSAってついた服を着てたぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
フィフスエレメント
言うまでもなく、リュックベッソンはフランス人でして、ヨーロッパ系の人が作るハリウッド映画というのは、やはりそれなりの氏素性を垣間見せてくれます。おなじみのシチュエーションを撮っていても、どこか複雑なひねくれ方をしています。本作は一応、地球の運命を決める善と悪の究極の戦いを左右するフィフスエレメントを巡る争奪戦なのですから、骨格はアクション映画のはずです。しかし、それにしても、それをスラップスティック風のユーモアで味付けするとは、驚きというか、フランス人だからできたというか。
まあ、そんなわけですからアクションの権化とも言うべきブルースウィリスは完全なミスキャストでした(おや?でも、彼はコメディアン出身だったはず)。彼が出て来るたびに「あ、いかんいかん。これはハリウッドアクション映画なんだ」と思って、違和感が呼び起こされるのです。それから名優イアンホルムにしても哀れな感じ。気絶したシーンなどはもうトホホです。わたしゃ、彼が現れるたびに「やめてくれー!」と叫びそうになりました。好きでやってるのかなあ?それから創造と破壊の関係や愛がどうのこうのという御託なんか、お話とはどうでもいいわけで、そういう意味ではハリウッドの流儀の強さを改めて認識したわけです。
映画としては破綻していたわけですが、見るべきところがないかというと、実はとんでもないわけで、なんといっても、あのメビウスの美術を大きなスクリーンで見ることができるというのは無上の体験です。カブトガニに蚊の顔を付けたような宇宙人やアパートの部屋とかを見ていると、ストーリーなんてどうでもいいんだって思います。だから、実は僕、この映画結構好きです。かわいい。きっとベッソン君は作ってて楽しくってしょうがなかったに違いない。それにしても楽園についたらハワイアンってのはださいぞ。
ところで、劇場はデート遣いのお洒落系カップルがめじろ押しでした。普通に考えたら映画を年に何本かしか見ない人がデートで見る映画じゃないのはわかりそうなもんですが、これが、ベッソンブランドの威力というものでしょう。でも、みんな盛大に肩をすかされたわけですね。僕はこっちがベッソンの本性だと信じます。だって、「最後の戦い」や「サブウェイ」を撮った人なんだよ。
御裁断は(最高☆5つ)
スピード2
20世紀ノスタルジア
わたくし、通常はこういう単館上映系の映画は極力避けるようにして生きているのですが、今回どうしてこの作品を見たかと言いますと、、、ウォッホン。実はわたくし最近広末命!でありまして、マックの壁紙に100種類もの広末画像を張り付けて30分に一度交換しては悦に入っていると言う状態なのです。ああ、いうてもうた。恥ずかしい。
で、広末は2人の高校生の主人公のうちの一人です。もう一人は男の子(名前はもうどうでもよろしい)なんですが、この映画は男の子側のテーマと女の子の側のテーマと2つのテーマがあって、これをうまくまとめれば一本で2度美味しい映画になっていたはずなのですが。。。。
男の子側のテーマというのは、思春期の自己嫌悪をいかにして乗り越え自分のことを認めるようになれるかというものです。年ごろの男の子というものは(女の子もそうかも知れないが)破壊衝動の塊です。その衝動が何処に向かうかは本人のエネルギーの量と環境によって決まると思うのですが、エネルギーがとても大きかったり、最近のように自己の外の世界の多くがすでに破壊されていたりすると、両者のバランスが崩れ、破壊衝動を適切に向かわせられなくなります。そういうとき、往々にして起こるのが自己破壊です。自分の中にある物をうまく外に向けられず、自らを蝕んでしまい、苦しい。思春期の少年にとって女の子はこういう自己破壊に救いの手を差し伸べてくれるものです。女の子と接しているうちに破壊衝動が根拠のないものだと気づくのか、それとも自分で破壊した部分を女の子に修理してもらっているうちにはしかのように破壊衝動が消えていくのか、いずれにせよ、そうして男の子はなんとか折り合いを付けていくものです。僕にもそういわれると覚えがあります。
さて、女の子側のテーマはずばり恋愛です。自分のもとから去っていった少年に苦しみ、彼の心を理解し、少年をとりもどすお話しです。
おそらく、この2つのテーマは最初は等価なものだったのではないでしょうか。しかし、実際につくってみると、おお、どうしたことか、あまりの広末のずぬけた魅力のせい(これは決して贔屓目だけではないと思っているのですが、いかなもんでしょう)と、男の子役の俳優(再び、名前はどうでもよろしい)のあまりの軽さ、うそっぽさのためにバランスが非常に悪くなってしまっています。ここまで来ると、みていた僕には男の子側の論理がうるさくって邪魔なものでしょうがありませんでした(広末命!のせいだけじゃないと思うんだけどなあ。僕が男の子のせいってのはあるかも。男の子が自分のことを嫌いだからってウジウジ言ってる話をええおっさんが見てもあかんのかもね。それに、あの男の顔には魅力がまったくない。厚ぼったい瞼とひねまがった唇。それが、あの宇宙人うんぬんのせりふと相まって、うーむ、軽薄だ)。このアンバランスはひょっとしたら作ってる側にも予想外だったのかもしれませんけど。
それにしても、全編ビデオによるセルフ映像のオンパレードでした。自分を映すことは自分のことを知りたいと思ってのことでしょう。自分を知りたいというのは、人間として当然のことですが、それにしても自分のことにしか興味がないのではないかと思われるほどのセルフ映像というのは、見ている側にしてみれば面白くも何ともない。広末でなかったら到底間がもたないぞ。こういうのがいい映像だと思うのはマスターベーション的な弱さだと思います。さて、自分というのが、本当に自分の肉体だけを意味しているのは若い時期だけです。本当の自分とは自分の外にも広がっているはずなのです。ずーっとビデオカメラで自分と相手を撮影し続けた少年と少女は最後の再会以降はカメラを持ちません(正確には親が取り上げる)。こうして、彼らは若さから卒業していったのでした。この締めくくりはなかなかよかったと思います。
