スキーだ!!

いやあ、今年もやって参りました、このシーズンが!!
あたしもいつまで呑気に平日スキーを続けていけるか、だいぶんと心配になってきたので、今年もアホみたいに滑りまくるでえ。


12/9-11、ルスツ

えろうすんません。今年の京都は12月1日に初雪が積もって、狂喜乱舞したのもつかの間、その後全然寒くならないので、業を煮やして北海道にひとっ飛び!来年から給料取りやと思って豪毅な事してしまいました。
何が豪毅やゆうて、ルスツリゾートに泊まったんですわ。ルスツリゾート言うたらホテルの中にウォータースライダー付きの造波プール(お恥ずかしながらあたしゃ水着を持っていってちゃんと遊ばさせてもらいました)はあるわ、メリーゴーランドはあるはで、超々ゴージャスホテルです。昔々、あたしゃ、町医者(女医さんね)の看護婦連れた慰安旅行にスキーのインストラクター兼、看護婦の遊び相手(つまりホストね)として連れていってもらったことがあって、そのときは「もう二度とこのようなホテルに来ることはないだろう。孫の代まで語り継がなくては」と思い、すっかり竜宮城の浦島さん状態だったのですが、まさか自分のお金を使って来ることがあろうとは。。。だって、あーた、京都から2泊3日、晩御飯はつかないけど滞在中のリフト券(ナイターも滑れるやつ)がついてたったの44000円!!!!!!!奥さん、今時この値段じゃ飛行機代も出ないよ。
えーっと、面子は私のほかに、生態研の井上さん、石井君、高津君と美人秘書の北村嬢でやんす。前日まで奥田嬢がニセコに乗り込んでいたので、雪の情報もバッチリでルンルンで伊丹を飛び立つ5人でした。さくさく進んで、1時前にはルスツだからあっという間ね。ホテルの都合で部屋のランクが一つ上がってますます王様気分だなー。とりあえず快晴のゲレンデに出ただよ。雪の量はバッチリ、雪質はそれほどでもないが、この時期だから文句は言うまい。とりあえず2本滑ってお昼を食べて、5時までMt. Westで滑ってたん。へっへっへ、実は板と靴を新調しまして(調子に乗ってるんだからぁ)板はエランの96年モデルのMBX、これがこれまでのダイナスターと比べると硬派な板で、返りが素早いこと、よく走ることで最初かなり戸惑いましたが、まあその日の終わりには慣れました。ナイターも行ったんだよ。中華の晩御飯を食べて(おいしかったのよーん)大浴場に行ったらば、本格的サウナがあって石井君と入ってみたのですね。で、おいらたち軟弱ですぐ辛抱できなくなって、水ぶろに脚だけ浸けてたら、太って禿げたオヤジがドカーッと水の中に入るから、見習って浸かってみました。血管が一気に拡張して頭がクラクラしてきて、朦朧とした気持ちを楽しみました。しかも、これで筋肉痛をほとんど取ることが出来るという発見もありました。おいら40になったらサウナオヤジになろうっと。
結局その日は1時まで起きて遊んでました。で、翌朝バイキングを食べて(もし、ルスツリゾートにこれから泊まるという人がいれば、悪いことは言いません。朝飯のバイキングだけは止めなさいね)、その日は天気が悪いと聞いていたのに、全然そんなことはなくてちゃんと洞爺湖は見えたし、ルスツの長いコースを滑りまくったのでした。そんなこの日の主役をかっさらったのは、他でもない北村嬢でした。まあ、まだ積雪量は十分ではなくて、上級コースはオープンしていなかったのです。そのコースも入口には下手すると腰くらいの高さまで草が出てたりしたのです。しかし、そこにボーダーが登場、草の隙を縫って滑っていくのを見た北村嬢、やおら「私も」とばかり、滑っていくではないですか!何すんねんと思いましたが手の打ちようもなく立ち往生するのをしばし眺めていると、姿が見えなくなりました。あれっ?行けるの?と思ってついていってみたらとんでもない。2mくらいの崖がありましたとさ。ほうほうの体でクリアしたのもつかの間、北村嬢ったら今度はストックをリフトから落すんだもの。あたしゃ生まれて初めてリフトから落下するストックをこの目で見ましたよ。皆さん、こういうときどうしたらいいか知ってましたか?僕は知りませんでしたが、慌てず騒がずスキーパトロールにリフトの何番目の支柱の所(リフトの支柱には大抵番号がついているから、落したらすぐに番号を確認すべし)で落したかを告げればすぐに取ってきてくれるのでした。ちなみに北村嬢スキーはかなりのベテランなんですよ。
3日目もドピーカン。早起きは三文の得で生まれて初めてまっさらのゲレンデに自分のシュプールをつけたり、羊蹄山を見たりと御機嫌だったのです。ところが、新しい靴のせいで、途中から右足の内側のくるぶしが痛みだして小さなコブで跳ねるたびに叫びながら滑る始末になってしまいました。まあ、それでも無事に滑り終え帰ってきました。いやあ、最後に機内から見た大阪の夜景まで最高の殿様旅行だったです。始めよければ全てよしで、今後もいきたいものです。

