らせん
物語の中で人はしばしば次なる存在に進化します。たいていの物語の中で、人はテクノロジーに支えられ、テクノロジーと融合する形で進化を遂げます。これは、ゴリゴリのダーウィニストからすれば、眉を顰められる考え方かもしれません。なんならば、テクノロジーは人が作ったもので、ならば、人はその内に次なる進化の源を始めから内包しているように思えるからです。つまり、進化は必然の産物だということです。あらかじめ決められた進化。定向進化ですね。この考え方はあまりに多く物語の中に登場します。我々はそんなにも未来を決めたいのでしょうか?
さて、なかなかうまく映画用にモディファイされた今作なのですが、一つだけ難点を。佐藤浩一にはなぜウィルスがなかったのでしょう?彼の体の中にもほどけたリングがあっていいはずだと思うのですが。
御裁断は(最高☆5つ)
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