とっころで、15、6歳の女の子はほんとうにすっごく顔が変わるんですね。確か何年かにわたっての撮影らしいんですが、それにしても別人のような顔をしているところがあってカットで繋がれるとびっくりでした。でも、むっちゃ、かわいかったよーん。
御裁断は(最高☆5つ)
スクリーム
この映画はスプラッタ系ホラー映画ということで、昨今の社会情勢に鑑みあやうく御蔵入りの憂き目を見かけた作品です。いやー、誰か知らないけど、こいつを救い出してくれた配給会社の人に世の映画ファンは足を向けて眠れませんぞ。
ところで、実は今回僕は劇場に行く前に、好意的な映画評を先にたくさん見てしまってたんです。普通はこの手の映画は劇場に行く前に事前情報があればあるほど劇場で純粋に作品にのめり込むことができないもんなんです。「世紀のどんでん返し」という宣伝文句一つのせいで、どんでん返しが出てくるまで「どうせ、こんなの前フリさ」なんて思った経験があるでしょう?今回僕は素直に見ていれば誰が犯人かは予想がついていたはずなのに、「面白い」と言う評判のおかげで、逆に過剰に構えて見てしまい、もう主人公以外の人物が全員犯人に見えてくる始末でした。おかげで、とってもハラハラドキドキできました。事前情報がいいほうに働くこともあるんですねえ。
監督ウェスクレイブンの最大の才能はヒロインのキャスティングだと思います。「エルム街」のヘザーランゲンカンプや「壁の中に誰かいる」の名前よく知らない女の子とか、彼の作品のヒロイン達は表情一つで、特にはかなさを漂わせた眼が不安をたたえた時、観客の心をぐっと捉えて放さない。これだけで作品はあらかた成功したも同然でしょう。もちろん、作りこんだプロットやつぼを押さえた演出も素晴らしいものです。
ところで、タランティーノのこと、嫌いなのかなあ?
御裁断は(最高☆5つ)
バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲
アンチヒーローには2種類あって、やってることはワルなんだけどついつい拍手喝采してしまうタイプと、正義の味方然としているけど本音のところは屈折している暗いやつで、理念としての正義など本当は信じていないタイプの2つなんだと思うのです。しかして、前者はゴジラやターミネーターが典型で、後者の典型といえばティムバートンのバットマン、ひょっとしたらハンソロもこのタイプなわけです。アンチでないヒーローというのはスーパーマンにとどめを刺すといえば、違いがわかりやすいでしょう。
で、今日の考察は「なぜアンチヒーローはアンチヒーローのままでいられないのか?」です。今あげたキャラクター達は、作品がシリーズ化するにつれ、ことごとく脱アンチ化していきました。これは、どうして?
思うに、アンチヒーロー達が戦っているのは他ならぬ自分自身であり、自己矛盾の解消がアンチヒーロー物の唯一のテーマだからということなのでしょう。そこの君、それはいい質問です。確かにゴジラやターミネーターは単なる破壊者であって内部的に矛盾などないように思えます。しかし、彼らの成り立ちを考えてみれば、彼らが自分自身の創造者と戦っていると言う自己矛盾を犯しているのです。例えばインデペンデンスデイの宇宙人にアンチヒーロー性を見いだす人は奇特でしょう。さて、自己矛盾の解消が映画のテーマなので、幕が下りるときには当然に自己矛盾は解決されているのです。当然2作目を作るときに同じテーマは蒸し返せない。そこで、アンチヒーローは明るいヒーローに成り果てるというわけです。自己矛盾を解決しないままに作品を終わらせても平気なのはオタク王ティムバートンくらいなもので、バットマンは2作目でもアンチヒーローのままでいられた希有な例なのです。
とはいえ、もう4作目ですわ。いまや自己矛盾などどこにもなくなったバットマンの今回のテーマは家族。内側の問題を解決するために外側に問題を探すという、あの常套手段ですな。いやはやこれが消化不良でして、父親代わりの執事アルフレッドはかっこいいんだけどプロットとして煮詰め方が足らず、特に物語の縦糸のシュワ扮するミスターフリーズ(ところで、どうしてドクターフリーズじゃない?)との戦いとの絡みが申し訳程度にしかないので、浮き上がりまくり。せっかくおいら御贔屓のふてくされた唇がとってもセクシー、アリシアシルバーストーンちゃんもなにしに出てきたのかさっぱりわからず。いや、おじちゃんとしてはムチムチバットガールの衣装とか高校の制服姿とかは楽しかったんだけどさ(ヘレンスレーターのスーパーガールも好きだったぞ、おいらは)。
前評判の高かったシュワにしたってたいしたことなかったなあ。今回のファーストロールは誰がどう見てもユマサーマンだぞ。
ま、しかし、グタグタ言ってきましたが、バットマンの本質はアメコミだから。ジョエルシュマッカー作の三作、四作のほうを楽しむほうが正道ですぞ。そういう意味では相変わらずのテンション高いシーンの数々で面白うございました。
御裁断は(最高☆5つ)
乱気流
女性版ダイハードにエアポート75を加えてシェイクして、エグゼクティブデシジョンをトッピングすれば、この映画が出来上がります。お味は?実はなかなかいいお味なんです、これが。コンエアーのようなお味がしたと思ったら、それは間違いですからねー。
イラブ顔したレイリオッタ。少しイッチゃってる殺人鬼をやらせたら向かうところ敵なしです。「不法侵入」の頃から比べると随分太って頬の下に肉が付いて、ますますイラブに似てい。。じゃなくて、ますます憎たらしさが高まります。終盤近く、主人公が反撃に転じるところでついつい快哉を叫んでしまいました。いいぞ、レイリオッタ!悪役道をこの調子で極めてくれい。
