98年に見た映画
97年の「最近見た映画」も見てみたいという奇特な人はいますか?
もっと奇特な方には96年の「最近見た映画」もあります
もっともっと奇特な方には95年の「最近見た映画」もあります
踊る大捜査線
僕のうちにあるテレビはかれこれ2年も壊れたままほっとかれてます。なので、僕は長い間テレビなしの人生を歩んでいて、このドラマが評判だというのは聞いていたのですが、見たことは一度もなかったわけです。しかしまあ、いろんなところで面白いとか、口コミで興行収入一位になったとか聞いたもので、ついつい見に行ってしまいました。
しょせんはテレビクオリティーに毛の生えたものでして、映画館で1800円を払う価値のあるものかどうかとなると、難しいところがあるのですが、いざ見てみるとなかなか楽しめる。変に気取ったところもないし、いい感じです。
最後の織田裕二が看護婦さんに「おれがいないと湾岸署はダメだから」ってうそぶくシーンを見て、「ああ、古くさい」と思いました。彼のセリフは、そのまんまワーカホリックになる会社人間の自己弁護、いいわけそのものですから。でも、ひょっとして、こういう古くさいところが、このドラマが受けている理由なんじゃないかなってちょっと思うわけです。それが、例え幻想であったとしても、自分が誰かに必要とされていると思うことはその人を幸せにしますもの。近ごろの風潮は、そういう思いを見下すばかりで(自分も反省しなくちゃな)、この作品の古くさい主張は逆に新鮮に受け取られているのかもしれないな、と。
思えば会社人間は幸せだったんですよね。
御裁断は(最高☆5つ)
シティ・オブ・エンジェル
だるい。あたしゃ、「ベルリン天使の詩」は超駄作だと常々思っていたわけです。で、それはヴェンダースがアホだからと思っていたのです。しかし、違いました。今作は、そもそもあの映画の骨となる企画自体に力がないということを証明しています。で、ハリウッドは力のない企画をなんとかして一本の作品にするために、もったいぶった映像、どうでもいいプロット、大仰な音楽、無理やりのエンディングをぶち込んだのでした。もう、ドトールのコーヒーを5倍くらいに薄めたように、引き伸ばされた間の抜けた映画でした。いや、だからといってヴェンダースは賢いわけではなくって、やっぱり鼻持ちならない野郎なんですけど。
それにしても、あまりの映画作りの安易さにはへどが出ます。そもそもメグライアンの描きかたからして紋切り型。渋滞の車の中を自転車で軽快に駆け抜けていく女医さんなんて、彼女のキャラクターとして何の驚きもない。それから、ラスト。ああしておけば感動するだろうなんて、客をなめてるとしか思えない。まあ、確かに感動する女の子達はいるんだろうけどさ。細かいところにも無茶なところがいっぱいあるし。例えば、メグライアンは、写真に写らないってだけで人の手をナイフで切り裂くんですよ。しかも、彼女は天使を堕すために恋の駆け引きとでも言うべき罠を仕掛けるわけです。そんなストーリーが純な恋愛感情がテーマのこの映画にそぐうはずもありません。そもそも天使は人の心が読めるんとちゃうんか!
文句はまだまだあるぞ。メグライアンの彼氏と、小児科医なんて出てくる必要まったく無し。それに天使が黒い服着て砂浜にたむろったり、高いところに座ってたりするのは、まんまカラスの群れ。さーいてい。ニコラスケイジも堕ちてからはいいけど、天使の時は死んだような演技で、まあ、それは「いろいろあるから素晴らしい人生さ」というテーマともからんでくるから仕方ないのかもしれないけど。でも、ハリウッド的観点から言えば、観客が感情移入すべき対象はニコラスケイジなんですよ。なのに、あんなふうに描いてしまえば、人間として共感できないではないですか。
まあ、いいけど。それでも「ベルリン」よりはましだから。
御裁断は(最高☆5つ)
普通じゃない
なるほどねえ。トレインスポッティングが流行ったときは、イマイチ見る気がしなかったんだが、やっぱキャメロンディアスだしと思って見てよかったですよ。収穫ですよ。映画はやっぱり娯楽なんだけど、でも、ハリウッドも最近は安易さが目立ってるし。こういうニッチの映画がたくさん作られるといいなあ。作りゃあ売れるだろうに、あんまりないからなあ。よかったよかった。
こう、オープニングの絵作りからグイグイ引き込まれていきます。音楽の使い方も洒落ていて、でも、自己主張なく溶け込んでいていい感じです。ストーリー展開がもう少し強引さを抑えられていれば満点だったですね。キャスティングもすごいというか。いったいどうしちゃったんでしょうホリーハンターは?怖いくらいイッちゃってます。笑っていいんだかどうなんだか。イアンホルムも、フィフスエレメントほどじゃないけど、やっぱり好きなんだなっ!って感じです。
でも、いつまでも心に残っている恋ってのはあんなんなんですよね。別に誘拐も強盗もしないけど、でも、何かの奇跡があって、運命で、つき動かされてって感じですよね。そういうのは、うまくいったか、だめだったかって関係ないですよね。この映画は、最高の恋愛映画です。
御裁断は(最高☆5つ)
マスク・オブ・ゾロ
