最近見た映画
去年の「最近見た映画」も見てみたいという奇特な人はいますか?
もっと奇特な方には98年の「最近見た映画」もあります
もっともっと奇特な方には97年の「最近見た映画」もあります
もっともっともっと奇特な方には96年の「最近見た映画」もあります
もっともっともっともっと奇特な方には95年の「最近見た映画」もあります
チャーリーズ・エンジェル
高校のクラスに一人くらいいるじゃないですか、ベタでお下劣ギャグを操る人気者が。そんな彼が(実際は彼女だが)文化祭で一念発起。クラスのアイドルを主演女優にして撮ってみました8mm映画。チャーリーズエンジェルはそんな映画です。製作費がケタ違いなだけの。
そんなわけなので、この映画はドリューバリモアの思いつきギャグをとにかく詰め込んでみました映画です。バリモアファンはこれを見よ。そのつもりで見れば、彼女のセンス、趣味、人となりまでみんなわかるぞ。
映画が始まって15分くらいたったところで、この映画は真面目にとりあってはいけないことに気がつきました。なんせ文化祭映画なのですから。あっしも高校生の時に8mm映画を作ったものですが、そういう文化祭映画だけは作るまいと思って、でも、実際の文化祭の上映の時には隣のクラスが作った文化祭映画に受けを全部とられてしまって、という苦い思い出を思いだしました。
いいんだ。これで。収穫もある。グリーンディスティニーを見たときはワイヤーアクションさえあれば俳優の運動神経は要らないんじゃないかと疑ったが、その疑いは晴れたんだし。
それにしても、ビルマレー、ああビルマレー、ビルマレー。哀しい。
御裁断は(最高☆5つ)
マイ・ドッグ・スキップ
シャフト
黒いジャガーであるのだが、主役のシャフトとおじさんシャフトの関係は何?黒いジャガーのシャフトはおじさんシャフト?だったら、この作品は、リメイクじゃないですよね?かといって主役が変わっているわけだから(役者が替わるんじゃなく、キャラクターとして交替しているんだから)後日談?でもないし。珍しいタイプの映画であるのだろうか。こういう続編だかリメイクだか何だかわからない物は、寡聞にして他には知らない。007とカジノロワイヤルの関係に似ていると言ったら、あまりにも誤解を招きそうだからやめておく。
サミュエル・L・ジャクソンがキメキメにかっこよく、白人は血反吐吐くほど極悪で、事件のキーとなる薄幸夫人(トニーコレットがお似合い)はイタリア人で、悪役だけど憎めないのはドミニカ人。ブラックエクスプロイテーションがルーツだから、当たり前といえば当たり前だが、見事な人種配置と言えましょう。この配置は意識的なレトロスペクティブなのか、それとも、今でも必要性があってのことなのでしょうか?日本人はこういうときに、第三者的に見れて楽ですね。
お話自体は小振りで、最近の派手派手陰謀爆弾てんこ盛り映画に飽きた身には新鮮で好感を持てます。テンポもいいですし、カッティングにも一手間かけていますし、丁寧に作ってありますね。途中、少し強引な筋運びになるところもありますが、もとがブラックエクスプロイテーションだからなあ(こればっかり)。それにしても、麻薬の売人は災難でしたね。ドラマの中では何も悪いことをしていないというのに、とばっちりで壊滅させれて。
バネッサウィリアムスのあまりの衰えぶりに星半分減じて、でも、あんまりにも音楽がかっこいいから星一個おまけくらいでどうでしょう?
御裁断は(最高☆5つ)
グリーン・デスティニー
チャンバラです。スウォーズマン以来の興奮です。しかも昔の香港映画によく見られた、早撮りいい加減編集ではなく、一つ一つを非常に丁寧に撮って組み上げているようです。やはりハリウッドで仕事をしてきた人の作る映画は違う。監督アンリー、アクション監督ユエンウーピンに主役のチョウユンファとミシェルヨー。きっと予算規模もだいぶん大きいと見た。
アクションはそれはそれはとんでもない。マトリックスなんてまだまだです。ミシェルヨーができる人だというのはよくわかっていることなのですが、チョウユンファがここまでできる人だとは全く知らなかった。なぜ、今まで一度もやってなかったんだろう?誰でもできるのか?近ごろのワイヤーワーク技術なら?貴族の娘さんもものすごいアクションだが、そんなにできる人のようにも見えないけれどなあ。しかし、例によって飛ぶ。跳ぶ。翔ぶ。壁を駆け登り屋根の上を飛び交う。骨とか中空になってるんじゃないの?鳥みたいに。
お話の中での対立は二つでありまして、チョウユンファ・ミシェルヨー組対チョウユンファの仇碧眼狐、とチョウユンファ・ミシェルヨー組対碧名剣を盗んだ貴族の娘。前者の対立は敵が極悪非道、見目も麗しくない悪役なので安心してみていられるのですが、アクションはたいしたことない。後者の対立は、貴族の娘は見てくれも良いし、ミシェルヨーは相手のことを思っているしチョウユンファも娘を弟子にしようとしてるので実は対立する必要なんてあんまりない。だから、こちらの方は、悪をやっつけてカタルシスってのとはちょっと違う。むしろ感情の機微を読み取るべきで。しかし、なまじっかアクションがすごいもんだから、そのあたりをついつい間違って読み取ってしまいます。これは、この映画をアクション映画としてみたときの欠点でしょう。貴族の娘側の恋愛模様の描写も、この映画をドラマベースであると考えれば、納得が行きますが、アクション映画だと考えれば、全く不要。最初っから、戻って来ないでとっとと逃げんかい!と思いますな。あげく、こちらの男は他の登場人物と違って、まったく技がないもんだから、完ぺきに見劣りする。これは、この映画をアクション映画じゃないと思ったとしても、画竜点睛を欠く。西方の野蛮人は武芸などできないということか?
御裁断は(最高☆5つ)
インビジブル
ポールバーホーベンってゲスで毒々なスター監督という、ハリウッドでは希有なニッチを占めている人だと思いますが、ゲスな部分と毒の部分はときどきバランスを逸してしまって、ゲスだけの作品を作ってしまうこともあります。最初からこういう人なんだから、と思って見ていれば「しまった、今回は外れか」で済むのですが、知らずにこの作品を見てしまったら、ちょっとつらいかもしれませんね。
最近は悪役しかしなくなったケビンベーコンが、「ワイルドシングズ」に続いて見せてはいけないものをぽろぽろ見せながら(CGの部分はともかく、透明人間なんだから見せなくてもよさそうなものなのに、ちゃんと実物を見せるんだからなあ。先端だけだけど)暴れ回ります。しかし、アパートの窓から外を覗いて若くてきれいな女性が着替えるところが目に入ったら、そりゃ、見てしまいますわな。そんなことが何回も起これば、そりゃ、期待もしますわな。それだけで、ケビンベーコンを悪者扱いすることは出来ません。それによく考えたらケビンベーコンが大暴れするのも、自分の研究プロジェクトを潰させないようにするという目的があるからですよね。少々強引な手口を使ってでも(法を犯しても)自分のプロジェクトを守るというのは、現実の科学研究の場面では、よくあることだと聞きます(と伝聞調でごまかしてみる)。まあ、この映画ではベーコン君やり過ぎちゃうわけですが、それも透明化の影響で理性が少し吹っ飛んでいるせいもあるのだから、見えなくなったために倫理観がなくなって悪いことをし放題っていうのとは、ちょっと違います。というわけで、この映画にはあまり毒がないのです。
見えなくなると倫理観がなくなるというのは、当たり前といえば当たり前でして、僕だったらあんなことやこんなことやそんなこともしたいなあと色々考えますね。でも、すぐ飽きちゃうような気がします。透明人間の憂鬱みたいなテーマで映画作れませんかね。
関係ないですけど、敵が見えないというのは怖いですね。この手の映画では見えないところから襲われるというショッキング手法はよく使われていて、効果的だと思うんですけど、そのためにはいろいろ工夫が必要ですよね。エイリアンとか。でも、透明人間なら、そのための工夫は全く要らないんだものなあ。あらためて、その効果を体感しました。
逆に言うと、透明人間と闘う側は、なんとかして透明人間を可視化する工夫をこらすべきだったですね。そこが戦いの焦点としてもっと明確であれば良かったのにと思います。せっかく熱探知スコープを持っているんだから、いつでもつけとけよ、とか思いました。
御裁断は(最高☆5つ)
X-メン
いいなあ、超能力。便利だなあ。人の心を操作できる能力と、なんにでも化けられる能力が欲しいなあ。天気を自由に操れるのは、あんまりいらない。
超巨大な原作を映画化ですからねえ、フォーカスが定まらないのはしょうがないですけど、それにしてもお話の転がし方はもうちょっと何とか出来たような気がします。ウルヴァリンが間違ってローグを負傷させて以降の展開って、一個一個のイベントの起こり方が唐突な気がします。ミスティークにああいう破壊工作をさせられるのなら、X-メンの学校なんて簡単に壊せそうな気がしますし。
もともとマンガですからね。マンガらしいところを笑っちゃいけないんでしょうけど、やっぱりマグニートトーのかぶり物を見て、平静ではいられないです。気恥ずかしかった。これは、荒唐無稽アクションでは、大きなダメージです。面白くなりそうな予感も随所に感じさせてくれたんですがねえ。なんか、続編も作られそうな気配ですが、今後に期待ということにしときましょうか。日本では原作を読むのは難しいのかな。そっちの方が面白そうです。
御裁断は(最高☆5つ)
キッド
いい映画でしたよ。ディズニーらしい、善意に満ちた映画で。いや、本当に。でも、どうかな。この映画のターゲットはどんな人だろう?いい映画だとはいえ、この映画、子供が共感できるかというと、そういう部分は少ない。かといって、大人が見るには、あまりに甘くて、これはディズニーなんだって思っておかないと、なかなか辛い。そうだなあ。子供時代から離れつつあるくらいの年代の人が見れば、10歳前後から中学生くらいまでの年の子が見れば、素直に感動できるかもしれない。でも、それってあまりにニッチじゃないか?