12/21-25、志賀高原、熊の湯、横手山エリア

さてさて、今回参りましたのは、修学旅行生で溢れかえることで有名な横手山です。関西お坊ちゃん学校の雄、K中学校のスキー研修旅行のインストラクター(といっても、初心者にボーゲンを教えるだけだから僕くらいの脚前でも勤まるというものです)としての参加です。宿代、交通費、酒代が出るうえにバイト代まで出るのだから、クリスマス前後を潰されることなど屁とも思いません(ウソです。今年は寂しいクリスマスになりそうだったので逃げ出したというのが真相です)
まあ、お仕事半分ということで、滑走量は大したことありませんでした。ナイター三回と、昼休みの1、2時間滑っただけです。でも、体育の先生に技術指導してもらってちょっとうまくなったかも知れないです。
今年は心配されていたように小雪で、さすがの熊の湯エリアも雪が少なく、ゲレンデから少し離れると平気でササが顔を出していたり、蓮池辺りでも路面に雪のないところがあったりと今後が思いやられます。まあ、しかし雪が降らないということは天気がいいということ。5日中4日が快晴で、そのうち3日で富士山が見えたのだから悪いことばかりじゃないです。雪が少ないと言っても実は出発前日に雪が降っており、中日にも吹雪いたので、ゲレンデの状態は悪くなかったです。
今回はそういうことなので、お話の中心はどうしてもスキーから離れてしまいます。今回は修学旅行の舞台裏をつぶさに見せていただいて、とても面白かったのです。なんといっても、夕食時のエピソードに出会えただけで僕は満足です。夕食はホテルの大食堂で先生と生徒が一緒になって食べたわけなのですが、一応先生のテーブルは生徒とは別になっていました。ふっと気が付くと、どうも我々のテーブルには異様に魔法瓶の数が多いのです。「なんでこんなにお茶の量が多いんだろう」と思いつつ、魔法瓶から湯呑みに注いでみたところ、透明な液体が出てくるではないですか。「ん?お茶ちゃうやん。でも、ただのお湯ともちゃうみたいや??」と思ったら、なんと程よく熱燗になった日本酒ではないですか!!周りの先生を見たらば、みんなお顔が真っ赤っ赤。「いいんですかあ?」と聞いてみても「これはスキー焼けじゃ。わはは」とか言われる始末。この人たち本当に学校の先生だろうかと思ったものですが、「これが本当の魔法瓶」などと、先生に付き物の駄洒落攻撃を受けるにおよび、本物であることを納得。真面目な僕の子供の頃は先生というのは偉いものだと思っていたものです。大人になるにつれ、頭では「先生といえど、血も肉もある人間である」ということを理解するようになりましたが、実感したのは今回がはじめてです。勉強になりました。さっきまで部屋でビール飲んで麻雀してアホ話に興じていたその人が次の瞬間廊下でワルガキを正座させて叱っているのだから、僕の様な人間にはきっと教職は勤まらないでしょう。