Z!!ですわ。面白かったです。アントニオバンデラスも、アンソニーホプキンスも楽しそうに演じてるわ。特にアンソニーホプキンスは名優だなあ。やっぱりこの手のアクション娯楽映画でも演技のしっかり具合ってのは効きますねえ。エレナ役の女優さんの演技はイマイチ。悲しいシーンで全然悲しそうに見えなかったぞ。でも、美人でグラマーだからいいんだけど。
スターウォーズ第一作みたいな趣もあるこの映画。もちろん御都合主義の塊なんですが、面白い面白い。アクションもすさまじいものがあって、あれって、本当に実写だけでやってるんだろうかと後から冷静に考えてみると不思議。だって、バクテンうちながらチャンバラやってるんだもん。リーリンチェイとはまたアクションの質が違っています。
ある映画雑誌でバンデラス語って曰く、「この映画のユーモラスな側面はオレのアイデアさ」。あんちゃん、馬から落ちるだけしかアイデアないんかいっ!ってかわいいおっさんだわバンちゃんってば。大好き。
御裁断は(最高☆5つ)
フラッド
原題はHard rain。こっちの方がいいタイトルだと思うけどなあ。東宝東和さん、相変わらずだねえ。パラマウントの麓にある小さな街が、本作の舞台。原題通りにひどい大雨が降り続いています。住民が避難してしまい、ほとんど空っぽとなった街での現金争奪戦。なかなかよくできた作品でした。ストーリー上でよく考えればおかしい点が、お話の進行にともなって、見ているほうは忘れていきます。でも、後の方になって、ちゃんとその点についての説明が出てきて、それが、ちょっと意表をつかれた感じになります。
で、なんでモーガンフリーマンが、強奪犯なんかで出てるねんなあ、と思っていたら、これも納得。ちゃんと最後にはすべて収まりよく終わります。好きですね、こういうラストから発想していく映画を見るのは。
でも、映画の後半で、僕にとっては個人的に非常に苦痛なシーンがあって、映画にのめり込めなくなっちゃいました。とても残念でした。これからはしばらくあの手のシーンを見ると気が散るのかなあと思うと、かないません。こんなことを書いても読んでいる人には何のことだかわからないでしょうけれども、これは、僕専用の心覚え。
一年後に自分でこの文章を読み返してみて、何のことだかわかんなくなってたらいいんだけどなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
スクリーム2
スクリームいうたら、榊原郁恵の、、、ちゅうぅう、ちゅうちゅちゅ、、、では、もちろんなくって、なっつっのおじょうさん、、、あかん、ついつい歌ってしまう!アイ、、、
失礼いたしました。
続編に傑作なしとは言い古されたテーマです。同時に例外のない規則はないというのも言い古されていまして、男心と秋の空なのか女心と秋の空なのかどっちがほんまやねん、って感じです。僕もエイリアン2が傑作だというには賛成しますが、T2は感心しないぞ。
続編で傑作を作る王道は、前作のラインを踏襲しないことです。踏襲してしまうと、前作を越えることはほぼ不可能です。この場合、よくて前作と同水準ということです。スクリームの場合、一作目はとんでもない傑作でした。で、2はそのラインを踏襲しています。そして、前作のテーマは「ホラー映画とは?」でした。今回のテーマは「続編に傑作ありや?」です。作り手はかなりの自信があるようです。さあ、続編は本当に前作を越えられたのか?それは、見てもらえばわかります。ですから、この映画を見る前には必ず一作目を予習しておくように。
というわけだから、御裁断は今回はなしね。
リーサル・ウェポン4
うっきー、リーリンチェイ!!かっこいいーー!!彼の姿をスクリーンで見たのは、スウォーズマン以来だからもう3年半ぶり。しっかし、相変わらずの驚くべきアクション。誰かを殴った後の決めのポーズのカッコよさったら。メルギブソンの陰でもちゃんと決めてます。いやはや、悪役なんてもったいないです。かわいい顔もしてるのになあ。
すっかり、寅さん映画と化してきたこのシリーズ。今回も最初の方はいつまでたっても本ストーリーが走り出さずに見ているほうは「おいおい、この調子で全編いくんちゃうやろなあ」と不安だったものですが、そこはリチャードドナー。きっちり盛り上げていって、最後のワンカットからエンドタイトルへの流れは、感動物です。思えば、シリーズ第一作はメルギブソンは愛妻が死んでしまって、自殺志願者になっちゃって、そのために危険極まりない捜査方法をとるって設定だったんですよね。で、ダニーグローバーとその家族と接することで、少しずつ癒されていく物語だったんです。その設定は2、3作では脇に追いやられちゃって(これはダークヒーロー物のある種の運命ですね)いたのですが、今回はそこのテイストを思いだしてみましたって感じです。10年かかってリッグスは家族を持つまで回復したんですよ。なんか、希望が持てる。やっぱりこれには感動します。どんなことがあってもいつかは幸せになれるっていう楽観主義を10年、4作かかってリチャードドナーは語ったわけです。まあ、もちろん、これは最初から意図していたわけじゃなくって、きっと素晴らしい現場がつくる幸福感に満ちあふれた雰囲気がこの遠大な楽観主義を下支えしたんでしょう。エンドタイトルですよ、この映画の本質は。
だいたい、リッグスもマータフも捜査らしい捜査は何もしてないやんか。節目節目で捜査を進めていったのはあの東洋系の刑事さんだもんね。