この作品は、男を見る目が無い女の子が、そのおかげでひどい目に遭ってしまい、結果として見る目を手に入れる話です。主人公の同僚で男を見る目のあるスチュワーデスが出てきて、一目でレイリオッタの本性を見破ってしまいます。このキャラクターが対比になって主人公の性格付け(ついつい男にだまされてしまう)がよりハッキリと表現されているので、主人公が劇中で合理的でない行動をとってピンチに陥ってしまうのも、見ているほうとしては説得されてしまいます。よく出来た仕込みだと思います。まあ、隠しテーマがそういうことなので、ハンサムなレイリオッタよりも普通の男であるボーエン機長がほとんど出番はないにもかかわらず、最後をさらっていくのは当たり前です。やっぱ、男の魅力は見掛けや口先じゃなくて、仕事ができるかどうかだわさ、ということで、みなさん希望を持って生きていきましょう。
エンドタイトルの処理も大変好感がもて、よくできた映画の余韻を楽しむことができました。
ところで、上映をまつ劇場では普通ムード音楽がかかっているのがノーマルだと思うのですが、今日は空港の出発ロビーのSEをかけてムードを盛り上げていました。あげく、上映のアナウンスが離陸時のアナウンスを模していたりして、なかなか気の利いた事でした。で、これって、松竹系の劇場では日本全国でやっていたことなんでしょうか?それとも、僕が見た京都松竹座の洒落っ気だったんでしょうか?どなたか知っている人がいたら教えてくださいな。
御裁断は(最高☆5つ)
スター・ウォーズ ジェダイの復讐 特別編
これで、特別編も最後です。連続してみるとルークの成長がよくわかります。こうしてみると、やっぱりルークが断トツの主役なのですね。ジャバをやっつけるところなんて、完全に一人で戦ってます。強くなりましたね。
この作品は三部作の中ではいちばん出来が悪いでしょう。そもそも折角破壊したデススターがもう一度でてくるなんて興醒めですし、どうも全体を貫くトーンが間抜けに過ぎます。今は亡きリチャードマーカンドはコミカルな味付けをしたがったようですが、間抜けはいけません、間抜けは。ボバフェット、お前の死に方情けないで。ずーっと、もったいぶってええカッコしてたくせになあ。それから、イウォークですわ。かわいいコアラの縫いぐるみで女子供の・をグッとキャッチーなんて、古くさいセンスやめなはれ。あー、もう、ハリソン君、松明フーフーしなさんな!。
それでも、ラストシーンの音楽とシーンの数々が大幅にグレードアップして品格も大変よくなりました。感動もひとしおです。特別編の中で、最も劇的に作品の質がよくなったのは本作でしょう(そりゃあ、もともと問題が多いんだもんなあ)。作った甲斐があったというものです。
それにしても、作品の質とかけた手間との間の関係は飽和曲線にあるといえるでしょう。ですから、もともとよくできていた作品を手直ししてもそれほど見た感じは変わらないのに対して、出来が悪かったものほど手直しのコストパフォーマンスは上がる。当たり前だけど、実際そうだということがよくわかりました(してみると、ロジャーコーマンは結構正しい)。
さーて、盛り上がったところで次の三部作が早く完成しないかなあ。早く見たいぞクローン戦争!!
御裁断は(最高☆5つ)
スター・ウォーズ 帝国の逆襲 特別編
おもえば、劇場で見たのは最初の公開以来だから17年ぶり。僕にとって三作の中で最も御無沙汰していて最も劇場で見た回数が少ないのが帝国の逆襲です(テレビやビデオやLDでは何度もみているけど)。そのせいかわかりませんが、とても新鮮に見ることができました。最初にみたときは僕はまだ12歳。大人ぶっていた僕はわかっていた気になっていたけど、実はよくわかっていなかったハンとレイアの恋模様が今日は身にしみました。やっぱ、ハリソン君はしっかりした俳優だったのね。別れのシーンを計算して最初から演技していたんだね。効きました。
帝国の逆襲ってルークはじめ反乱軍が負け続ける話じゃないですか。最初に見たときは、あのスターウォーズの続編なのにどうしてこんなに楽しくない映画なんだろうと思ったものですが、やっぱり今回見ても一作目の無邪気な楽しさは感じられませんでした。光と影が織りなす神話的ともいえる映像の数々は監督がルーカスじゃなくなったのが大きいのでしょう。こっちをみることでも如何にルーカスがSFオタクだったかがよくわかります。でも、負け続ける話だからこそ2作目は独特の雰囲気を作ることができて、記憶に残る作品になったんですね。もし、2作目がこういう雰囲気の作品でなければスターウォーズはシリーズ化されていたかどうか。。。
今回も新しくなったシーンを指摘するのはやめにしますが、僕が三部作の中で一番きらいな、義手をつけたルークがレイアと渦巻き銀河を眺めるシーン(だって、なんかイメージがありきたりなんだもん)が直ってなくってがっかり。みんな、気にならないのかなあ、あのシーンの古さが。
ところで、今日は僕の長い映画鑑賞歴の中で始めての経験をしました。100人しかはいらない小さな劇場だったとはいえ、エンドタイトルが終わって劇場の明かりが点くまで、一人も、いいですか、ただの一人も席を立たなかったんです。もう、多分一生こんなことはないでしょう。
御裁断は(最高☆5つ)
スター・ウォーズ 特別編
思えば、今は無き大阪梅田の阪急プラザ劇場で生涯三本目の洋画としてスターウォーズを見たのは、まだ僕が10歳の時でした。あれから20年。僕が最後に劇場で見たのは日本語版でしたが、それからでも15年。こんなに時間が経っているのに、いまだ新鮮に楽しむことができるというのは驚愕の一言です。
いろんなシーンがリニューアルされていますが、いちいちそれをあげつらうのは他の専門的なページに任せるとして、もっともよくなったと思うところだけ触れます。それは字幕です。最初の公開時には翻訳者にはよくわからなかっただろう背景世界について、ずいぶん理解が進んだようで、今回の字幕はクローン戦争についての言及があったりして、本作だけを見てもちんぷんかんぷんなセリフまでちゃんと字幕にしてくれて、マニア心をくすぐります。それから、音質も向上しましたねえ。ジャワがR2-D2を襲うシーンの音場ったらやりすぎなくらいでした。
でも、ライトセーバーの色落ちのシーンやトラクタービームのパワーを切るときにアルファベットが写りこむなど、ミスカットが一掃されているというわけではないようです。どうせなら、直しておけばよかったのにね。まあ、別に直したから出来がよくなるというようなミスでもないんですけど。うーむ、今日の感想はマニアックだぞ。
