バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲
アンチヒーローには2種類あって、やってることはワルなんだけどついつい拍手喝采してしまうタイプと、正義の味方然としているけど本音のところは屈折している暗いやつで、理念としての正義など本当は信じていないタイプの2つなんだと思うのです。しかして、前者はゴジラやターミネーターが典型で、後者の典型といえばティムバートンのバットマン、ひょっとしたらハンソロもこのタイプなわけです。アンチでないヒーローというのはスーパーマンにとどめを刺すといえば、違いがわかりやすいでしょう。
で、今日の考察は「なぜアンチヒーローはアンチヒーローのままでいられないのか?」です。今あげたキャラクター達は、作品がシリーズ化するにつれ、ことごとく脱アンチ化していきました。これは、どうして?
思うに、アンチヒーロー達が戦っているのは他ならぬ自分自身であり、自己矛盾の解消がアンチヒーロー物の唯一のテーマだからということなのでしょう。そこの君、それはいい質問です。確かにゴジラやターミネーターは単なる破壊者であって内部的に矛盾などないように思えます。しかし、彼らの成り立ちを考えてみれば、彼らが自分自身の創造者と戦っていると言う自己矛盾を犯しているのです。例えばインデペンデンスデイの宇宙人にアンチヒーロー性を見いだす人は奇特でしょう。さて、自己矛盾の解消が映画のテーマなので、幕が下りるときには当然に自己矛盾は解決されているのです。当然2作目を作るときに同じテーマは蒸し返せない。そこで、アンチヒーローは明るいヒーローに成り果てるというわけです。自己矛盾を解決しないままに作品を終わらせても平気なのはオタク王ティムバートンくらいなもので、バットマンは2作目でもアンチヒーローのままでいられた希有な例なのです。
とはいえ、もう4作目ですわ。いまや自己矛盾などどこにもなくなったバットマンの今回のテーマは家族。内側の問題を解決するために外側に問題を探すという、あの常套手段ですな。いやはやこれが消化不良でして、父親代わりの執事アルフレッドはかっこいいんだけどプロットとして煮詰め方が足らず、特に物語の縦糸のシュワ扮するミスターフリーズ(ところで、どうしてドクターフリーズじゃない?)との戦いとの絡みが申し訳程度にしかないので、浮き上がりまくり。せっかくおいら御贔屓のふてくされた唇がとってもセクシー、アリシアシルバーストーンちゃんもなにしに出てきたのかさっぱりわからず。いや、おじちゃんとしてはムチムチバットガールの衣装とか高校の制服姿とかは楽しかったんだけどさ(ヘレンスレーターのスーパーガールも好きだったぞ、おいらは)。
前評判の高かったシュワにしたってたいしたことなかったなあ。今回のファーストロールは誰がどう見てもユマサーマンだぞ。
ま、しかし、グタグタ言ってきましたが、バットマンの本質はアメコミだから。ジョエルシュマッカー作の三作、四作のほうを楽しむほうが正道ですぞ。そういう意味では相変わらずのテンション高いシーンの数々で面白うございました。
御裁断は(最高☆5つ)
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