御裁断は(最高☆5つ)
L.A. コンフィデンシャル
追跡者
巻き込まれ型映画で続編を作るのは難しい。それは、巻き込まれた主人公のナイーブな感情と不安定さが、観客を引き付ける作品の背骨になっているからこそ、巻き込まれ型映画なのですから。もし、同じ主人公を再び何かに巻き込ませたとしても、また同じ一日の繰り返しになります。見ているほうだって、そう思ってみてしまいます(ダイハード2を想像しますか?スピード2を想像しますか?)。そもそも、普通の人がそうそう何かに巻き込まれるわけでもないでしょうし。
ですから、ハリソンフォードの「逃亡者」の続編を、前作では追っかけるほうの(つまりは主人公と敵対する役回りの)トミーリージョーンズを主役にして作ると聞いたときは、やられたと思いました。それなら、同じようなストーリー展開がおきても不思議ではない!なにせ、主人公は追跡を生業にしているのですから。
しかし、見てみるとやっぱり無理がありました。なにせ、追う側追われる側どちらも正義なのですから。両者の対決にも緊迫感がありません。それに、この構造のお陰で、本当の黒幕がなかなか表に現れてこないので、見ているほうとしてはなんか肝心なところが抜けている感じなのです。早く、誤解に気づいて協力しろよ、お前ら!って思うのです。誤解がとけるまでは、主人公であるはずのトミーリージョーンズは基本的には間抜けであり続けなければならないのです。そこを逆手にとって主人公のキャラクター造形を行なってはいるのですが、やっぱりそれだけでは、このどうしようもない構造的な問題を補うことはできませんでした。やっぱ、企画が間違ってたんだわ。
でも、このような企画上のハンディを背負いつつも出来上がった映画はとても面白いものでした。監督アンドリューデービスはやはりなかなかの手だれですなあ。ひょっとしたら、演出面だけで言えば「逃亡者」よりも面白いかも。今回無実の罪を着せられて逃げるのが僕のお気に入りのウェズリースナイプスだってこともあるかもしれませんけどね。彼はハリソン君みたいに深刻そうな顔もしないし、アクションもできるから画面作りが派手にできるしね。欲を言えば、もっと、彼を前面に押し出して欲しかったな。
それにしても、ロバートダウニーJr.ははまり役だわ。
御裁断は(最高☆5つ)
コレクター
僕にも女の子との口の聞き方も知らない少年時代というのが一応ありまして、好きな女性のことをガラスケースの中に入れて一日中眺めていたいなどとアホウなことを考えたことが一度もないなんて奇麗事をいうつもりは毛頭ないわけです。だから大昔のテレンススタンプがやっていた「コレクター」を見たときは、ドキーッとしました。いいの、こんなことを映画にしちゃって。という感じ
今回の悪役は、そういう意味では共感することのかけらもないサディストです。ただの異常者でして、「セブン」で見られたような原罪を深くえぐるような痛さもございません。こういうのをサイコスリラーとして売るなんてちゃんちゃらおかしいってもんです。
編集が大胆すぎるのでしょうか、それとも脚本段階での説明不足なのでしょうか、女主人公のアシュレイ・ジャッドが救出されてから、女性達の救出に至るまでのストーリー展開が説得力がありません。何が起こっているのかイマイチ判然としないうちに合理的な理由もなく捜査が進んでいく。うーむ。
演出面では、脱出のシークエンスを実際の時間上と、アシュレイジャッドの回想時と2回も観客に見せたのは明らかな失敗です。これでは観客は「もう、捕まってた場所わかってるやんけ、山狩りとかして、はよそこ行かんかい」と思ってしまいます。あそこは、救出された彼女の回想だけで処理するべきでした。そうしておけば肝心なところは観客に伏せておけます。あと、そんな大事なところに最後の方になって気がつくない、モーガンフリーマン!とか、火花が散らなくったって、火はつくんじゃい!とか、不備の目立つ映画でしたなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
レインメーカー
豊かな映画でした。芸達者が紡ぎだす繊細な感情を浴びているのは、とても気持ちのいい映画的体験でした。もともと原作のグリシャムは自分も弁護士であるわけで、一貫して弁護士に代表されるアメリカ法治社会の偽善性を主張してきました。なので、彼の物語には芯の部分で常に純粋なものがあり続けています。そこのところを上手く捉えた、本作や「依頼人」などは傑作になったわけで、逆に単純な法廷スリラーと考えた「ザ・ファーム」や「ペリカン文書」は駄作だったわけです。「評決の日」は前者なんだけど、イマイチでしたけどね。
それにしても、ダニーデヴィートです。いつもの彼とおんなじような役柄なんですけど、今回ほど味を出していたことはありませんでした。主人公が遅刻してきたときに、替わりに弁論に立っていたときのカッコよさや、急場になると影から主人公を助けるあのやり方とか、キャラクター設定からして、とてもいい役でしたね。
最後に、コッポラの演出について言っとかなきゃダメですね。僕は、これまでコッポラの大仰趣味がそれほど肌に合っていたわけではなかったのですが(いや、もっと正直に、嫌いだったのよ)、今度はとっても微妙な演出でした。僕が一番好きなシーンはマットディモンがクレアデーンズを抱き上げてベッドに横たえるシーン。もう、どうしようかと思った(あの、ベッドシーンじゃないですから。クレアデーンズは怪我をしていて車イスからベッドに移っただけですからね)。