1/7-1/10、志賀高原

僕のスキー計画はこの時期に志賀高原に行く事を柱にして組み立てています。つまり、メーンイベントっちゅうわけです。去年も行ったこのツアー今回は新雪天国でした。今年は本当に雪が少ないですけど、ありがたいことに僕がスキーに行く直前に雪が降ってくれるんですねえ。初日は雪がまだ降り続いていたのですが、2日目のお昼くらいから後はずーっと晴天。雪質は最高だし、まだ踏まれてないところがいっぱいあって、最高最高。特に東館山や焼額の新雪ときたらもう。まさに宙にも登らんという感じで滑っていました。ところで、くるぶしが当たって修理に出していた新しいブーツ、まだ痛いんです。で、靴下脱いで裸足で滑っていたんですね。新雪だと板を踏んだときでもショックが無くて痛みがないのはいいんですけど、バックル緩めて滑っているので雪が入ってくるのにはちょっと困ったちゃんでした。まあとはいえ、あんなにフワフワの新雪を滑りまくれるのは滅多にないことなので文句をいう気などさらさらないです。
面子は新婚の高須さん井上さん若野君でした。若野君によれば「僕には新雪地獄ですよー」ということでしたが、まあ、そこは人それぞれということで。

2/22-2/23、サンアルピナ

1カ月半と久しぶりにスキーに行ってきました。今回は学部学生時代のサークル連中と共に過ごす宴会スキーです。僕以外はみんな立派な社会人ということで大名旅行をコンセプトに金曜日の夜のうちに現地に移動して前泊しようという計画でした。 今回の面子は8人だったのですが、そのうち、一人が岡山、二人が名古屋、あとの5人が関西圏という非常に変則的な配置で、しかも車が関西に一台、名古屋に一台でした。そんなわけで僕の車に乗り込んだのは僕、田中嬢、岡山から来る高田明美嬢、高田嬢の友達で今回初対面の遠藤嬢の4人。小林氏と志田嬢は名古屋まで行って小山氏、加納氏と合流、最終的には恵那峡辺りで全員集合というプランだったのです。しかし、これが今回は最初っからトラブル続き。そも、最初に迎えに行った田中嬢が準備が出来てないといって1時間も遅らせるもんだから、高田嬢を新大阪で1時間一人で寂しい思いにさせてしまいました。そのうえ金曜の夜から京都、滋賀に降り続いた大雪のせいで、大垣を抜けるのに5時間かかってしまい、僕はその時点で京都を出発してから既に12時間運転してる状態だった(途中晩御飯を食べたりしたが)のでヘロヘロになってしまいました。しかしながらいいこともありました。大町温泉郷に11時に着いてみたらば、黒部ビューホテルは朝御飯を用意して、我々を待っていてくれました。人の情けが身にしみますでした。それに遠藤嬢はとてもよいお人柄の方で、他の7人は古くからの知り合いというところに一人という状況にも関らず、僕たちに全く気を使わせず、極く自然にみんなと仲良くしてくれて、とてもありがたかったです。しかも、たいそう美しい方でして、志田嬢曰く「みんな浮足立ってる」ほどでした。
さて、元気になったところで、渋る最年長小山氏をせき立て車で20分のゲレンデへ。これが、もーのすごい人で、長らく混雑したスキー場を避けてきたもんでリフトに乗るのに30分かかるという状態にはげんなりしてしまいました(サンアルピナは白馬エリアでも最も高速に近く、しかも鹿島槍の駐車場のキャパは非常に大きく、どうも日帰りスキー場化しているようです。これは勉強になりました)。そのうえ、寒くってこれが。結局リフト6本しか乗らなかったという体たらく。遠藤嬢は今シーズン既に6回スキーに行っているという強者でしたが、さすがの彼女もしょうがないかという感じでした。明日の雪辱を遠藤嬢と誓いつつ、宿に帰ってきました。温泉郷ということで、寒かったしとりあえず、風呂だ!でも、その前に晩御飯だ!ゴージャスだったんですよ。この晩御飯が。これこそ、大名旅行。新婚ホヤホヤの加納氏の生活を聞きつつ、腹一杯になりまして、よーし、今度こそ温泉だ。外湯があるぞ、薬師の湯というらしい。よし、それだ、行くぞーっ、と思ったら、8時までの営業。今は8時15分。ちくしょー、再び、明日の雪辱を誓いつつ買いだしに出かけ宿の内湯に入った中田でした。宴会突入!酒を飲んで8人で大UNO大会。3回やって、2回はビリ、1回はブービーだったというオイラっていったい。。。。
フッと意識が戻ると日曜の朝でした。今日は打って変わってドピーカン。これ以上の天気はない!!さあ、いくぞー。でも、東芝EMIに勤める田中嬢、ユーミンのコンサートのために日曜は苗場に向けて旅立ってしまいました。小山氏、加納氏はR147の夕方の渋滞を恐れて1時には帰るとのこと、月曜の朝が早い志田嬢もそちらに便乗。そのうえ高田嬢までレンタルスキーの関係で昼までしか滑らんといって、鹿島槍だけ使えない、しかも午前券を買っちゃったもんだから、雪辱を誓った私と遠藤嬢、小林氏は本隊と別れ青木湖大滑走を目指し出発したのでした。青木湖大滑走は今回で4回目のアタックのこの私、これまで全て雪と霧に阻まれて参りましたが、今回ついに本当に深青色の湖面を正面に滑ることができました。幸せでした。青木湖、佐野坂の方は鹿島槍と違い空いてもいましたので、いっぱい滑れましたし、三人とも大満足です。
で、最後まで滑って薬師の湯で仇もとって、ほくほくで帰ってきました。帰りの車内もいろいろお話ができて楽しかったです。昔の友達と会ったり、新しい友達を作ったりするのは本当に人生の最も大きな楽しみだということがいまさらながらよくわかりました。     