40歳の誕生日を目前に控え、現実世界で成功しているものの、端から見ると他に犠牲にしているものが多いんじゃないの?と言われるような人生を送っているブルースウィリスが、8歳の自分に出会って、自分を見つめ直して忘れていた優しい心を取り戻すお話です。これだけ聞くと、まあ、ありがちなテーマで、大林映画にたくさん出てきそうです。まあ、この作品は最後で、軽くもう一ひねり効かせてあって、うまく作れば割りといい出来になってたかも知れません。でも、構成がゆるいんですよね。精神分析の常道ですが、心の重荷を取り除くためにはその重荷を封じ込めるのではなく、直面することで克服しなければなりません。この映画のクライマックスはそこになっているのですが、いまいちそのことが前半で明快になっていないので、突然のブルースウィリスの変心も説得力に欠ける。なんぼなんでも、あのニュースキャスターがあんなに親切にしてくれへんやろう、普通。いや、まあ、これはディズニーだから。
でも、この映画の問題はそういうところにあるんですね。いまいちブルースウィリスのキャラクターの描き方が弱いのかな。それとも、ブルースウィリスに問題があるのかな。もっと前半で悪辣キャラ爆発させたほうが良かったんじゃないだろうか。どうみても、ブルースウィリスの方が普通の社会人で、彼を悪く言う回りの人の方がアホどもだぞ。レジまで来て、財布がないないと騒いで後ろの人に迷惑かけたらあかんやろう、普通。いや、まあ、これはディズニーだから。
ブルースウィリスは、でも、こういう役もやるなんて、意欲的ですね。そこは買います。それからリリートムリンがよかったよ。いい味だった。いや、でも、なんども繰り返しますけど、いい映画だったんですよ。
御裁断は(最高☆5つ)
マルコヴィッチの穴
いろんなところでさんざんっぱら書かれているが、変な映画だった。大昔、ガープの世界を見たときに感じた奇妙さを10倍くらいに濃縮した感じだ。どこぞのビルの7と1/2階にマルコビッチの頭の中に通じている穴が開いているというところだけでもキミョウキテレツなのに、出てくる登場人物みんな変なんだものなあ。言語障害学の学位を持ったの秘書じゃなくって対外交渉重役やら、トラウマを心に負ったチンパンジーとか、禿げたチャーリーシーンとか。ジョンキューザックにしても、ぼけーっとした俳優で、なんでこんなのが売れているんだろうと思っていたけど、こういう狂った役のできる人だったのね。
まあ、人間というものは他人のことを理解できているようでいて、全く他人を理解していないもの。一度でいいから、誰でもいいので別人の頭の中に入って、その人が実際には何を見て、何を考えているのかを知りたいと思うことは、多くの人が感じていることだと僕は思っているが、それさえも、本当かどうか定かではない。こういう話をしたときに「うんうん、私もよくそう思う」と言っている人が、お調子を合わせているのか、それとも僕が言っていることと同じことを感じているのか、ああ、知りたい。
しかし、この映画の主要登場人物4人(チャリ坊とマルコビッチを除く)のうち、こういう見方に近いのはキャメロンディアスだけのようだ。彼女は他人になることで、自分の外に基準を持つことが出来、そうして自分の理解も進んだわけですね。一方、その夫ジョンキューザックはそういうものに接しても、自我とは何かと哲学的といえば聞こえはいいが、難しいだけで現実感のない世迷言を言うばかり、あげくサカリがついて訳のわからんことをしだすし。で、謎の女マキシムは、そもそも穴の中に入ろうともしない。この映画の中で、この人の行動だけは理解に苦しみましたな。それから社長は、穴を受け入れているし。
キテレツですごく面白かったんですけど(マルコビッチの潜在意識のシーンとか。大笑い)、やっぱり哲学かぶれの頭でっかちの映画であったという点は指摘しておかなければなりますまい。お話を転がすためだろうけど、登場人物がなぜそういう行動をするのかわからないところが少々あった。それにジョンキューザックを最後に破滅させるという、妙なモラルが存在していることも違和感を覚える。もし、最後のオチが非常に重要なもので、これを奇譚として普通の男が陥るワナとして描くのであれば、もっと一人称的に仕上げたほうがいいだろう。この仕上がりだと、キャメロンディアスが主人公のようで、そうするとジョンキューザックの破滅は彼の悪行と連結されて、それってでも彼だけが悪いんじゃないじゃんと、座りが悪いのだなあ。
それにしても、この邦題は偉いよ。よくもつけたよな、穴なんて。
御裁断は(最高☆5つ)
U-571
第二次大戦版「レッドオクトーバーを追え」といったところでしょうか。Uボートの通商破壊活動に手を焼く米軍がナチスの暗号解読機エニグマを入手しようとして、大西洋を漂流中のUボートを極秘に奪おうとするお話です。連合軍がエニグマを秘密裏に入手し、ドイツの機密情報は筒抜けだったというのは歴史的事実ですが、ほんとうは奪ったのは英軍だそうです。第二次大戦の参加者はまだ生きている人もいるだろうに、こんな風に中途半端に歴史を改変したら怒る人もいるだろうなあ。僕のようにたかが映画と構えられない人はきっといますよ。
昔から潜水艦映画には傑作が多いのです。なぜかと言いますと、魚雷のおかげです。銃や大砲と違って、魚雷は非常にゆっくり進みます。そして船は小回りが利きませんから、魚雷がこっちに進行してくるのを発見して回避行動をとったとしても、すぐによけられるわけではありません。場合によっては、近づきつつある死をじーっと見ていなければならない場合もあるわけです。そうでないにしても、登場人物は魚雷の接近を息を殺して見つめなければならず、そこをじっくり丁寧に描くことが出来ます。おお、これぞサスペンス。登場人物も観客も、今、何が起こりつつあるかがわかっており、しかも何も手を打つことが出来ず、運命を待つのみ。まさに、サスペンスの元の意味そのままです。
潜水艦と駆逐艦の戦いもやはり潜水艦側からは何も出来ず、ただひたすら深く沈んで爆雷に耐えるのみ。ああ、サスペンス。で、この映画もこのあたりの潜水艦映画の常道的プロットをしっかりなぞっています。舷側をかすめる魚雷、爆雷を避けるための耐圧深度以上の潜行と配管の継ぎ目から吹っ飛ぶボルト、敵艦の腹の下をギリギリでかすめ通る作戦。これだけあれば、そりゃあ面白いですよ。奪ったUボートを操艦しようにも、ドイツ語が読めなくて困ったりとかも面白い。
ただ、もう少し工夫のいるところもありました。ラスト、そうするんやったら、敵のUボート沈めた時点でやっときいや、とか、後部魚雷発射管修理のところはヒロイックに描かないと後味悪いで、とか、急襲部隊はせめてドイツ語が喋れる人間にしておけ、とか、暴力描写が残酷に過ぎないか、とか、捕虜にしたドイツ兵のサボタージュ活動が本筋に全然絡まない、とか、そもそもマシューマコナヘイは優秀な軍人に見えない、とか(口を閉じなさい、口を)、ジョンボンジョビは何を思って俳優をやっているのか、とか。
御裁断は(最高☆5つ)
ワンダー・ボーイズ
マイケルダグラスは処女作がベストセラーになったものの、二作目がいつまでたっても完成しない作家で、同時に大学で文学を教えています。彼の学生で、情緒不安定だけれども作家としての可能性を秘めた若者としてトビーマグワイア。この映画は元神童と来るべき神童が過ごすトラブル続きの何日かを描いています。そうして、元神童は昔の輝きを取り戻し、来るべき神童はチャンスをつかむという。途中はいろいろと苦さの味わえるストーリですが、ラストは甘めです。結局、収まるところに収まってハッピーエンドなんですね。
マイケルダグラスのスランプは過去の栄光(とタイプライター)を捨て去ることで解決するのですが、単にこの映画は、「過去の栄光にとらわれずに前進しろ」というモラルを描くことが目的だったんですかね。だったらそのテーマはちゃんと伝わってくるんですけど、なぜそのテーマを描かなければならなかったのかは、よくわからなかったです。原作物だとのことですが、ちゃんとテーマが消化しきれてなかったのかもしれませんね。すっかり怪優になってしまったロバートダウニーJrのキャラクター設定とか必然性がよくわからなかったですし。
それにしても、この映画を見ていると作家なんて楽な商売だなあと思う人がたくさん出てきそうですね。レストランで隣の人の見かけからその人の生活風景や過去をでっちあげる遊びなんて、僕でもよくやってますけどね。あっしも作家にでもなるかな。
作家が、書くためのモチベーションって、どこから生れてくるのでしょうね。この映画だって、モチベーションもないのにだらだら書き続けているのが、一つの問題だったでしょ。でも、それって、僕のような論文書きでもおんなじことなんですよね。職業上の必要から論文は書き続けているのですが、これって惰性じゃないのかなって思うことはよくあって、そういう時の論文は出来が悪いんですよね。幸い、僕らの場合はそういう論文は人目につかないところで公表されるので、あっという間に闇に葬られて、業績リストの中にしか存在しなくなる。そういう意味では文書きの方が作家よりも恵まれているかな。批判されず、ただ無視されるだけだから。こっちもダメ論文だってわかってるしね。
御裁断は(最高☆5つ)
最終絶叫計画
邦題は、スクリームとラストサマーとブレアウィッチプロジェクトの合成なんですけど、本編は前二つの合成でした。ストーリー(そんなもの重要でないが)は、ほぼスクリームに従っていて、ときどきラストサマーのプロットが混ざりこむ。
いや、まあ、いいんだけど、くだらないですよ。そのくだらなさが一般性を持つほどかというと、そうでもない。こういうのが好きな人だけ見て下さい。時間は短いので、くだらねえってあきれているうちに終わってしまうから、頭には来ませんけど。
殺人鬼がかわいらしくってよかったです。ラリってるときの、あの表情。かわいいなあ。それに、殺されるがわがくだらないギャグをどんどんかますのですが、それを前にして頭を掻くしぐさとか。
いや、それにしてもくだらなかった。
御裁断は(最高☆5つ)
メッセンジャー
ホイチョイプロの映画だった。あそこの作る映画は永遠のワンパターンだ。平成の寅さんだ。松竹よ、ホイチョイプロを買収せよ。
何か、一つのテーマを選び、そのディテールをお洒落に描き、使い古されたエピソードをアレンジして徹底的な美化を施し、恋を適当にまぶしながら、ピンチを作り上げて、気持ちで乗り越えさせてめでたしめでたし。今回は自転車便を日本に普及させようとする草なぎくんの話。「欧米では自転車便が常識。バイク便が幅を利かせているのは日本だけだ」って、団塊の世代の毛唐崇拝じゃないんだから、今どきそんな理由で敗色濃厚なビジネスを続けるバカはいませんって。ホイチョイの頭の中にはいるのか。で、自転車便の仲間が集まるバーが、もう絵に描いたようなアメリカンバー。それが東京タワーの麓にあって、飲むのはバド。加山雄三まで出てくるに至っては、いつまで昭和30年代を引きずってるんだか、この連中は。で、またこれがお洒落だと思ってて、トレンドを作れると思ってるんだから御しがたい。
飯島直子の演技がどうのこうのなんていう野暮はあたしも申しません。申しませんが、敵役は一つに絞るくらいのことは作り手が何とか出来ることでしょうが。結局のところ、飯島直子のモトカレも、その上役も最初は血も涙もないいい敵役だったのに、結局いい人になってやんの。こんなことだからスピリッツが面白くなくなったんだよ。どうでもいいけど。
書いてて腹が立ってきちゃった。
御裁断は(最高☆5つ)
この胸のときめき
交通事故で死んじゃった嫁さんの心臓を移植した女性に恋する男が主人公の変態恋愛の物語でした。移植されたほうがミニードライバーでして、不細工一発、まったく共感がもてませんでした。あげく、自分が手術経験があることを過剰に意識していて彼に隠しているものだから、問題が発生して、それが恋愛映画で必要不可欠な要素である、二人の仲を引き裂く障害として唯一のものなのだから、感情移入のしようもありません。勝手にやっててって感じです。
それに後味悪いですよ。自分の大切だった大切だった美人の嫁さんの心臓が中に入っている人とねんごろになるなんて、僕には絶対に出来ないなあ。それって、裏切り行為そのもので、しかも裏切った相手が現場に立会っているという。倒錯だ。変態だ。私ら日本人だからね、物にも魂宿ってるんだからね。心臓なんて人格がそのまま残ってるようなもんやないですか。そういえば、そういうテーマの映画もあったな。見てないけど。
作り手は、亡き妻との見えないつながりという要素も考えていたんでしょうが、映画の中では二度ほのめかされただけで、あとは立ち消え。まあ、確かにそっちの要素を強調していくと、今度はミニードライバーの人格を処理しなくちゃいけなくなるわけで、どっちみち二律背反か。うーむ、どうにも解決できない。
こういう映画の評を書くときは、締めにちょっとだけ、いいところにも触れておくときれいに終われるんだけど、長所、何もない。まあ、どうしようもない短所も特になかったんだけどね。