御裁断は(最高☆5つ)
ラストサマー
「去年の夏、お前ら何してたか知ってるでぇ」という原題のこの映画、アメリカのアホ高校生どもが卒業式の乱痴気騒ぎの果てに人をはねてしまい、あろうことか死体を海に捨てて沈黙の誓いを立てるのですが、一年後に何者かに脅迫されるというお話です。映画を見た後でゆっくり考えてみたら、ストーリーがムリムリなところが多々あるのですが(結局犯人は何がしたかってんとか、なんぼ犯人がひどいことしたからって、お前らやっぱりひき逃げした事実は変わらんやんけ、とか)、見ているときは気にならないのですから、頑張っているほうなんだとは思います。でも、まあ、ひき逃げをしたアホガキどもが殺されそうになるのを見ていたって、別にハラハラするわけでもありません。「スクリーム」ですでに明らかになっているように、ハリウッド的モラルに従えば、善良でないものは殺されるべきなのである。これは、観客にとっても同じことなので、そこにはサスペンスなど生まれようがない。この点が今作の最大の構造的問題点なのです。
実のことを言うと、この構造的問題点は脚本家がハリウッド的モラルを逆手にとった罠だったはずなのです。しかし、これは策士策に溺れるでした。俳優の弱さもあって、作品の興を削いだだけの結果になりましたね。残念。
あとは、アホガキたちの中でのキャラクターの分化がしっかりしていなかった(内部対立や互いの疑心暗鬼をもっと協調していればよかったでしょうに)ために、観客の注意力が分散してしまったというのも欠陥といえるでしょうか。
ところで、これも続編が作られるという噂を聞いたんだけど、あのラストから?
御裁断は(最高☆5つ)
スターシップ・トルーパーズ
監督のバーホーベンは、ありとあらゆるインタビューで「この映画は戦争がいかにばかげているかを描いたものだ」と、言い続けていましたが、実際に見てみると、「日向ったな、バホちゃん」って感じでしたね。ロボコップの方が、なんぼか皮肉が効いていたというものです。「ショーガール」の借金はそれほどに大きかったのでしょうか。
表情に何の精彩もない若い役者たちがギャースカギャースカ騒ぎまくって、動きが速すぎて、どんな形かよくわからないクモみたいな虫達をひたすら殺し、ひたすら殺されていくお話です。混乱する戦場、昆虫の大群、火を吹く大きなオサムシ、宇宙戦艦の沈没のスペクタクルなど、見てて「うひょー」って思うシーンがたくさんあって、それはそれで面白く見れてしまったのですが、それって、監督の意図と違っちゃってませんかね。
昆虫との戦いというメタファーで現実の戦争のリアリティを描いてみようという意図はよくわかるのですが、そんなことしないで、ほんとうの戦争を題材にしたほうがよかったのでは?SFXが目くらましに働いてしまったのではないかと思います。もしそうしていたら、あんなにインタビューで言葉を使ってテーマを語るというみっともない行為をしないでも済んだんじゃないかなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
恋愛小説家
最近、僕はこの手の映画にめっきり弱くなりました。悪意のない人たちが出てくる映画。ユーモアで味付けされて。もう、だだ泣き。
この映画お客さんが入っているようで、僕はとっても喜ばしいと思います。上品で、けれん味がなくって、でも、人生のエッセンスの部分をついている(もちろん、この映画のエッセンスとは、「ひねくれ者に見えるけど、ほんとはいいやつなんだよー」ってのじゃなくって、「若いときの恋とは、どういうものだったか」ってことですよ)。こういう作品は、後々まで記憶に残ります。
それにしても、僕も口の悪い皮肉屋のひねくれ者であるということについては、人後に落ちないつもりです。あ、でも、ジャックニコルソンほどには顔が怖くないから、マイナス一点かもしれません。ともかく、そのひねくれ者の僕としては、「なるほど、こういうひねくれ方もあったか!」と手を打つことしきりでした。なんといっても、「どうやったら、そんなに女の子の気持ちをうまくつかめるのですか?」に答えて曰く、「最低の男を想像すればいいのさ」ですからねえ。メモメモ。
それにしても、恋ってのはいいもんなんですよねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
エイリアン4
シリーズ物ってのはたいてい前作のくびきから離れられずに失敗するってのが常なんだけど、エイリアン物ってのは、2が全く前作と雰囲気を変えたおかげで成功したんだと思うのね。それをまた、どうして4まで作ってきてからに1のコピーをしなきゃいけないわけ?しかも、特に美術方面を中心に質が低下してるんやもん。あれって、ギーガーが見たら怒るよ、きっと。何が、今度のエイリアンは進化するですか!あれじゃあ、進化というよりは。。。。あたしゃ、てっきり裸の巨大リプリーが。。。。あー、芸が無い。
なんか、フィンチャーと言い、ジュネといい、最近の若い人たちって品がないんじゃない?