アレックギネスとピーターカッシングが本作の成功にいかに重要な存在だったことでしょう。こういうのは子供の頃にはよくわからなかったのですから、特別編もそう悪くないものですね。それと、もう一つ。今作が最もスペースオペラ的であることにも気づきました。拷問装置のキッチュな魅力にクラクラ来ましたね。考えてみれば後の2作の監督は普通の職業監督ですものね。やっぱりルーカスはマニアだったんだなあって、これも今だから思える感想。
御裁断は(最高☆5つ)
誘拐
日頃、僕が邦画を敬遠しているわけは、「同朋のことはやはりよく知っていると見えて、演技の荒さや演出のウソ臭さが、洋画と比べるとどうしても目に付く」せいだと思うのです。こういうのはどんなに期待を持って見に行き、そして期待に違わぬ出来であったとしても、邦画だとかならずつきまとい、特に冒頭部で深刻な拒絶反応をひき起こします。そのかわり、やはり同朋のことはよく知っているわけで、微妙な感情のあやなどは洋画と比べるとはるかにビビッドに伝わってきます。僕にとって邦画の評価ポイントは、いかにして最初の拒絶反応が緩和され、物語に入り込んでいけるかなのです。
で、渡哲也なのですが、素晴らしいの一言につきます。冒頭の、寝坊して身支度を整えているシーンの軽妙な演技から、現金を運ぶ必死の形相、そしてラストシーンまで、完全に場をさらい続けます。おかげで永瀬正敏がこちょこちょ演技する前半戦の拒絶反応をぶっとばしてくれました。こうなれば、犯罪物としてのストーリーは骨格がしっかりしているので、少々クサイ演出が現れても平気に走り続けるパワーある映画ができました。実際、この映画に投入されたパワーはかなりのものだと思います。特にモブシーンです。やはり、テレビカメラに身代金の引き渡しを中継させるというアイデアが本作を勝利に導いたのでしょう。百人以上いるだろうカメラクルーを引き連れ、鬼のような渡が走る!動きは映画のカタルシスです。大勢の人間が走り続けるこのシーンを真正面から本腰入れて撮影した東宝はさすがです。事件解決に至るまでの捜査シーンもテンポよくまとめてあり、テーマも訴えかけてくるものがあり、娯楽映画としてかなりの水準であると太鼓判を押します。
ところで、こんなに素晴らしい映画なのにお客さんは少なくとも人生半ばを越えていると思われる方々ばかりでした。まあ、渡を見ようという人は最低でも「西部警察」世代でしょうから致し方ないのかもしれませんし、宣伝も少し前時代的な色がありましたからね。それにしても、現代の学生諸君!こういう映画を見ても若い君達には、きっと、渡の演技の本当のところ、本当のテーマまでは理解出来ないだろうけど、でも、見ておくとわからないなりに絶対記憶に残るはずだぞ。で、そういう理解出来なかったけど頭に残っているものの多さが人生の豊かさを決めるのだぞ。こういうものが神戸の事件を未然に防いでくれるものなんだよ。
御裁断は(最高☆5つ)
レリック
まあ、そこそこ面白かったけど、きっとすぐ忘れてしまうぞ。ホラーファンにはいいけど、その気のない人には、絶対お奨めしません。
御裁断は(最高☆5つ)
ロスト・ワールド ジュラシックパーク
世の中には「見るべきところしかない映画」というものがあるです。もちろん、映画は視覚芸術であるからにして、「見るべきところのない映画」より、ずっとましだというのはそのとおりなんですが、アクション映画には最低限のハラハラドキドキがほしいなと思うのです。
サスペンスをひきだす隠し味にユーモラスなシーンを挿入するというのは古典的作劇術です。ただし、ここは重要な点なのですが、あくまで危機に晒された登場人物の切迫感、焦燥感を表現しようという枠組みを壊さない限りにおいてです。サスペンス映画におけるユーモアとは、危機を回避しようとして全力を尽くしている登場人物にシチュエーションが降りかける皮肉なおかしみでなければならないのです。しかるにスピルバーグのユーモアの理解はあまりに単相的で繊細さに欠けます。彼にとってユーモアは「1941」のようなドタバタという形しかありえません。さあ、スピルバーグ先生本作でも教科書どおりにサスペンスシーンにユーモアを混ぜてきました。登場人物達がティラノザウルスを前にしてドタバタするわけです。三波春男の言とは違った意味でお客様は神様です。危機を前にして自らバカなドタバタをやっている登場人物が死んでしまっても別に関係ないですから、高い視点から超然として見てしまうわけです。でも、これってサスペンスの観客としては大変な不幸です。お客様が「こうすれば安全やのに、なんでやらへんねん。アホやな」と思ってしまったら興ざめ、アクション映画はお終いだということです。これを防ぐにはいかに登場人物の行動の自由を奪うアイデアを脚本の中に投入するかです。その結果としてユーモラスなシーンが生まれれば成功。そうでなくても、そこはそれなりです。
この点で本作の脚本と演出は手抜きの見本のようなものです。脚本についてもちょっと言えば、原作の質が非常に低かった(前作の単なる複製)というハンディをしょっており、なんとか原作のストーリーを壊さないで新機軸を打ちだそうとしたというのは理解出来るんですが、なんとも中途半端なお話になりましたね。編集もひどいもんで、ただ撮影したシーンを意味も考えずに繋いだだけだから盛り上がりも何もあったもんじゃない
それにしてもスピルバーグはどうして名監督だったのだろうかということを考えてしまいました。「子供の純粋な心を今でも持ち続けている」というのはよく彼を形容する言葉として使われますが、僕にはどんどん退行していく一方にしか思えません。大人性と子供性のバランスを大きく欠いていると思います。それから彼はブサイクなヒロインを使うことでも定評がある所ですが、今回も期待に違わずひどいもんです。
悪口ばっかり書いてるように見えますが、最初にも書いたように見るべきところはあるんですよ。特に狩りをするところの疾走感、ダイナミズム。あれは傑出したシーンだ。素晴らしかった。500円くらいなら払う価値あるぞ。どうせ、ジュラシックパーク3を作るんだろうから、あそこを基盤にして話しを作ってほしいものだ。
御裁断は(最高☆5つ)
スペース・ジャム
マーズアタック!
