スキーだ!!
秋口に人の子の親になって、さすがにこのシーズンはあまりスキーに行けなかった。しかたないしかたない。
2003、??-??、志賀高原
そんなわけで、産後一カ月のヨメサンは去年板を新調したばかりだと言うのに、参加できず。家族でスキーに行ける日はいつのことか。で、いつもなら大阪の実家から出発するところだが、今回は愛知県のヨメサンの実家に子供の顔を見に行き、そこから出発するのだ。始発の電車に乗って、奈良から出る高須先生と一宮で7時過ぎに合流。すいすい走って志賀高原は11時ごろ。お宿は久しぶりのスカイランド。ここはいつものように居心地がいい。おっさん二人きりだし、まあちんたら滑ろうと言うことで焼額へ。この日は割と天気が良く、で翌日から雪だとの予報なので、大切に滑る。いや、大切に滑ってたのはもう一つ理由があって、どうも腰の調子が悪い。ここ半年ほど何度か立つのもつらいくらいひどくなることがあって。ヘルニアではないかと。で、一週間ほど前から腰に違和感があったんだよなあ。子供が産まれてから長崎ー愛知を10日に一回くらいのペースで往復していた疲れが出たみたいで。なので、こわごわ滑る。奥滋賀まで行ってお茶飲んで帰ってきた。
宿に着くと洋室である。いつもは大人数なのでスキー場に面した和室でガヤガヤなのだが、今回は少人数なのでベッド。うーん、スキー旅行の感が狂う。テレビをつけるとスーパーマン2冒険編をやっている。前日、ヨメサンの実家で1を見ていたので、高須の不興を買いながらも見る。子供の頃には面白かった覚えがあるんだが。で、寝る。すると、朝、じょえ若野が現われる。東京からバスで合流である。若い。で、思っていたほどには雪がひどくないので、滑りに行くことにする。若野先生の希望で再び焼額側へ。ひどくないとは言え、雪がついていたので新雪天国。幸せー。たまらん。で、フェニックスで例によって海鮮焼きそばを食べる。いかに関東で若野が不遇な生活を送っているかが今回のテーマである。自然がない、会話が詰まらん、彼女がいない、らしい。場所をチウーホテルに変えて話は続き、見合いでもするべしという結論になった。
翌日、雪はますますひどく、一ノ瀬ファミリーのクワッドは風で停止。しかたがないので、またまた焼額側へ。結局三日間とも焼額側で滑った。で、今回も新雪なのだが、今回はしゃれにならない。へその上まで埋もれる雪である。ここでこけたら、まじでヤバイっすなんて思うもんだから腰が引けて案の定こける。へそまで埋もれる雪。起き上がれない。七転八倒してやっと起きたと思ったら、今度は板の先が埋もれていて抜けない。抜こうとしているうちに、また転ぶ。そうこうしているうちに、一周してきた高須若野先生に助けてもらう。いやー、ここ数年来のピンチだった。で、早めのお昼を食べようとプリンス東館についたら、なんと右手が動かない。どうも転んだ時に痛めたみたいだ。腰を心配していたのに、とんでもない伏兵だった。で、なんか吐き気もするし、やる気半減。雪も止まないし、昼過ぎから帰り道に。で、長野駅に若野を下ろし、名古屋に行ってモダンスシバーで一杯引っかけて帰った。今年のスキーはこれだけ。
2004/1/4-7、志賀高原
もう年に一度しかスキーに行けないので、2004年のスキーもまとめて書く。っていうか、9月になって書いてどうする。
今回は前回の面子+東京から三人の若人。私は1/4早朝の便で長崎から伊丹に降り立ち、迎えに来てくれた高須先生の車で出発。なんか前の夏からずっと腰が痛かったので途中アルペンで腰サポーターを購入。夕方着。東京組は、この日の朝から滑っていた。
翌日は、もうあんまり覚えていないが、確か焼額・奥志賀方面に行った気がする。腰が怖いので、ロクスッポ滑らない私。その次の日は、午前中サンバレーにデンついて、一ノ瀬のどこだったかでオムライスを食べた。ここはおいしかったので、また機会があれば使おう。午後から夕方にかけて東京組は三々五々帰っていった。で、次の日は横手山で午前券で滑って帰ってきた。サポーターの威力は絶大で、腰が痛くなるどころか逆に痛みが無くなって帰ってきた。おそるべしと思っていたら、後日通販生活でも取り上げられている良品である事が判明。これ、やめられん。
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