御裁断は(最高☆5つ)
花のお江戸の釣りバカ日誌
しかし、よりにもよってこんなものを見てしまうとは。いくら飛行機の中とはいえ。これの評を書くべきかどうか迷ったんですけどねえ、昔にアルマゲドンを載せといて釣りバカを載せないってことしたら非国民のそしりをまぬがれんし。苦渋の決断です。
それにしてもウルトラC級の展開です、こういうシリーズ物の作り方は。一度しかできんし、次から元のシリーズに戻れなくなる(実際のところ戻ってないですよね?)。でも、びっくりしました。確かに釣りバカの魅力ってのは三国連太郎がその身分を隠していることに負っている部分が多いわけですから(って、見たことないけど)、こういう手を使えば初心に戻れるわけですねえ。そのうえ手あかのついたキャラクターは全部整理できちゃうわけだし。大胆不敵な企画には大賛辞の嵐です。それに、ラストのミュージカルシーンはマサラ映画もビックリ(って、見たことないけど)。オーソレミーオとか歌いだすし、空は飛ぶし、最後には合体もあるし、すげかった。みんな、ちゃんとこの映画を面白がらなきゃ不当ってもんですよ。エピローグで現代に飛ばしたところも、なかなか良い味に仕上がっていたし。
とはいえ、途中はぬるいです。携帯で画像まで送れちゃうこの時代に、こんなぬるいセンスのギャグを見せられていてはたまりません。松竹なんとかしろ。
御裁断は(最高☆5つ)
パーフェクト・ストーム
ウォルフガングペーターゼンの作る映画はどこか重たい。いや、テーマがとか雰囲気がではなくて、お話の運びと演出がのっそりのっそり動いていると言う感じ。ネバーエンディングストーリー、シークレットサービス、エアフォースワン。ね。
今作もいきなりのオープニングから重かった(ジェームズホーナーの音楽もたまらなくおおげさで)。でも、最初に漁船が港に帰ってきたときの描写を見ているときは、「この作品には実話の重みがあるし、この監督の鈍重な演出とあいまって、壮大な叙事詩になるやもしれん」と期待していました。しかし、段々、そう、主人公達とは関係ないタンカーやヨットの危機が字幕入りで説明されはじめた頃から、「?」になってきました。こんなにたくさんの要素を展開させても、本筋と絡ませるのは大変だろうに?
結果だけ申しますと、絡まないのです。まったく。映画の後半のうち、半分くらいの時間は主人公の乗る漁船とはまったく縁もゆかりもない救出劇が展開されていって、そのまま映画は終わってしまいました。まあ、いいでしょう、グランドホテル形式のパニック映画ならそれもありかもしれん。確かに、この映画もパニック映画だと言えんこともない。しかし、それならそれで、アホなヨットのオーナーとか、使命感に燃えるレスキュー隊員の人間性を最初に描写しておかなきゃいかんでしょう。それをしないなら、後半の描写は漁船に集中させるべきだったんですよ。前半で人間ドラマをあれだけ丁寧に描いておいたのだから、漁船の乗組員達が、欲に目のくらんだ愚かな判断(後知恵だから言えるんですけど)をして大嵐の中に突っ込んでいったことも、必然の悲劇として理解できていただろうに。この映画は神話の出来損ないになってしまっている。
もっというと、流れがよくわからないところもあって。嵐から脱出することを決意して、その後船が一回転して乗組員が助かったあと喜ぶところは、あれは、船を波に対して平行にすると転覆しやすいんだけど、向きを変えるためにはやらなきゃいけないことだったということでいいんだと思うのだけど、その後でいっぺん天気が回復しているかのようなシーンがあって、その直後に再び大嵐になっているのはいったいどういうことだ?駆逐艦との死闘を乗り切ってやっと帰ってきた港で爆撃を受けて沈んでしまう「Uボート」のリフレインなのか?
それにしても、見なきゃよかったですよ、この映画。つらいことを思い出しちゃった。
御裁断は(最高☆5つ)
スーパーノヴァ
しばらく前から制作現場が大混乱を極めているという噂を風の便りに聞いていた映画、日本公開(するのか?)を前にしてヨーロッパから帰る飛行機の中で見てきました。おそらくグチャグチャしたものが出てくるシーンはお子様向けにカットしてあったと思うのですが、そんなことはこの後の批評にはまったく影響しません。
いやはや混乱もここに極まれり、でした。物語の焦点は、安上がりのトムクルーズみたいな顔したアンちゃんがどこぞで拾ってきたという、
「九次元で作られた物体を三次元の物体で囲ってあるものだ。もし、九次元の物体が三次元世界と接触すれば、宇宙が消滅するほどの大爆発、超新星が起こる」
「要するに爆弾か?」
「そうだ」
というものですから、何をかいわんや。あげくこの爆弾爆発するんですが、その結果は「地球に爆発の影響が及ぶのは51年後だ。その時地球は消滅するか、人類が超人類に進化するであろう」との御宣択までついてきまして、私が頭が痛くなったのは、決して気圧のせいでもなく、ワインをがぶ飲みしていたせいでもなく、時差ボケのせいでもなく。
主役の二人と悪役の間には過去に何か関係があったようなことがほのめかされるのですが、それはストーリーとはまったく関係なく。コンピューターは何か人間らしさをプログラミングされているようなのですが、それもストーリーとは関係なく。船長はトムとジェリーを見て博士論文を書きつつワープ途中の事故を予見しながら、わざわざ事故を回避する策をとらずにグチャグチャしたものになってしまい。女性船員の一人は彼氏を裏切って悪役のニセトムクルーズと無重力セックスに至るのですが、その後は何もなかったように彼氏に接し、ストーリーとまったく絡むことなく真空の大宇宙に放り出され。彼氏のルー・ダイヤモンド・フィリップスはわけもなく逆立ち腕立て伏せを披露してくれますが、結局超新星は爆発し。
この映画を「ある意味ではすごい」とか、言いたくても絶対いえねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
ファンタジア2000
実は、この作品オーストリアで見ました。かの国は気位高きハプスブルグ家の統べるところでありましたから、映画はすべて独逸語に吹き替えとなっております。この作品は御存知の通り、クラシックの名曲にインスパイアされたディズニーのアニメ映像が音楽と見事に一体化して私たちの眼前で繰り広げられるわけですが、曲の合間合間にいろんな人が出てきていろんなことを解説してるんだか、おちゃらけ入れてるんだか、独逸語だからよくわかんなかったけど、喋ってくれるんですな。スティーブマーチンやベットミドラーがカツカツ喋る。なかなか見れる光景ではありません。
まあ、確かにアニメ技術はすごいかもしれない。でもなあ、クジラが空を泳ぐとこを延々見せられるのもすぐに飽きるものです。やっぱり物語がないと普通はつらいですよ。だから、僕が面白く見れたのはノアの箱船の物語をドナルドダック主演で描くエルガーの威風堂々。あれには、ちょっと涙してしまいました。ドナルドって怒ったときはこわーい顔しているのに、悲しそうな顔すると本当に悲しそうだものなあ。それに、みんなのために働いている人が自分は損しちゃいそうになるって、やっぱり見ててつらいものがありますね。そうそう、ラプソディーインブルーもモダンな感じがまあまあでしたね。曲の好き嫌いも関係しているのかもしれないですけど。火山と水の妖精の話はいただけなかったです。お話も単調だったし、イメージもなんか、日本のアニメの影響受けてるのかな、と思いました。
見たのはウィーンの由緒正しき二階の桟敷に箱席があるような劇場でしたが、アイマックスシアターで見たらもちょっと面白がれたのかもしれません。
御裁断は(最高☆5つ)
リプリー
太陽がいっぱいを男同士のホモセクシャルの映画だと喝破したのは淀川長治先生ですが、この映画をまっとうにホモ映画としてリメイクすると、まるで女同士の同性愛映画みたいになりましたとさ。
ジュードロウはお金持ちで言い寄ってくる人を勝手気ままにもてあそぶお嬢様のよう。マットディモンはジュードロウの極端のうち、自分に都合のいい一極だけしか目に入らなくなっているクラスに一人くらいは必ずいるような愚図な女の子。あげく、ジュードロウの気まぐれに感情的になってしまい、好きな相手を殺してしまうという。明治生まれの私の曾祖父さんなら(会ったことないけど)「女々しい」の一言で片づけてしまったはず。その後もマットディモンは何がやりたいのやらさっぱりわからん行動を繰り返し、あげく殺人の容疑(容疑じゃないけど)から逃れるために、一人二人と手にかけていく。で、「僕の心の中には閉じこめてしまいたいような暗闇が。。。」って、自己陶酔するなっ!!こういうところも、非常に女性的(失礼!)でありんす。
どこかで読みましたが、この作品の方がパトリシアハイスミスの原作により近いそうな。やっぱり女性の描くキャラクターはどうしても女性的であるということですかね。男性が女性心理を描けないとよく言われることの裏返しかな。
それにしても、あんなどうでもいい役のためだけにアカデミー賞ノミネーターのケイトブランシェットを使うとは贅沢至極。しかし、むだ遣い。
御裁断は(最高☆5つ)
M:I-2
確かにジョンウーなんだけど、確かにイーサンハントが出てくるんだけど。でも、なんだかなあ。
少なくとも前作のクールな作戦遂行チームの感じは微塵もないですね。今作ではミッションを遂行しているというよりも、個人的な感情のために動いているんですから。これって、どうかと思いますよ。しかも、その感情というのがよくわからないんですよね。自分の恋人をミッションのために敵の愛人として送り込むという感情的に複雑なお話にジョンウーが説得力を持たせられるはずもなく。そもそも二人が恋に落ちるきっかけもなんだかなあというものですし。
なんでも、製作中にすったもんだがあったそうで。脚本も全然練れていない。トム君とチームを組む二人も存在必要ゼロですし、敵が昔の同僚だったというプロットもどこにも効いてこない。一番大事なサスペンスにしたって、シドニー全市民が細菌に感染する可能性はほとんどゼロなのですから。あの女の子が自殺してしまえば、それで伝染は防ぐことが出来るわけでしょ。というわけで、トム君おおはリきりのバイクの大アクションシーンも、観客からすれば、どうでもいい小娘一人を救うためのものに矮小化してしまうわけです。あー、つまんねえ。
最初の目玉のロッククライミングのシーンもねえ。トム君の自己満足シーンに終わっているし。あそこをタイトルロールとしてもっとコンパクトにまとめる方法はあったろうに。やっぱ主演俳優が制作やるとルーズな作品になるのかしらん。まあ、いいけど。
御裁断は(最高☆5つ)
ジュブナイル
この映画、てっきりETだと思っていたら、実はしごく全うなSFでした。面白かったです。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、感受性豊かな頃の経験が後々の人生に大きな影響を与えるというのは、多くの人が経験しているのだと思います。このことをポジティブに描くと、この作品のようになり、ネガティブに描くとベトナム帰還兵物のようになるんですね。物ごとに前向きに取り組むのはよいことです。
主人公の子供たちがはつらつとしていて、特に女の子なんか、あの子がクラスにいたらあたしゃ絶対惚れてますねというくらいの魅力爆発。しかも、どこかすっとぼけてて、全体の雰囲気がいい意味で軽く明るくなっています。敵の宇宙人がなんか人間くさくって、どんくさいのも一役買っていますか。なんせ、宇宙人とあぐらをかいて酒を酌み交わすなんてなあ。アホか、香取慎吾は。
しかし SF心というものは、男の子の心のあり方と非常に親和性が高いものでして、僕のようなタイプの人間にはぐっと来ます。藤子不二雄(もちろんF)に捧げられていたりして、劇中でもドラえもんを読んでいたりして、うんうん、わかるわかると言う感じでした。僕はSF心とはだいぶんかけ離れた分野に出てきてしまいましたが、ああいう大人になるのもよかっただろうなあと思いますね。いやー、子供の頃はいいんだよなあ。大人もいいんだけど。
日本映画の水準も上がったものです。確かに、この映画はどこかでみたイメージの集合体でしかないのですが、それでも模倣はオリジナリティーの土台になります。上手な模倣は希望の証です。もうしばらくしたら、日本映画もオリジナルなイメージをもっと量産して、怪獣映画やアニメじゃない分野でも、ハリウッドと伍していけるでしょう。少なくともおんなじようなイメージであれば、母国語のドラマの方がずっと微妙なニュアンスを伝えられるのだから。楽しみです。
それにしても、ローソン。あんたら、せこいよ。みっともない。あんなふうにわざとらしく店を映させるなんて、恥ずかしいよ。雰囲気をぶち壊してるじゃないか。この映画はSFなんだから、現実感を遠ざける必要があるってのがわからないのか?そのために作り手がいろんな努力をしているのに、宣伝効果というお金もうけのことしか考えてないんだろ?
