誘拐
日頃、僕が邦画を敬遠しているわけは、「同朋のことはやはりよく知っていると見えて、演技の荒さや演出のウソ臭さが、洋画と比べるとどうしても目に付く」せいだと思うのです。こういうのはどんなに期待を持って見に行き、そして期待に違わぬ出来であったとしても、邦画だとかならずつきまとい、特に冒頭部で深刻な拒絶反応をひき起こします。そのかわり、やはり同朋のことはよく知っているわけで、微妙な感情のあやなどは洋画と比べるとはるかにビビッドに伝わってきます。僕にとって邦画の評価ポイントは、いかにして最初の拒絶反応が緩和され、物語に入り込んでいけるかなのです。
で、渡哲也なのですが、素晴らしいの一言につきます。冒頭の、寝坊して身支度を整えているシーンの軽妙な演技から、現金を運ぶ必死の形相、そしてラストシーンまで、完全に場をさらい続けます。おかげで永瀬正敏がこちょこちょ演技する前半戦の拒絶反応をぶっとばしてくれました。こうなれば、犯罪物としてのストーリーは骨格がしっかりしているので、少々クサイ演出が現れても平気に走り続けるパワーある映画ができました。実際、この映画に投入されたパワーはかなりのものだと思います。特にモブシーンです。やはり、テレビカメラに身代金の引き渡しを中継させるというアイデアが本作を勝利に導いたのでしょう。百人以上いるだろうカメラクルーを引き連れ、鬼のような渡が走る!動きは映画のカタルシスです。大勢の人間が走り続けるこのシーンを真正面から本腰入れて撮影した東宝はさすがです。事件解決に至るまでの捜査シーンもテンポよくまとめてあり、テーマも訴えかけてくるものがあり、娯楽映画としてかなりの水準であると太鼓判を押します。
ところで、こんなに素晴らしい映画なのにお客さんは少なくとも人生半ばを越えていると思われる方々ばかりでした。まあ、渡を見ようという人は最低でも「西部警察」世代でしょうから致し方ないのかもしれませんし、宣伝も少し前時代的な色がありましたからね。それにしても、現代の学生諸君!こういう映画を見ても若い君達には、きっと、渡の演技の本当のところ、本当のテーマまでは理解出来ないだろうけど、でも、見ておくとわからないなりに絶対記憶に残るはずだぞ。で、そういう理解出来なかったけど頭に残っているものの多さが人生の豊かさを決めるのだぞ。こういうものが神戸の事件を未然に防いでくれるものなんだよ。
御裁断は(最高☆5つ)
97年に見た映画へ
一覧へ