あーあ、なんだかなあ。コメディじゃなかったの?この映画。おいら、ティムバートンって理解出来ないや。ID4の方がまだましだってんだからやんなっちゃう。手間も掛かってるし、超豪華キャストなのになあ。ゴジラまで出てきているというのにもう。世界を救った少年はティムバートンの分身なんだろうけど、なんか、あれじゃ、埋もれちゃってるだけだねえ。ジャックニコルソンがきつすぎるから、どうしてもそっちに目が行っちゃう。映画の完成度を追及しようとするならミスキャストなんだろうな。でも、興行的側面を考えると、他の役者じゃまずいんだろう。むずかしいところだ。火星人もすぐに飽きたな。あれなら、予告編で十分。
話は変わるけど、今のハリウッドなら、もういつでも巨大ロボットアニメの実写化が出来るね。だから、どうした?
御裁断は(最高☆5つ)
ファースト・コンタクト
ニュージェネレーションの映画って前のも今回のも面白いなあ。ちゃんとエンターテイメントな映画になってるもんなあ。オリジナルストーリーの映画版は出演者たちが爺さん揃いだったこともあってトレッキーの懐古趣味に訴える部分が大で、その分映画としての質を損なっていたと思うのね。ストーリーは宇宙の危機の癖に実態はカーク以下エンタープライズクルーの銀河漫遊記(仲良し爺さんたちのもたれあい会話を主とする)になっちゃってて緊迫感のかけらもない作品が、特に後半目だってたもんなあ。それから、やっぱウィリアムシャトナーに比べるとパトリックスチュワートの方がずっとうまい俳優さんだってことが大きいのかな。本作はドラマの部分がしっかりしているという印象を受けました。最近では貴重な正統派宇宙映画ですので是非この調子で続いていって欲しいものです。
まあ、もちろんエンタープライズ内のストーリーと地上でのストーリーがまったく絡まないという珍しい構成に文句を付けるのも可ですが、僕にはここの配分は感じよかったです。優性戦争後の地球の人々のファッションセンスの悪さは御愛嬌。いまさらロックンロールでもないでしょうに。まあ、典型的アメリカ人のセンスったらこんなもんかも。それにしてもファーストコンタクトのシーンは感動させられたりしました。やっぱり僕もトレッキー。
それにしてもボーグです。西洋の人たちの集団主義、反個人主義への恐怖感嫌悪感(これは特にナチスへの反動として、第二次大戦後、社会の意識として自己強化されてきた結果のようにも思うが。本当は西洋に本質的なものではないのかもしれないと最近思う)といえばいまさら指摘するまでもないわけで、この手の敵は例えば、エイリアンやガメラ2の敵のレギオン、それから今度作られる「宇宙の戦士」の敵の蜘蛛型異星人など枚挙にいとまがありません(ひょっとしたらカミカゼやベトコンもこの類かも)。こういうものの自然界におけるモデルは、アリ、ハチ、シロアリ等の社会性昆虫です。ボーグはその中でも最も社会性昆虫的でしょう(恥ずかしながら本職でアリの研究をしているわたくしです)。エイリアンにしてもあいつら一匹一匹が強くって、しかも凶暴であるという個性もあって個体の重要性は損なわれていないわけ。それにくらべるとボーグは個体なんてどうでもいいの。よわっちいし。しかも、あいつらってば人間に敵意を向けることさえしないし、個体レベルでは意思さえ見られない。こいつらったら個人主義の最大の敵なのよ。
でもね、結局それはボーグの一人一人を個体と見てしまう人間側の認識に問題があるわけね。ボーグクイーンも言うように、ボーグは全体で個なんだし、個は全体なんだもん。いったいそれの何が悪い!
