99年に見た映画
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アナライズ・ミー
精神分析医にかかるマフィアの親分っていうシチュエーションを考えて、そこにロバートデ・ニーロを配した時点で、まあ、そう大外れはしないだろうってことはわかりますね。大笑いは出来ないけれども、絶えずニヤニヤしていました。
しかし、登場人物のキャラクターは表面的にしか描かれません。分析医のビリークリスタルの登場のシーン、彼がセラピーを行っているときに、「本当の自分を見つけたいの」などと御託を抜かす患者をどなりつけるという妄想にとらわれるシーンや彼の父親とのシーンなどがあることを考えると、もっと深い掘り下げをするつもりだったのでしょうが、何かの都合で実現できなかったものだと推察されます。このあたりがハロルドライミスのだめなところです。作りがいい加減なんだ。
デ・ニーロが好きか、他にすることが無ければ見てもいいけど、わざわざ劇場まで足を運ぶほどでもないですよ。
御裁断は(最高☆5つ)
ポリー・マグー お前は誰だ?
あたしはハリウッドB級から超大作までを専門にするということを自任しておるのですが、ときどきはこうやってアート系の劇場にかかる映画も見に行きます。今回は研究室の人たちと行っている毎週水曜日に映画を見る会の会員番号三番のカラオケ大魔王山脇先生が御就職で京都を去るということで、最後に彼の見たい映画を見るという企画に従って見に行ったのでした。
結論から先に申しますと、あっしはおフランスのユーモアセンスというのがよくわからんのですな。「地下鉄のザジ」なんかは面白いと思って感動しましたが、あれとポリー・マグーは、ギャグの質はおんなじ様なものだけれども、疾走感が違います。前者はクライマックスの大ドタバタに向けて世界の破壊が着実に進行していく。こっちは、最初から最後までおんなじ調子で、くだらない、芸のかけらもないばか騒ぎだけが続いていく。これは、辛い。さすがはおフランス製だからそこそこにオシャレさちりばめているのですが、それだけで二時間の睡魔と戦うには戦力不足というものです。
映画というものは、作り手の人間性を隠そうとしても表すものです。アート系の映画では、そういうものを隠しさえしないのですが、この映画のように、そこに存在する人間性が負しか無い映画って言うのは、見ていてどのような種類においてもカタルシスを得られない。別にそこにあるものが新しいわけでも無し。こういうので衝撃を受ける人っていうのは、これまでよっぽど極楽トンボに生きてきた人で、人間の負の側面なんてついぞ考えたこともない人たちであることだなあ。そういう人たちで水曜日の夜9時からのレイトショーで劇場が満員に近くなるんだから、日本は幸せだけど、将来は暗いことだなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
ノッティングヒルの恋人
逆シンデレラ。男も弱く、女も強くなったものだ。
ここまで正統派恋愛映画だとは思いませんでした。なんせ開巻10分ほどで二人は出会い、恋に落ち、その後えんえん2時間あまりをくっつくだの別れたので押し通しましたよ。なんといっても自由恋愛の御時世ですから、若い二人の間の障害が大きいほど面白い恋愛映画ってのは、なかなか作りにくい世紀末です。だからこそ、幽霊との恋や時代感覚の全く違う二人の恋などの少し間違えばキワモノ的な恋愛映画が最近流行っているという次第。本作はシチュエーション自体はそれほどキテレツなものではないです。現実にこんなことは起きないけれども、もし起きたとしても愛さえあれば解決可能なシチュエーションです。じゃあ、障害なんて何もないかというと、それだったら恋愛映画にならないわけで、ジュリアロバーツの行動自体が障害になるという仕掛けです。ですから、この映画、女性の側に立って感情移入することはほとんど不可能です。だって、ジュリアロバーツったら一人でおかしな行動をとって、事態を紛糾させていくのですから。そりゃあ、ヒューグラントもひきますわな。いきなり初対面でキスされてもねえ。やっぱ、有名女優の火遊びで、ほんとうは愛なんて無かったのよ。
しかし、面白いからノッティングヒルの恋人2とか作りませんかね。結局きらびやかな映画スターの世界になじめるはずもなく、哀れ二人は三年後に離婚。失意のヒューグラントが本屋を店じまいしているところに、パパラッチから逃れてきたメグライアンが登場!!どうです?で、もちろん三作目はキャメロンディアスがすっかりアル中になったヒューグラントを助けてロンドンの街を走る!!!!世界は君の肩にかかっているぞっ!
いや、それでも本音を言うと、面白かったですよ。最近ダメだなあ、すっかりこの手の恋愛映画に弱くなっちゃって。女性のお客様もヒューグラントの側に立てばきっと楽しめます。それから、この映画にはサブテーマとして、人生必ずしもうまくいっていない人たちにだって輝く時間はあるんだよ、っていう気の利いた隠し味もありますし。
技巧的に面白かったところが三ヶ所。二人が公園のベンチで並んで腰掛けるシーンを二人の地平からぐーーーって大俯瞰にまで視点を大転換してしまうところ、季節の移り変わりをノッティングヒルの街路をヒューグラントが歩くワンカット(だよね)で表現したところ(これは見事なカットでした)、エンドタイトル。笑ってしまったところ。ジュリアロバーツの劇中映画、宇宙服の靴がスキーブーツだったの。ロジャーコーマンかと思った。
御裁断は(最高☆5つ)
タイムトラベラー きのうから来た恋人
ラ・ジュテ
やっぱり、ハリウッド映画がいかに偉大であるかがわかります。こちらもこちらでとても面白いのだけど、失われる既知の未来へのノスタルジアというテーマは、12モンキーズの方がより情感に訴える形で描けているように思える。
ワンカットを除いてすべてが静止画像の積み重ねで出来ているこの作品、動きのシーンはゼロなのだけど、極めてムービングピクチャーなのです。考えてみたら、普通我々が映画と考えているものにしたって、パラパラマンガなのだから高級な紙芝居と同じなわけで、ラ・ジュテとほとんど変わりません。少し一コマあたりの時間の流れ方が違うだけで。いかに映画というものが編集であるかがわかります。この映画はワンカットが静止しているせいで、そこに含まれる情報量が小さく、逆に言うとカットの抽象性が高いわけです。つまり、編集の重要性がより純化した形で存在しているということになります。極端な見方をすれば、これこそが映画であるわけです。
この映画と12モンキーズの決定的な違いは子供の視点です。12モンキーズは子供をちゃんと描いているので、ブルースウィリスの強い憧れが強調されています。しかし、ラ・ジュテでは子供の視点が描かれていないので、主人公のヒロインに対する思いが普通のものにしか見えません。これが、せっかくの微妙な感情設定を伝わりにくくしているのではないでしょうか。
御裁断は(最高☆5つ)
未来展望
最初に、この映画は未来社会で最後に残された仕事についてゴダールが持つビジョンについての映画である、との但し書きが出る。もう、ここのところで、あたしはうんざりした。開巻一分も経たないうちにこんな気持ちにさせられるなんて、並じゃあないな。
でさあ、そのビジョンってのが、恋愛が禁止のグレーな管理社会で、キスをすれば管理は停止し色が作ってんだから、バカにするんじゃないって感じですね。やっぱり、時代性の高い映画なんて作るもんじゃない。普遍性を失うわな。
こんなくだらないビジョンを、ゴダールの名前だけでありがたがって見るやつがいて、それを見越して映画を作るやつがいて。これって、後退性の表れじゃないの?
念のため言っときますけど、ゴダールがアホなのは前から知ってますからね。見たくて見たんじゃなくって、上のラ・ジュテと同時上映だったから仕方なしに見たんですからね。
御裁断は(最高☆5つ)
シックス・センス
自分の見ているものをどうやって人に伝えればよいのでしょう?僕は両目が2.0の視力を持っているのですが、こいつは、なかなか便利です。なんといっても、街を歩いていて、美人なお姉さんを遠くから発見できる。嫌いな人も向こうが気づく前にこっちが気づくから、さっさと逃げ出すことができる。いいでしょ?