まあ、いいねんけどね。ウィノナライダーは収穫だったし。あの瞳に映る光輪はなかなか素敵な効果だったもの。
で、ここまできたんやから、5作目はバーホーベンに撮らせりゃいいじゃん。そうすりゃ一石二鳥というか。資源のむだ遣いを防げるというか。
御裁断は(最高☆5つ)
マウス・ハント
ドリームワークスの第三作。今回はほとんど、昔のディズニー映画(アンブリンではない純正の)のノリで作られています。人物造形(主人公二人を根はいい人に設定していたり、ネズミの側のロジックを丁寧に描いていたり)とか、舞台美術の感じとかが、もろその感じです。このへんは「ホームアローン」より、数段上品で好感を覚えました。肖像画を使った感情表現や、糸のオープニングなど、細部まで非常に気の行き届いた作りで、この映画のクオリティーは相当に高いものです。ぜひ、見るべきです。
もう一つ、これは実写でやった「トムとジェリー」だということも、指摘しておくと評論ぽくっていいかもしれません。ちゃんと、猫も出てきますし。チーズ。ねずみ取り、壁の穴。舞台装置はすべて整っています。ついでに、ネズミの方が賢いところもね。
しかし、なんといっても白眉はクリストファーウォーケンでしょう。この人がこの手の役をやったのははじめて見ましたが、いやー、かっこいいったら(決してカッコイイ役ではないので、そのつもりで)。
それにしても、どうやって撮影したんだ?あのネズミは?
御裁断は(最高☆5つ)
007 トゥモロー・ネバー・ダイ
前作でMがマダムになったと思っていたら、今度はマネーペニーまで若返ってしまった。あとは、おまえだけだぞ、Q!
このシリーズ完全に生き返りましたね。この手の長寿シリーズは、マンネリ化したストーリーにどのくらい奇抜なアイデアを詰め込めるかが勝負なわけですが、今作は合格点。なんといっても素敵なのは、いまだ堕落を知らぬ中国の女スパイ。きりっとした表情は007よりもずっとりりしく、かっこいい。しかも、セクシー。手錠につながれたまま、バイクに二人乗り。前になったり後ろになったりして追っ手の追跡をかわすアクションシーンのなまめかしさったら、これは必見です。
最近の007の悪役は少し小柄になってきてるな、これが現実化路線かなって思っていたら、今度の悪役のメディア王は見事にいかれていました。それに敵のステルス艦の中は、もろ昔懐かしスペクターの秘密基地の雰囲気です。やっぱり昔のフォーマットを使っていても、ちゃんと密度の濃い仕事ができるというとても良い例でした。
僕はお茶目なカウフマン博士が気に入りました。あそこでやられちゃうのはもったいなかったな。
御裁断は(最高☆5つ)
ポネット
いやはや、この手のミニシアター系は避けていたのですが。いや、どれだけ子役の演技が素晴らしくって、かわいらしかったとしてもですよ、例えば友達の家に遊びに行って、そこの子供がただグダグダ遊んでいるだけのホームビデオを見せられたら、我慢できるのって5分が関の山じゃないですか。そんな映画でした。わたくし3回も寝てしまいました。そもそもあんなありふれたテーマを子役を使うと言う以外に何の工夫もなく撮影されてもねえ。ドラマを構造化してくれる緊張もどこにも生じなかったしなあ。まあ、これが現実を活写するゲージュツってやつなんですかねえ。
作品に対する悪口はこれぐらいにして。実は僕はこの作品を心斎橋にあるソニータワーの地下にあるミニシアターで見たのですが、そこはひどい劇場でした。まず、ビデオプロジェクターでした。走査線が見えるスクリーンで料金をとらんで欲しいなあ、まったくもう。それから音響効果が最悪。ものすごい反響が生じていて、特に子供のキンキン声が響き渡って、僕は頭が痛くなりました。ひょっとして昔は別の用途に使っていた空間を無理やり劇場に改装したのでしょうか。あれも、料金をとれるレベルにはありませんね。そのくせ、劇場側はお高く止まっていて入場は番号順だったり、劇場の中で物を食うなってうるさく言われたり、僕のような低俗を旨とする映画ファンを管理しようなんて思想を持っているわけです。で、椅子がラブラブで、二人掛けのベンチをたくさん並べてあって、恋人達はくっついて映画が見られてオッシャレーと言う仕掛けです。なんか、映画を見るという本質的なところはおざなりで、上っ面だけを飾った、今風といえば今風の劇場でしたとさ。二度と行かない。