御裁断は(最高☆5つ)
グラディエーター
タイトル何とかして下さい。いい映画なのに、全然伝わらないじゃないですか
本当はこの映画はラッセルクロウの側から見るべきなんでしょう。ゆっくりやってくる死があって、その近づきつつある間に一体何が出来るかという。妻と子が殺された段階で、ラッセルクロウは人生的に既に死んでいます。そして、ラストの決闘の前に今度は肉体的に死は避けられない状態になります。しかし、彼は本当の死が訪れる前に復讐を遂げるわけです。オープニングカットから、そのことを暗示しているようにも思えます。結局、みんな死ぬわけですから、この映画の中での彼の体験は特殊でも何でもないですね。本当の死の直前のラッセルクロウのフラッシュバックのシーンを見て、死ぬときって何を考えるのだろうなんて思いました。
でも、この映画はエデンの東でもあるのです。コモドゥスは、決してただの暴君として描かれているわけではない。父に受けいられない悲しい息子なのです。それにこの時代の基準からすれば、ほとんど悪いこともしていないわけですから。僕は、こっち側から見てしまいました。悲しい話です。それにしても、レイリオッタに似ていたな。
オープニングのゲルマン人との戦争。ゲルマン人ってほとんどクリンゴンでした。少し笑えました。それにしても火矢の飛び交う戦闘シーン。CG万歳ですね。こんな歴史映画がまだ見れるとは思ってなかったものな
御裁断は(最高☆5つ)
ナインスゲート
いまどき、こんな正統派オカルト映画ってなかなか見られません。そもそも悪魔の手引書を探す稀覯本のブローカーが主役ですから、それだけでおどろおどろしい世界が拡がりますわな。しかし、全然怖い映画じゃないです。ジョニーデップからは恐怖の感情がまったく伝わってこない。かといって、彼は悪魔に対する情熱に取りつかれているわけではない。彼の探索を助ける人のうち双子の古本屋と謎の女は、悪魔そのものなのでしょう。だから、ジョニーデップは巻き込まれただけなのに、いつのまにか悪魔に導かれながら進んでいるということになる。最初はいやいやだったはずなのに、いつのまにか進んでその道を受け入れているんだなあ。ここの変化がいまいちよくわからなかったんですよね。ですから、ラストの方はクエスチョンマークの連続でした。
僕は、てっきりあの女が天使だと思っていたんですよ。ふわっと浮くし。で、そこに対立軸があるのだと。でも、どうもそうではないようなんですよね。ということは、この映画は悪魔崇拝の映画なのかな?ロマンポランスキーだし、とも思ったんですが、その割りにはジョニーデップはぼーっとしてるだけだし。うーむ、よくわからん。古い重たーい歴史の暗さの雰囲気を味わえればそれでいいんですかね?この映画は。
それにしても、レナオリン。こんな役しか出来なくなってるのか?
御裁断は(最高☆5つ)
風雲ストームライダース
すげえ、すげえよ、香港は。ハリウッドがやっとワイヤーアクションを覚えはじめた頃に、こちらでは秘術をつくした闘いが繰り広げられているのだから。しかも、ビジュアルばりばりで。飛ぶからなあ。脚力で飛ぶ。気合いで飛ぶ。扇子で飛ぶ。水や岩は思念で武器と化し、エネルギー弾が乱れ飛ぶ。幽体離脱はあるわ、腕は交換できるわ、炎のドラゴンは出てくるわ、とにかくすごい。しかも、ちょっと前の香港映画と比べると、ストーリーテリングの腕前が確実に上達している。無駄な話の展開があんまりないものな。けっこうたくさんの登場人物が出てきているのに、一応のレベルで混乱をおこさず踏みとどまっている。例えば、ワンスアポンアタイムインチャイナとかスウォーズマンとか、お話がはちゃはちゃに破綻していました。
それにしても、中国における武術界とはどういう存在なんでしょう。権力機構とはまったく独立に存在しているのでしょうか?天下制覇が今作の話の中心ですが、それは、実際に世の中を支配するということなんでしょうか?その割りには、軍隊みたいなのは、いないし。彼の国では司馬遷以来、英雄しか存在してはいけないのでしょうか?人民解放軍はどうなるのだ?で、少林寺は?あれは宗教関係?なんか、この映画では治外法権というか、争いの外に立っていたようですが、そういうことを許されるのは、いったい、なんでなんでしょうか?うーむ、奥が深いぞ。
それにしても千葉ちゃんですわ。けっこう年でしょうにアクションもしっかりしているし、しかも、悪の権化のような役柄にも関わらず、とても人間的な一面も見せていて、見事な演技だったですよ。雄覇のことは決して憎むことは出来ません。けっこういいやつなんですよ。最後には倒されちゃいますけど。
しかし、一番タチ悪いのは、千葉ちゃんの娘でしょう。あれ、どう言い訳してもビッチです。平気で二股だもの。で、風も雲も傷ついているのだから、ナイーブな主役二人でしたな。
しかし、結婚式の前日の夜に一人で見た映画がこれだからなあ。いい独身生活だったなあ
御裁断は(最高☆5つ)
ミッション・トゥ・マーズ
2001年宇宙の旅から何程も変わっていない映画でした。満身の力を込めて好意的に解釈すれば、デ・パルマもキューブリックを崇拝していたんだなあと。非常に分かりやすい2001年宇宙の旅だと言えば、デ・パルマに甘すぎるでしょうか。
最近デ・パルマもB級な作品だけではなくて、風格ある大作もとることが出来るようになってきたのに、大宇宙の壮大な神秘の前には、あえなく玉砕してしまったか、と言う感じですね。やはり、彼は緻密に構成された小宇宙で話を展開させるほうが得意なようです。火星に行って生命の謎を解き明かすスケールの大きなお話にヒッチコックタッチは似合いませんものね。だから、彼の演出プランは、これであっているんですけれどもねえ。ジェームズキャメロンの甘々海洋SFのアビスを見たときの感じに似ています。あと、音楽の物々しさは僕には辛かったです。
SFは絵だ。という名言がありますが、この作品のビジュアル面は、すっごくかっこいいところと目を覆いたくなるようなところがごっちゃまぜです。マーズリカバリー号の回転居住区一回転分をワンカットで見せるところなんて、SFファンの夢とでも言うようなシーンです。あと、物資補給ポッドに乗り移るシークエンスも、とても面白かった。よく考えたら、非常に静かなシーンで、盛り上がりは俳優達の泣き顔のアップだけなんですけど、火星の上に一人浮かぶティムロビンスの絵の訴求力だけで最後まで引っ張れるのですからねえ。あそこがこの映画の白眉だと思う。一方で、火星に降りてからはどうかと思うぞ。人面像がありがちなグレイ型宇宙人、その中に入ってから生命の成り立ちを明かされるシーン、惑星軌道を赤い線で表示することはないだろうに。宇宙船が煙を吐いて飛んでいくのは、きっとやりたかったんだから大目に見るとしても、そのさきに渦状銀河があるっていうのはねえ。宇宙映画で銀河系を見せられると、一気に風格が損なわれるような気がするんですけどねえ。帝国の逆襲のラストもがっかりしたものなあ。古くさいなあ、って思う。
ドラマ面では、詰め込みすぎの感があります。ゲイリーシニーズの亡き妻への思いはラストシーンにつながる重要なものでしょうから削れないのですが、強く語られているわけではないので効果があまりない。ティムロビンス夫婦のエピソードは逆にしっかり描かれているので、効果抜群なんですがラストに効いてこない。黒人親子のエピソードは消化不良ですねえ。このへんをちゃんと描くには、あと40分くらい時間が必要だったんじゃないでしょうか。でも、それでは、だれるし。いっそ、ゲイリーシニーズとティムロビンスのキャラを融合させたらどうでしょう。で、シニーズの妻はミッションの途中で失われることにすると、フォーカスが定まったと思います。
アルマゲドンの時も思ったんですが、こんなに危機また危機じゃあ、大変です。もっとしっかり計画せいよっと思いますねえ。描かれるミッションがずさんな所が多いですものねえ。最初の探検でも少なくとも一人は基地でバックアップせえよ、とか、乗り移りのシーンでも最初っから、まだ距離が離れないうちにあれをやっていれば助けられたじゃないか、とか、そもそも救出に行くと言っても、あの段階で誰かが生き残ってると想定していること自体がおかしいとか、いろいろ現実性の無いところがあります。近未来SFはリアリティは大事ですよ。
わたし、SF映画に厳しいですか?根がそこなもので、ついつい。あ、でも、ビークロス改はかっこよかったですよ。
御裁断は(最高☆5つ)
アナザヘブン
脳を乗っ取る「何か」が起こす連続猟奇殺人事件、犯人は異常な怪力の持ち主で、体を殺しても「何か」は他の体に乗り移ることで生き続ける、、って、これは寄生獣かはたまたヒドゥンかという。どっちの作品も傑作だし、どうもあたしゃこの設定が好きみたいなんですね。てなわけで、ついつい今作も見てしまったという。擬態にまんまとひっかかりましたぜ。