ところで、僕が研究しているアリさんで、女王アリと働きアリをどうやって見分けるかというと、胸にある埃粒のような小さな器官の有無を使います。普通はこれは顕微鏡でないと見えないんですが、おお大自然の不思議、あたしゃ肉眼でも見分けられるんです。で、他のアリ研究者と一緒に採集に行ったりすると、僕だけが、「ほら、こいつが女王ですよ」なんてことができるんです。僕は「どうしてこの人には見えないんだろう?」と思うし、相手は「なんで、こいつは見えるねんな?」と思っています。どうやっても、このギャップは埋まらない。結局、完全には人に伝えられないという凡庸な結論に落ちていくのです。
コミュニケーションの問題といえば、やっぱり男女関係につきます。「ああ、女性というものはどうしてあんなにも手のひらを返すように冷たくなれるんだろう。僕は彼女の見ていたものを何にも見ていなかったんじゃないだろうか?」なんて思うこともしばしばです。
このような問題に、この映画はある意味で希望的な解決を与えてくれます。また、この映画は心に傷を負った人間の回復を描く映画でもあります。ブルースウィリスは出ていますが、アクションはまったくありません。いつも思いますが、ブルースウィリスは受け身のキャラクターになったほうが生きる俳優ですね。ストーリーを転がす側ではない。少年の演技もうまかったですなあ。ほとんど二人芝居に近い映画だった。
それにしても、こういう静かな落ちついた映画をブルースウィリス主演で作れるんだなあ。ハリウッドおそるべし。でも、ヤンデボンみたいのもいるんだよなあ、ハリウッドって。
御裁断は(最高☆5つ)
エリザベス
見切った!この映画のテーマは異性愛の否定だっ!!
だってさあ、この映画の中で死んじゃう人って、みんな異性愛者でしょ。エリザベスは異性愛を否定することで、処女と化すことで生き延びたんだよね。しかも、少年愛の護衛に守られて。きしょい。しかも、できあがった女王は山海塾やんか。やっぱり、きしょい。
こりゃあ、あんた、恋に落ちたシェークスピアの方がずっといいわね。そもそも主演女優の美貌からして違うわねえ。それにしても、ジョセフファインズなんてただのサル、いったい何がいいのやら。
御裁断は(最高☆5つ)
秘密
僕はまだ独身で、夫婦というものが、どのようなものなのかよくわからないのです。ここ何年かは身近に夫婦者が増えてきたので、だいぶん理解が進んだような気がしますが、それまで僕のよく知っている夫婦というのは、自分の両親しかいなかったわけです。少なくとも僕の父は小林薫みたいじゃなかったし、母は広末と言うか、岸本加世子というかじゃなかったなあ。
長年連れ添った夫婦の愛情を描く一方で、この映画は疑似的な初恋を描く映画でもあるのです。恋と愛は似ているようで全然違うものだと思います。実際の生活で、この二つを両立させようと思えば、不倫しかないわけですが、そのときは文字通り倫理上の問題が生じるわけで、当人が100%幸せかというとそうでもない。しかし、この映画の小林薫は、二つを両立させ、しかも倫理的に純粋でいられるという。まあ、これにも問題がないかというとそうでもないのは映画に描かれている通りなんですけどね。
この二面性、小林薫のほれぼれする、そして広末の圧倒的な演技の技で現実になっています。映画の前半は小林薫の独壇場かなと思っていたのですが、途中娘の藻奈美の人格が再び表れるところあたりから、広末の存在感がお話を圧倒していきます。そして、その情感はラストに向けて。。。
正直言って、とんでもなかったです。泣かせ系の映画は、見ているこっちは最初ッから構えてしまっているので、泣けることなんてないんですが、この映画だけは参りました。アイドル出てるからー、なんてのも油断させられました。最初の5分くらい、黒部アルペンルートを通ってスキーにはいけないよーとか、あんなとこから落ちたら誰も助からんよーとか、病院で死にかけてる患者のベッドを看護婦が手伝って動かすなよーとか、「おいおいそんな非現実的なことするなよ」と思っていましたが(実際、この監督はファンタジーの演出が下手なんでしょうね)、その後、二人が家に戻ってきて、生活をはじめ出すと、細かなところまで、こちらの共感回路をグイグイ揺さぶってくる(やっぱ、一番わかるわかると思ったのは盗聴器だな)。そのうち、見ているこちらは共感回路の動作の激しさに、批判的理性を失ってしまい、後はキャラクターの感情の揺れとおんなじように感情を揺さぶられてしまうのです。映画というメディアの持つ潜在的力を100%出しきった映画でした。
話は変わりますが、食べるシーンがやけに強調されている映画でした。辛子明太子、ソフトクリーム、お蕎麦、ラーメンなどなど。どういう意図だったのでしょうね。下手すると絵空事としか捉えられないストーリーを現実の地平に少しでも近づけようということだったのかな?
それから、誤解のないようにいっておきますけど、こんなにべた褒めしているのは、決して僕が広末ファンだからじゃ、ありませんからね。これまで、僕は30過ぎたいい男が「広末はいいよお」なんて語ることをちょっと恥ずかしいかなと思ってましたけど、この映画を見た後は確信をもって言えます。「広末は天才的だ!日本の宝だ!!何をやっても許す!!!」。僕など30過ぎても夫婦ってのがわからないのに、まだ10代の彼女がどうしてこんなにリアルな夫婦を演じれるのだろう?これは、カンがいいというしかないのだろうか?
僕なら、この映画に主演したっていうだけで、単位出しますよ。少なくとも人間というものの理解について、凡百の人ではかなわないでしょう。大学もいいけど、お仕事もがんばってね。
ああ、こんな時期にこの映画を見れたってのは、幸せなことだなあ。人生に影響を与える一本に出会える機会って、そう滅多にないものですよ。って、これは個人的なことでした
御裁断は(最高☆5つ)
パラサイト
いつも思うけど、アメリカで高校生やるくらいなら、日本の会社にでも勤めたほうがましだねえ。
しかし、ちょうどあのくらいの年ごろってのは自我に目覚めてきて、そうするってえと自我の衝突が生れはじめて、「おや、なんとなくこれまでの能天気なハッピー生活と違うぞ」なんて思いはじめて、「ああ、まわりの人なんて、みんな理解不能な人たちだ。おいらは孤独だ、大人なんて嫌いだ」などと短絡するもんでございます。そういう映画でございました。ついでに脚本のケビンウィリアムソンはオタクなものだから、「女なんてこわーーーい!!」ってなテーマまで埋め込んじゃって。なんていっても、水恐怖症になりそうな映画だものな。
それにしても、人類の危機がボールペン三本で救われるんだから、お安いものです。どうせなら、最後にあんな怪物出さなきゃあいいのになあ。特撮使うが能じゃないっすよ。それまでのシーンで堪能してるからさ。裸の姉ちゃんが必死の形相で襲ってくれば、十分怖いのに。あれ?でも、それだとスピーシーズになっちゃうかなあ。
ジョンカーペンターが作れば、最後高校生の男女二人だけにして、エイリアンを倒したはいいが人類みんな既に寄生されちゃってて、残ったのはただ二人ってなラストにでもしたろうに。今日の落ちは能天気すぎていただけませんな。
とはいえ、よくできた侵略SFものでしたよ。ロバートロドリゲスも大人になって、まあ。特に最初の方なんてテンション高かったし。サルマハイエクもでてたし。ロバートパトリックまで出てたのには笑えた。あの手の役させたら右に出るものはいないねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
オースティンパワーズ・デラックス
うーむ、一億総右ならえ状態の、ここ世紀末の秋の日本で、「究極のおばか映画だ、イエーイ」と宣伝しているこの映画に一言でもネガティブなことを言うと、「いけてなーい。頭かたいんじゃないのー?」と、おしゃれ系の人々から総すかんを喰らいそうで、とっても怖いんですがね、やっぱりね、言いたいこと言っとかないと、精神衛生に悪いからね。
いや、つまらないなんてこれっぽっちも思わんですよ。サービス満点だし。しっかし、メジャー配給でロードショーするかなあ、この映画。基本的にはカルトじゃん。この映画をありがたがって1800円も払って見る人がたくさんいるほど、まだ社会は落ちぶれてないと思うけどなあ。みんな、もっと堅実なはずやん。しかも前作と比べてお金がかかってるもんで、いろんなところがスケールアップ。前作のチープでキッチュなところは仕方なしにやってたのに、今回みたいに作られるとなんか、わざとらしくってなあ。いや、面白いんですよ。でも、ありがたがるのは、腑におちんなあ。映画館で見ますかね?この映画を。
御裁断は(最高☆5つ)
マトリックス
すごい。これほどオリジナルな映画には何年かに一度しか出会えないでしょう。いろんな意味で衝撃的でした。思えば、ターミネーターやブレードランナー、マッドマックス2などを見たときも、そこに構築された独創的な未来の世界に、まだ多感な十代だった僕は頭がくらくらしたものでした。そういう感覚を、齢30を越えてまた味わえるとは。
チャイニーズゴーストストーリーもかなり頭をぶちのめされたものでした。ワイヤーで飛びながらのチャンバラなんてえ、想像を絶したものでした。マトリックスは香港アクションの正統なハリウッドバージョンですから、ワイヤーワークはたくさんあって、面白かったです。香港映画と比べるとアクションシーンに至るまでが丁寧に描写されているので、否が応でも盛り上がる。まあ、とはいえ、ワイヤーワークは上手に丁寧に作ったということで、感心はするけれども、センスオブワンダーとまではいかないのです。しかし、スローモーションかつ高速に移動するカメラは視覚的驚き以外の何者でもない。これはジュラシックパークでリアルな恐竜がCGIで描かれたときの視覚的驚きとはまた違うのです。ジュラシックパークの場合は、これまでの技術の延長線上にあったわけで、想像することが可能だったわけですが、マトリックスのあのシーン(バレットタイムというらしい)は、実際に目にするまでまったく想像も出来ない映像でした。いやはや、驚きました。マトリックスは今後十年間のハリウッド映画に影響を与え続けるでしょうことよ。
どんなにいやなものでも、まずい飯しか食えなくても真実は真実。そこから目を背けて安隠たる夢をむさぼろうとも、それは死んでいるのと同じこと。このテーマに賛同できる人間は、ほんとうのところどれほどいるのでしょう。僕は自分のまわりを見渡してみて、それほど楽観的にはなれません。端から見ればいかにグロテスクであろうとも、培養液の中で夢を見ていれば、そのことにも気づきはしない。それに、もし無理やりにでも目覚めさせたとしても、それさえも拒絶してゆりかごの中に戻ろうとする人が現実の世の中になんて多いことでしょう。ネオは本当に救世主になれるのでしょうか?
