ロスト・ワールド ジュラシックパーク
世の中には「見るべきところしかない映画」というものがあるです。もちろん、映画は視覚芸術であるからにして、「見るべきところのない映画」より、ずっとましだというのはそのとおりなんですが、アクション映画には最低限のハラハラドキドキがほしいなと思うのです。
サスペンスをひきだす隠し味にユーモラスなシーンを挿入するというのは古典的作劇術です。ただし、ここは重要な点なのですが、あくまで危機に晒された登場人物の切迫感、焦燥感を表現しようという枠組みを壊さない限りにおいてです。サスペンス映画におけるユーモアとは、危機を回避しようとして全力を尽くしている登場人物にシチュエーションが降りかける皮肉なおかしみでなければならないのです。しかるにスピルバーグのユーモアの理解はあまりに単相的で繊細さに欠けます。彼にとってユーモアは「1941」のようなドタバタという形しかありえません。さあ、スピルバーグ先生本作でも教科書どおりにサスペンスシーンにユーモアを混ぜてきました。登場人物達がティラノザウルスを前にしてドタバタするわけです。三波春男の言とは違った意味でお客様は神様です。危機を前にして自らバカなドタバタをやっている登場人物が死んでしまっても別に関係ないですから、高い視点から超然として見てしまうわけです。でも、これってサスペンスの観客としては大変な不幸です。お客様が「こうすれば安全やのに、なんでやらへんねん。アホやな」と思ってしまったら興ざめ、アクション映画はお終いだということです。これを防ぐにはいかに登場人物の行動の自由を奪うアイデアを脚本の中に投入するかです。その結果としてユーモラスなシーンが生まれれば成功。そうでなくても、そこはそれなりです。
この点で本作の脚本と演出は手抜きの見本のようなものです。脚本についてもちょっと言えば、原作の質が非常に低かった(前作の単なる複製)というハンディをしょっており、なんとか原作のストーリーを壊さないで新機軸を打ちだそうとしたというのは理解出来るんですが、なんとも中途半端なお話になりましたね。編集もひどいもんで、ただ撮影したシーンを意味も考えずに繋いだだけだから盛り上がりも何もあったもんじゃない
それにしてもスピルバーグはどうして名監督だったのだろうかということを考えてしまいました。「子供の純粋な心を今でも持ち続けている」というのはよく彼を形容する言葉として使われますが、僕にはどんどん退行していく一方にしか思えません。大人性と子供性のバランスを大きく欠いていると思います。それから彼はブサイクなヒロインを使うことでも定評がある所ですが、今回も期待に違わずひどいもんです。
悪口ばっかり書いてるように見えますが、最初にも書いたように見るべきところはあるんですよ。特に狩りをするところの疾走感、ダイナミズム。あれは傑出したシーンだ。素晴らしかった。500円くらいなら払う価値あるぞ。どうせ、ジュラシックパーク3を作るんだろうから、あそこを基盤にして話しを作ってほしいものだ。
御裁断は(最高☆5つ)
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