御裁断は(最高☆5つ)
身代金
誘拐犯と子供の父親の丁々発止の頭脳戦を期待していた私がバカだった。もっと、ウェットなお話しでした。メルギブソンは子供愛しさに狂ったただのオヤジでした。まあ、それはそれで緊迫したストーリーにはなりましたが。今日は僕はまだ親の情念がわかるほどの経験を積んでいないことをいろんな意味で思いました
すいません。この映画になんの恨みもありませんが(でも全く無関係でもない)、個人的な事情から、ちょっと今日は考え事してるので感想はこの辺にしときます。
御裁断は(最高☆5つ)
ラストマン・スタンディング
こう、井戸に石を投げました。ひゅーーーーーーーーん、カランカランカランっていう感じ。ウォルターヒルにライクーダーだから仕方ないやね。まあ、それが好きで見にいく僕のような人もいるんだからねえ。それにしてもあんまりの乾きようではないですか。金だけが目的の用心棒が哀れな女たちへの同情から個人的な戦いに巻きこまれていくという、本ネタとは打って変わったなんとも湿っぽい話の癖に、乾いちゃって乾いちゃって。ウォルターヒルの映画は湿っぽさをハードボイルドで包み隠すところに面白さがあるんだけどな。最近は乾ききった作品ばっかりでどうもな。ブルースウィリスは悪人って感じがしないぞー。クリストファーウォーケンと役どころを交代すれば、きっと面白かったと思う。
御裁断は(最高☆5つ)
パラサイト・イブ
この映画の原作は僕が見るところ、理系科学者の女性コンプレックスの話(「あー、もう、女っていうのはどうして論理的でないことばっかり言って僕を困らせるんだろう。ん?こいつら、ひょっとして人間の皮をかぶった別の生き物じゃないか?そう考えたら、こんなに理解できないことをするのも説明できるな」というやつ)だったと思うのですが、映画製作者の手にかかるとこれが立派に女にウブな科学者の純愛物語に変貌するのですから、面白いものです(男同士だってわかりあってないじゃないか!)。
健闘していると思います。カタツムリのシーンとか(アイデアは秀逸だが、子供に作品のテーマをまんましゃべらせたり、鳥がカタツムリを食べるシーンをことさら恐ろしいものと描いてみたり、ドラマとしての処理は拙いと思ったが)、編集でも音を落してみたり、時間順序をかなり複雑にしてみたり(やっぱ、最後にあれをもってこられると、感動するなあ。この映画は原作に無いオリジナリティを加えたというこの点で評価できる)、キチガイになった三上博史(こういう役はうまいねえ)といい、頑張っています。まあ、欠点はたくさんありますよ。日本映画だもん。資源がそれほどあるわけでなし。まず、稲垣吾郎と萬田久子と別所哲哉と葉月里緒奈の演技を何とかしてくれい。葉月さんが死ぬまでは、こっちが恥ずかしさで死ぬかと思ってしまった。やっぱ可愛い若妻はないんじゃないのー?それから、あそこまでやって葉月さんの胸を隠すとは何事!!スペースバンパイアを見習いなさい!!!それから、一つ一つのシークエンスを長く引っ張り過ぎる。見るべきアイデアもないシーンをだらだら見せられるのは辛いのだ!あと、細かい点では病院で二人目に燃えた掃除女のシーン。ああいうのを入れるから、折角盛り上げた恐怖のムードが台無しになってしまって、また一からやり直しになるではないか。他にもそういう映画的感情を阻害する夾雑物が目についた。何のためにあるショットを入れるか、よーく考えてからやるべきだと思うぞ
ところで、中島朋子が学会講演の練習をするところ、それじゃ、まるでセリフを覚えてるみたいやんか。ちょっと笑っちゃった。あの中島朋子になら食われてもいいぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
エビータ
えー、お恥ずかしながら不肖中田このところ不勉強でありまして、本作がアンドリューロイドウェーバーのミュージカルだということをついぞ知らずに劇場に足を運んでしまいました。で、いきなりバンデラス君口パクで歌いだしたからびっくりしちゃった。でもね、今作は映画のカタルシスを存分に味わうことのできる素晴らしい作品でした。普通舞台の映画化といえば、映画人のエゴやプライド(「舞台がなんじゃい、映画の作法で料理してやるわい」)が入ってきて折角舞台用に純化したお話しが散漫なものになりがちですが、さすがはアランパーカー&オリバーストーンは手練れの者共、見事に台詞を切り落として歌だけでストーリーを展開していきます。しかし、もちろん映画にはライブの迫力はないので、それだけでは舞台を上回る作品はできようはずもありません。悪くすると歌の途中でお客さんはダレ始める可能性さえあります。しかし、ここでも連中は手練れです。登場人物の表情や、シチュエーションを表わすショットを見事にカッティングしてき、また一枚一枚のショットのクオリティーの高さが僕たちを飽きさせません。ここで、この作品は台詞に頼らずしてストーリーを語るという映画として最も純粋な理想の形をミュージカルの映画化を逆手にとって成功させたのでした。これこそが映画のカタルシスなのです。
ところで、あたしゃ不勉強なのですがバンデラス君の役柄は舞台から存在していたのでしょうか。あの、バンデラス君の熱や視点はオリバーストーンの持つ資質のように思え、ひょっとしてこのキャラクターはストーンの創作かとも思ったのですが、あまりにも歌いすぎなので、この役なしに芝居が成り立つようにも思えないし。。本当のところどうなんでしょ。舞台が見てみたくなったのははじめての経験です。
それにしても、このバンデラス君の視点がこの映画に大きな深みを与えています。結局、人や世の中は複雑です。複雑なものをきちんと捕えるためには常に二つの両極が必要で、二つをバランスすることでしか実現できないんです。そういう意味でエバペロンが死の床でバンデラス君と様々な舞台で踊るシーンがこの映画のクライマックスであることは言うまでもないでしょう。両極はここではじめて手を取りあい、踊り続けます。そうして、バンデラス君は影に退いていき、エバペロンは世界から退場していったのです。この構造に僕は深く感動しました。
さて、最後になりますがエバペロンの最初の男になったタンゴ歌手。おいら、君に同情するよ。
御裁断は(最高☆5つ)
さまよう魂たち