もちろん、ネオはキリストです。預言者がいて、ユダがいて、死と復活があって。でも、結局のところキリストも救世主にはなれなかったわけです。生誕後2000年も経って、まだキリスト再来を待望する映画が作られるのですから。マトリックスは続編も作られ三部作になるそうです。どのようなお話になるのか、とても楽しみです。
難を言えば、マトリックス世界があまりに複雑なもので、その説明にむちゃくちゃ時間をとられてしまうことでしょうか。マトリックス世界の真実を暴く前に、その見かけがいかに普通に見えるものかを、もっと描写しておいたほうが良かったのだと思います。そのほうが、現実の無根拠さにもっと震えられたでしょうに、そのための時間があまりなかったのでしょうね。それから、アクションシーンにもしわ寄せが来てたのかな。
しかし、こんなのは、たいした欠陥ではありません。すべての映画ファンはマトリックスを見て衝撃に打ち震えるべきです。生きててよかった。
御裁断は(最高☆5つ)
ホーホケキョとなりの山田くん
残念ながら、僕はこの映画に対してあきらめの心境で対することはできません。
もちろん、ジブリの人たちの主張は全くごもっともで、僕自身も常日ごろから口にしていることです。しかし、その主張をこのような形でパッケージして提出するところに、ジブリの人たちの精神の後退性があらわれているようで、僕には嫌悪感しか残りません。この作品のテーマは、それだけで存立させてしまうのはあまりにも危険です。なぜなら、それは限りない甘え、弱さにつながるからです。僕なら、この映画を全部で30分の長さに抑えて、病院のシーンなどは全てカットして、そうして「もののけ姫」と同時上映にします。そうして、やっとこのテーマは生きてくるのです。
ジブリという精神性は、問題と対峙しなくてはならないときに、必ずファンタジーの世界に逃げ込もうとします。結局、忌むべき70年代から一歩も進歩していないのです。この映画では、「正義の味方」のシークエンスでその特徴がよく出ていました。途中、暴走族のシーンをあれだけリアルに、しかも山田くんたちまで、リアルな姿として描くということまでしていながら、ついにお婆さんと族が対決するとき、絵柄がこれまでのマンガに戻ってしまいます。そこでの問題の解決のやり方は夢物語といってもよいほどです。夢物語そのものが悪いのではありません。最初にリアルな絵柄のシーンを挿入し、シリアスさを表現したのだから、逃げてはいけないと思うのです。そこで本作のようなやり方が出てくると、最初のシリアスさは欺瞞かと思います。
結局、山田くんは自分の力で問題を解決することはできませんでした。そして、彼は公園のブランコに座って月光仮面の妄想を見ます。僕は、このシーンであやうく席を立ちそうになりました。2段目のファンタジーへの逃げ込みを行い、しかもそのファンタジーで描かれるのは借り物のイメージ、しかもノスタルジーを引き起こすだろうという計算の元に借りてこられたイメージです。ここがジブリの人たちの後退性の白眉のシーンだったように僕には思います。非常に悪意を込めて言うならば、彼らはシリアスになりたがっているだけで、決して本心からシリアスなのではないのでしょう(これこそが忌むべき70年代ではないか)。もし、本当に何かの問題をシリアスに考えているならば、もう少し現代性というか同時代性が現れてくるものなのだと思います。
この映画の形式上のクライマックスは、誰かの結婚式で山田くんが行うスピーチです。そこには、テーマがあけすけに語られています。わかりますか?映画がその作品の中で登場人物にテーマを語らせるとき、その映画は自分自身のメディア特性を否定していることになるのです。これは映画では絶対にやってはいけないことのはずです。僕は、ここでも後退性を感じました。
この映画、最初の15分ほどの花札を利用したオープニングとミヤコ蝶々(!)のスピーチをバックにした、これぞ動く絵!のシークエンス、それから異様な臨場感の音響効果、見事な音楽といったように、百戦錬磨の映画ファンをうならせる要素がたくさんつまっています。でも、年に数本しか映画を見ない普通のお客様は絶対に見てはいけません。入場料に見合うだけのものを手に入れることはできないでしょう。
御裁断は(最高☆5つ)
交渉人
いい人をやらしてもかっこいいねえ、ケビンスペイシーは。ラストシーンでサミュエルLジャクソンの乗る走り去る車の中からケビンスペイシーを捉えたショット。さりげなく、手を振って後ろの車を誘導するケビンスペイシー。こういうほんのちょっとしたディテールがリアルさを作るのですねえ。
全体的に、すこしテンポがゆっくりめだったように思います。演技は二人揃えているんですから、じっくり見せようかってのもわかるんですがねえ、サミュエルLジャクソンはちょっとくさいぞ。やつは、ひょっとして大根なんじゃないか?スターウォーズの時もちらっと思ったが。あと、ケビンスペイシーが出てくるまで交渉役をやっていた刑事の描写とか、ちょっとあざとさが目に付きましたな。
しかし、人間、プロにならな、あきまへんな。あとは、胸板を厚くして首を短くして猫背で歩ければ最高ですな。
御裁断は(最高☆5つ)
スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス
タイトルが長い。
見ましたよ。先々行オールナイトで。15年待ったかいがありました。確かに批評家連の言うように、映画としてこれを見れば、荒い部分は、いーっぱいありました。ジャージャービンクスとの出会いのシーンや、アナキンの血液を採集するくだり、編集になっていない状態でした。つながっていないんだもの。後、グンガンのシーンなんかはまるまる不必要だし、ポッドレースのシーンももっとコンパクトにできるだろうし、ダースモールにしても、あんなにかっこいいのにただ出てきてライトセーバー振り回すだけだし。簡単にもっと盛り上げられただろうとは思います。
しかし、やはりR2がはじめて登場したシーンには単純に感動しますし、そもそもエンドタイトルの最後の最後の5秒間。静かに静かに、皆が知っている将来を暗示させるあのサウンドエフェクト。やはり15年の歳月は重いものですなあ。スターウォーズを知っている人は絶対に明かりがつくまで席を立ってはいけません。
それに、単純に映像だけで圧倒されてしまいます。スターウォーズの本質は主人公達がいろいろな星を冒険して回ることですから、物語構造としては、これで全くオッケーですし、見たこともないような星の様子を見られるだけで十分といえば十分です。そういう意味で、この映画で一番本質的なシーンはナブーの海の中を巨大な水棲生物たちに追われながら旅するシーンでしょう。コルサントの描写はいまいちでしたね。あれじゃ、フィフスエレメントと変わらない。
ところで、予想通り、物語はエピソード4と6とさまざまなところで相似形でした。デススター攻略戦の原形がそこにありますし、クライマックスはそのまんまジェダイの復讐だし、クワイ=ゴン=ジンにしたってねえ。よく考えたらエピソード4と6も相似だったものね。
オビワン、もっと頑張れ。今回はクワイ=ゴン=ジンに食われっぱなしだったぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
ハムナプトラ 失われた砂漠の都
超荒唐無稽映画でした。秘境探検物に始まり、モンスターホラーに化すという。僕は秘境探検物のフォーマットをしっかりなぞった前半部分が好きです。おてんばなお嬢さんと力強いが粗野な男の軽いケンカ、本当はお嬢さん男の事が気になるのに、そしてちょっとした危機を乗り越えた夜の二人の引かれあう心、しかしまだ映画は中盤なので思いは果たせず翌日へ。ああ、なんてお決まりの展開。うれしくなります。こういうのがコミカルに描かれていてこそ、荒唐無稽話も楽しく見ていられるってものです。インディジョーンズの三作目以降、こういうのしばらくぶりですからね。コミカルといえば、お兄さん役の目立たないけどしっかり軽妙している演技。見ててとても楽しかったです。
後半部分で、面白かったというか変わってるなと思ったのは、登場人物を味方側の人間まで次々死なせてしまって、ちっとも悪びれずにストーリーが進んでいくことでした。なんてドライな、と思いながらこのあたりは御都合主義すれすれでしたね。まあいいんだけど。あとオープニングのエジプトのシーン、CGだとわかっていても、おおっと思いましたですよ。いきなりのけれん味で、すんなり世界に入っていけました。
それにしても、イムホテップはかわいそうに。恋人と一緒になりたかっただけなのにねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
25年目のキス
アメリカの高校生にだけはなりたくないものだと思いました。あんな生き馬の目を抜くような学園生活、お金積まれてもごめんです。あんな過酷な環境を勝ち抜いてきた人間が作る社会なのですから、私たちがまともにぶつかって勝てるはずはありませんよね。勝たなくってもいいや。まあ、それはともかくとして、あんな生活でも彼の地の高校生には青春なんでしょう。おろかな、しかし、いとおしい。そのことは、万国共通なテーマでしょう。甘い甘いテーマだとしても。