今作で人間を乗っ取る「何か」は悪意の象徴です。それは、人間性そのもので(実際、映画の中でも人間であると自称しているわけですが)、そういう意味では寄生獣やヒドゥンと比べて、内省的というか罪の意識が全体の基調となるべきトーンのはずです。しかぁし、原田芳雄。お前は、なんや、そのキャラクター作りは。脚本の意図が全然わかってないんじゃないの?で、監督も制御できなかったんでしょう。雰囲気ぶち壊しですわ。何十年前ならいざしらず、こんな能天気オヤジは高度成長とともに滅んでしまったはず。ちぐはぐでしたな。
他にも、今作にはオカルトの要素あり、SFあり、恋愛映画(少しシュリの趣を感じました)あり、スプラッターありで、しかも刑事物なのですが、そういう雑多な要素もいまいちかみ合っていなかったですね。それから、人の悪意が主要テーマのクセに、普通の人の持っている様々な悪意についてはほとんど描かれていませんから、「何か」が演説をぶってもピンと来ないんですね。この映画はいきなり本筋から入っていますが、その前にイントロダクションで普通の人が悪意の犯罪を犯して、主役の二人がそれを解決するとかいうシークエンスを入れておけばよかったように思いますね。そういうところがあれば、この評でももう少しテーマについて突っ込んだことを書こうって気にもなるんですが。今のままではちょっと。
映画と同じ世界観の中で同時進行的にテレビドラマが作られていて、私も夲上まなみ目当てでテレビを見ています。かぶっているキャラがいたりするのですが、映画に関してはそれは失敗です。フォーカスがそれてしまう。二時間しかない枠で夾雑物を入れると、ただでさえ散漫なのが、もっともっと散漫になってしまう。テレビに映画のキャラが入るのはいいんですけどね。どうせテレビはもともと散漫だから。
御裁断は(最高☆5つ)
ロミオ・マスト・ダイ
リーリンチェイのアクション以外はまったく焦点の定まらない作品に仕上がっています。まあ、彼のアクションが見れればそれでいいんですけど(アメフトのシーンは御愛嬌で目をつぶりましょう)、それならそれで妙に物語をきちんと語らなくてもいいんですがね。骨抜きにされた香港映画のようでした。それにしてもリーリンチェイはチビだわ。映画の中でもなんどかセリフにあったけれども、それにしてもヒロインよりも背が低いんだものなあ。これが主役だというのは、新機軸だといえばいえなくもない。
しかし、何と言ってもこのお話で致命的なのは、陰謀のオチが明らかにされ、もっとも憎々しげに描かれてきた悪役がリーリンチェイによって倒されるのではない、と言う点です。リーリンチェイが一番活躍するシーンの悪役ってのが、そこまでずっとコミカルな憎めない役柄だった人たちですから、見ているほうとしても盛り上がりに欠ける。消防ホースを使って、敵を殺すことなく倒していくところなんて面白いんですけどねえ。このあとにアクションのクライマックスが来て欲しいものです。一番最後に一対一の対決シーンがあるんですけど、これは普通のカンフーですからねえ。しかも、この時の敵の悪らつさはほとんど描かれていませんしね。陰謀の黒幕のネタを早々に割ってはいけないと考えたのでしょうが、逆効果でした。あと、黒人ファミリーと中国人ファミリーの構造をほとんど同じにしてるのは、いったいどういうことでしょうか?これのおかげでラストが二倍に薄められて、散漫な感じを高めているという。
それから、白人の投資家とギャングどもとの関係もわかりにくかったですね。それにしても、最近、中国系の悪役の冷酷非道さが目立ちます。それに比べて黒人の描き方のよくなったこと。一つの人種偏見が消えると、別の人種偏見が現れるという。ほんとにきりがない。いや、他のターゲットが見つかったからこれまでのターゲットが見逃されるようになったのかな。ほんとにしょうがない。
それにしても、カンフーシーンにはいろいろ趣向があったのにねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
マーシャル・ロー
いいのか?こんな映画つくって?アラブ系アメリカ人は楽しくないんじゃないか?しかし、この映画は人種差別告発の映画なんですかね?主役は黒人だし。そんなテーマを振りかざしても今どき誰も見に来ないから、犯罪捜査と国際謀略と政府内の権力闘争で豪華にデコレーションしてみた映画という感じですね。
しかし、デンゼルワシントンだから。やっぱりこの映画でも、アメリカの正義・良識の代表みたいなツラ下げて活躍されるものだから、うっとうしくって。前半、バスを目の前で爆破された後の、少し切れたような捜査のシーンが、デンゼルワシントンっぽくなくってよかったと思っていたのに、最後がアマアマの甘だったからなあ。てっきり反アメリカな映画だと思っていたのに、最後の解決はアメリカの掲げる理想の勝利と来たもんだ。幽霊の正体見たり、、でしょうか。それにしてもデンゼルちゃん、前半部分で少し見直しましたよ。彼はおびえの演技は出来ないけれども、怒りは出来るんだな。一度悪役をやってみたらいいのに。007とかのおバカ映画で。ブルースウィリスを見習いなさい。彼は最近感心だよ。ダイハードの幻影からの脱出に割りと成功してるじゃないか。役者ついでに言うと、アネットベニング、口閉じなさい、あんた。
とか言っていますが、想像していたのより面白かったです。けっこう緊迫感あったし。やっぱりFBIにアラブ系の捜査官を配置していたのが大成功ですね。あれが、お話に立体感を出しましたね。
御裁断は(最高☆5つ)
eXistenZ
前もどこかで書いたような気がするが、映画というのは仮想のリアリズムに裏打ちされたメディアであって、そんな映画で現実の虚構性をテーマにするというのは矛盾した行為なのです。虚構の現実性をテーマにするのならいいのですがねえ。
しかも、最初からかなりあからさまにネタを割っているので、ゲームの世界とその上の階層世界とを行ったり来たりする物語の部分は平板の極みになります。何が起こっても、しょせんゲームの世界ですからねえ。まあ、楽しめる点があるとすれば、クローネンバーグ風ヌタヌタグチョグチョの美術なのですが、こればっかりはかなり趣味性の強い人でないとダメでしょうからねえ。背中についた接続プラグ(放射状にしわのよった穴になっている)に舌を入れたり、唾液で湿らせた指を突っ込んだり、ローションつけたりと、これもあまりにあからさまなので、笑ってしまいます。クローネンバーグって永遠のマンネリなんでしょうか?ちょっと飽きてきた気がします。
少し見方を変えて、この映画を仮想現実のおそろしさを描いたものだとしたら、確かにそういう映画はまだそれほどありふれたものではないんだけど。最近巷にあふれる、簡単に人を殺す若者の発生原因を追及した映画なんだったら、それはそれで納得も出来たのになあ。やっぱりクローネンバーグだからなあ、そんなテーマじゃないことは一目瞭然だなあ。
役者陣は豪華ですね。すっかりおばさんになったジェニファージェイソンリーに、これが噂のジュードロウか。と、そういえば昔キリスト役をやったことのあるウィレムデフォーと今回もなんかいかれた感じのイアンホルム。特にジュードロウはなかなかの演技でした。
ところで、この映画を見て気がついたんだけど、最近の仮想現実流行りって、ひょっとして西洋世界の願望なのか?もし、この現実がバーチャルなら、そのこと自体が世界の作り手の存在を示していることになるのだものな。それって神様じゃないか。やはり人間にとって神様は必要なのか?
御裁断は(最高☆5つ)
親指タイタニック/親指スターウォーズ
親指に目と鼻を合成しただけのキャラクターだけを使って、タイタニックとスターウォーズのパロディを作ったという映画ですから、おバカ以外の何者でもありません。しかし、おバカのありようが、タイタニックとスターウォーズでは、かなり違います。スターウォーズでは、こりこりのこりで、ドロイドや宇宙人、宇宙船までが指、もしくは手からデザインされていたり、カメラワークも本編そっくり(デススター攻略戦やオビワンとダースベイダーのチャンバラとか)だったりしています。で、真面目に構築された世界がなまじ出来が良いために(もちろん、それはオリジナルがよいからです。僕はこの作品を見て、いかにスターウォーズが素晴らしい作品だったか再認識しました。パロディを見ているのに興奮してしまうのですから。こっちなら、元ネタを知らなくても楽しめるでしょう)、親指という土台のばかばかしさが際立つという構造をしているのです。それが、タイタニックでは、元ネタの映画がつまらないものだから、同じ手法は通用せず、ベタなギャグの応酬に逃げ込んでいます。これなら親指である必然性はありません。まあ、指相撲は笑えましたけど。
それにしても、映画の日に見に行ったせいもありますが、立ち見をくらうとは思いませんでした。で、なんか観客がわざとらしく笑うのです。そんなに笑うほどは面白くなかったぞ。ひょっとして、この映画は笑わなきゃいけないと思ってるんじゃないだろうな。これだから、アートシアター系の客層は苦手なんだよなあ。
ところで、スターウォーズの宇宙人の中にブロッコリーがいたような気がしたが、あれは、ひょっとして、デヴィッド・ブリンのサンダイバーか?この監督はSFオタクか?