2/25-2/26、栂池・八方

で、白馬から帰ってきて月曜日京都でゼミに出て、また火曜日から白馬に行くという強行軍。今回は井上、渡部、丑丸、村上、岡田で2台に分乗していきました。前回とは打って変わって、今回全く雪が無く、ノーマルタイヤの岡田号、結局ノーチェーンで栂池の宿にまでついてしまいました。暖かくってこれがもう。久しぶりの栂池ですが、雪は少し湿りがち。まあ、ざーざー滑っているとにわかに雲が出てきまして、今度は雨がざーざー。珍しく鐘の鳴る丘に行っていたもので帰ってくるまでにずぶずぶになってしまいました。おかげで、風邪を引いてしまい、夜も回りが女性の話題で盛り上がる中一人で寝てました。 翌日は、八方へ。いつも、もう二度と行くまいと近いつつ、来てしまうんですよね。八方に。その週末にワールドカップ女子滑降が行なわれるとのことで、練習のためにリーゼングラートから黒菱、パノラマからスカイラインがコース閉鎖。でも、まあ、練習とはいえトップスキーヤーの滑りが見れるかなと思っていたらば、前日の雨でコース不良で練習も中止。踏んだり蹴ったりでした。しかもほんとうにコース不良で、雪は重いし、凍っているところだと、たっているだけではエッジの跡もつかないという状態で、転倒者続出でした。で、風邪がひどくなってきたのでもう、途中からはほとんど滑る気を無くしていた中田でした。でも、楽しかったな。

3/18-3/19、野沢温泉

いやー、春スキーです。こんな時期にスキーに行ったのは久しぶりです。高須先生ったら新婚ホヤホヤでお忙しくって今年はあんまりスキーに行けず。で、今頃になって行きたいと騒ぎだすのでついていきました。あとの面子はこの6月にめでたく結婚の井上さんです。ああ、この3人で何度スキーに行ったことか。ついに僕一人取り残されてしまいました。来年こそは独身最後のスキーにこの二人をつきあわせたいものです(ちょっと、僕も本気入れなきゃいけませんね)。
さて、このところ暖かだったにもかかわらず、ちょうど僕らが滑るときだけ少し寒くなったです。幸せです。なので雪もそりゃもちろんよくはないですが、それほど悪くはなかったです。2月終盤から3月はじめくらいの雪質だったでしょうか。午前中のスカイラインなど幸せの極みでした。だーれも人がいないスカイラインをぶっとばす快感ったら。
とはいえ、やっぱり春スキー。暖かいのは否めません。午後になるとべちゃべちゃで、スカイラインを降りるのも一苦労でした。なので、何本か滑るとお茶を飲み、3時にはもう滑り終えるという二日間でした。もちろん温泉つきで極楽極楽。暖かいといえば、前夜は研究室で追いコンがありその勢いを駈って徹夜で高速を走って滑ったのですが、立ち乗りゴンドラの中であまりの暖かさについ立ったまま寝てしまいました。寝息も立てていたそうです。ゲレンデで寝たのははじめてです。
はじめてといえば、スカイラインを降りているとき、一番急なところ(推定25度程度)を、めんどくさかったの、直滑降していたら、湿雪に足を取られてあんな大転倒ははじめてという転び方をして、頭をしこたま打ちました。2日たった今でも、首の回りが痛みます。いつも直滑降してるときは「ここで転んだら死ぬな」と思いながら滑っていましたが、結構死なないことを発見しました。痛いけどね。
行きに中央道でヘールボップを見ました。あんまり尾っぽが長くなくて、ちょっとがっかり。帰りはぶっ飛ばして実質5時間で帰ってきました。しかし、これで信州も今シーズンは終わりかと思って少し物思いに耽る中田君でした(本当は一人独身で残ることに落ち込んでいたのだという外野の声もあります)。いいもん、来週は北海道で締めくくるもん。