あー、こんだけ悪口言ったらすっきりしたっと。
御裁断は(最高☆5つ)
フェイスオフ
ジョンウーのガン・ダンス健在と言う映画でした。いや、ガン・カンフーかな。とにかく、物陰から物陰に移るときに不必要にくるっと一回転して、そのときも手足を伸ばしてモーメントを最大にして回るんですから。カンフーで一番重要なのは角運動量ですからね。
僕はアクションシーンのスローモーション処理には否定的です。例えばレニーハーリンのアクションシーンを考えてみてください。下品でしょう?しかし、ジョンウーは別です。彼のアクションは美しいので、スローモーションでも一向に嫌みではありません。むしろゆっくりと見せてもらったほうがよいくらいです。彼はアクション映画を荘厳に仕上げてくれるので僕はとても好んでいるのですが、今作では銃撃戦の中のオーバーザレインボーが印象的でした。感覚的にはコップランドとも共通する部分があるのかもしれません。
ところで、善と悪は同じコインの裏と表。このテーマはタイトルから印象的に表現されています。トロイになったアーチャーは、自分の中の悪を少し開放しますし、アーチャーになったトロイは文明的に振る舞います。それから、鏡の中の自分を撃つシーン。ここも印象的です。ところが、トラボルタをあからさまにキリストと重ねていく後半はいったいどういうことなのでしょう。キリストといえば、西洋世界では純粋なる善の象徴ではないのでしょうか?そうだとしたら、この処理はテーマと一貫しないように思えます。それともジョンウーはキリストと言えどコインの表に過ぎないといいたかったのでしょうか?もしそうだとしても、きっとそのことはほとんど伝わらないのじゃないでしょうか?まあ、伝わったとしたらもっと大騒ぎになっていたかもしれませんが。
御裁断は(最高☆5つ)
コップランド
宣伝のポスターには「スタローンとデ・ニーロの対決!」とありますが、それはウソです。デ・ニーロの役まわりはそれほど重要なものでもありませんし、今回の演技も強烈な印象というわけでもありませんでした。無難にこなしているというところでしょうか。それより、デ・ニーロとハーベイカイテルの組み合わせって懐かしいなあと僕は思ってしまいました。
最近のスタローンは本当にこなれてきました。自分の分をわきまえて堅い仕事を続けています。で、今回は警官の街コップランドで周りの警官達にコンプレックスと屈折をいつも感じている保安官役です。彼は、うつむき加減で時々上目遣いに相手を見るというやり方で、その性格を見事に演じます。ハーベイカイテルはもちろん、レイリオッタまでピリピリとした演技合戦で見事に緊張感を維持し続けます。そして、最後の対決シーン。なんといって見どころはここです。ハリウッドで対決シーンをあのように処理することを決断できたのはすごいことです。さすが、サンダンスインスティチュートが絡んでいるだけのことはあります。
スタローンは片耳が聞こえないという設定なのですが、この設定は作品の中で重要な機能を二つ果たしています。一つはスタローンの不器用さと関係しています。彼は昔、川に落ちた車から女性を助け出し、その時に聴力を失ったのですが、彼はその時の女性に恋をしながら、結局他の警官に彼女を奪われたという設定になっているわけです。ここのところから、スタローンが最終的に立ち上がるまでの関係の煮詰め方が少し雑な感じがして、少しもったいない感じはしました。しかし、このプロットがもう一つの機能として、最後の対決シーンの処理を必然にしているわけで、これぞ脚本の勝利と言う感じです。ストーリーテリングの妙でした。
素晴らしい出来栄えの映画だと思います。
御裁断は(最高☆5つ)
らせん
物語の中で人はしばしば次なる存在に進化します。たいていの物語の中で、人はテクノロジーに支えられ、テクノロジーと融合する形で進化を遂げます。これは、ゴリゴリのダーウィニストからすれば、眉を顰められる考え方かもしれません。なんならば、テクノロジーは人が作ったもので、ならば、人はその内に次なる進化の源を始めから内包しているように思えるからです。つまり、進化は必然の産物だということです。あらかじめ決められた進化。定向進化ですね。この考え方はあまりに多く物語の中に登場します。我々はそんなにも未来を決めたいのでしょうか?