マイケルJフォックスは空虚の俳優だと思います。彼はよくドタバタコメディに出演してはその小さな体と童顔を利用して人気を博してきたものですが、実は彼の本質を作るものは驚くべき大きさの空虚さなのです。ドタバタ演技はその空虚さを埋めるためのものだと解釈するのがよろしいでしょう。よーく思いだしてみましょう。「ブライトライツビッグシティ」、「カジュアリティーズ」、それからおそらく「バックトゥザフューチャー2」などに見られる、悲惨な状況に遭遇したときに見せるあの虚脱の表情。どこも見ていない眼。あのような演技ができる俳優はこの人をおいて他にないでしょう。思えば、バックトゥザフューチャーの第一作にしても失われていく自分をとりもどそうと悪戦奮闘する物語でした。彼の空虚さは僕の琴線を揺さぶります。泣いちゃったなあ(例によって泣く映画ではないのだが)。インデペンデンスデイを見て食い足りないと思ったあなたにはお勧めです。ピータージャクソン監督だからニュージーランドのきれいな風景も見れるし。
それにしても洋の東西を問わずして幽霊物には秀作が多いのは一体なぜだろう。
ところで、FBI捜査官は久々に現れたキレキレキャラクターだなあ。映画の本筋にマッチしてるかどうかはともかく、おいらは好きだぞ、ああいうの。
御裁断は(最高☆5つ)
デイライト
最近スタローンさんったらほんとに肩の力が抜けてて素敵。今回も感情の表出のあまりない役柄を淡々とこなしており(それしかできないんやという突っ込みはナシね)、感動を誘います。泣きわめくランボーは一体どこに行ったかというような変わりようです。シュワちゃんといい、アクションスターが試行錯誤の末、己の収まりどころを理解していくさまには感慨深いものがあります。面白い映画でございました。
思えば、幼少のみぎりは、パニック映画全盛の頃。ポセイドンアドベンチャーやタワーリングインフェルノを見て、えらく感動したものです。それと比して、今回物足りなく感じたのは2点あります。1つは、残された人々の脱出過程があまり積極的でなかったことです。みずから死中に脱出路を切り開くというよりか、逃げ惑ってたら偶然出れちゃったというストーリー展開は残念です。もう1つはトンネル外のドラマが消化不良だったことですね。人の命など屁とも思わないお偉いさんが出てくるのは定番ですが、こいつが悪役としてちゃんと機能していないから、外でも行なわれているはずの救助活動とスタローン達の悪戦苦闘がつながらず、結果として脱出が御都合主義的だったという印象を強めます。
帰りのエレベーターの中で、この映画を「ただ逃げ出すことだけが目的のくだらない映画」といって、批判していた若い姉ちゃん達がいたのには、少し悲しくなりました。まあいいけど。
とか、なんとか言ってますが、楽しく見れました。わたしゃ、前半泣きっぱなしでした。最近、涙腺が緩みっぱなしだなあ、まったく(あの、一般的に言って泣く映画ではありません。念のため)。
御裁断は(最高☆5つ)
グリマーマン
うーん、凡庸というか、なんというか。セガールさんって自分の色を出そうとすればするほどつまんないね。沈黙の要塞がそうだったでしょ。環境問題を絡めたもんだから、お話しが破綻しちゃってたじゃないですか。今回も元すご腕軍人で仏教徒の刑事って、それ、まんまやんって思ってたら案の定みどころのあまりない映画が出来上がりました。まあ、セガールさんの動きをみられればいいやって観点もありますから、いいんですけど。なーんとなく、全体の画調が暗くって、お前ら、ニューヨークの映画人かって感じでした。やーっぱ、能天気に強いセガールさんの方がいいなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
評決の時
法は人を守るためにあるのであって、法自体は目的ではない。おそらく、こう思っている人は弁護士をやっていけない現実があるのでしょう。本作は元弁護士の売れっ子作家ジョングリシャムの処女作の映画化です。メッセージは明らかです。
話は変わりますが、僕は原付きに乗ってこの映画を見に行ったのですが、駐禁を切られてしまいました。僕は原付きや自転車は一人の人間が移動するという目的からすればとてもいい乗り物だと思います。場所もとりませんしエネルギー効率も大変いい。そして人の自由な行動範囲を非常に大きく拡げてくれます。法は人を守るためにあるのであって、法自体は目的ではない。このことをもう一度繰り返しておきましょう。
最近思うことがあります。人が正義を信じられなくなって随分たつような気がします。僕たちは正義をこの世から追放した世代の人々の責任を責め立てなければならず、そしてもう一度失われたものを取り戻さなくてはならないと思うのです。このとても辛い作業の中で出あったこの映画は僕には大事な映画です。
少し脱線しましたね。今回は実生活での問題を重ね合わせながら見てしまいました。読み流してください
そうですね。グリシャム物の中では「依頼人」の方がよく出来ているのでしょう。でも、原作の持つ性質、特徴、もしくは価値は映画化を通しても決して失われていないと思います。おそらくある程度の年齢に達した男性ならこの映画は非常に訴えかけてくるものだと思います。それから、僕は原作を読むことを強くお勧めします。
最後になりますが、アメリカのような弁護士の跋扈する社会にはなってはいけないと思います。まだこのようなお話しが日本から出てきていないことをうれしく思います。
御裁断は(最高☆5つ)
インデペンデンス・デイ
この監督の前作スターゲイトのテレビ放映の時、僕は「まあ、インデペンデンスデイもあるし予習しとこうか」と思って見始めたんですが、30分ほどしか耐えられませんでした。なんせ、こけおどし的大げさ演出にあたしは耐えられないのです。本作もその傾向は全く変わりませんでした。そのこけおどしも薄っぺらというか、表層的というか工夫がないというか。。。(宇宙人のエピソードとかいらんやんか。あれじゃ、まんま「エイリアン」)そのうえ、どうもこの人の演出は雰囲気をあちゃらかにしちゃうんだよね。軽いの。いろんなエピソードが(結婚式のシーンとかね。だれもあんなシーンで感動せんぞ)。いいほうに考えれば、おかげであんなにたくさん人が死んでるはずの話なのに、まあ爽快に見れるわけだし、オヤジが特攻しても、息子が誇りを感じるだけで処理できちゃうという得がたい特質だともいえるのですが、逆にいうと話が全然深刻にならないわけで敵を倒した時の爽快感も生まれてこないわけ。見終わってきわめて平板な印象しか残らない。で、音と映像だけは派手だから見終わった後ぐったりつかれたものです。まあ、これは久しぶりに日曜の昼下がりという最悪の時間帯に見にいって人混みに酔ったということもあるのですがね。それにしても最近車が宙を舞う映画が増えたと思うんですけど、なにかそういう映像テクノロジーが開発されたんでしょうか。今日もやたらめったら車が飛んでいましたね。あのシーンは「ああ映画館で見てよかったなあ」の一瞬でしたね。