この映画のテーマはもう一つ、仮面をかぶるものは報いを受けるというようなものもあるようですね。シェークスピアも引用しつつ、やはり仮面は仮面でしかないという。これも、素朴といえば素朴すぎるテーマですね。
それにしても、ドリューバリモアもイモ姉ちゃんやらせれば世界一ですな。これが10代にしてハリウッドの悪徳をすべて舐め尽くした人なのですから、世の中は皮肉です。高校生時代のドリューは、確かにアメリカ人じゃなくてもブスだと言いたくなりますね。でも、ちゃんとその辺をえぐいくらいに描いているので、そこを克服する過程は単純に感動してしまいます。で、最後、潜入記者であることがばれてから、ああやってまとめてくるとは、またまた不覚にも感動してしまいました。うーむ、僕のツボなのだろうか?恋人とぜひ見なさい。
それにしても、描写はいまいち丁寧さを欠いていて、なぜドリューと先生が互いに恋心を抱くようになったのか、編集長は結局ドリューサイドなのか、あんなに簡単にこっちの側からあっちの側へ移れるのか、数学クラブとの友情などなど、もっと盛り上げられたように思いますね。まあ、いいんですけど。
僕は数学クラブの女の子が好きだな。
御裁断は(最高☆5つ)
RONIN
戦う男を撮らせたら、というか、戦う男を撮ることしか頭にないんじゃないか監督のジョンフランケンハイマーの新作。僕は、ロバートデ・ニーロの「ほら、おれって上手いだろ」演技があんまり好きではなく、特に今作のようなアクション映画ではああいう演技は本筋から気をそらせるだけになるんじゃないかと思っていましたが、比較的抑えた演技でよかったように思います。
こう色々な国の人がパリに集まって一つのミッションを行おうとするのですが、英語の訛りが聞き分けられない僕では登場人物の背景理解や、そもそも登場人物の弁別に少々苦しみました。残念なところです。一度に三人を混同していてはなかなかストーリーについていけない。
実は、アクションシーン、特にカースタントが非常に素晴らしい映画でして、あんなの見たことないやってほどの出来です。星半個分よけいにあげてしまいます。映画史上一二を争うんじゃないでしょうか。対向車線の車を右に左にかわして行くシーン、主人公も対向の車もパッシングバシバシで、リアル感もなかなか。あんなふうに気の行き届いた演出されたカースタントも珍しいです。で、ですねえ、見ているほうとしてはそっちですっかり満足してしまったもので、ストーリーはある意味でどうでもよくなってるんですよね。でも、この映画、律義にストーリーもかっちりと作ってある。最後のシーンになって、すべてが明らかにされて、「おお、ちゃんと伏線も引いてあるじゃないか」と思える。しかし、映画を見ている最中はその伏線はりが、登場人物達の行動の不合理さに見えてしまいます。これは、アクションシーンへの集中度を損ねます。そいつはとても残念なのです。ぜいたくな要求ではありますが。
バランスは常に大事なのだなあと。でも、しつこい演出では定評のあるフランケンハイマーにそれを求めては酷というものですね。
ところで、一応謎の女とロバートデ・ニーロの間には、作戦を共にする中である種の男と女の感情が生じてきていて、それがラストの方で少し現れてくるわけですけど、まったくロマンチックさのかけらもない演習なもんで、困ったもんですな。あれなら、最初っから無しにしておけばいいのになあ。あのキスシーンなんて、とってつけたようだぞ。うらやましいけど。
御裁断は(最高☆5つ)
ブレイド
いやー、なかなかの珍品ですぞ。アメコミの映画化だそうなので、どうしても構成の甘さを想像させますが、これがどっこいよい出来で。ウェズリースナイプス主演だからアクションシーンは最高の切れ味だし(いつか、リーリンチェイと対決しないかしら)、音楽もクールに決めて、特撮もかっこいい。それから、重要な点ですが、物語の構造がしっかりしている。ウェズリーちゃん演じるところのブレイドもクリスクリストファーソン演じるところのウィスラーも異形のものだが、このヴァンパイアハンターのチームに巻き込まれた女性を加えることで、我々普通の人間からの視点をうまく取り込んでいます。ここはアイデアですね。これがなければ、ただのマンガ、スクリーンでは大騒ぎだけど、お客はどこか白けて見ているだけだったことでしょう。
で、何が珍品だったかというと、いちばんのポイントは、あふれんばかりの日本趣味。ブレイドの秘密基地には仏壇があって、瞑想してるし、彼岸花とか生けてあるし、彼の使う刀のつかは、もろ日本刀だし(でも、チャンバラになると手首だけをつかったフェンシングの要素がどうしても取れないのね。残念)、途中で日本語ラップバンドのステージのシーンがあったり、あげくエンドタイトルに流れる曲には日本語のせりふがあったりして。見る人が見れば国辱物ですぞ。そういえば、燃えよドラゴンみたいなシーンもあって、きっと作り手はブルース・リーを日本人だと思っているに違いない。
この映画の監督はなかなか手だれでしょう。オープニングの血のシャワーから続くブレイドの大活躍シーンと中盤の地下鉄での戦い。圧倒的なテンションでぐいぐい引っ張ります。ものすごく細かいカットの積み重ねで、何が起こっているのかわかりにくいのは最近の傾向ですから、まあ、それはいいでしょう。アクションシーン以外でもサブリミナル的に挿入される細かいカットの多用も特徴的です。それから、街の描写にハリウッドっぽさがなくて好感しました。こんな脳天気な映画の癖に、とても寒々しい描写なのです。こういうところが全体のトーンを引き締めてくれているのでしょう。スローモーションと早回しも大胆に使っていましたね。
あと言っておかなければならないのは、吸血鬼映画としてオーソドックスだったことです。人間社会に溶け込んでひっそりくらしている吸血鬼と、それを知り退治に走る人間と吸血鬼の合いの子という設定は寄生獣を想像させます。それでも、ちゃんと吸血鬼は邪悪の象徴ですし、吸血行為が性行為のメタファーであるというお約束もしっかり描いている。このあたりは吸血鬼をゾンビの一種として描いてしまった「ヴァンパイア最後の聖戦」の失敗は回避できています。で、吸血鬼はもともと映画としてポテンシャルの高い題材だということを証明してくれたわけです。
それにしても、ウェズリーちゃんがサングラスをかけていて、これはコミックのキャラクターなんですかね。まあ、彼の目は情けないところがあって、半聖半邪のブレイドをやるには隠しておいたほうがよいわけですが、どうしても鈴木雅之に見えちゃうんだよねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
ペイバック
ぜーったいメルギブソンはマゾに違いない。アクション映画をやると必ず拷問されるし、今回でも中国人女王様が出てくるシーンの異様なほどの突出度は好きだからこそに違いない。ああ、私生活で殴られて恍惚とするメルギブソンを想像するのってやなもんだ。
監督がLAコンフィデンシャルの脚本家だと聞いて、この映画のハードボイルド部分がよく理解できた気になりました。妻に裏切られて死にかけて、なんとか生き延びて、でもやはり妻に会いに行く。殺されかけても、まだ未練があるのか、それともただの惰性なのか。「結婚とはこんなものか」のせりふ。くー、かっこいい。やっぱり、男は何があってもぐっと抑えるですぞ。
でも、アクションシーンはリッグスなの。ひとりリーサルウエポン。さすがに大爆破シーンもないし、ペラペラ漫才みたいにしゃべるわけでもないけど、無鉄砲に敵地に突っ込んでいくし、ダメージを受けてよろけるところの千鳥足演技とか、早くマータフ出てきてえや、って感じ。
で、この二つの要素が混ざり合ってなんとも形容のしにくい妙な雰囲気をつくっているのですな。見てて、どこかしら足の裏に豆粒がついたくらいの座りの悪い感じがする。他の登場人物達もどこかネジが緩んでいるようなおかしなキャラクターばっかりで。とはいえ、お話自体は、たくさん広げたプロットをちゃんと最後には収束させているし、よくできています。わき役達の個性も丁寧に描写されていますし、手抜きなしに作られているようです。面白いですよ。
それにしても、次から次へと悪役を倒すたびに、また新たな悪役が出てくるというのはドラゴンボールか格闘ゲームかという感じです。大ボスなんて映画が残り1/3くらいにはじめて画面に現れるのですよ。中ボスのジェームズコバーンも然り。いい味だったですけどね。
御裁断は(最高☆5つ)
スタートレック−叛乱−
なんか、印象に残る部分の少ない映画でした。さすがのニュージェネレーションも映画三作目ともなるとだれてくるというか、みんな年取ってくるというか、オリジナルストーリーの轍を踏み始めているのでしょう。ライカーが監督だそうですが、ちょっと今回やりすぎじゃないかしら。一人でにやけ倒してなあ。ファンは喜ぶのだろうか?