御裁断は(最高☆5つ)
アメリカン・ビューティー
いやあ、つらい映画だった。もうちょっと、お前らなんとかしろよっていう。もう少しコミュニケーションをうまく取れれば、事態は好転するだろうに。どうして自分から物事を悪化の方向へ持っていくかなあ。特に何がひどいかって、アネットベニングですな。あんな嫁さんがいたら、そりゃあ生きた屍にもなろうというものです。ああ、おそろしい。
この映画はアメリカの普通の家庭にある問題を描いたものだと思っていたのですが、僕が見るところ、ケビンスペイシーは実はヒーローであって、普通の男よりはずっと素晴らしいキャラクターでした。彼は結局のところ、いろんな問題を、特に娘の友人の抱えていた問題を偶然とは言え、見事に解決しました。彼女にご飯を食べさせているシーンで、彼女を見るまなざしにあふれる慈愛は、人が生きていくうえで自由であることが如何に重要であるかを雄弁に物語っているように思います。
この映画には三人の大人と、三人の若者が出てきていて、それぞれ何かに囚われています。ケビンスペイシーは家庭に、妻のアネットベニングは社会の消費傾向に、彼らの娘は父親に、その友人は自分自身に、娘のボーイフレンドはやはり父親に、その父親は職業にとらわれています。そしてケビンスペイシーが最初に囚われの身から逃れ、連鎖的に若者三人が自由の身になりました。残った二人は、映画が終わるまで自由にはなれなかった。自由になれないと、あげくは人に害をなしてしまう。哀れなものです。
マグノリアがアカデミー賞を取りそこね、この作品が勝ったというのは、理解が出来るのですが、かといって去年と比べると、そんなに素晴らしいかなあ?というのが正直なところです。ハリウッドの世界だとこういうのが新鮮なのかもしれませんけれど。
御裁断は(最高☆5つ)
NYPD15分署
私は子供の頃から、協調精神にかけているらしく、最近では自嘲気味に「おいらは個人主義の権化だから」とかうそぶいています。前々から、なんで自分はこんなに人にあわせるのが苦手なのかと思っていました。で、この映画の主人公チョウユンファは「最後は自分の身は自分で守る男」でして、私は主人公の行動を見ながらしびれていたわけですが、そのとき電撃のように悟りました。「オレってハリウッド映画の見過ぎやん」
チョウユンファはチャイナタウンの刑事です。警察にはありがちですが、チョウユンファも実は裏の社会と結びついており、チャイニーズマフィアからは情報提供その他の利益を得る代わりに多少のことはお目こぼしをしているという、持ちつ持たれつの関係にあるわけです。で、まあ、この決して純粋な正義感の持ち主とはいえないチョウユンファなのですが、パートナーを組むことになった白人警官との友情から、自分には何の得にもならないのに、組織と対立し、FBIからは汚職警官として睨まれ、命の危機に瀕するわけです。こういう自分の中の価値基準だけに従い、自分より大きな集団と対峙するキャラクターをハリウッドは数多く描いてきたわけです。これは、アメリカ人の開拓者魂とも通じる独立心に訴えかけるからだと思うのですが、どうもあたしゃその洗礼を浴びせられすぎたか、もしくは多感な時期についつい映画を見ていたものだから刷り込まれちゃったかしたようです。自分もそうでありたいと強く願うようになってしまって、そりゃあ、日本的な和の精神とはそりが合わないわなあと納得した次第。なので、わたしゃ、上映時間の間、チョウユンファの香港仕込みのけれん味たっぷりの大げさ演技も物ともせず、「くー、男ってのはこうでなくっちゃ」と打ち震えておったわけです。
映画としてはまずまず破綻無く収まっています。アクションシーンで急激なズームアップショットが多用されていたのが気になったくらいです。それにしても中国人ってのは、やっぱりしつこいんですかね?ターゲットが既に死んでいても、わざわざ銃弾を打ち込むんですから。
御裁断は(最高☆5つ)
スクリーム3
この人気シリーズも三作目になりまして、ジェイソン化もしくはフレディ化が懸念されるようになりました。一応、ウェス・クレイブンは今度で終わりだと言っているようですし、ラストの処理を見てもその意図があることはわかります。しかし、監督を変えちゃえばしまいですからねえ。
シリーズ物ですから、お約束をきちんと守っています。小道具としての電話の使い方や、殺人鬼が幽霊マスクをかぶってナイフで襲ってくること、映画というものへの言及などなど。後は、物語の構造上で言えば、何人もの犯人候補がいて、ラスト近くになって、その候補が次々と真犯人に襲われ、最後に明らかになる驚愕の人物とは!という点です。しかし、この構造も1作目では効いていましたが、2作3作と来て、身構えている観客を裏切る必要性から、「おいおいそんなんわかるわけないやんけ」というような犯人が最後に現れるようになってきました。なんぼなんでも、最後になって、あまりに強引なネタ晴らしをされてもなあ。乗れませんねえ。しかも、そこに至るまで散々ウソの伏線をあざとく見せられ続けますからねえ。
まあ、それでも一応高いテンションを最後まで維持し続けています。一作目の事件を映画化しているスタジオで殺人事件が起こるのが、今回のお話なのですが、スタジオには当然セットが組んでありまして、これが一作目の舞台(主役のシドニーが住んでいた家)とそっくりに作られている。そこに迷いこんだシドニーは、ある種のデジャブに襲われ、ついでに犯人にも襲われます。逃げるシドニーは自分の家だと思って駆け回るのですが、そこはセット、省略されている場所もあるわけで、そのシドニーの意識と現実とのずれがちょっとしたサプライズを生んだりして、そのあたりは面白かった。
まあ、でも、やっぱりシリーズ化は懸念されますね。
御裁断は(最高☆5つ)
ダブルジョパディー
アシュレイジャッドのアイドル映画のようでした。ファンにはたまらないです。なんと全裸のベッドシーンまであって。あの少し半開きになった口がどうにも色っぽいですな。
しかし、ファン以外の人が楽しめるかというとちょっと。ご都合主義の目立つ脚本。精彩のないトミーリージョーンズ。不必要に壊され海に沈む車達。甘い落ち。同じ罪で二度裁かれることはないということを逆手にとって、無実の罪で投獄されたものが復習に燃えるなんて、ものすごく面白くなりそうなアイデアをよくもここまで、という感じですね。そもそも、観客はみんなアシュレイジャッドの味方です。アイドル映画だし。で、彼女は人を殺してもいい状況で、ずっとそのために体を鍛えていたはず。なおかつ相手は殺されてもしょうがない卑劣漢。それが、結局殺すつもりなかったのか?と思わせるような行動をとってはいけません。それならそれで、でも夫を愛しているの、とかを描いておいてくれないとなあ。説得力がなあ。
御裁断は(最高☆5つ)
トイ・ストーリー2
僕は物を捨てられない人で、今、引っ越しの準備をしている真っ最中なのですが、押し入れの中からガラクタがこれでもかこれでもかと出てきます。この映画はそんな僕の自己正当化の強力なツールです。思えば、僕の母などは、よくもまああんなに簡単にと思うくらいポンポンと物を捨てられる人で、子供の頃はよく大切な(と子供心に思う)物を捨てられては泣いてたものでした。日本には古来から八百万の神様がいて、だからきっと物にも魂が宿っているんだぞ。
実は第一作は未見なのですが、それでも十分楽しむことが出来ました。上映時間が短いというせいもあるのですけど。後半のウッディ救出作戦の危機また危機の連続のシーンは結構感動してしまいました。CGであることを途中からはすっかり忘れて熱中できました。こりゃあ、大ヒットもしますねえ。
でも、巷間言われているような大傑作かというと、それほどでもない。この作品について、CGだけがすごいのではないというようなことがしきりに語られているようですけど、そんなによくできた話でもないと思うなあ。少し、単調なんですね。
でも、捨てられたおもちゃの悲しみのシーンはとてもグッときた。失恋のメタファーと思えばわかりやすいですね。
御裁断は(最高☆5つ)
ケイゾク /映画 Beautiful Dreamer
この映画のプロデューサーの植田博樹は実は知り合いでして、雪だるまプロという 8mmで自主映画を制作する京大のサークルで同じ頃に活動していました。何を隠そう、この私は彼が初めて作った自主映画で、形式上の主役をはっていたという間柄です。雪だるまプロのメンバーは卒業後テレビ界に進出するものが多く、彼はTBSで貴島誠一郎の系譜に入り、テレビドラマを制作し、その一本をついに映画にするまでになったという。一番の出世頭といったところでしょうか。で、まあ、僕も昔のよしみなので、一応見ておこうかと思ったわけです。あと、暇つぶしもしなくちゃいけなかったし。
僕の理解では、彼は学生の頃は映画というメディアをまったく理解していなかったのですが、やはり三つ子の魂は百までも。この作品も僕が見るところでは、映画というよりも芸術家気取りの若造がノリで作った一発芸映像の羅列という感じでした。僕はテレビの時はほとんど見ていなかったので、それでストーリーや人物関係がわからないのかと思っていましたが、僕の後ろに座っていた人達(映画が始まる前の会話を聞くと、テレビをちゃんと見ていたようです)も上映が終わってから、??という会話をしていたので、やはり作劇上で何らかの問題があるのでしょう。最大の問題は、無人島での殺人事件とそのなぞ解き(僕はそして誰もいなくなったを連想しました)と、朝倉(字、あってますかね?)というテレビシリーズでの敵との戦いと両方をぶちこんでしまったことでしょう。前半と後半で全然雰囲気の違う映画はフロムダスクティルドーンなどありますけど、これまでに成功したものなんてほとんどないですよ。しかも、今作はプロット上でも全く関係がない。ひどいもんだ。いいのか?これで?
いや、いかん。テレビ界の安易な作りを映画の世界に持ち込んで欲しくないものだと思う。せめて映画という世界とその観客に対する敬意というか愛情というか、そういうものに裏打ちされた作品を作って欲しいと思うよ。その点で「踊る大捜査線」はしっかりしていたと思う。テレビはただの埋め草だから、作り手の安易な姿勢を見せられてもあんまり腹も立たないが、僕は映画館に行くときは求めているものが違うんだなあ。みんなもそうじゃないんですかね?テレビでやってたからという理由だけで映画館に足を運んじゃだめだよ。こういうことを続けていると、せっかく復活の兆しが見えてきている日本映画界がまたおかしくなっちゃうよ。
映像処理とか役者の演技とかあざとさが目に付いて、適当に変なことをしておけばアホな観客が喜ぶぞという感覚。これって知的に退行した若者にありがちな、例えば宴会の時にズボンを脱いで笑いをとろうとするセンスに似ている感じがする。そういえばしばらく前に乱交パーティーに参加して下半身をさらした写真を撮られていたのもTBSの社員じゃなかったか?