3/30-3/31、ニセコ

というわけでいってきました、北海道はニセコひらふです。北大での学会の後滑ったんですけど、学会中はあほみたいないい天気で、ちっとも北海道らしくないなあとおもっていたらば30日は大雨で「あーあー、折角北の国まで来たのに雨まで降るとは」と思いつつ、宿代も払っていたのでニセコまで泣き泣き走ったら、なんとまあ雪に変わるじゃありませんか。まだまだ、つきは無くなってないかなと思った僕は甘かった。こいつが物すごい風なんですわ。ニセコは森林限界近くのスキー場、木々もまばらなもんで、風を遮るものも無し。地吹雪きで何も見えないし、斜面に立ってたら勝手に流されて滑っていっちゃうし、そもそも風でリフトが三本しか動いていないし、午前中の雨で雪は無茶苦茶だしで、もう笑うしかない初日でした。しょうがないから、早々に切り上げて、温泉で和んだものです。ちなみに面子は井上さん、石井さん、若野さん、岡田君、石田君と新妻とのサッポロの一日を楽しんだためにあとから合流の高須大魔王で、今年の総決算みたいでした。
二日目も一向に雪は止まなかったんですが、風は少しおさまって、滑れる場所が少し増えました。この、わずかに増えた花園ゲレンデが今回のポイントね!なんといっても流石は北海道、雪が降れば、ふかふかの極上ゲレンデでした。新雪天国!!!!気持ちいいったらありゃせんです(といっても、はじめたばかりの岡田君には辛かったようで、彼は転んで眉の上をサングラスで切って流血するという名誉の負傷をいたしたわけですが)。この時期にこんないい条件でスキーが出来るとは夢にも思いませんでした。さすがとしかいいようがありません。いろいろ苦労した甲斐があったというものです。こんな理想状態でシーズンを締めくくれてオイラは幸せでゴンス。
帰りは夜に小樽から船に乗るので晩ご飯は当然に寿司!!お任せ握りアラ汁つきにイクラ丼で6000円の散財も明日からは給料取りだと思えば痛くもかゆくもありません。トロのおいしかったことといえば、これがもう。満腹に腹を抱えて船に乗り込んで、すぐに寝入っちゃったもんで、荒ぶる日本海を進むフェリーは嘔吐者続出といえども、まったく問題なく帰ってこれて、これまた幸せでした(たらふく食って寝てしまうというのは井上師匠の船酔い回避法です。半信半疑でしたが本当に効くです。おためしあれ)
さて、総括です。今年は20日滑走ということで20台最後の年、我ながらよう頑張りました。パチパチ。それにしても体力の衰えは隠せません。ちょっと、天候が悪くなると途端に滑る気無くして休んじゃうんですよね、最近。まあ、いいか。膝とか腰とか痛むし、もう無理の効く年でもないわなあ。来年は滑走日数を減らして、一回一回をゴージャスに行こうかなあ。今年は北海道に始まり北海道に終わったり、大町温泉で滑ったりと大名スキーの味を覚えてしまったのだ。
晴天率は15/20=75%、ギャル率は5/20=25%と去年とは打って変わって、よく晴れてたんだけど、華やかさに欠けるシーズンでしたね。奥田嬢と行かなくなったのが大きいですね(ギャル率の低さはわかるが、晴天率も奥田嬢のせいにするかあ?)。うれしいような、ちょっと悲しいような。。。。まあ、あんまり考えんようにしようっと。
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