それにしても西洋文化にはしぶとくユートピア思想がはびこっているものです。今回舞台となるバクー人のすむ惑星なんか、科学技術を拒絶して作り上げたのが、まんま農村共同体なのですから。目新しさのかけらもないっていったら、そもそもスタートトレックの否定になってしまいそうですけれどね。これで演出にキレがあればいいんだけどなあ。作物を植え、小麦粉を打ち、鍛冶屋がいるってのは西洋人の原風景なんでしょうね。僕には何がいいのかさっぱりでした。
昔からスタートレックで活劇になるときは、大宇宙の危機が艦長と敵の殴り合いで決着がつくというのが定番なのですが、今回はそういうシーンはなく、脱出するバクー人を護衛するクルーと、追っかける小型の飛行機との銃撃戦をただだらだらと映し続けるだけという、なんともしまりのない。うーむ。あとから考えるとそれなりに伏線もちゃんと引いてあって脚本もよいテーマを扱っているんですけどね。いいのかなあ、こういう商売で。
ところで、ピカードは趣味が悪いぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
恋におちたシェークスピア
学者というものは、自分の研究成果を論文にすることが義務のようなものです。もちろん、朝が来たことを表現するために、ナイチンゲールを引き合いに出すことは、学者にはできませんが、「朝が来た」と言わずに「太陽が現在5度4分の高度にある」と表現するくらいの自由はあるわけです。そう言う意味で、不肖わたくしも物書きの端くれでありまして、スランプがあるんですよ、これが。最近は、一日かけて二行書いては一行削りという状態で。ああ、僕にも新しいミューズ様があらわれないかしら。
いや、それにしても一分の隙もない作品でした。今年のアカデミー賞は高水準ですな。はっきりいって作品賞を取った時代物でしょ。しかもシェークスピア。退屈を覚悟の上だったんですけれども、うれしい誤算でした。「よい芸術を作ることは、それ自体喜びである」というテーマ(薬屋にふんすることになる金貸しに象徴される)を本作のようなエンターテイメントに埋め込んで呈示してしまう。メッセージと技法との見事な調和であることよ。この作品も、下の作品とは別の意味で「ライフイズビューティフル」と語っているのですよ。人の情熱のこもったよい芸術の元では、人はみな幸福である。ああ、愚直なまでのオプチミズム(決して総理ではない)。損はしないから絶対見るべし。ただし、普通の意味では感動したりはしないから、そのつもりで。
ところで、僕は「グィネスパルトロウは断然ショートカット」派であることをここに宣言します。
御裁断は(最高☆5つ)
ライフ・イズ・ビューティフル
さて、この映画の一番重なポイントは、ロベルトベニーニが妻をめとるまでの前半と、収容所に入れられてからの後半をまったくおんなじ平面上に置いて、そうして両方をひっくるめて、「ライフイズビューティフル」と言い切ってしまうところなんだと思います。すべては心のありかた次第であって、一つにくくれるんだよと、こんなに両極端に見えるけれども、一つのものの二つの側面にしか過ぎないんだよ、と言ってしまえるところです。そうすることで、二つを結びつけるものの重要性もあらわになるという。
この映画を見ていて思ったこと二つ。それは「三回繰り返せばギャグになる」「ウソでも百回言えば本当になる」。この二つって一つの軸の上に並べられるのかもしれませんね。ギャグってのは本当のことの未熟な段階だということですね。いや、それにしてもうまく伏線を聞かせてギャグを作っていくことよ。
それにしても、ラストああしなきゃいけなかったのでしょうか。完全には納得できていません。軍医のシークエンスも含めて考えるのですが、甘さを出さないのがヨーロッパ趣味ってものなのでしょうか。
そういえば、「あんなものは現実じゃない」とか、「ホロコーストを生き延びた人を愚ろうしている」などの批判があると聞きます。けれでも、ロベルトベニーニは将来を見ているのです。いつか人が苦境に陥ったときどうすればよいかということだけを考えているのです。ですから、過去のことしか頭にない上のような批判はまったく的外れなのでしょう。的外れを受け入れたとしても、過去しか見ない人よりも将来のことを考えている人の方が建設的であると僕は思っています。
御裁断は(最高☆5つ)
隣人は静かに笑う
この手の映画はストーリーを語ることはできないし、ここで感想を書くのがとても難しいんですよ。まあ、しかし、今回僕は敗北を喫しました。ケビンコスナーの「追いつめられて」以来の大敗北でした。
全体として暗く冷たいトーンの映画だということは邦題からもわかるから、少しくらい書いてもいいでしょう。室内のシーンではとにかく光量を落としていますし、屋外のシーンでも晴れているように見えて、なのにとても寒々とした映像で。後半にジェフブリッジスが友人のFBIの人と会うシーンなんか、ぞっとしてみてました。
ラスト近くのカーアクションシーンはなくてもよかったんじゃないかな。この映画から受ける恐怖の質を考えると、ウソっぽくて、すこし興ざめだったかも。ただ、あのシーンのジェフブリッジスの焦った顔の写し方は、面白かったけど。
御裁断は(最高☆5つ)
エネミー・オブ・アメリカ
トニースコット見直しました。面白かったです。
なんといってもジーンハックマンでしょう。あんなに爺さんになってしまって。しかし諦観、能力、慈愛、臆病の妙なバランスのあるキャラクターを見事に作り上げたものです。もう少しジーンハックマンって、油っぽくって目が鋭いという印象を持っていたのですが、今作のは役作りなんでしょうか。それとも、本当に爺さんになったんでしょうか。
プライバシーの侵害というテーマ自体については、ラストの方でウィルスミスの妻が言っていわく「監視者の監視が必要で、またその監視が必要で、そのまた監視が。。。」となってしまって、考えを突き詰めようとすると、切りがなくなりそうですね。あちらの会社では、個人のメールも会社のネットを経由するときは管理者に読まれているものと覚悟しろという話もありますし、なかなか恐ろしいですな。しっかし、あたしのプライバシーに興味を持つ人なんていないんだろうけどなあ。
それにしても、ウィルスミスはなんであんな妻を愛しているんだ?ギャーギャーうるさいし、旦那のピンチにも手助けしないし、クリスマスプレゼント勝手に開けてるし、そのうえ下着姿になったらお腹出てるし。もう一人の女性の方がずっとええがな。共感できんぞ。まったく。
御裁断は(最高☆5つ)
マイティ・ジョー
豚の次は猿
昔、ジュラシックパーク2を見たときに、それはたいそうつまらなかった映画だったんですけど、前半に恐竜を狩るシーンがあるんです。日差しの中疾走する恐竜を何台ものジープが取り囲み、弾みながら追いかける。ここだけは面白くって、こういうシーンを中心にした映画を作ればいいのにと思っていたら、できました。すごいすごい。よくあんなにリアルに作れるもんだ。
ディズニー映画だし、いろんな意味で安心してみていられるし。主演女優さんはとってもスタイルがよくって、長い足を惜しげもなくひけらかしてくれるし。こんなに長所をあれもこれもと挙げることができるのになあ。いったい、どうして。。。
御裁断は(最高☆5つ)
ベイブ 都会へ行く
本当の意味でのおとぎ話を見せられたような気がします。普遍的に人の心の中にある属性、特にevilな属性を純化して取りだし、カリカチュアされたキャラクターとして具象化し、そのキャラクターを使ってお話を紡ぐ。この映画は、ある種の神話を語ることを目指したものであるともいえるでしょう。僕は、特にベイブたちが動物駆除係に捕まるシーンでのスローモーション処理に、この映画の神話性を強く感じました。