御裁断は(最高☆5つ)
真実の行方
ギア様といえば、女性はキャーキャーいって喜ぶくせに、男にしてみれば「あんな顔に表情のない男のどこがかっこいいねん野郎」の最右翼ですが、今回あたしゃはじめてギア様ったらかっこいいと思いましたね。役柄がかっこいいんですね。周囲からどのように見られても一人自分の信念に基づいて行動する男に、世の男共はかっこよさを感じるものですね。最近アメリカ映画に出てくる弁護士といえば金の亡者ばかりだとお嘆きのあなた、こいつを見てみるとよろしいあるよ。
前半20分ほど刈り込むがいいのではないですか?そうしたら法廷物の小品として長く記憶に残ったかも知れない。ストーリーはまあ、こんなもんでしょ。驚くような結末でもないし。
それにしても、真実とはなんぞや、ですね。真実は神の御前にて実在するはずのアメリカでどうして陪審員制があって、ギア様が劇中で「真実とは陪審員の頭の中にできるものだ」などとうそぶく映画が出来るんだろうと思ったのですが、やっぱりこの映画も真実はちゃんと露になりましたね。めでたしめでたしといったところでしょうか。
御裁断は(最高☆5つ)
戦火の勇気
あー、人は真実の前に忠実であれ、さすれば真実は汝を許すなり、か。世の中そんなにうまくいくかねえ。真実が人と無関係に存在しているんなら、それでもいいだろうけどなあ。日が昇るあたりの国々ではもうちょっと違うからなあ。ああいうストーリー展開だと、デンゼルワシントンが家庭崩壊の危機に直面してまでも苦悩(ああ、もう彼の十八番の役柄ですわ。あー、もういやいや)するのは、友軍を誤射したせいではなく真実を語れないがためのようではないか。もう、そうじゃないだろう。それじゃごまかしじゃない。
まあ、いいけど。そんなもんだよね。連中は基本的に許されると思ってるから楽だよね。
まあ、そういう世界観の違いに目をつぶっておいて、さて映画の出来はといえばデンゼルワシントン以外の役者はなかなかいい味出してて、名演ですよ。ラストシーンはデンゼルワシントンが家に入るシーンを遠景からただ見せるだけで十分だと思う。あれは演出過剰でしらけるだけだな。
御裁断は(最高☆5つ)
エスケープ・フロム・L.A.
えーっと、あたしは映画鑑賞年度の区切りを12月1日からにしています。正月映画の区分をややこしくしないための方策です。で、今日は12月1日、1997年度の始まり、映画の日です。まさか1997年(信じられんよなあ。年をとったはずだ。しかし、昔思っていたほどに世の中は悪くなっていないなあ)度の頭に「ロスアンゼルス2013」を見るとはなんという歴史の皮肉でしょうか。と、前置きはこの辺にして、
ちょっと、今日はベタ褒めにさせてもらいますよ(悪口に聞こえるところがあったらそこは誤解です。今日は一点の曇りもなく褒めます)。あたしゃアクション映画食いを自他共に認めるところですが、本当のことを言うとアクション系の映画でお腹の底から満足することってあんまりないんですよね。大抵いい評価をしてしまう映画はアクションの皮をかぶったラブストーリーとか人情話なんです。しかし、今日は違うよ。純粋アクション映画でこんなに興奮したのは久しぶり。なんせ、この映画の構造で重要な部分は最後の10分間ほどです。それまでのシーンは商業映画としての体裁を整えるための時間稼ぎです。ストーリーなんかはっきりいって無い!!しかし、これがいいんだなあ。アイデア満載、サービス精神バンバンの、作り手が楽しんでいるのがビンビン伝わってくる密度の濃い1時間30分。サーフィンはあたしゃもう拍手喝采。ブルースキャンベルなんかサムライミ作品以外で初めて見たと思ったらあの役だもんなあ。笑かしてくれるよなあ。
映画はうたかたの夢。お手軽に異世界体験ができるというのは娯楽としての映画の最も重要な要件でしょう。この映画はその点では満点をあげられます。見事に本編部分と融合した自己主張の全然ないCGを大量に投入しているのがその秘訣のようです。これまで色々な未来像がありましたよね。例えば「ロボコップ」もそうでしょうし、「ジャッジドレッド」もあります。が、これらは「ブレードランナー」の系列にあるもので、本作とは似たようで非なる世界観だと思います。決定的に違うのは本作が完全に文明否定の立場にあって、野蛮なLAを「喜び」の感情(もしくはイメージ)で包んで描いていることです。そこはかとないユーモアや優しい感情が感じられます。それが、あんなひどい世界なのに、見ていてそんなに嫌な気持ちがしないゆえんでしょう。「ブレラン」系では野蛮なものはただの野蛮、暴力はただの暴力で、文明とは対立する忌むべきものなので、その描写は悲惨です。
ジョンカーペンターの作品は評論したくなるところがいっぱいありますね。この人本当のリベラルで、本物のペシミストなんですね。本作なんかほとんど反米映画だぞ。よくハリウッドで商業映画作らせてくれるなあ。さて、本作を含めて彼の作品では何度も何度も世界規模の危機が起こります(でも、映画自体はB級だから舞台自体はもっと局地的です。「光る目」とか「物体X」みたいにね)。そのうち何回かで彼は世界を破壊しちゃうんですよね。きっと世界一たくさん世界を滅ぼした男だぞ。でも、これでも我慢してるんだろうな。本当はすべての映画で世界を滅ぼしたがってるんだぞ、奴は。まあ、そこがかわいいところなんだよなあ。オイラ大好きさ。
それにしてもついに阪神大震災を映像作りのヒントにした映画が出てきたか。ビルが座屈するんだもんなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
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