御裁断は(最高☆5つ)
マグノリア
本当に人生というものは厄介なもので、ただでさえたくさんのプレイヤーがいて複雑で訳がわからないのに、プレイヤー達がそろいもそろって愚かさにあふれた存在なわけです。そんなことは、普通に人生を送っている人なら、みんなとうにわかっていることで、芸術家気取りの青年に三時間もかけて教わる必要はないのです。観客をバカにしないほうがいい。
しかし、空は時々、一面のうろこ雲に覆われたりします。もし、そのとき夕日が差していようものなら、その美しさは数分間人の心を一つ所に留めておくために十分です。雲は、一つ一つは賢さのかけらもないただの気体分子から出来ていて、いつもは不定形のもやもやした形しかとっていないのに、あるときなぜか奇跡のように空は秩序で覆われてしまう。そこには、何らかの意志があるように思う。奇跡はただの奇跡ではしょうがないわけで、そこに意志を持つ存在を読み取ることで、奇跡は人の世に意味をなすのでしょう。マグノリアはそういう映画です。
この映画はキリスト教的な贖罪・懺悔・受容についての映画で、その情熱は狂信の色さえ帯びているくらいに思えます。よくいえば真摯なのですが、別の言い方をすれば息苦しいのです。僕には少し辛かった。というか、途中からその息苦しさに麻痺してしまったと言うほうが当たっているでしょう。前半、特に登場人物を一気に紹介するシークエンスのただならぬテンションには目まいがしたものですが、次第に体感速度は減速していき(高速道路を10分も走れば時速120キロで走っても全然怖くなくなるというやつです)、クイズのシークエンスが終わると、もうどうしようもなくなる。そうなると、突然現れる歌のシーンももう手遅れ。目くらましにならなくなってしまいます。特に僕はアルパートリッジのシークエンスとフランクマッキーのインタビューシーンで緊張感を失っていった感があります。
映画の中に救いはあります。こんなもの救いじゃないという人もいるかも知れませんが、あれは立派な救いだと思います。人生なんて10の辛いことに1の幸せなことがあれば御の字ですから。
御裁断は(最高☆5つ)
007 ワールド・イズ・ノット・イナフ
今作は、これまでの007とは少し違って、能天気アクションの裏に複層的にテーマが載せられているという構造になっていました。
あと私の見るところ、この映画のテーマはハンディキャップを負った男と完全無欠な男の間の三角関係です。なんといっても、この映画のクライマックスは制御棒を炉心に挿入しようとするハンディキャップ男を完全無欠男が阻止しようとするシーンですから。 ああ、なんていやらしい。
思えば、ロバートカーライルはとても悲しい役です。もちろん悪役なのですが、大事な女性と愛を交わすこともままならず、あげく007にその女性すら奪われてしまう。せめて、制御棒くらい思いを遂げさせてやりたいのですが、やはりそこは007。完全無欠男は最後には能天気に巨乳娘(しかし、デニスリチャーズは出てくる必然性ゼロだったな。この映画がボンド映画でなければ絶対にカットされていたはず)とお熱になってしまうといういつもの結末。
このほかにも、今作では過去のシリーズにない要素が盛り込まれています。Mがストーリーに大きくからんでくることだとか、ボンドとエレクトラの心理的駆け引きだとか、Q(しかしトゥモローネバーダイの評に「後はお前だけだぞ、Q」と書いたものですが、これが遺作になるとは。Qの冥福を祈ります)の後継Rに代表されるようなコミカルな要素だったり。アクションばかり派手で人間が描けていないというこの手の映画にありがちな批評を気にした対応なのでしょうか。しかし、それほど効果をあげていないのはご愛嬌。結局のところ、いちばん面白かったシーンはオープニングタイトル前のボートのアクションだったですからね。スキーのアクションシーンは007定番ですが、これは平均以下の出来でしたね。敵の倒し方が単調だった感ありですな。
それにしても、それにしてもですよ、僕はこの映画結構楽しんだんですよ。老けたとはいえソフィーマルソーだったし、ロバートカーライルは影の薄い役柄だったとはいえ熱演だったし、ピアーズブロスナンはスキーが苦手なようだったとはいえ007ははまり役だということを証明したし、デニスリチャーズは必然性があるとはいえびしょ濡れになっていたしで、面白かったじゃないですか。007だし。で、お決まりのベッドシーンの後、さあ、エンドタイトルだなあ、と思ったら、いきなりバタ臭さのかけらもないような歌が。ん?どうもこの歌は英語じゃないようだぞ。。。(数分経過)。。。あれ?どうも日本語に聞こえる????
で、最後、すべてのタイトルが終わってMGMのロゴが出ても最後の曲のことはクレジットされず、、と思ったら、LUNA SEAだぁ?まさか、まさか、この日本語の曲は配給会社が勝手に。。。。。いったい何するんじゃああ!!!!!!!!
どこの配給会社か知らんが、これは冒涜です。C級映画でビデオ化する以外に収入がほとんど見込めんような映画を、営業の観点から日本向けにアレンジするというならまだ理解も出来ようものを、よりによって天下の007です。これは映画の作り手と007映画のファンの両方を愚弄するものです。本気で許しがたい。きっと本来なら何かのオーケストラの曲がかかっていたところでしょう。で、007のテーマとかが聞けたはずなのです。そのかわりに僕が得たものは角川映画を見た後のような雰囲気でした。何度も言いますが、こういうことをした配給会社は許しがたいです。
御裁断は(最高☆5つ)
ISOLA 多重人格少女
オーメン(サスペリアだったかな?)とスペースバンパイアを足して、一時は200まで分裂した(手塚理美談)ような映画でした。ひどかった。
テーマが散逸しているし、物語は破綻しているし、木村佳乃は子犬みたいな顔しているしで、見ているのが大変な映画でした。あたしは通常ホラー映画を見て笑おうなんて気持ちには全然ならないのだけれど、今回だけはあまりの馬鹿馬鹿しさに笑わざるを得ませんでした。多重人格のお話なんだから、理詰めというか、ある程度は合理的にお話が進んでいくのだと思っていたら、のっけから木村佳乃はエスパーだし、途中からは多重人格よりも幽体離脱がメインになっていくし、そのうち幽体離脱もどうでもよくなって、結局お化けじゃないかそれは!って言うんじゃ、ハチャハチャのハの字も惜しいくらいですな。だいたい、木村佳乃は人の心が読めるんだったら、とっとと事件が解決できるじゃないか。それに、性的虐待を行っていることがわかっているのに、その見るからに危険な人物のところにノコノコ出向いて言っちゃあ、あかんでしょうが。一事が万事、全てのストーリー展開に説得力が無くってねえ。
僕なら、木村佳乃と手塚理美のキャラクターを捨てて、isolaのなぞ解きもやめて、地震の前からストーリーを語るだろうな。そうして、女の嫉妬のおそろしさという点にだけ絞って、映画を作る。せめて、それくらいの工夫は必要なんじゃないかな。原作は読んでいないけど、これだと時間がないから原作のシノプシスを作って、順番に絵をつけていっただけのように思えるな。
それにしても、なんで阪神大震災の必要がある?あまりいい気持ちがしなかった。原作もそうなのか?
御裁断は(最高☆5つ)
リング0 −バースデイ−
平成日本映画界が産んだ最高のキャラクター貞子の青春時代を描くリングシリーズ第三弾!!なのですが、昭和日本映画界が産んだ最高のキャラクターゴジラと同じく、とてつもない恐怖の根源から、善良なキャラクターに設定変更がなされてしまいました。東宝の悪い癖だ。これって、貞子を退治しちゃったリング2よりもひどい冒涜ですぞ。
映画の装いはシックスセンスとポルターガイストとキャリーを足して6で割ったような感じです。もともと中編の長さの原作では映画になりませんので、設定だけを借りてきて、あとは自由にお話を作ったようで、どこかで見たような聞いたような凡庸なお話になってしまいました。まあそれでも、そこはシリーズ物の強みで貞子と志津子、伊熊博士などが出てくるとお話にも訴求力が出てくるというものです。
しかし、今作の最大の問題点は「結局、一番怖いのは人間だ」という事になってしまっていることです。そんな70年代じゃあるまいし、手垢のついた言い草をやめて、もっと我々にとって根源的な恐怖を描いたからこそ、リング(原作ね)はホラーとして傑作だったはず。で、貞子が被害者になっているものだから、見ている側は誰にも感情移入できなくなってしまいました。田中好子なんてナチスの女将校のような冷酷無比の役回りだし、劇団の女の子にしたって臆病とちっぽけなエゴのために人を陥れようと画策する嫌な女だし。こいつらが殺されそうになったって、見ているほうは全然平気。かといっていくら薄幸そうな美人だからと言っても、あの貞子に感情移入できるはずもなく。
そんなわけで、一番怖かったのは山村志津子でした。きっと来年はリングマイナス1とか出来て、山村志津子の青春を描くんだよ。貞子の父親問題が解決していないしな。シュワちゃんでも呼んできて父親と戦わせるか?