この映画、人間が本質的に持っているevilnessを描くことだけが主眼だったんじゃないでしょうか。しかも、そのevilnessは悪として描かれるのはなく、ただそこに存在しているものとして描かれます。そもそも、この話の発端は英雄であるはずのベイブが引き起こしたものです。ベイブはevilnessを持っていないキャラクターのはずなのですが、なのに、その行いは結果としてevilな騒動を引き起こしていきます。もちろん、ベイブは悪くない。でも、災厄はそこに現れるのです。おそらく現実の世の中ってのは、そういうものなのでしょう。でも、映画館の中でそのことをずっと見せられ続けるのは、しかもかわいらしくいたいけな動物をキャラクターとして描かれると、その寓話性は強く引き立たされるので、僕はとても辛かった。見ている間、ずっと悲しくって泣きそうでした。
僕はベイブの第一作を見ていないので比較はできないのですが、今作ではベイブは主役というよりは、狂言回しです。僕が見るところ、本当の主役はオランウータンのセロニアスでしょう。あの瞳が訴える、生きるということへの諦観、そして最後の最後の瞬間にその諦観は少しだけ破られる。素晴らしい名演技でした。さすがは万物の霊長と言ったところでしょうか。
監督のジョージミラーは、昔「トワイライトゾーン」の第四話、グレムリンが出てくるエピソードでも、おんなじような調子でジョンリスゴウにふりかかるまったく理不尽な災厄を描いていました。おそらく、今作はあのテーマを膨らませて、描き直したのでしょう。よりによってベイブという一見正反対の世界を使って。底の深い監督です。
僕は、この映画を人に勧めようとは思いません。でも、見るべき価値のある映画です。それは断言できます。
御裁断は(最高☆5つ)
バグズ・ライフ
良きアメリカ映画です。
願いを強く持てば必ずかなう。みんなで力を合わせれば負けはしない。勤勉は酬われる。不正直でなければいつか理解される。挑戦し続ければ道は開ける。
今どきこんなテーマで映画が作れるのも、CGの見たこともない映像あってこそ。表現手法が新しいのだから、テーマは単純明快でもかまわない。逆の言い方をすれば、テーマを必要以上に複雑にしないためには、絶えず表現手法の革新が必要になるという。あちらを立てればこちらが立たずですな。ピクサーが次に作る映画は、誰でも知ってる有名な話、例えば昔の名作映画のリメイクなんて面白いかもしれませんね。ストーリーの目新しさではなく、完全に表現としての目新しさだけで勝負するという。そういう期待を抱かせるほど、今回のアリの世界センスオブワンダーな感覚は大きかった。風にそよぐ草の密林。泥が乾燥してできたグランドキャニオン。雨水の爆撃。全てのシーンに驚きがありました。
はっきり言って少し前に公開された「アンツ」なんて目じゃないです。脚本がよく練れていて、キャラクターやイベント達がきっちりとつながってムダがありません。これに比べると「アンツ」のなんと凡庸で爽快感のなかったことよ。やはり、アイデア持ち逃げして、突貫工事で作った映画は本物にはかなわないということですね。よかったよかった。そもそもアリを4本足で描くところからして素晴らしい。でも、ちゃんと敵役のバッタは6本足なの。異形のものなんだね。しかし、欲を言えば、助っ人達がバッタと戦うときにもっと積極的な役目を果たしていればよかったかもしれません。今のお話だと、連中はいてもいなくてもいいんですよね。
それから、鳥の動きのリアルだったことよ。
今回、アリ学者としてのコメントは差し挟む余地がありません。それくらい映画として完成されています。一言だけ言わせてもらえば、Princess Attaかぁ。
御裁断は(最高☆5つ)
ガメラ3 イリス<邪神>覚醒
あ-あ、なんてことだろう。ガメラ1、2と言えば「現代社会に怪獣が出現したらどうなるか?」のリアルなシュミレーションとして、まぎれも無い傑作だったわけです。で、さすがに三作目にもなると、そういう手法ばかりではやりにくくなる。で、今回はギャオスとガメラの戦いで親を殺された少女の視点を取り入れました。物語をそういう個人的なささやかな視点から描くやりかたは、金子監督の得意技。なのに、いいたいことはよくわかるのに、中途半端。山咲千里と変なコンピューターおたく、最悪。最悪。ああー、もう、最悪ですともさ。ストーリーに全然絡んでこないしさ、そもそもリアルなシュミレーションであるというこれまでの良さからも逸脱している。あれじゃあ、安手のゴジラ映画のキャラクターじゃないか。他にもこれまでとの一貫性のために出さなきゃならなかったキャラクターが多すぎて(警部補とか、官僚とか)、全体が散漫になってしまいました。
やはり、狂言回しは中山忍と藤谷文子だけに任せて、少女からの視点のみに基づいて描くべきでした。そうすれば、「何かに対する憎しみをバネにして選んだ男は結局の所ろくなヤツでは無く、土壇場になって男からひどい恐怖を味わわされることになる」という点をもっと全面に出すことができ、そうすればまた新しい傑作になれただろうに。怪獣と個人との関係を描いて成功した映画なんてあんまりないよ。後半、京都駅での戦い、少女が取り込まれてからの圧倒的なポテンシャルを見て、とてもとても残念でした。山咲千里と変なコンピューターおたく、最悪。
それにしても、あんなラストにするとは。うまく処理したものだ。しっかりと区切りをつけつつ、しかも続編を作ることも可能だと言う。
しかし、あの調子じゃあ、僕のすんでるところも燃えているなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
CUBE
ふーむ、それにしても安く作った映画だなあ。その割にはよくできている。
そうだよ、まったくその通り!世の中なんて複雑すぎて制御できるもんじゃないんだよ!!
御裁断は(最高☆5つ)
ウェディング・シンガー
映画の魅力がどのようにして形成されるかについて、だいたいの事がわかっていたような気がしていました。なのに、なのに、この映画を見て、その自信は見事に打ち砕かれました。いやー、映画って本当に奥が深いものなんですね。こんな得難い体験ができてとてもうれしい。
ありきたりのラブストーリーです。青年と娘が出会って、好意を持ち、でも、いろんな事情で自分の思いに気がつかなかったり、気がついても怖くてうまく伝えられなかったり、伝えようとしてもすれ違ったりしてても、最後には結ばれる。だれがどう見ても何のひねりもないラブストーリーです。「普通じゃない」のように洒落た映像センスがあるわけでもないし(いや、むしろベタであざといシーンの連続だ)、「恋愛小説家」のようにウィットに富んだセリフがあるわけでもない(すべての陳腐なセリフは、当たり前のように繰り出される)。「メリーに首ったけ」のようにそこまでやるかギャグもない(全てのギャグはアマアマで、笑おうにも笑えない)。出てくる登場人物はみんな美男美女とは言い難いし、演技もお約束的なものが多い。時代設定を80年代にしたのは新機軸だが、それもルービックキューブをこれ見よがしに出したり、TVドラマ「ダラス」や「マイアミバイス」についてのセリフがあったり、絶えず80年代音楽がかかっていたりというだけで本筋とはまったく関係がない。
しかしだ。このようなだるいだるい展開も安定して映画一本分続けられると、作り手のペースに巻き込まれるのだ。もちろん主役の二人、特にドリューバリモアの表情はとても素晴らしく、説得力があるのが第一の勝因である。流行を後から追ってしまうような少しどんくさい、けれどとても純粋でよい娘さんを演じていて、最高である。これなら、おじさんも惚れてしまう。それに、それに、、、ごめん!僕は80年代好きなんだー!!
ああ、言ってしまった。だって、おいら、高校生だったんだよ!SonyMusicTVとか、ビデオにとって、何度も見てたんだよっ!!あのころ、やっと家庭にビデオが普及しだしたころで、ルービックキューブもちゃんと6面作ったんだよっ!!!