さて、なかなかうまく映画用にモディファイされた今作なのですが、一つだけ難点を。佐藤浩一にはなぜウィルスがなかったのでしょう?彼の体の中にもほどけたリングがあっていいはずだと思うのですが。
御裁断は(最高☆5つ)
リング
原作は「リング」の方が面白く、「らせん」はイマイチという気がしました。映画は逆の印象でした。なぜでしょう?
思うに、原作の映画化はいかにオリジナリティーを加えるかが勝負です。で、「リング」の最大のオリジナリティーは主役を女性にして、そして主役を助ける男、高山竜二を主役の別れた旦那に設定することで、死のビデオを見た彼らの息子を救うということを主軸にしたことでしょう。しかし、これは原作のもつテーマを完全にないがしろにしてしまいました。ですので、原作を好きな僕のような人にはとても不満の残るものなのです。親と子の愛情と言うテーマや、松嶋菜々子の持つ甘さのせいで、非常に硬質な原作のよさが失われています。何がもったいないかといって、高山竜二のあのキャラクター設定が全然説明されていないので、特に「らせん」での彼の行動に説得力がなかったことです。僕は原作を読んでいたので、理解できましたが、まったくはじめて見た人はどうだったのでしょう?彼に共感できましたか?
同じようなことは山村貞子にも言えます。あの淡泊な表現では、彼女の深い恨みがちっともわからない。あんなことのために人間が滅ぶのだとしたらやりきれませんね。
原作は「リング」の方が「らせん」よりもより論理がしっかりしていたように僕には思えます。そもそも文章とは映像に比べて格段に論理性が高く、そのため「リング」のほうが「らせん」よりもずっと映像化が難しかったのではないでしょうか。ずいぶんとプロットをはしょっています。まあ、それは仕方がないのですが、「らせん」はそのはしょりのせいで破綻しかける物語を、原作のテイストを保ちながらうまくまとめています。むしろ、無理の多かった原作よりもすっきりしたくらいです。ただ、個々のシーンの爆発力と言う点では「リング」に軍配が上がります。写真が歪むところ、山村貞子の動き、あー、思いだすだけで怖いよー。眠るときに思いだしてどきどきしてしまいました。
それにしても、映画では水が恐怖の象徴として使われることがしばしばあります。今作でも「リング」では明らかに海は恐怖の象徴で(これはある意味で母性の恐怖ともいいかえられるわけで、その意味で「リング」のテーマには混乱が見られるのですが)、しかも溺れることが原作段階で存在する「らせん」と違って、「リング」は映画のオリジナルとして水の恐怖を持ってきたように思います。なぜ、水は恐怖なのでしょう?やはり、これも女性恐怖の物語なのでしょうか?確かに、怖かった。
御裁断は(最高☆5つ)
ゲーム
フィンチャーのクリスマスキャロルです。
現実とゲームとの境界が無くなっていく恐怖!戦慄!というわけなのですが、いまどき何を言っているのでしょうか。そんなもん、ディックの小説をたんと読んでから出直してきなさいっ。トータルリコールもあるしさ。
映画とはある意味で現実の仮想体験です。映画を楽しむためには、いかにしてゲームを現実と混同するかという面がすでにしてあるわけです。その映画の中で「現実とゲームの違いがわからないから怖いだろう?」って言われてもねえ。そんなのを怖がる人はそもそも映画見ないと思うんだけどなあ。こういう構造だと、どんなに主人公が危機的状況に追い込まれても、見ているほうは「どうせ、ゲームなんでしょ」って思っちゃいますよね。
作品の中に埋め込まれているテーマについて考える方がまだしも建設的でしょう。なぜ、マイケルダグラスはメキシコまでいって埋められなければならなかったのか?ショーンペンの出現がなぜマイケルの最後の行動を引き起こしたのか?そして、ゲームの最後にマイケルは誰を殺したのか?結局のところ、やはり何かを殺さなければ大人は成立しないのでしょうか?大人になることを拒否したものは何かを殺すことを拒否しているのでしょうか?CRSは現代が失った通過儀礼を執り行ってくれる営利企業だということでしょうか?