御裁断は(最高☆5つ)
ラブ・オブ・ザ・ゲーム
野球とテレビの親和性について考えてしまいました。ケビンコスナーは引退間近の大リーグのピッチャーで、現役最後になるかもしれないマウンドが映画の舞台です。で、野球のシーンのかなりの部分はテレビ画像として処理されています。監督のサムライミは若いので、テレビ世代なのでしょう。野球は球場ではなく、カウチで見ていたわけで、僕も同じです。野球は静と動がはっきりしたスポーツで、静の時に選手の顔のアップをテレビに写すことが容易です。このために、野球を見ている人はスポーツと同時にドラマをも見ているわけです。だから、野球はあんなにルールが複雑なのに、ルールを知らない人が見ていても面白いという。このあたり、サッカーやバスケットボールでは太刀打ちできますまい。
で、この映画はそういう野球の属性についてよく考えられた映画です。マウンドではケビンコスナーが完全試合を達成できるかどうかという状況があり、観客はそこではらはらします。ところが彼はマウンドで、ついさっき別れることを告げられた大事な女性のことを想っています。8回に入るまでケビンコスナーは追憶で頭が一杯で、完全試合であることに気づきもしないくらいです。観客は、そのドラマも平行して見ており、ケビンコスナーの心の動きを知ることになります。
よく考えられた構成、むだのない脚本。余計なのは演出でしょうか。メロメロのメロドラマ演出に大げさな音楽をかけられても、僕のようなロマンチックのかけらもない人間には効きませんから。それに、僕には7回を過ぎてからは完全試合の方に興味が全部行っちゃって、彼女のとのことはどうでもよくなってしまってました。まあ、あのヒロインもいまいち共感の持てないキャラクターだったしなあ。サムライミは、何を思ってこの作品を作ったのでしょうかねえ。
御裁断は(最高☆5つ)
ブルーストリーク
このタイトルは超巨大ダイヤモンドのことです。主人公は泥棒で、このダイヤを盗みだすのですが、仲間の裏切りにあい、警察に捕まる寸前に建設中のビルの中にダイヤを隠します。で、お務めを果たして娑婆へ出てきたらば、建設中のビルは警察署になっていました。なので、泥棒が警察官のふりをして忍び込んでみたら、あれよあれよという間に大出世、というコメディ(なのかなあ)映画です。
主役の人は、一時期のエディマーフィーの線で売っている感じです。でもエディマーフィーよりもいい人そう。窮地に陥ると口八丁のでまかせでその場を逃れるのですが、エディマーフィーなら立板に水のパワーで圧倒するのですが、この作品の主役は、立板モードになる前に一瞬躊躇する。そこが、なんとなく良い人そうで、映画の後半、ダイヤの奪還よりも同僚の刑事の命を救う方を優先しちゃうところなんか、説得力大です。
まあ、しかし、お話は御都合主義の塊みたいだし、最初の方はどうなることかと冷や冷やだったけど(特にピザ屋に化けたところのワンマンのシーン。ノリが悪いったら)、まあいいですよね。こういう映画はいくらあっても毒にならないし。
御裁断は(最高☆5つ)
シュリ
結論から先に言いますと、この映画は必見です。黒澤の初期の映画をほうふつとさせるような熱い映画でした。この映画の登場人物のような必死の形相は、それだけでも観るものの情感を強く強く揺さぶります。特に、私たちのすぐ隣にいるような人たちが主人公とあらば、なおさらです。このような映画は、今の日本映画界にはもちろん存在していません。国の借金が予算規模の何倍にもなっていても平気で日々享楽に暮らしている我々日本人の必死なんてたかがしれています。そして、このような必死さはハリウッドを探したとしても、そうそう簡単に見つかるものではありません。冷戦が終わって、彼らは死者を出さずして戦争に勝てるようになったのですから。
この映画はきわめて緊張感に満ちたアクション映画であり、同時にとても悲しいラブストーリーです。この両方の要素は互いをもり立てて、そのことがこの映画を傑作にしています。この話の中でもあったように、大事なものを失う予感を感じるときは、いつも幸せのさなかです。その予感のために、今の幸せの大切さが浮き上がってきて、幸せの重要性が一段高いレベルに相変異します。しかし、世の中はどうしようもないくらい悲しい仕組みにでき上がっていて、予感はいつも現実になってしまう。もちろんそれが生きるということで、そういう仕組みを避けようとすると、それは死と同じことになってしまう。それは、多分この映画の中で描かれたたくさんの辛いことよりも、もっと悪いことなんだと思います。だから、この映画はとても悲しい話ですが、それだけではないのです。
最後、キッシンググラミーの片割れはどうなってしまうのでしょう?やっぱりずっと相手を思い続けて生きるのだろうな。
御裁断は(最高☆5つ)
海の上のピアニスト
この映画はアメリカという生き方についての映画です。ノスタルジックなムードと友情のオブラートに包まれてはいますが、そこに存在するものは、文明批判であります。無限の人生を否定し、有限の鍵盤の組み合わせにこそ人生があるのだ、というティムロス扮するピアニストの言葉はヨーロッパ発の映画だからこそのものでしょう。
20世紀はアメリカの時代でした。1900(ナインティーンハンドレッド)の名を持つピアニストがこの映画の主人公であるのは、この映画が20世紀についての映画だからでしょう。20世紀はまた、科学の時代でもありました。終わりのない無限性について異議を差し挟むことは、科学の世界でもやはり異端扱いされるものです。なんといっても、科学では「常に新しく」あることを要請されます。その前提は、世界の無限性です。でなければ、いつかは新しいものがなくなってしまうわけですから。
そんなわけで、この映画のテーマには共感するところ大なのですが、見ている間は僕は常に冷静なままでした。泣けと言わんばかりの音楽、間の悪いギャグ、大仰な演出を繰り出されると、白けてしまってどうも。それに、このお話の幕の引き方には、僕は不満です。せっかく正しいことを言っていても、あの終わり方では負けではないですか。人を泣かせるためだったとしたら、テーマに対して不誠実なのではないでしょうか。
御裁断は(最高☆5つ)
ランダム・ハーツ
結局のところ、ハリソン君とクリスティンスコットトーマスは長続きしないに違いない。そもそも、ハリソン君の行動はすべて復讐心から出ているのですよ。不倫した妻への最高の復讐は自分も他の女に走ってやること、で、妻の不倫相手に対する最高の復讐はその女を寝取ること。なんだ、ハリソン君一挙両得。それから、この二人、物事への接し方が正反対です。不倫という現実に直面して、そのことについて可能なかぎり知ろうとするハリソン君と、都合の悪い現実はすぐに忘れるというやり方で物事を覆い隠そうとする下院議員。今は復讐心もあるし、タンゴの官能のせいもあって、さかっているからいいようなものの、冷静になったらすれ違いの日々になりますよ。保証します。
それにしても、前半1/3くらいハリソン君が妻の不倫について調べているシーンは緊迫感があっていいんですけど、途中マイアミの帰りにあまりに唐突にクリスティンスコットトーマスとさかってしまうのは、観客の立場としては口をぽかんと開けて成り行きに任せるしかありません。復讐心で動いているハリソン君の気持ちはよくわかるんですけど、女性の側がなぜ車の中で突然燃え上がるのか、さっぱり理解できませんでしたな。
しっかし、どうでもいいけど、ハリソン君の仕事の内務調査がらみのシーンはいただけませんな。ほとんど不必要。だいたい、殺された人なんて、ドラマ上で全く死ぬ必要がなかったではないですか。犬死に。あーあ、かわいそう。
御裁断は(最高☆5つ)
ブレア・ウィッチ・プロジェクト
まずこちらをお読みください。読み終わったら、ブラウザーの「戻る」もしくは「Back」ボタンで戻ってきてくださいね。
この映画はこういうことと全く対極の位置にあります。完全な一人称映画であるこの作品では、観客は神の立場から登場人物の地平に引きずり下ろされています。この映画の新しさはそういう形式でホラー映画を作ってしまったことなのでしょう。僕はインターネットによるあのあざとい宣伝戦略は嫌いですが、おそらく世界初だろう一人称ホラーは評価します。この映画を似非ドキュメンタリーだと定義するのは少し外れているように思います。そもそもドキュメンタリーという形式が真実だと考えること自体が前千年紀的です。それにしても輝くべき2000年紀の最初に見る映画にこれを選んでしまったなんてなあ。
ストーリーは、道を探して歩くシーン(噂には聞いていたが、ハンディカメラなので手ぶれがひどい。わざわざ劇場の最後列に陣取ったのに、ほんとうに酔ってしまう。僕は乗り物に弱いのだ。作品の中頃からは歩くシーンになるとスクリーンから目を背けていた)、疲れて立ち止まり三人が互いの責任をののしりあうシーン、まわりの物音に恐怖する夜のシーンの繰り返ししかありません。もっと削って45分くらいにまとめてくれていたら、気持ち悪くならなかったのに。
一方で、この映画では政治も描かれています。プロジェクトを推進するものと雇われるものとの精神的暗闘、緊張と融和の繰り返しにプロジェクトの構成員は疲弊し、その最も脆弱な所から生じる急激な崩壊はとてもリアルです。それにしても、プロジェクトの長が野心家で、なおかつヒステリックだとたまらないよなあ。
そんなわけなので、この映画は観客に非常な苦痛を強います。正月おとそ気分で見る映画ではありません。それに、ラストシーンを見てしまうと、ひょっとしたら夜一人になれなくなるかもしれないから。
御裁断は(最高☆5つ)
ファイトクラブ
You Do Not Talk About Fight Clubですから、映画評を書くのはなかなか難しいのですけれども。やっぱり、何度見てもフィンチャーは好きになれない。現代文明が狂っているのは、全くその通りだと思うし、僕だって今の金融システムは一度崩壊してやり直したほうがいいとも思う。痛みの無いところに幸せはないし、女性の論理だけでは男は幸せになれないというのも御同慶。
しかし、やっぱり好きになれない。フィンチャーはあざとい。途中で何ヶ所か挿入されるブラピのコマ(だと思う。一瞬だったから絶対の自信はないけど)に象徴されるあざとさがあるね。そのあざとさはよくできた伏線になっていて、それはそれで評価すべきものなのだろうけれども、しかし、やっぱり好きになれない。問題作なのでしょう。意図的にフィンチャーは自分の作品を「不快感」というトーンで整えているのだろうと思う。でも、僕は何度見てもそのトーンに真剣味があるように思えない。茶化しているのではないかという疑問が常に頭の片隅を離れない。それが、好きになれない理由なのだろう。
どうでもいいが、ヘレナボナムカーターは何しに出てきたんだ?あのあたりのシークエンスを丸々カットしてくれれば、くどいところもだいぶん減るような気がするが。この映画の本質は心の安定性を欠く男が恋をして落ち着く物語なのか?
御裁断は(最高☆5つ)
ワイルド・ワイルド・ウェスト
だるい。なんて間延びした展開だ。予告編では秘密兵器は一杯出てくるしウィルスミスの格闘シーンも出てくるから、てっきりブラックな味付けのアクション映画だと思っていたが、アホ連が騒ぎ廻るシーンが二時間寄せ集めてあるだけだった。
いろんなガジェットや登場人物達のストーリー上でのつながりがほとんど無いので、見ていて爽快感があまりありません。だんだん画面上のばか騒ぎに白けてくるんですね。セリフ中心のギャグは僕らにはよくわからないし。もう一つこの映画が不利な点は、黒人が南北戦争後のアメリカでヒーローであるということのうさん臭さが、いまいちピンと来ないところでしょうか。
僕はウィルスミスがどうしても生理的にいやなのです。かっこつけるし。今回の中で何がいやかっていうと、途中の絞首刑になりそうなところを弁舌でごまかすところ。才気のかけらもない。最低でしたな。本当のことを言えばケビンクラインに期待してたんですけど、今回は全然精彩がない。女装していたくらいだわ。見せ場というかケビンクラインらしさといえば。
御裁断は(最高☆5つ)
トーマス・クラウン・アフェア
私はオリジナルの華麗なる賭けを未見です。だからかもしれませんが、巷間言われているようなほど、この映画をつまらないとは思いませんでした。確かにサスペンスの部分とロマンティックな部分が中途半端に混ざり合っていると言う印象はまぬがれませんし(というより、ジョンマクティアナンにロマンティック演出は無理だということでしょうか)、レネルッソのあまりの名探偵ぶりは御愛嬌としても(それにしても、なんで警察はあんなに協力的なのだ?)、絵画泥棒というメインストーリーにからんで登場人物の駆け引き関係が変化して行くというお話は面白いし、サスペンス部分をとればこの監督の腕は一級なので、退屈はしませんでした。
でも、まあ、本当は三角関係みたいなお話だろうに、男の側の感情描写がほとんど何もないので、トーマスクラウンにしても刑事にしてもやっていることの説得力がほとんどありません。逆ノッティングヒル状態です。じゃあ、レネルッソに集中して、と思っても、「この人信用できるのかしら?でも、ああ、好き!」という心の動きはうまく表せても、しょせんは野獣。中ごろの情交のシーンなど、農耕民族の目には濃すぎました。
昔からうすうす思っていましたが、ジョンマクティアナンは男の事しか理解していませんな。冷静で有能な女も一度振り向かせれば熱い女に大変身で本当は弱い女なの、なんて古典的な理想の女性像そのものじゃないですか。しかも、そういう女の人をメロメロにさせる。野卑な男の夢ですな。でも、だから、僕はジョンマクティアナンが好きなんだけど。
それから、ビルコンティの音楽最高!星一つ分くらいアップしてますよ。オリジナルのスコアも取り込んでいたりして。
オリジナルが見たくなりました。
御裁断は(最高☆5つ)
元のページに戻りたいですかあ?