それに、やっぱり、結婚はお金でしちゃダメだよ。ちゃんと正しい相手としなきゃだめなんだよ。そういう人は、きっと出会ったらわかるんだよ。でも、ときどきはお金のせいでうまく行かなかったりするんだよ。
うるさいっ。誰が何と言おうと、おいらは、ダダ泣きだったんだい。ビリーアイドルが昔と同じ衣装で出てきてるのに、ジジイになっててもかまわないんだい。今回の御裁断は好きにつけさせてもらうからなっ。
御裁断は(最高☆5つ)
ワイルドシングス
この手の映画だと,何を書いてもネタバレになるから困っちゃうんだけど,何か書かなきゃね。ええっと,どんでん返しの作り方だけど,ただ単に意表をつくストーリを展開するだけじゃ駄目なんだわさ。どんでん返しがくるって分かってたら,別に何が起ったって不思議じゃ無いから。だから,そういう映画を作るためには,「こいつだけは裏表の無いヤツだ」っていう登場人物を用意しておかなきゃいけない。で,実はその登場人物には裏表があるということがわかって,お客ははじめて驚くことができるんだなあ。「スティング」とか「追いつめられて」とかどんでん返し物の傑作はみんなそんな風になっている。そういう点で見ると,本作はストーリー展開の比較的早い時期に登場人物すべてが悪いヤツってわかってしまうから,話の展開をいくら二転三転させても効果は弱い。映画を見終わった後でゆっくり考えてみても,お話にはどこにも破綻が無いので,よくできた脚本なんでしょう。どちらかというと演出に問題があるのですね。
ところで,デニスリチャーズはでっかいなあ。ありゃあ,見せたくもなるわなあ。ネーブキャンベルなんて恥ずかしくって背中しか見せられなかったのになあ。ビルマーレーもおかしかったなあ。あの人、、っとっとっと。それから,ケビンベーコン。お前,見せたな。
御裁断は(最高☆5つ)
ヴァンパイア 最後の聖戦
人類は滅びなかった。音楽はやっぱりカーペンター本人がやってました。でも、今回はいつものシンセサイザーピコピコの薄っぺらい音楽よりは少し厚みがあって、映画のウエスタン調の雰囲気とあいまって、ライクーダーのようにも聞こえます。もう一つのカーペンター節といえば、お話がやっぱり暗いことです。主人公二人のうち、一人(ボールドウィン一家の何番目かは知らないが、あまり出来のよくなさそうなダニエル君)は暗い悲惨な将来を背負ってしまいます。ラスト二人は敵同士になって別れるのですが、映画の最初の方で、二人の友情関係をしっかり描いていないもので、ラストでのやるせない悲しい気持ちが今一つ盛り上がりません。残念です。これには、ダニエル君の魅力のなさも関係していますね。あれじゃあ、ただの中年太りした西部のオッサンですわ。かっこわりー。てなわけで、なぜ彼が娼婦の味方をするのか、それから、もう一人の主人公ジェームズウッズに重要なことを隠すのかがさっぱり理解できません。
いやはや、それにしてもカーペンターの反権力性は相変わらずでした。今回はカトリック教会が槍玉です。本の虫の神父がヴァンパイアと戦う中でスレイヤーとして成長く過程は、そのまま教会批判でしたね。まあ、いつものことであまり驚きはありませんでしたが。でも、あの神父はかっこよかったよ。
今回、また一つカーペンターの趣味に気づきましたよ。やつは足の長い俳優が嫌いだな、きっと。絶対主人公は短足だもんな。西部劇には似合わんぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
メリーに首ったけ
面白かったです。気楽に笑えて幸せでした。マットディロンも大人になったんだなあと。なんか、僕にしてみたら大昔の青春スターっていうイメージがあるんですけどね。まだ30半ばなんですね。キャメロンディアスと付き合っても全然オッケーですね。
一つ一つのギャグは、ただベタ。巷間言われているようにそれほど下品でもないです。ただし、やっぱ、挟んじゃったときの痛みってのはぁ、ねえ。
お気楽でベタなんですけど、キャラクターの描写も丁寧なので、見ていてグッと入り込めたりして、でも、次の瞬間に笑わされて。いい意味で作品に翻弄される二時間弱でした。楽しい楽しい。エンドタイトルも好感度大。リーサルウエポン4系だけど、もっといい!
御裁断は(最高☆5つ)
リング2
語るに落ちたな。そもそも無理な企画だったんですよね。まあ、リングウィルスの設定もへったくれも無くなってしまうじゃないかというのは良しとしましょう。でも、前作は、恐怖シーンも少なく、その演出もショックを使わないもので、それが好感度と恐怖度三倍増しだったのに、今作は大盤振る舞いで、そのあたりだいなしです。貞子を使わずにやってくれれば、それはそういうものとして楽しめたかもしれませんが、ゴジラに次ぐ日本エンタテイメント映画界の財産貞子を汚す映画ですな(それにしても日本中の貞子さんには御同情申し上げる。僕なんか、もう完全に色眼鏡ついちゃってますよ)。これじゃあ、貞子が退治できちゃうじゃないか。科学的観点を導入するにしても、疑似科学的に何かを説明しようとしても白けるだけです。前作は超能力実験のシークエンスは昔の衣装にセピア調と現実感をなくすことで神秘性を盛り上げていたものだ。
前作の良さは、全人類を破滅させても子供を守ろうとする非常に硬質な親の気持ちが全体を支配するトーンとして存在していたことじゃないですか。今度の話は登場人物全員何を求めて動いているのか、よくわかんないですね。やっぱりショック演出が先にあって、それを結ぶためにストーリーがあるって感じですね。
でも、いったい何が怖かったかって、中谷美紀の恐怖にゆがむ顔が一番怖かったぞ。
御裁断は(最高☆5つ)
死国
焦点の定まらない映画でしたね。このお話の中には色々とテーマがあるのですが、その描き方はどれも中途半端。まず第一には都会の生活に疲れた夏川結衣というテーマ、それにからんで、グズだった彼女が古里での体験を経て成長するという側面があったはずです。ところが、東京での彼女の生活をほとんど描写していないために(あの携帯電話の演出はうまいと思いましたが)、彼女はこの映画の中で狂言回し以上の何者にもなっていません。もちろん夏川結衣の演技特性がそれに輪をかけているのですが。
それから男女の三角関係というテーマもあるでしょう。ところが、これも筒井道隆が夏川結衣になぜ惚れるのか、さっぱりわからないので、盛り上がりません。結局、最後にはあっちにもどっちゃったりして、なーに優柔不断なんだかと思います。
他にも死者をよみがえらそうとする邪悪なたくらみを持つものと、それを阻止するものとの戦い、子を失った親の情念などのテーマもあるのですが、いかんせん力量と資本不足ですな。どれもこれも未消化です。あー、それから、カメラが不必要に揺れる。とても見難い。ああいうのを芸術だと考えているならとんでもないことです。いますぐやめなさい。
それから、今回の御裁断は夏川結衣があまりにきれいだから、★半分おまけしときますので。
御裁断は(最高☆5つ)
ラッシュアワー
このタイトル、なんか意味わかんないなー。東宝東和なのかなあ?と思ってたら、原題もおんなじでした。この言葉って、なにか裏の意味でもあるの?