御裁断は(最高☆5つ)
ブレーキ・ダウン
予告編や広告を見ていると「激突」みたいな映画を想像してしまいます。よくわからないけど、襲われて逃げ回るという。しかし、実際の作品はそうではありませんでした。平凡な人間が犯罪に巻き込まれるというお話でした。この映画の面白さは巻き込まれた場所につきます。西部の荒野の真っただ中、石っころしかないところで犯罪に巻き込まれたら、もう孤立無援。頼れるのは自分だけ。なんて心細いシチュエーションでしょう。しかも、危機に陥っているのは愛する妻と来たもんだ。こいつはシチュエーションの設定だけで8割方成功したといえるでしょう。
まあね、どうせ荒野の中なんだから、最初っからまだるっこしいことせずにズドンで終わりやないかと、映画を見た後では思うのですが、見ているときはそんなこと感じさせないようにスムーズにストーリーが運ばれていきます。で、誰を信じたらいいのか、登場人物よりむしろ、お客である我々のほうがわからなくなるように巧妙に練られたお話のうねり方。なかなかの巧作だったと思います。
御裁断は(最高☆5つ)
CURE
サイコサスペンスです。萩原聖人が人の隠された暴力を暴き殺人を犯させる悪の伝道師、役所広司がそれを追う刑事の役です。萩原はサイコ演技をやるのですが、マークスの山とイメージが重なります。人の不快感を刺激してくる演出や効果音の使い方、刑事が追い込まれて最終的には悪の側に落ちるストーリーラインなどはセブンを彷彿させます。セブンと決定的に違う点は、セブンでは暴力は結局のところ大罪であり、悪に落ちるブラピは最終的に社会から落後してしまう一方で、今作では暴力は癒し(CURE)であり、役所広司は食欲もおう盛に街に住み続けるわけです。
そういう意味で考えると、この映画を恐怖の映画と捉えることが正鵠を得ているのかどうか、少し疑問です。今回一緒に見ていたお嬢さんはしきりに「怖かった」を連発していましたが、僕には「人とはそんなもんだろう、それよりだからどうしたいのかを語ってくれ」という感想が残りました。人の悪を暴くことがそれのみでテーマになるためには、人の善が信じられていなければなりません。しかし、それは、決して「今」ではないような気がします。それは70年代の病理だったのではないでしょうか?
そうではないのかもしれません。ここのところのバタフライナイフの事件を見ていると、病理はますます深刻になっているのかもしれません。でも、その解決はCUREではない。そう思います。
空で回る洗濯機の効果は指摘しておくべき収穫でしょう。逆に美術関係には少し不満です。病院のシーンなど、少し現実離れしています。芸術の側によらずに普遍を目指して欲しかったと思います。最後に疑問が一つ。どうして、バスのシーンはわざわざ特撮までして空を飛んでいるような効果を出さなければならなかったのでしょう。だれか、教えてください。
御裁断は(最高☆5つ)
ピースメーカー
緊迫感に満ちあふれた、よくできた映画でした。下のエアフォースワンと続けざまに見たのですが、出来栄えがあまりに違うんですね。おんなじようなジャンルなんですがね。で、この緊迫感はどこから生み出されるかというと、一つの危機を処理する際には、そのことだけに集中するという映画の構造だと思います。これがあるために気が抜けないんですね。そもそもどんな危機でも最終的には主人公に都合がいいように解決されることを観客は知っているわけですから、その冷静な知識をいかにして忘れさせるかということが、アクション映画の秘訣です。そういう観点から言って、エアフォースワンは落第、本作は合格というわけです。ところどころ、映像的にかっこいいところもありました。最初の赤外線スコープをつけた兵隊の群なんて、なんか日本のオタク系アニメの影響受けてるんじゃないのって感じでした。
ところで、ラスト近くでジョージクルーニーの額の傷、絆創膏張り忘れてるシーンがあったぞ。どうでもいいことだけど、ミスを見つけられるのって、映画ファンとしては、してやったりって感じですね。
それにしても、また原爆を爆発させやがったな、ハリウッドめ。
御裁断は(最高☆5つ)
エアフォース・ワン
ハリソンフォードが主役で大統領って言うから、てっきりジャックライアン物の最新作の映画化かと思っていましたよ。実態は最近流行のありきたりの航空アクションでした。で、監督はウォルフガングペーターゼンだから、演出とかが重たくって、退屈でしたね。敵は弱いし、危機への陥り方や解決法が安易だったりして興醒めなシーンも散見されましたね。携帯のバッテリー切れだったり、何色のコードを切るかの決断のいい加減さとか、敵側のスリーパーが肝心なところで機能しなかったりだとか。
それにしても、大統領一人を守るためにいったい何人の人間が自ら犠牲になったことか。最初っから大統領が脱出していればよかったものを。そうしてまでも、アメリカ人にとって大統領とは大事なものなのでしょうかねえ。それは、ドイツ人監督がハリウッド映画を作ったことを考えても、この映画の一つのテーマなんでしょうね。
御裁断は(最高☆5つ)
フェイク
そうですねえ。僕はこの映画は非常に変則的なマフィア映画だと思います。一応、FBIの覆面捜査官についての真実のドラマ、愛と感動、なんて売り方をしてますが、結局、面白いのはマフィア映画としての部分なんですよね。そもそも潜入前のFBIの職員としての描写が全くないので、見ている側にしてみれば、ジョニーデップは最初からマフィアなんです。これは作り手が意識的に、マフィア映画としての純度を高めようとしたのではないでしょうか?ジョニーデップが次第次第にアイデンティティを変質させていって、マフィア化していくっていうのも、面白いテーマだとは思うんですが、その辺は今回はあまり力点が置かれていないようです。まあ、しかし、アルパチーノが圧倒的なので、男の友情と裏切りってテーマで十分感動はします。
ところで、なんでもいいけど、マフィアを「ヤクザ」って字幕つけなくてもいいんじゃないの?いくら、わかりやすいからってねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
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