太古の昔から延々と作り続けられてきた、「無理やりコンビを組まされた刑事が反目しながらも捜査を進める中で友情を育てていく」物です。本作では、黒人がスタンダードで、ジャッキーチェン扮する東洋人が異文化を持ち込む側になっているというのが、現代のアメリカ社会を見事に活写しているのだかどうだか。
大ヒットだって言うし、前評判も高かったし、劇場行ったら人いっぱいだったしで、いや増す期待だったのですが、見てみたらたいしたことなかったです。伏線を前半でたくさんひいているのはいいのですが、それがすべて不発。よく、できの悪い映画だと伏線が結局使われないまま終わったりして、「あ、編集で手を抜いたな」とか思うのですが、今回は伏線をちゃんと後で使っているのですが、本筋とはまったく関係ないところで使っていることがとても多く、「脚本が練れてないなあ」という印象を受けました。ヒッチコック言うところのマクガフィンである、誘拐される中国領事の娘は、お話のかなり最初の方でわざわざ「じゃじゃ馬である」という描写をしています。見ているほうとしては、「お、この娘はこの性格ゆえに脱出のときにかなり活躍、もしくは話を混乱させるに違いない」と楽しみに期待しています。この性格が後に現れるのは2度あるのですが、一度目は誘拐されるときに暴れて誘拐犯の顔に傷を付けるときです。でも、結局さらわれてしまうんだから、暴れる部分はストーリーからは枝葉です。二度目は犯人と対決するときにタンカを切るのですが、すぐにクリスタッカーに制止されて、これも本筋とは関係ありません。他にも色々そういうところがあって、消化不良でした。
ところで、ジャッキーチェンのアクションってのは、どうして、一つ一つのアクションが終わると、次に行くまで間があるのでしょうか?もう年なのかなあ。一人を殴って、次を殴るまでに一息ついている感じするものなあ。でも、壺を割らないようにして格闘するところは、いかにもジャッキーでしたね。こういうコミカルなアクションなら、多少もたついてても許せるな。それにしてもジャッキーはいい人だねえ。
それから、クリスタッカーはフィフスエレメントと比べるといまいちだったなあ。しょうがないかなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
スライディング・ドア
えっと、年末年始をオーストラリアで過ごしたもので、行き帰りの飛行機の中で映画を見ました。この後3本がそうです。吹き替え版を小さなスクリーンで見たので、ひょっとしたら感想にバイアスかかってるかもしれません。ご勘弁を。
この映画はグゥイネスパルトロウが電車に乗り遅れるかどうかで、その後の人生がどのように変わっていくかを平行して描いたというなんとも独創的なアイデアの映画です。21世紀を目前にしても、まだ新しいアイデアというのは出てくるのですね。素晴らしいです。描かれている人生模様ってのはとても平凡で、どれもこれもなんとなく思い当たる節のあることばかり。でも、そのようなものでも、本作のように提示されるととても新鮮に見えてきます。
この映画はある種のパラレルワールド物の様にも見えます。ときどき、同じ事象を軸に二つのストーリーが重なったりしますし。でも、後から思うと、僕には二つのストーリーは最終的には収斂していったように思えます。違うのかな。電車に乗り遅れたほうがよかったのか悪かったのか考えてみましたけど、どっちも同じようなものに思えて。だから、「ちょっとした偶然で人生はこんなにも変わるのよ」、というよりは、「結局おんなじことなんだよねえ」っていうテーマのように思えたというわけです。多分、これは読み違いですよね。
御裁断は(最高☆5つ)
アルマゲドン
あかん。お客をバカにするのもええ加減にしなさい。何度もいうけどアクション映画で主人公が自分のバカな行いのために窮地に立ったって、お客はしらけるだけなんだから。あの超愚作、ツイスターにも似た鑑賞後感でしたな。「おれたちゃ、やるぜ!」って熱くなられてもねえ。「娘よ、パパはおまえを愛してるぜ!」って盛り上がられてもねえ。だいたい、人類の命運を賭けたプロジェクトが赤と青の導火線のどっちを切るかに左右されるなんて、ばかばかしいったらありゃしないわね。最後のシーン近くで、調子の悪いシャトルを飛び立たせる方法がパネルをぶったたくってんだから。誰が、そんな映画見てハラハラしますかね?
御裁断は(最高☆5つ)
スネーク・アイズ
デ・パルマはデ・パルマ。ボクシングの会場で起こった国防長官暗殺事件に巻き込まれた悪徳警官ニコラスケイジのお話です。事件はまずニコラスケイジの目から語られます。それが、映画が進み、捜査が進むにつれて、新たな事実がわかってくるわけです。この過程を別の登場人物の目から見た物語として描いていきます。つまり、物事が明らかになっていくという、脳の中の状態の変化をビジュアルに描き出しているわけです。おお、これぞ映画!映画の本質を言葉として理解し、その理解に基づいて映画を作れば、こうなるのに違いありません。これこそ、デ・パルマです。面白いです。お話は、まあ普通ですけど。ゲイリーシニーズも見たまんまやし。
御裁断は(最高☆5つ)
トゥルーマン・ショー
難しい映画です。僕は最後の最後までこの映画を神と人間の関係を神の立場から描いたものだとばっかり思っていました。それほどまでに、エドハリスは完ぺきでした。しかし、ラスト、エドハリスが声をあらげたのはどういうことなのでしょう?あれは、僕がキリスト教的世界をまだ完全には理解できていない証拠なのでしょうか?それとも、単にこの映画のテーマはマスコミ批判というような凡庸なものなのでしょうか?
ジムキャリーの表情の人工性はまさにこの映画にうってつけ。奥さんの不気味さもなかなかでした。でも、それにしても、何十年も続いた、小さな国家ほども重要であるトゥルーマンショーがあのようなつまらないことから崩壊してしまうというのは見ていてしらけてしまいます。これは、アクション映画において敵がどんくさくって、アホなことばかりしている場合と同じです。それから、ほんとうの恋人も劇中では結局何のために存在するのか分かりません。なんとなく、トゥルーマンが虚構に気づきはじめるシークエンスもスムーズではないし。なんだかなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
天国と地獄
今見てみると、なんとも古くさい感じがする。山崎努扮する誘拐犯はいかれたサイコ野郎との設定だけれども、現代の目から見てみるとただの甘ちゃん。ラストシーンから受ける印象は、「なんだ、ただの自我ばかり突出したひねくれインテリじゃないか」と言う感じ。昨今新聞をにぎわす事件の方がよっぽど怖ろしいと思います。まあ、こればっかりは時代が悪いんであって、黒沢のせいではないですね。
この映画、前半部分誘拐された子供が解放されるまでのドラマの緊迫感に比べて、後半の犯人逮捕に至るなぞ解きとサスペンスの部分の弱さの対比が目立ちます。前半、かなりの無理な設定を三船の気迫一発で(ただの大根とも言えるが)グイグイ押していく。ここは見ていて最高に興奮します。反面、犯人捜索のシーンはただダラダラと、なぞ解きのカタルシスもなく進んでいって退屈な感じです。ダンスホール(なのか?オムライス100円とかだったなあ)のシーンが特にだらけました。やはり黒沢はキャラクターを描いたり絵を作るのは得意でも、ストーリーを語るのは不得手なのでしょうか?
まあ、それにしても思うが、昔の日本人はかっこよかったなあ。今の人たちはいったいどうなってしまったんだろうか?
御裁断は(最高☆5つ)
アンツ
僕のページの愛読者なら、いつの日かこの作品の映画評が出ることがわかっていたでしょう。ああ、仕事って因果なものだ。
Zのキャラクター設定には僕は疑問符でした。爽快感がない。ぐちぐち理屈ばっかり言って、こすっからくってなあ。ウッディアレンが声をやらなかったら、どうなっていたことか。それとも、先に声が決まっていて、後からキャラクターを設定したのかなあ?それに、王女様もあんまりいい性格じゃないしなあ。かっこいいのは副官なんだけど、いまいち見せ場が少ないし。あの副官を前半でもう少し活躍させておけば、盛り上がったのに。Zの友達の兵隊アリのシーンを全部すっとばしてさ。でも、スタローンの声は面白かったなあ。声聞きながら画面を見たら、アリがスタローンみたいに見えてくるもんなあ。でも、ほんもののスタローンよりも演技派なの。まいったまいった。
それでも、アリのモブシーンには単純に「おおっ」と目を見開かれさせられます。それから、靴に捕まっての冒険シーンも面白い。小学生くらいの時に、この映画を見たら、色々想像してしまって道が歩けなくなってたりして。
一番好きなシーンはラストシーン。あの視点の移動は現実感覚を失いかけそうになって、僕のような人間にはやっぱり効く。見ていて、最後までああいう視点にまったく考えが及ばなかったということは、実はいい映画なのかも。Zがああいう爽快感のないキャラクターなのにも理由があることに気づく。それから、この映画は舞台空間が世界で一番狭い映画に違いないぞ。ギネスブック物。
御裁断は(最高☆5つ)
七人の侍
もう、この古典中の古典を語る言葉は僕にはありません。おもしろいんだけど、なんでこんなに面白いのか分からない。分析不可能!
それにしても、昔の日本人たあ、凛々しい顔をしていますねえ。カッコイイったら。志村喬は言うまでもなく、農民に至るまで、なんという素晴らしい顔をしているのでしょうか。目が、目が、爛々としている。やっぱり、この国の滅びは近いのかもしれん。ひょっとしたら、この顔つきの違いが観客をして、目を引き付けられる原因なのかもしれませんね。
なんでもいいけど、野盗達って酒池肉林してたんだなあ。ああいう生活だから、毎日毎日毎日毎日あんなんなんだろうなあ。よく退屈しないもんだ。死線を生きるのも単調だなあ。
ちなみに、僕が一番好きなシーンは、落ち武者狩りの鎧兜が発見されて、武士達がいやな気持ちになるのを菊千代がどなり散らす長い独り芝居のシーンです。あそこは泣ける。
御裁断は(最高☆5つ)
元のページに戻りたいですかあ?